学問

「学問を修めた方がいい」と精神科の先生は言う。僕もその通りだと思うようになった。人を見ていて、(大変失礼な言い方になって申し訳ないが)こんなに頭の悪い(あるいはズボラな)人間がこんなに堂々と生きていられるのはなぜかと思い、ムシャクシャすることがある。「学問を修めたから」というのは一つの答えとして納得できる。「学生時代打ち込んだことはなんですか」みたいなものかもしれない。卒業したということは与えられたものにせよ、打ち込んだということだ。僕は単位ゼロで中退したので、常に根っこに悔しさというか負け犬根性があった。それがどんなトリガーで表に出てくるかわからない。簡単に表に出てきて、僕は火病のように手がつけられなくなる。人に食ってかかり「議論」し「論破」し…

「ナリ心理学」はナリさんが作った学問だ。自分で作っちゃう人はそれでいい。僕はこの悔しさをそのままに大人になんてなれない。大学を卒業するということは一大事業らしいと聞く。やり遂げればきっと見える世界が違うんだろう。時間はかかっても、人より遅くても、卒業する意味はあると思う。堂々と自由に生きられるように。ナリ心理学もリベ大も、そういう意味では似たようなところがあると感じる。そういうものが求められてる。堂々と自由に生きるための教養。それこそが僕の求める救いではないのか。今はそんな気がしている。苦しい季節はやっと終わる。これからは問題に智慧をもって対処できるようになっていく。

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虚藻天 (id:kyomo10)

ひもしです。自分語りします。

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