ハヤシライスは謎と混乱の煮込み料理だった

「林」か「早矢仕」か「ハッシュド」か

2012.03.09(Fri)澁川 祐子

 もう1つは、「ハヤシさん考案説」。しかも、ハヤシライスを作ったとされるハヤシさんは1人ではない。候補は2人いる。

 1人目は、1876(明治9)年に開店した「上野精養軒」でコックをしていた“林さん”なる人物。従業員のまかない飯として、余った牛肉と野菜で作った料理が好評で、のちに店の看板メニューになったと言われている。

 2人目は、丸善の創業者の早矢仕有的(はやし・ゆうてき)である。

 丸善は1869(明治2)年、早矢仕が横浜に医学書を中心とした洋書の輸入販売店を開いたのが始まりだ。早矢仕はもともと福沢諭吉の門下生で、医者であった。

 福沢諭吉といえば、明治維新前から牛肉を食し、周りにも「滋養がある」と勧め、牛肉の普及に一役買った人物である。その影響下にあった早矢仕が作った牛肉と野菜のごった煮が元祖ハヤシライスだという。

 考案したきっかけは、横浜の勤務医時代に患者向けに病人食として作ったとも、丸善に勤める丁稚向けに夜食として作ったとも言われている。

ハヤシライスの元祖と銘打ち、丸善のカフェで提供されている「早矢仕ライス」(1000円)

 ハヤシさん考案説に限ってみると、「上野精養軒」の林さん説は「コックの林さん」が実在していたかどうかも定かでないため、信憑性は薄い。

 「丸善」の早矢仕さん説の方が脈はありそうだが、こちらも伝聞以外の確たる証拠はない。

 1935(昭和10)年刊行の『明治文化研究 第5輯』(明治文化研究会編、学而書院)に収録されている蛯原八郎の「早矢仕有的傳」には、早矢仕有的がハヤシライスを考案したという説に対し<話とし ては是は至極面白いが餘りに面白過ぎる嫌いがないでもないので、私は過日之を早矢仕四郎氏(筆者註:早矢仕有的の長男)に質して、案の定訛傳であることを を知った>とある。

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