第4章 1921-1956 カラー革命と第一期黄金時代
第4回 トンパ文字とシャングリラ
ジョセフ・ロックがトンパ文字と出会ったのは、1923~24年にかけて、中国奥地を探検中のことでした。「ナショナル ジオグラフィック協会雲南遠征隊」の隊長を務めた彼は、このとき雪嵩村(ngluko=ヌルコ)を拠点に周辺を調査します。
その一部をロックは1924年10月号に「中国雲南省ナシ族におけるとある病魔の退散術」と題してレポートしました(原題は「Banishing the Devil of Disease Among the Nashi of Yunnan Province, China」)
いやあ、この記事の面白いこと。
トンパとは、踊ったり、かがり火の中に飛び込んだり、燃える油に手を浸したりなどして、奇怪な儀式を行なって病魔を退散させる「聖職者」。そして、ナシ族の歴史や信仰を記録するために、トンパが使う特別な文字がトンパ文字でした(原文では「トンパあるいはトンバ」ですが)。
病魔退散術をこと細かになぞらえていて、なんだか怪しげなタイトルもいいね! て感じ。ロックが撮影した写真がまた素晴らしい。人気が出るのも当然です。
この記事は客観的なレポートでしたが、たいへん好評だったので、続けてロックは自らの冒険談を次々に執筆します。
25年4月号「黄色いラマの土地(The Land of The Yellow Lama)」、25年9月号「孤独な地理学者の経験(Experience of a Lone Geographer)」、26年8月号の「アジアの大峡谷を抜けて(Through the Great River Trench of Asia)」と、竹を編んだ綱を伝ってメコン川を渡った話や、山賊に襲われた事件、神秘的な儀式、諸国の王への謁見などの冒険談を華々しく繰りひろげ、人気を確実なものとしました。いま読むとまるでラノベみたいなハナシですが、きっと当時はそんな感覚で読まれたのではないでしょうか。世界はまだ多様性に満ちていたのです。ちなみに、病魔退散術の記事を書いた時点でロックはすでに「中国に吸収されてトンパの文化は急速に失われつつある」と筆をおいています。
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