<人は忘れる。どんなに大切なことも。では、なぜ忘れるのか。どうすれば良いのか。親を責めるだけではなく、具体策を考えよう。>
■車内放置で0歳女児死亡。容疑の母親は「降ろすの忘れた」と供述
暑い日が続いています。毎年のように、車内に放置された子供の事故が報道されています。先週報道された富山県の事故では、母親は「降ろすのを忘れた」と供述しています。
この記事に関するヤフーコメントの多くは、
「忘れるはずない」「ありえない」「え?子供を忘れるってある?」「自分の大切な子供を忘れるなんてありえない。」「忘れたってなに? 子供は物ではありません」「子供を降ろしわすれるなんて母親としてありえない」。
「最低の母親」「この母親にとって車に忘れる程度の存在でしかなかったってこと」「育児放棄」「親の虐待」「無責任」「だらしない母親」。
「まともな神経ではない」「嘘」「わざと忘れたんでしょ。しっかり状況を洗えば殺意が見えてくると思います」「飲酒して、子供を失念するなんて、ネグレクト以外の何物でもない」。
この事件の詳細はわかりませんが、子どもを車内に忘れること自体ありえないのだから、それはウソか、あるいは例外的にひどい母親だと感じた人が多かったようです。
しかし、どんな大切なものでも、大切な人のことでも、人は忘れることがあるのです。それはどんな賢い人でも、愛のある人にでも、起こりえることです。車内に子どもや孫を置き忘れる事故は、あなたにも私にも起こるかもしれないのです。
■車内子ども置忘れ事故の例
富山の事件では、容疑者の母親(25)は仕事後に知人と酒を飲み、運転代行で子ども2人と帰宅。11ヶ月の女児だけを車から降ろし忘れ死亡させたとして、8月2日逮捕されました。
2016年に栃木で発生した事故では、父親が朝通勤する際に2歳の男児を保育園に送るはずが、「仕事のことを考えていたら忘れて」しまい、子どもは駐車場で死亡しました。
2004年にも、岐阜で同様の事故が発生しています。医師である41歳の父親が1歳の女児を保育園に送っていくはずだったのですが、「子供が静かだったことや、遅刻しそうだったこと」で忘れてしまい、職場の駐車場で子供は死亡しました。
2017年山口県では、母親が2ヶ月の娘を車から降ろし忘れ、アパートの駐車場で子供は死亡しました。
2018年長崎県では、帰宅した両親が子供を車から降ろし忘れ、1歳の女児が死亡しています。
2017年宮城県では、祖母が3歳の孫を幼稚園に連れて行くのを忘れ、自宅の駐車場で3歳男児が死亡しました。
■海外の子供車内置忘れ事故
海外でも、同様の事件事故は起きています。海外の方が、親へのインタビューなど、詳細が報道されているケースもあるようです。
今年2019年の6月、アメリカニューヨーク州で父親が1歳の双子を車内に置き忘れ、子供が二人とも死亡する事故が起きています。この事故も、保育園への預け忘れです。報道によれば、社会福祉の現場で働くこの父親は「私が殺した」と法廷で涙を流していました。
また、近隣の人々は、「彼は子供を傷つけるようなことは決してなかった」「子供達にとって夫婦は本当に良い親でした」と語っています。
2017年オレゴン州では、38歳看護師の母親が1歳9ヶ月の娘を保育園に送り届けることを忘れてしまい、子供は母親の勤める病院の駐車場で亡くなりました。
泣くなった赤ん坊は、15年にわたる不妊治療の末に授かった最愛の娘でした。しかしその日、病院でするべき重い仕事への責任で頭が一杯になっていたと母親は供述し、逮捕後は「自分も死なせて欲しいと懇願」していたと報道されています。
また、死亡事故ではありませんが、今年2019年3月には、子供を飛行場の待合室に置き忘れたまま母親が飛行機に乗ってしまう事故がサウジアラビアで発生しました。飛行機は飛行場へ引き返し、子供は無事に救い出されいます。
2019年5月のドイツでは、両親が赤ん坊をタクシーに忘れる出来事も起きています。
この親たちも、決して冷たい親や虐待している親ではありません。
■人はなぜ子供を車内に置き忘れるのか
「忘れた」がウソであれば論外ですが、本当に忘れてしまうことがあります。意図的な虐待であればまた別の問題ですが、最愛の子供を車内に置き忘れることもあります。
乱暴でもなく、能力も高く、愛にあふれた親でも、忘れてしまうことはります。私にもあなたにも、無関係なことではありません。
2017年のライフハッカーの記事によると、「米国では、車内の熱中症で年間約37人の子どもが死亡しています。その半数以上が、保護者によるうっかり忘れたのが原因」としています。
2016年のワシントンポストの記事によると、1998年以降の過去15年で682人の子供が高温の車内で亡くなり、その54パーセントが置忘れだとしています(アメリカでは車内に意図的に子供を残す親が少ないので、置き忘れの割合が高くなるのでしょう)。
アメリカで心理学や脳科学からこの問題に取り組んでいるデビット・ダイアモンド博士は、これを「赤ちゃん忘れ症候群(forgotten baby syndrome)」と呼んでいます。
人間は、行動の順番を事前に考えています。たとえば、家を出て、買い物をし、保育園によって、それから職場へ行く、というものです。ところが、ストレスが高かったり、いつも通りのルーチンが変更されたり、突然の出来事があると、途中でするべき行動をすっかり忘れてしまうことがあります。
CNNは、この問題に関するデビット・ダイアモンド博士の研究を紹介しています(高温社内死:親はどうして車内の子供を忘れることができるのか)。
この記事によれば、職場に行くといった「習慣的な記憶」は強いのですが、車に乗るときに「今日はこれから職場に行く前に保育園へ行くのだ」と考える将来に関する「展望的な記憶」が負けてしまうとも考えられています。
多くのことをしようとしている「記憶マルチタスクモード」にあるときに、脳が誤動作を起こすわけです。通勤途中で手紙を投函するのを忘れたり、帰りに牛乳を買ってくるのを忘れたり、買い物に行っていろいろ買ったのに一番大切なものを買い忘れるようなケースです。
もちろん手紙や牛乳とわが子を一緒にはできませんけれども、脳の基本メカニズムは同じと考えられています。これは、本人の人間性などの問題ではありません。誰にでも起こりうることなのです。
■車内子供置忘れの防止方法:ヒューマンエラーの考え方
人間は忘れます。人間は失敗します。これをヒューマンエラーと言います。ほんの小さなミスで、飛行機が墜落することもあります。工場の大事故や、医療現場の死亡事故も起きます。
本来なら、「考えられない」ような物忘れや失敗です。しかし、ヒューマンエラーは本人を責めるだけでは解決しません。刑罰や反省文や誓いの言葉では解決しません。人間は、忘れるもの、失敗するものとという前提にたった対策が必要です。
たとえば、自動車から降りるときは、必ず後ろを振り返るという行動を「習慣化」することは効果的です。子供がいてもいなくても、荷物があってもなくても、必ず振り返ることを、習慣、くせにしてしまうのです(荷物の降ろし忘れも防げます。タクシーの忘れ物も防げます)。
ただし、この習慣も、焦りやストレス、突発的なことがあると、くずれてしまうこともあります。複数の大人がいると、他の人がしてくれたと思い込むこともあります(お盆休み正月休みなどで祖父母宅に行ったときなど特に要注意です)。
そこで、自動車会社も対策に乗り出しています。
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また、色々な置き忘れ防止グッズも販売されており、持ち主と離れるとアラームで知らせてくれます。ある商品の宣伝文の中には、
「ペット、子供、車、大切なアイテムを置き忘れ防止」とありました。
重大な事故が起きてしまえば、大人が法的責任を問われることもあります。小さな子度をを育てる親として、気を引き締めなければなりません。しかし、それでも人間は忘れ失敗します。親を責めるだけでは解決しません。人間個人の意思の力だけを過信してはいけません。
様々なハード面の工夫、行動や習慣の工夫が必要です。
ライターのかつかつ主夫さんは、この問題への7つの具体的防止策を提言しています。その中には、保育園幼稚園との連絡体制の整備や、大人たちが普段から危険性について話し合っておくこと、危険発見時の通報などについて述べられています(「子どもの車内放置は他人事ではない。事故を防ぐための具体的な対策は?」)。
ヒューマンエラーを防ぐためには、信頼関係とコミュニケーションはとても大切です。一人ではできないことも、協力体制の中では可能です。機長と副操縦士のコミュニケーションが取れているほど、飛行機は落ちません。
私たちがものを考えるときには、心の黒板に必要事項を書いていきます。この心の黒板を、ワーキングメモリーと言います。ワーキングメモリーが十分に広く、書かれていることにバランスよく注意が向けられれば良いのですが、上手くいかないこともあります。睡眠不足、疲労、焦りは、失敗を作ります。
今日は別のこと(保育園に寄る)をしなくてはいけないときに、「強力な習慣の侵入」(いつも通りの通勤)がやってきて、忘れてしまうこともあります。ストレスや苦しみのせいでワーキングメモリーが小さくなってしまうこともあります。そうすると、大事なこともつい忘れてしまうのです。
子供を守るのは親の責任です。そして、その親を支援するのが、企業と行政と、そして私達の役割なのです。