日本クルド文化協会の調べでは、「難民などで構成される在日クルド人は約2000人。そのうち、6割強となる1200~1300人が、川口市や蕨市に住んでいる」(同協会のチョラック・ワッカス氏)。このほか東京や大阪、名古屋など、日本各地の大都市に、在日クルド人のコミュニティーがあるという。近年では、シリア内戦の戦禍を逃れ、日本にきたクルド人難民もいる。JR蕨駅周辺に数多くのクルド人が居住しているため、故郷のクルディスタンと蕨を掛け合わせ、ネットやメディアなどで「ワラビスタン」と呼ばれるようになった。

日本クルド文化協会のチョラック・ワッカス氏(写真左)

 日本クルド文化協会は、チョラック氏など、日本在住歴が長いクルド人が中心となり、2013年4月に設立された。現在は約200人のメンバーで構成され、川口・蕨エリアのクルド人コミュニティーの取りまとめ役となっている。在日クルド人向けには、定期的に日本語教室を開催し、地域の日本人住民との親交を深めるためクルド料理教室なども開いている。若手メンバーを中心に、蕨駅前のゴミ拾いやパトロールなどのボランティア活動をしているのも、地域住民との共生を目指し、日本人住民と良好な関係を築きたいとの思いからだ。

 チョラック氏はトルコ東部のマラティアという町の近くで生まれた。2006年からマレーシアの大学に留学。この年、旅行で初めて来日した際に、日本が気に入った。既にチョラック氏の兄が川口市に在んでいたため、チョラック氏も2009年から川口市に住むことにしたという。

 そもそも、現在は1000人以上とも言われる川口市や蕨市の在日クルド人が、この地に集中して住み始めた理由は何なのか。

民族の旗を掲げる若者

 なぜ蕨駅周辺にクルド人が多く居住し始めたのか。これについてはチョラック氏や日本クルド文化協会のメンバーでも詳細を把握している人は少なく、諸説あるようだ。ただ、在日歴が長いクルド人の話を総合すると、最初に蕨駅周辺にクルド人が住み始めたのは1990年代初頭らしい。

 当時としてはごく少数が集まっていたに過ぎないが、クルド人は家族や親戚の結びつきを重視する民族らしく、血縁関係がある人を徐々に呼び寄せたようだ。実際、遠く離れた日本で暮らすには、同じ言葉を使い文化を理解する同胞が近くにいた方が、何かと心強いのは間違いないだろう。こうして、川口市や蕨市にクルド人が増えていった。