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最終更新日:2005年07月26日

 

知事会見

( 部長会議、長野市地附山地すべり災害松寿荘犠牲者二十周年慰霊祭 他

平成17年(2005年)7月26日(火)
11:00~11:45

知事分室会見場
(県林業総合センター内)

 信州・長野県知事 田中康夫
 7月26日の知事会見です。台風7号が接近していることもあって、先程の部長会議では危機管理室長と土木部長から現在の状況、また今後の予測に関して報告がありました。皆さんの方があるいはお詳しくていらっしゃるかもしれませんが、上田・佐久地域を中心に今後明日にかけて雨がかなり予測されています。ただ台風が、一般的に言うと、本県の逆に東側を通るという形でありますので、今までの科学知識の中では、本県の東側を通る方が相対的には風雨がですね、西側を通るよりも弱いという形ではあります。
 それと是非これは皆様にご紹介をお願いしたいと思いますが、8月12日の金曜日に被爆後60年~信州の医療支援~という催しが長野県県民文化会館、長野市で行われます。これはご存知のようにですね、「アトミック・カフェ」という原爆の映画がございます。これと同時に深澤嘉一さんというですね、長い間被爆者の医療に関して携われてこられた方が講演されます。その後衛生部長であります澤田祐介と私と深澤嘉一さんとでシンポジウムを行う形であります。本県には現在もなお194名の長崎・広島における被爆をされた方々がいらっしゃいます。これらの方々に継続的な健康診断、治療というものを原爆症の専門医を招いて行っているのはですね、被爆地の広島・長崎両県及び本県のみであります。これは私や澤田が就任する前からずっと行ってきていることでありまして、現在県の本庁舎の1階のところには、ご存知かと思いますが長崎や広島での原爆の被害、あるいはそうした被害に遭われた方々の写真や資料の展示を行っております。60年というのは、先程も部長会議で申し上げたんでありますが、人生80年90年と言われる中においてもですね、ひとつの定年を迎えるという年であります。それは日本全体、あるいは世界全体が60年という中で、真の意味でのオーバーホールを行わなくてはいけない時期だと思います。一般的に例えば企業等の創立10周年、25周年、50周年というような形が日本、あるいは他の国も比較的そうかもしれませんが、実は戦後30年のときにリハルド・ヴォン・ワイツゼッカーっていうドイツの当時の大統領がですね、やはりワン・ ディケードというのは10年で3世代経つとやはり昔のことを正に実体験を持って、きちんとリアリティを持って語り継げる人というのがですね、一巡してきてしまう。だからこそその30年という節目こそはですね、逆にその戦争においてドイツが犯してきた少数者、それはジプシーであったり同性愛者であったり障害者であったり、あるいは人数としては多かった訳ですがジューイッシュのユダヤ人の人たちであったりにしたことをきちんと語り継がねばならないということを言っています。過去に目を瞑る者は現在あるいは未来に対しても目を閉じる、目をそらす者だということを言ってます。その意味で言うとその2倍に当たる60年というときに、私たちとしてささやかながらも原爆症の専門医を招いて健康診断を続けてきた本県がこうした企画を立てるということは意味深いことだと思いますし、また下伊那農業高校の生徒が修学旅行の事前学習を踏まえてですね、こうした原爆というものに関して非常に考えている彼らの発表もあるという形です。丸木美術館や広島平和記念資料館のご協力によって現在県の本庁舎で展示を行っておりますが、これは今後県民文化会館の展示室でも行うところですし、あるいはその後私どもの地方事務所や、あるいは多くの文化施設、サイトウ ・キネン・フェスティバル松本が開かれる松本文化会館等も含めてですね、こうした展示を行うというふうなことを更に企画しようという形であります。この点に関してもし何かご質問があれば、本日衛生部長の澤田祐介が同席しておりますので、後で個別も含めてお聞きいただければと思います。
 それからお手元にお配り致しました中で、私どもの様々な試験研究機関というものがあります。概ね明日から本県の小中学校は夏休みに入るということで、こうした研究機関がそれぞれ小中学生の皆さん、あるいは親子連れの方々にですね、普段研究している機関を公開してですね、そこで 様々な実験等を一緒に行ってもらおうと。あるいはクッキーやビスケットを作るとか、こうした創作活動を一緒にやっていただくという形です。資料を用意してございますので、これらはそれぞれ今後各市町村等の図書館であったり、そうしたお子さんたちの目に触れるところにもポスターを掲示してお越しをお待ちします。これはやはり私どもの職員にとっては雁田山の採石場で先日ですね、信越建商と藤森建設工業の方々が採石の現場に500人を超える多くの方々がいらっしゃったことによって自分たちの仕事を見ていただくということで大変に張りが出たということと同様に、私どもの研究機関の職員にとってもですね、お子様連れの方々にお越しいただくということは大変な仕事への張り合いになるというふうに思っています。
 それからもう一点、先程私どもの出納長の青山篤司が代読を致したところでございますが、本日7月26日はちょうど20年前に長野市地籍の地附山の地すべり災害というものが起き、当時特別養護老人ホームという正式名称はあったのでしょうか、老人ホームであろうかと思いますが松寿荘の方々がですね、26名の方々がお亡くなりになられたということに関して毎年慰霊祭が行われてまいりまして長野市主催で、今回の20回目をもって慰霊祭を区切りとして来年度以降は中止なさるというお話であります。ここで私の文章を青山が読んでおります。これは皆様当時もですね、確か97年の6月27日に長野地方裁判所で湯谷団地を分譲した県を相手取った損害賠償に関しての判決というものが出て、この段階で県はバードラインを建設後のさまざまな事象の変化というものに関してですね、災害を予見回避できたということで賠償を命ずるという判決が出ております。このことは、当時本県は「主張が十分理解されず大変残念」というコメントを、信濃毎日新聞にはこうした見出しでコメントが出ておりますが、この賠償に関しては補正予算を組んで行ってきているところです。今日私どもは県の責任というものに関して改めてお詫びを申し上げると同時にですね、実は93年に長野市が「真夏の大崩落」というですね、地附山の地すべり災害の記録集を編さんをされておりますが、この中でも残念ながら記されていない点ですが、実はこの松寿荘に関しては、これは長野地域の広域がお持ちだった施設であると思います。長野広域行政組合の老人ホーム松寿荘でありますが、ここに関して避難勧告が最後まで出なかったという大変申し訳ない事実、そしてまたこの26人の入所者の方々は2階の部屋でですね、言わば寝たきりの体の状況であられる方々であったということが記されていないと。このことによって本県の老人ホームではその後もですね、非常に急峻な地形にありますが、2階に寝たきりのご老人の方が入所をするという形が続いてきてしまったということは、大変これは申し訳ないことだというふうに思っております。そうしたことを踏まえた文章を追悼の言葉として申し述べさせていただいたところで、この文章に関してはご希望があれば私どもの方から皆様にお渡し申し上げるところです。
 今日はこちらから申し上げることは以上であります。ご質問があればお受け致します。いつも真っ先に挙がって平沢さん。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 長野地裁判決によればですね、県に対しては災害予防義務違反、今知事がおっしゃった。それから営造物の管理責任という国賠法の2条のですね責任が指摘されたということで、それについて要するに県の責任を認めるということでよろしいのかどうかということで、まず1点お伺いします。

信州・長野県知事 田中康夫
 これは当時もですね、県側は信濃毎日新聞のかぎ括弧だと「『この地すべりの原因は当時の稀にみる異常な降雨にあるとの基本的な考え方に立って主張してきたが、裁判所に十分理解いただけなかったのは大変残念だ。今後の対応は弁護団とも協議の上で検討して参りたい。』というコメントを発表した。」とありますが、同時に「この27日の午前に県は、県に5億円余の損害賠償を命じた長野地裁の判決を受けて開会中の6月県会に金利分を含め7億円余の補正予算案を提案する方針を決めた。」という記事が、コメントの後に出ております。これは無論お金で何かこうした人命というものがですね、報われるというものではないということはこの件に限らず皆様も十分深くご認識なさってるところだと思います。ただ県としてはこの地裁における判決というものをですね、高裁なりへの新たな訴えという形ではなく受け入れたということでありますから、これは結果としては97年の段階においてこの判決を受け入れたということではあろうと思います。今申し上げた点は、これは、じゃあちょっと代読を致しました文章を読みます。

 本日ここに、「長野市地附山地すべり災害 松寿荘犠牲者二十周年慰霊祭」が執り行われるにあたり、慎んで追悼の言葉を捧げます。
昭和六十年七月二十六日、戸隠有料道路付近に発生したこの地すべりは、想像を絶する規模となって、瞬く間に松寿荘を呑み込んでしまいました。懸命な避難救出作業にもかかわらず、全員救出の願いも空しく、二十六名の尊い命が失われ、帰らぬ人となられたのであります。長野県企業局が造成した湯谷団地でも、土地家屋五十戸が埋没全壊という甚大な被害を受けております。
 二十年という月日を経た今日、長野市街地から地附山を仰ぎ見る時、復旧工事や緑化の取組みにより、目に見える災害の爪跡は消えつつあるとはいえ、犠牲になられた方々の無念、最愛の肉親を失われたご遺族の皆様の悲しみを、あらためて強く、深く想い起こさずには居られません。もとより自然の力は人智を凌駕するものとはいえ、防災に携わる行政が安易に免罪されることは、決してあってはなりません。
なぜ、その日、松寿荘だけに長野市からの避難指示が出されなかったのか。
なぜ、自力で避難できない二十六名の方々が、避難しにくい二階の居室に寝かされていたのか。
 なぜ、地すべりの危険性を秘めた土地に、松寿荘は建設されてしまったのか。
 安全な施設と疑うことなく松寿荘に入所されておられたであろう皆様の御霊を真に慰めるべきは、これらひとつひとつの疑問に立ち向かい、行政の至らなさを根本から改めていく私どもの決意と行動に他なりません。
平成九年六月に長野地方裁判所が出した判決によって確定した、戸隠有料道路の管理瑕疵に関わる責任を含め、県民、市民の生命と財産を守るという重要な責務を、結果として当時の長野県、長野市の行政が果たし得なかったことに対し、今日この場に於いて、皆様には深く、心よりお詫び申し上げます。
 災害の都度、ご高齢であられるなど避難がままならない方々が、多くその犠牲になるという全国的な状況に対処すべく、長野県ではそうした方々がどこに、どのようにお住まいかを地域の皆様が常に知るための「災害時住民支え合いマップ」を初め、「災害時における高齢者・障害者等避難支援計画」の策定に全力を注いでおります。
また、松寿荘を初め、人里を離れた、自然災害の危険が内在する土地に建設されがちであった特別養護老人ホームなどの大規模施設から、小規模でも地域の中で介護サーヴィスを受けることができる宅幼老所などの支援、充実へと、福祉施策の方向を抜本的に転換しております。
 この地附山で失われた尊い御霊の犠牲を、私ども行政に携わる者は常に忘れてはなりません。真に安心して生涯暮らしていける地域の再生、創造に、長野県はさらに全職員の力と智恵を傾注して取り組んでまいりますことをお誓い申し上げます。
御霊のご冥福とご遺族の皆様のご多幸を、すべての県民の皆様とともに、心からご祈念申し上げ、追悼の言葉といたします。

という形です。で、ご質問は?もう一度、はい。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 それで今97年の長野地裁判決を控訴しないという判断をしたことによって、県としてはその判決を受け入れたというふうに知事はおっしゃいましたけれども、今度は過去20年を経て謝罪という形になったのは今回初めてな訳です。県としてですね。まず20年を経てですね、このタイミングで初めて謝罪されるというふうなことに至った経過ですね、いつ頃からどんな議論が重なった上でですね、どのような判断で謝罪しようという結論になったのか、その辺についてお伺いします。

信州・長野県知事 田中康夫
 今の言葉、謝罪という言葉はあるいは使っていない、お詫びというふうには言ってますが、今まで長野県がこうした形でのお詫びや追悼の言葉がなかったというご指摘は、そのとおりであろうと思います。これは今回の20回目の定期的には最後であられるという慰霊祭において申し述べようというふうに、私もまた担当者も判断し、今日読み上げたところです。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 いつ頃どんなふうな形で検討が始まったのか・・・

信州・長野県知事 田中康夫
 いつも平沢さんそういうご質問が多いけど、それはやはり今日述べた訳です。それは地附山の地すべり災害に関しては、私も20年前ですから本県在住者ではなかった当時はですね、松本から東京に移り住んでいたと思いますが、そのことは大きく報じられたことですし、非常に記憶に鮮明に残っていたことです。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 逆に言いますと知事就任されてからですね、この災害自体は既に発生していて26人の方が亡くなった事実は現にあった訳で、慰霊祭も毎年行われ、そして社会部長なり 県の方々が出席されていたという経過の中で、判断する時期というのはいくらでもあったかと思うんですけれども、何かきっかけなんかがあってですね、というふうに考えるのが自然かなと思うんですけども、その辺についてちょっとお伺いします。

信州・長野県知事 田中康夫
 先程昭和60年当時の名称は「特別養護・養護老人ホーム『松寿荘』」です。今のご質問は、では私が就任する前にもそうしたご質問を知事会見の場で信濃毎日新聞はお聞きになってらっしゃるんでしょうか。つまりね、私たちはこの今回謝罪をしたということで何か私たちが免罪されるとかそういうものでもないと思います。ただ奇しくも正にあなたもおっしゃられたように、今まで県は長きにわたってこの20年間謝罪なりはしてこなかったということですよね。それを皆様が私が就任した後4回になるのでしょうか、なぜ謝罪をしなかったのかということは、それは皆様がジャーナリストとしてお考えになることですが、でもそのときには当然私たちは常に相対主義、弁証法の世界に生きて ますからその前の16年間はいかがだったかということも当然皆様言及なさることだと思います。いずれにしても私たちはですねこの20年という ひとつの節目の時にきちんとお謝り申し上げるべきだという判断にたってまたその文章を今日出納長も読み上げたところです。
 
信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 私もたまたま吉村県政時代、判決の時に私、取材に携わったことがありましてまあ非常に思い出というか、事件なんですが、知事にはまあ判断すればですね別にこの節目でなくてもできたのではないかと思うんですけれども・・・

信州・長野県知事 田中康夫
 それはあなたの意見、あるいはあなたが信濃毎日新聞を代表しておっしゃっているんだったら信濃毎日新聞ないしは平沢隆志さんのご意見だと思います。私たちのエビデンスはですね本日20周年のですね慰霊祭という場においてですね県としても公式の見解を申し上げたということであります。私は少なくとも20周年の慰霊祭、また今後定期的に行わないというふうに長野県と並んでその責任の一端をお持ちの長野市がおっしゃる中においてやはりその場において申し上げるということがお亡くなりになられた方にもあるいはご関係の方に対してもですねその場で申し上げることがよりふさわしいと、ふさわしいというのは大変な惨事でありますけれども、今平沢さんがおっしゃられたような何か昨日であったりおとといであったりあるいは半年後であったり、そうした段階ではなくやはりこの式典の場においてですね申し上げるということがふさわしいと判断した訳です。それに関して式典の場で述べるということがいかがかどうかということはそれは皆様のジャーナリストとしてのお考えです。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 そうじゃなくて、基本的に謝罪をしようと思えば逆に言うとできたという中から考えた時に今回の20年というかこの時期にされたのは今、おっしゃったように要するに節目であるから、そういうことでよろしいですかね。

信州・長野県知事 田中康夫
 ちょっと解読の仕方がリテラシーの点が違うかと思います。逆にお聞きをさせていただければ、この間長野県の担当者に対しては平沢さんは「謝罪をする気はあるのか」、「予定はあるのか」、「なぜしないのか」というような趣旨のご質問というものは定期的に行ってこられたのでしょうか。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 定期的には行っていないと思います。僕は今県側の姿勢を聞いておるもんで、それに対して答えていただければ結構なんで・・・

信州・長野県知事 田中康夫
 ですから私たちは今日の日。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 節目だ、そういうことですか。

信州・長野県知事 田中康夫
 節目というのは皆様業界一般にですね表現者業界でよくお使いになる言葉であります。私たちはやはりご遺族の方あるいはお亡くなりになられた方々にですねお謝り申し上げる言葉を述べる場としてですね、ふさわしきは本日の式典であると考えた訳であります。もし、それは異なるというふうにお考えになるのはそれはそれぞれの考える葦としての自由な 担保でございますが、今のようなご質問を今後もなさり続けるということになりますとこれは県政のみならず、国政においてもあるいは一般企業においてもですね、ではそうした式典の場において首相なり外務大臣なりが述べると、公的な会議の場で何か意見を述べるということは思った段階で述べた方がよいということにも、そういうお考えも十分成り立とうと思いますが私はこれ以上あなたとこのご質問に関してお話をしてもあまりお亡くなりになられた方やご遺族に対しての良い意味での生産的議論にはならないと考えます。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 わかりました。ではちょっと質問を変えますが、県が、土木部が4月に作成したパンフレットがありまして、それについては地附山の災害の原因について、その当時昭和60年の長雨と地附山周辺の地質の問題の2点しか 触れてないんですよね。つまりこれがその営造物の管理責任なりであるならば県が作ったパンフレットになぜその辺が触れられていないのかお伺いします。

信州・長野県知事 田中康夫
 それは土木部において作ったものであります。今回のあいさつ文に関しましてはこれは私どもの土木部の職員も承知をしているところであります。それこそはですね

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 組織としてどの段階でですね要するに県の・・・

信州・長野県知事 田中康夫
 次のご質問にまいりたく思います。ちょっとあなたのご質問は・・・では逆にお聞きしますが、私どもがですね本日の式典の場において従来の長野県同様のあいさつ文を読んでいれば今のご質問は生起しないということですよね。ではございませんか。それがあなたのおっしゃる整合性あるいは不整合性なのでしょうか。私どもは常に皆様もそうでござると思いますけれども文章を書き発言をし行動する中でですね、人間の思い及ばぬ至らぬ点はより良く改善していくということにこそ人間がある訳でございまして、私どもは本日先程の段階においてこのような見解を県として述べるという形で至った訳ですし、無論その文章を出納長も同じ考えのもとに読み上げた訳です。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 ですからそういう話をしている訳じゃなくてですね・・・

信州・長野県知事 田中康夫
 なんでございましょう。そういう話じゃないの。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 そういう話じゃないです。

信州・長野県知事 田中康夫
 じゃあどういうの。

信濃毎日新聞 平沢隆志 氏
 だからここにきてどういう議論を組織としてなされて、やはりこれは県として謝罪するべきだと、これは組織として決定される訳ですよね。その議論の要するにきっかけはどこにあったのか。

信州・長野県知事 田中康夫
 だからそうなるとね、今、信濃毎日新聞は官邸記者クラブに入ってらっしゃるのかどうか羽田孜さんの時に入られたのだろうとは思いますが、熊本日日(新聞社)も細川護熙さんの時に入られて今も会員でいらっしゃいますが、そうなると小泉内閣がなさっている圧倒的多数の こともそのようなご質問をして検証なさるということを私はやはり明日を開く県域紙しとしてですね強く願うところです。私たちとしてはですね今日申し上げたものが公的な公式な場における私たちの見解です。

中日新聞 小笠原寛明 氏
 前回も質問の中で出てきているかと思いますが、アスベストの関係で質問します。アスベストの健康被害の実態というものがですね、我々報道機関の取材不足というものがあると思うのですが、実態としてどれくらいのものがあるかということが未だにちょっとわからない状況で、特に本来国がやるべき部分の仕事かと思うんですけれども、いわゆる縦割り行政の関係でですねうまくいっていないと。その 中にですね、兵庫県が先日、市町村や企業が行っている健康診断の中に県が独自に作成したアスベストの問診表というものをですね質問項目に加えてもらおうというような取り組みを始めまして、これが一つ兵庫県だけの話なんですけれども、県全体での健康被害の実態を浮かび上がらせる可能性があるものかなという気が私は持っています。長野県としてもですね今後その健康被害、特に一般の住民の方、自分の意識がなくて被害を受けている可能性がある方、そういう方をですね実際どうなんだというふうに調査していくような方向性だとか何か手法というものを考えておられるようでしたらその点についてお伺いします。

信州・長野県知事 田中康夫
 アスベストの問題は大変大事な深刻な問題ですが、私の今ご質問お聞きしていて小笠原さんらしからぬ質問だなというのが私の考えです。これはアスベスト問題は私たちは隠蔽しようとか目をそらそうと言っていることではありません。ただ過日の会見の時、確か金曜日でしょうかにも申し上げましたが、私どもの生活環境部長の太田寛がこのアスベスト問題に関しての統轄責任者になっております。その時にも申し上げましたが、今のような形でですねあるいはどこでアスベスト被害にあったか、どの位の期間であったかというようなことをお聞きしていくということは、これはアスベストの問題であるからあんまり皆様深刻に考えないかもしれませんが、今後感染症系統に関してもですねこのようなことを行っていくというようなことになりますと、これは私は旧来型の人権団体のご主張というようなものとは全くかけ離れた場所においてですね大変個人の領域に入り込む話だと思います。これは前から申し上げているように実は皆様がマスメディアの方々は断続的にせよアスベスト問題をお書きになってこられたかとは思います。ただそれが大きな行政、国も含めたですね、が取り組みになられなかったということは、国も含めた行政側のですね不見識であったのかあるいは皆様の報道というものの持つ力が内包する様々な問題であったのか、これはまた後世の歴史家が判断するところだと思いますけれども、これはアメリカで91年の段階でこれに対して損害賠償していく企業がですね、非常に経営危機に、名だたる企業が経営危機になって、国家的な正に金融機関救済と同じような形まで取られたということはあった訳でしてね、しかしながらこれが日本としてクボタという企業がですねある意味では勇気を持っておっしゃる、先日も申し上げましたがクボタの社長が毎日新聞ででしたでしょうかインタビューの中で「ここまで我が企業だけではない問題にまでなるとは想像しなかった」といいますか、アメリカの例を見ればこのような形というものはあったとことだと思います。ただ繰り返し私どもの県が申し上げているのは、私どもはご心配の方々に適切な検査を行う医療機関というものをきちんとご紹介申し上げていますが、しかしながらこのアスベストの問題というのは、ある意味で排気ガスを私どもが吸うということ同様にですね、あるいはお掃除をした時にその埃を吸うということと、あるいはタバコを吸うと皆様の中にもいらっしゃると思います。JR東日本が今回英断をされたのは大変に私は尊敬に値する、この点においては、ところだと思います。ですからこういうものでアスベストだけがですね、それはアスベストは看過し得る問題ではありませんが、アスベストだけが私たちを死に至らせる病というか公害というか社会的なそうした成人病じゃないですけれども生活習慣・・まあそうですねこういう近代化社会ですから、ということではないということですよね。ですから、まずはやはりお一人お一人が例えばHIVに関しても自らのご意志できちんと血液検査をするということが今後より自分がかからないではなくて他者に、これは風邪と一緒でして自分が被害者になると思っていますけれども自分が加害者になることもあるんですね。ただアスベストは家を建てる方かもしれませんが但し自分のお家を建て壊される時に近隣の方々やそれに従事される方にも加害者にならないという意識を持っていただくためにも、それは診療、診断、検査をする場所はご紹介しているということです。私はこれが現時点においてまず最も基本的に行うことだと思いますし、その恐るるぬに至らぬなどと申し上げているのではなくて過度なですねアスベスト問題だけに皆様が恐れ戦かれることは結果として他のですね、私たちの社会の多くの環境や公害あるいは感染症というものから目をそらしちゃうことになると思います。数値に関しましては前回述べたところでありますし、事業所、平成元年以前に関してはこれは繰り返し申し上げていますが、長野労働局は厚生労働省の側には情報を出すと厚生労働省の判断によっては県の側にその情報を提供するとおっしゃっているのが今日段階でも続いている訳でして、私たちは過日信濃毎日新聞に私どもの保健予防課長のコメントがこれもリテラシーの問題としてコンテク ストとして少し私は彼が応対を致しましたものとは少し違ったバイアスになっているのではないかと懸念は致しますが、彼はこのように国の側が本来情報を持ち 得ていて開示していただけるべきものが開示できていないという中において、そしてこれは吸い込んでしまった者を、例えばここの指を切ってしまったと いう外科手術と、代償というものとは違って抜本的にゼロエミッションにまでは戻せないという中において、私たちは、病院医療機関をご紹介申し上げているし、そのことに関して冷静に対応していただきたい。ということの中でそれをも上回る、私が吸い込んでしまったものを全部吐き出させてくださいと、肺の中をきれいにしてくださいということになれば、これはアスベストによるものなのか、排気ガスによるものなのか、喫煙によるものなのか、受動的喫煙によるものなのか、様々なことがある 訳ですからアスベストのみを取り出して完結させることはできない訳です。こうした中で私どもの担当者がもがくことを申し上げた訳であって、私どもが何ら手立てを取っていないということではこれは ない訳でして、ましてや本県は全国知事会においても本県が先駆けて国が保持している情報を開示すべきであるとそれは事業者のために守るのではなく、国民のためを守るために開示すべきだということを申し上げ、これは全国知事会の全体の決議にもなっている 訳です。

信濃毎日新聞 上野 啓祐 氏
 今度、国道158号の仮設道路開通になりますけれども、地元からは抜本的な158号の改良を求める声がありますけれどもその点についてどういうふうにお考えなのか。

信州・長野県知事 田中康夫
 現在、雨量、雨等もございますし川の増水等もございますが先程も午前の部長会議で土木部長の原悟志、同席しておりますので お求めがあればお答え致しますが、予定どおり今週の木曜日の午前10時に仮設道路による両面通行の形での開通を致します。無論その場所の危険災害等の復旧というものを行い、木曜日に開通いたしますのは仮設道路でありますから仮設道路ではない形での道路の復旧ということに引き続き全力を投 じるところであります。この様子は現在も県のホームページでリアルタイムで現場の映像というものが24時間ご覧いただけるように、これは国土交通省の協力を得て行っております。で今のご質問は・・


信濃毎日新聞 上野 啓祐 氏
 その他の部分も危険箇所があり、もっと良い道路をといった要望がたくさんありますが・・

信州・長野県知事 田中康夫
 それはその信州経済同友会はなんでございましたっけ、小坂健介様が会長を務められる信州経済同友会は中部縦貫道路を早期建設せよという文章を 、あるいはまた松本糸魚川高規格の連絡道路も建設せよという趣旨の文章をお書きだったと思います。これは繰り返し議会答弁等でも述べ てきているように私たちとしては158号線に関しまして旧安曇村地域のとりわけ沢渡よりも松本市街地に近いところの狭隘な部分等を改良して沢渡以西の部分の道路とほぼ同じ状態へと近づけていくことこそが プラグマティックな現実的な対応方法であるという考えに立っておりましてこのことは繰り返し述べていることころです。


 それでは以上です。今日は長野日報様いらっしゃる?いないか。長野日報様は字が「休職者」ってのが休む職が求める職になっ てたんでびっくらこいちゃったんだけど。
今日いくつかの新聞に載っていますが、これはお話しとくと平成14年に人事院勧告に準じてマイナス2%、それから平成15年に人事院勧告に応じてマイナス1.1%、それから給与カットというものが一般の課長補佐に満たない人が6.0% ですね。ですから合計でこれが9.1%のマイナスと同時に特別調整額、あるいは手当てというものもある訳ありまして、これは従来から私は繰り返しおそらく議会答弁等でも、私が3割の給与カット、一般職員も平均して10%のカットと、これが12%、あるいは15%、20%のカットの者もいる 訳でございますから この数字を私たちは逆に6%もなのか、6%しかカットしていないっていうことを、組合の方々がおっしゃられるってのはちょっと逆にこちらが困惑するところでございまして、これは従来から10%と申し上げてる 訳で岩波書店の「世界」という雑誌でのインタビューでもって初めて言及なさったというのは不思議でございます。平均10%カットしたと いう言い方をしている訳でございまして、これは私は何か事実と異なることを申し上げたというふうには思っておりませんし、また組合の方々は やはりこれを改めて会見をしたということが、非公式の場での話だったのでということでありますから、この問題は、やはり組合員の方々もその時間帯勤務 をしているかもしれませんが、組合員の方々あるいは私どもの県行政に少なからぬ関心をお持ちの県議会や一般県民の方々あるいは皆様とりわけ県民にお伝えくださる皆様にとってもですね、私はやはりこうした組合の交渉、とりわけ私どもは現在給与 をカットさせていただいている部分に関して来年の3月31日までという形になっていますから、この扱いをどうするのかということは、やはり非公式の場で 二度手間になられたというふうに組合の方々も昨日書面上でもおっしゃられているところですから、今後私も出席させていただいて組合の方との交渉は皆様も広く表現者の方々 がその場に立ち会っていいただける形で進めていくと。これは議会の方々とて各会派の交渉というような場は公開になっておりますし、このことを私 たちとしては組合の方々と議論させていただく前提の覚悟というふうにさせていただきたいとこのように思っております。組合の方々からは取り立てて現段階ではですねこの私の月刊誌「世界」における発言に関して何らかの回答をせよというような形は 来ておりませんので、私どもとして何らかの文書回答をしたとういう形は現段階ではございません。ただこれは繰り返しますが、平均10%と いう表現に私は何か齟齬があるというふうには認識しておりません。

以上です。

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