「それがリアリティー番組の面白さなのだ」と主張するファンも多いだろう。筆者はこのフォーマットをすべて否定するつもりはないし、リアリティー番組をすべて中止にせよなどと言うつもりもない。ただ、視聴者が面白いと感じさえすれば、出演者の人生などどうなろうとお構いなしという考え方をしていると、いつまでもこのような悲劇はなくならないと言いたいだけだ。
そのような警鐘は実はずいぶん古くから鳴らされていた。それを象徴するのが1998年に日本でも公開された映画「トゥルーマン・ショー」だ。
この映画は、生まれたときから私生活をリアリティー番組で24時間365日生中継されている男、トゥルーマンの話である。住んでいる街は巨大セットで、妻も親友も近所の住人や同僚もすべて役者で、リアリティー番組だと知らないのは本人だけ。そんな「台本のないドラマ」が見れるということで、番組は世界中で大人気となっていた。しかし、あるとき、見世物にされるトゥルーマンを救いだそうとする女性が現れたことで彼はこの世界の異変に気づき、セットの外へ出ようとする。それを制作サイドが必死に妨害をする。当時、世界的に大流行していたリアリティー番組を痛烈に皮肉っているのだ。
例えば、トゥルーマンが外の世界を目指して、海にヨットで乗り出す。もちろん、これも巨大セットなので、プロデューサーは特殊効果で人工の嵐や雷を発生させる。トゥルーマンに諦めさせるためだ。しかし、海に放り出されても、トゥルーマンは諦めない。テレビの前で視聴者たちがその様子を固唾(かたず)を飲んで見守っている。
それを見たテレビ局の幹部たちは「世界中が見てる前で彼を死なせるのか?」と慌てふためくが、プロデューサーはこんな言葉は吐き捨てる。
「生まれたときと同じだ」
トゥルーマンはこのリアリティー番組の中で生まれた。だから、もしここで死んだとしても同じことだろというのだ。たくさんの視聴者を楽しませるという大義のもとには、たった1人の人生が狂おうと、命が消え去ろうとも大した問題ではない。出演者の人生を「神」のようにコントロールするテレビマンの「傲慢さ」と、リアリティー番組の「狂気」が垣間見えるセリフだ。
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