「冒険がしたいのだ」
「冒険……ですか」
漆黒聖典は困惑しているようだ。謁見の間に一人呼び止められ、言われた事が冒険したいである。神と崇める存在が市井を出歩こうと言うのだ。これは当然の反応だろう。
モモンガは慌てて取り繕う。
「も、もちろん、情報収集のためだ。私はスレイン法国から得た情報だけを鵜呑みにするほど愚かではない。物事は多角的に捉えてこそ得られる情報に利用価値が生まれるのだ。そこでだ、周辺諸国を旅するうえで現場の人間の意見を聞こうと思ってな。神官長ではなくお前が適任と判断した」
「なるほど。理解致しました。どのような情報をお求めでしょうか」
漆黒聖典が納得してくれたようでモモンガはほっとする。
「うむ。人間として旅をし、人間の視点でこの世界を観察したい。それを実行する上で何か具体的な案と、ついでにこの世界の常識を簡潔に教えてもらいたい」
「畏まりました。それでは――」
その後、国家・物価・魔法・武技・
≪凄いですね。早くこの世界を見てみたいです≫
≪うん。楽しみ≫
≪でも、冒険者は予想以上に夢の無い職業ですね≫
≪生活がかかっているとなると流石にね。ワールド・サーチャーズの人が聞いたら卒倒しそう≫
≪彼らなら逆に燃えますよ≫
≪確かに。彼らなら迷わず世界に飛び出すか≫
話を聞く限り冒険者とはモンスター退治専門の傭兵という扱いであった。モモンガが期待していた未知を求める冒険めいた依頼も少なからずあるようだが、殆どは日銭を稼ぐためのモンスター退治や護衛といったものだった。
もちろん冒険者の実情を知ったところで傭兵稼業で生計を立てる必要の無いモモンガとやまいこの“冒険をしてみたい”という意思は揺るがない。
この世界で必要そうな知識を大雑把に教わり、旅に向けた具体的な話に移る。
「――という事ですので、まずは冒険者登録をしては如何でしょうか。どの国でも最低限の身分が保障されますし、政治的な圧力にも多少融通が利きます。基本的に冒険者登録をした都市が活動拠点となりますので、諸国を回る事を考えますと王国領のエ・ランテルが各国から丁度中心辺りにあるのでお勧めです」
「王国領? 先の話だと拠点にするには余り魅力的な国とは思えないが……。法国の都市ではだめなのか?」
モモンガが王国領に難色を示したのは王国の内情が酷い有様だったからだ。国王派閥と貴族派閥で主権を争い、戦争、重税、麻薬と目も当てられない。いくら法国から見た側面であるとはいえ、冒険の活動拠点にするにはいささか躊躇われた。
「いえ。そもそも法国には冒険者組合がありませんので。エ・ランテルは確かに王国領ですが王都から一番遠いので
「なるほど。国の事情を除けば利点は多いか……。ならばエ・ランテルで冒険者登録しよう。それと一つ疑問が生まれたんだが、法国に冒険者組合が無いという事は冒険者として法国の都市に入るのは難しいのか? 身分の保証は?」
「ご安心を。本来は関所で取り調べが必要ですが法国の通行証をご用意致します。それがあれば法国内の都市には自由に出入りできるでしょう。それと諸国を回る上で一つお願いがございます」
「なんだ」
「はい。六色聖典は非合法活動を主とするため秘匿されております。私共に関しては他国の者にご内密にお願いします。特に私共漆黒聖典の事をアーグランド評議国には伝わらないようご配慮願います。
「なるほどな。ん? 血を受け継ぐ? そういえばお前は他の者と毛色が違うな。配下の者がお前だけ力が突出していると言っていたが。……もしかしてプレイヤーの血を引いているのか?」
「はい。私は
「ほほう。それは興味深い」
やまいこや守護者たちも関心があるのか興味津々といった表情で漆黒聖典を見ている。人間蔑視を心配してたけどプレイヤーとの混血も居るならナザリックのシモベ達も馴染めるかもしれない。カルマがマイナスに振り切っているデミウルゴスも微笑んでいるし、これはなかなか幸先が良いんじゃないか?
漆黒聖典を見ると好奇の目にさらされ居心地が悪そうなので助け舟をだす。
「まあ、その話はまた今度にしよう。うむ、なかなか参考になる話であった。我々も色々と準備があるし今度こそ終わりにしよう。――シャルティア」
「はいでありんす」
再び<
ナザリック地下大墳墓第九階層。ロイヤルスイートとして用意されたこの階層には、ギルドメンバーの私室やNPCの部屋、大浴場、食堂、バー、美容院、衣類屋、雑貨店、エステ、ネイルサロン、ラウンジなどなど様々な設備が充実していた。
ユグドラシルのゲーム上では特に意味の無かった施設だが、現実世界の労働環境が悪かった反動のためかギルドメンバーたちの強い憧れと拘りが具現化したような階層となっている。
転移後、これらの施設はゲーム時代と異なり実際に稼働し、
そんな九階層にギルドメンバーの私室が並ぶ区画があった。私室は応接室、寝室、浴室、衣裳部屋、書斎といった具合に基本プリセットが組まれており、ギルドメンバーは各々自分好みに外装を改造していた。
やまいこは部屋の外装にモダンなプリセットを元に、多めの観葉植物と壁には所々アクアリウムを埋め込むといった改造を施していた。なかなかに落ち着いた感じの雰囲気だ。
しかし今、部屋の雰囲気とは裏腹に、ユリとシズを伴いこれから寝室に
「ユリ、シズ。覚悟はいい?」
『はい』
返事を聞き一呼吸。扉を開けるとそれはもう在り得ないほど散らかった部屋だった。アイテムが足の踏み場も無いほど床に散らばり、まさに汚部屋と呼ぶに相応しい状態だ。一般メイドが部屋の掃除に来るものの、寝室に転がる至高の御方の私物を勝手に動かす訳にもいかず放置されていたのだ。
ユリが眩暈を覚えたのか一瞬ふらつき、シズがそっと支える。造物主の見たくは無かった一面を目の当たりにして動揺したのかもしれない。
「一応名誉の為に言っておくけど、ボクはもうちょい綺麗好きだから。これは明美から引き取ったアイテムを急遽突っ込んだだけだから。本当」
「もちろん承知しております」
「じゃあ、始めようか」
その言葉を合図にやまいこ、ユリ、シズの三人は片付け作業を開始する。あれはそっちこれはあっちと分類しながらテキパキと片付ける。
作業も進み、床も普通に歩けるようになったころ、やまいこが何かを見つけたのか声を上げる。
「あったあった。良かったー、見つかって」
「何かお探しだったのですか?」
「うん。これね」
やまいこが差し出した箱には指輪が二個収められていた。
「魔法の指輪ですか」
「そうそう。効果は見てもらった方が早いか。片付けはもういいから2人とも衣装部屋に行こう」
≪モモンガさん。今いいですか?≫
≪はい。ちょうど会議が終わったところです。どうしました?≫
≪ボクの部屋に来てください。渡したいものがあるので≫
≪分かりました。すぐに伺います≫
しばらくして扉がノックされた。ユリがモモンガを出迎えるとそのまま衣裳部屋へと案内する。
「モモンガ様をお連れしました」
「ありがとう。モモンガさん、どう?」
大きな姿見の前で成人した日本人女性がポーズをとる。前髪を左右に分け、癖の無い黒髪を肩辺りで揃えている。丸味は無いがボブカットと呼ばれる髪型だっただろうか。
「え、やまいこさん?」
「驚いた? マジックアイテムで人間に変身中ー」
「凄いですね。幻術じゃなくて変身なんですか?」
「うん。シェイプチェンジが込められた指輪の効果。という訳で、はいこれ。モモンガさんの分」
モモンガに指輪を手渡すと、さあさあと姿見の前に引っ張る。
「良いんですか?」
「いいよ。人間の街に行くのに
そのギルドは人間種の女性アバターだけで構成され、争い事には疎く主に外装データの情報交換や装備のクリエイト依頼などをこなす生産系のギルドである。アイテムの売買以外にも女性プレイヤーたちの溜まり場にもなっており、女死会ギルドなんて揶揄もされていた。
しかし客の多くが人間種だったためギルド拠点も街に近く、異形種には近寄りがたい場所であった。それを解決したのが妹の用意してくれたこの指輪という訳だ。人間種の妹の分まで用意されていたのは逆の状況にも対応するためであった。
「では、ありがたくお借りします」
モモンガが指輪を嵌めると、骸骨の身体が徐々に人間の姿へと変わっていく。変身が終わると姿見の前にはやまいこと同じ黒髪黒目、やや痩せ気味の成人男性になったモモンガがいた。現実の姿に近い気がする。
「へぇ。特撮の変身シーンみたいで面白いですね」モモンガは物珍し気に手をワキワキさせたり頬を撫でている。この世界にきて初めての感触を味わう。
「一応顔の調整が出来るみたいだから。今から2人で整えるよ」
「え、このままで良いんじゃないですか?」
「甘い。甘いよモモンガさん。これから冒険者ロールを始める上で顔は重要だよ」
「そ、そうですか?」
「ゲーム時代はアバターだし、クエストの発注はNPCだったから気にしなくてもよかったけど、ここは現実世界。つまり交渉相手は生きた人間。第一印象は大切。営業は顔だよ、モモンガさん」
冒険者にも営業が必要なのは理解できなくもないが、教師が営業職を前にして説く内容がこれで良いのだろうか……。
珍しく押しの強いやまいこを見る。実年齢は聞いた事が無いがモモンガと大して変わらないように見える。社会人ともなると年齢なんて余程離れていないと気にするものでもない。そこそこ整っている顔は改めて弄る必要は無いように思える。ふと何かに気付いたのかモモンガはユリに視線を移す。
「やまいこさん。……もしかして自分をモデルにユリを作りました?」
「っ!? ちょ、ちょっと! 見るな! 偶然だから!」
やまいこはユリと見比べてくるモモンガを押しやり、いやいやをするように腕で顔を隠す。ユリも顔を赤らめているがどことなく嬉しそうだ。
「あー……、はい。偶然ですね」
「っ! 信じてないな!?」
「痛い! ちょ、御免なさい! 蹴らないで下さい!」
騒がしい問答の末、両者は姿見に向き直ると
モモンガは顔の彫りが若干深くなり、冴えないおっさんから中の上、
「うん。こんなもんで良いでしょ」
「幻術じゃ普段の生活に限界があるし心配だったんですよ。正直助かりました」
「よし。じゃぁ、人間になれたことだし、さっそく行くよ! モモンガさん!」
「え? 冒険ですか!? まだ他にも準備が――」
「――っ違うっ! 食堂っ! ご飯!!」
「おわぁ!!?」
食堂へモモンガを引っ立てて行くやまいこに、ユリとシズは慌てて付いていくのであった。
一般メイドたちの食事時間とずれていた為か食堂は空いていた。だが逆に厨房は慌ただしい。見慣れないNPCが来たと思ったら実は至高の御方々だと気付いた料理長たちの慌てぶりは気の毒なほどで、ユリとシズは申し訳なさで一杯であった。事前に伝える事が出来れば御身に仕える者として完璧な仕事が出来たはずだが、こうして急に押しかけてしまってはその対応にも綻びがでるかもしれない。せめてこれ以上厨房が混乱しないようフォローすべきであろう。
本来はビュッフェスタイルなのだがモモンガとやまいこを説得し席に着かせると、ユリとシズは2人の為に給仕をする。
程なく運ばれてきた料理を前にモモンガとやまいこは思わず固まる。ステーキ味の液状食料が当たり前のようにある現実世界では、余程裕福でなければお目に掛かれない豪華な料理が並べられていく。このナザリックで出される料理に興味があったものの、いざ目の前にすると最初の一口を食べるのに尻込みしてしまう。料理の香りだけで圧倒されているのだ。
意を決してやまいこが目の前の料理に手を付ける。ユリに聞くと「鶏のトマト煮込み、マッシュポテト添え」だそうだ。軽く焼き目のついた鶏のもも肉をトマトソースと白ワインで柔らかくなるまで煮込み、少量のバジルが塗してある。付け合わせにマッシュポテトが添えられており、食欲をそそる酸味のあるトマトの香りがする一品である。
柔らかく煮込まれた鶏のもも肉にナイフを入れると染みこんだソースが肉汁と共に溢れ、その様子に「本物のお肉だー」とやまいこは感動している。
そして一口サイズに切り分けたもも肉を恐る恐る口に運ぶ。
「っ!! 美味しい!」ぐっと天を仰ぐやまいこに釣られるようにモモンガも食べ始める。
「これは……。食事にはあまり執着が無かったんですが……、価値観が変わりそうです」
「あー、美味しいよう。明美様々だよー」
「こんなに美味しい食事が出来るだなんて。アンデッドだから諦めていたんですよ。いくら感謝しても足りないくらいです」
モモンガとやまいこは明美に感謝しながらナザリックの贅を尽くした料理を堪能した。
そしてデザートの洋菓子を食べながら冒険の話に戻る。
「モモンガさん。聞いた感じだとうちらの装備、
「うーん。
装備のレアリティは悩ましい問題であった。旅をする際、変に悪目立ちはしたくない。しかし指輪の力で種族が人間になっている為、アンデッドの種族特性が失われて一部弱体化している能力がある。防具や装飾品、指輪などで諸々弱点を補わなければならないだろう。そうなると
「あ、そうだ。冒険者ロールをする上で外装を統一したいんだけど、リクエストしていいかな」
「ユニフォームみたいなものですか? 良いですよ。指輪のお陰で一番の心配事が解消されたので私からは特にありません。お任せします」
「りょーかい。ところで、モモンガさんは
「そのつもりです。前衛職に興味があったんですが、グレートソードを装備出来ませんでした。
ゲームの縛りがこの世界にも生きているようです」
「じゃぁ、今まで通りモモンガさんが後衛やるなら前衛に回ろうか。ボク一応モンクだからね」
「ヒーラーに前衛を任せるのは心苦しいですけどお願いします。現地の戦力を考えると大丈夫だと思いますが」
「大成した魔法使いで第三位階だもんね。英雄で第五位階でしょ? 余裕だと思うよ。それに装備換装のショートカットも使えるみたいだから本気装備も登録しておけば問題は無いでしょ」
話題が一段落したところで周りを見渡すと、一般メイドたちが物珍し気にこちらを窺っている。流石に至高の存在が食堂でいつまでもお喋りする訳にはいかないようだ。
「ユリ。ボクたちは戻る。通常業務に戻りなさい。シズも今日はありがとう」
「畏まりました」
「勿体無いお言葉。片付け、いつでも手伝う」
ユリたちと別れるとモモンガとやまいこはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力で第一階層に転移する。この指輪で行ける一番地表に近い所、中央霊廟だ。本格的に旅へ出る前に外の世界を見て置きたかったのだ。
外へ出る直前に出会ったデミウルゴスがモモンガとやまいこの容姿に驚く一幕があったが、今は護衛を申し出て後ろに付き従っている。
外へ出ると夜だった。昼間の謁見から随分時間が経っていたようで外はすっかり暗くなっている。思えばメイドたちが食堂に現れたのは夕食の時間だったのかもしれない。
「これは凄いな……」
一歩外へ出るとモモンガは思わず感嘆の声を上げる。墳墓は森に囲まれており街の明かりが届かない場所だが、墳墓を取り囲む目の前の花畑は月光によって幻想的に照らされていた。
「これが月光……。月明かりだけでこんなに見通せるなんて……」
「やまいこさん。飛んでみましょう」
モモンガが<
そしてただひたすらに真っすぐ、一直線に高く高く上昇する。上は満天の星。眼下にはスレイン法国の街明かりが遠くまで見える。
「空気が凄く澄んでいる。これが夜空なんだ」
「ブルー・プラネットさんに見せてあげたいですね」
「きっと
自然を愛して止まないギルドメンバーを想い、2人は静かに現実世界ではとうの昔に失われてしまった美しい自然を眺める。現実世界では大気汚染・水質汚染・土壌汚染が致命的なまでに地球の環境破壊を招き、人間は人工心肺無しでは外で活動出来ない程であった。
「はぁ。空気がこんなに美味しいだなんて」
「守りたいですね。この自然を」
「でしたら、ナザリックの政策に自然保護を取り入れては如何でしょうか」
「デミウルゴス。魅力的な提案だがそれでは不十分だ。環境破壊は人口増加と産業の発展による副次的なものだ。文明そのものを管理せねば自然環境は守れないのだよ」
「モモンガさん。この世界には魔法がある。マーレのような
「そうですね。魔法省でも作って色々研究させるもの面白いかもしれない」
「ご許可頂ければ早急に草案をまとめさせていただきます」
「草案に関してはデミウルゴスとアルベドに任せよう。だが急務なのは先程の会議で挙がっていた消耗品の代替品発見だ。デミウルゴスにはスクロールの材料を最優先で探してもらいたい。
「畏まりました。このデミウルゴス、必ずやスクロールの素材を見つけてまいります」
「うむ。期待しているぞ。では、この星空を後にするのは名残惜しいがナザリックに戻るとしよう。冒険者用の装備を用意しなければならないからな」
モモンガ、やまいこ、デミウルゴスの三人は煌びやかな夜空を後にした。
デミウルゴスは微笑んでいる。
独自設定
・自室の外装カスタム要素
・シェイプチェンジ=種族変更
・女死会ギルド