血が混ざってこそ家族なのか、日本の家族は崩壊したが… (2018.5.21 中央日報)
某監督のインタビュー記事からです。
年金問題、本当に世を騒がせましたが、結局のところこの年金問題は民主党政権下で解決を見ることはなく、いくつかあった問題のうち、
・基礎年金が生活保護費より安い
・年金受給者は生活保護を受けられない
・年金を支払ってこなかった私たちが受け取る資格がないのに生活保護を受けている
という問題は、いつのまにか有耶無耶にされてしまい、ネットを見る世代はその問題を知ってはいても、ネットをあまり見ない世代は、他の問題をクローズアップしたメディアのせいで、誤った感覚を持つ事になりました。
“他の問題”
それが、受給者死亡確認。受給者生存確認を怠った行政の怠慢により、死亡後10年以上も年金を受け取れたという問題です。確かに犯罪行為ですが、私たちが受け取っている年金額からすると非常に小さな額。それなのにメディアが大きく取り上げたのは、在日社会の闇を覆い隠すためのカモフラージュとして使われたからです。
その結果どうなったのかというと、老害、という言葉がより悪意を持って使われる事になり、セーフティネットで救える筈の日本人が救われずに、対象外の私たちが救われている事が知られるようになるのにはしばらく時間が必要になったのです。
“なぜこのような軽犯罪にそこまで怒った”
のかは、怒りの矛先を日本の老人に向けさせたメディアの思惑が強く絡んでいたからです。
“血の混ざらない家族”
を大切にする風土が日本にはあります。養子という制度は日中南どの国にもありますが、この中で、一番養子を大事にしている国が日本です。
例えば、歌舞伎の成田屋は途中血が途絶えました。というより、2代目の時点で既に初代の子ではありません。ですが、ほぼ全ての日本人はその事を以って現成田屋の業績を否定する人はいないでしょう。もちろん血縁を重く見る人は日本人にもいますが、血縁を殊更仰々しく唱えるのは、日本人よりも私たちに多く見られる事ですね。
こんな感じに、この某監督のインタビューは日本人の事よりも私たちについて言っているのではないか?と思わされるのです。そして、これを日本の監督に喋らせる事で、結果として日本人サゲになる。社会が窮乏化している南朝鮮にとって、この記事は一種の清涼感を与えてくれるものになった事でしょうね。
そして、日本人監督に喋らせる事で、問題の本質を隠せる。私たちは手を替え品を替えることで、私たち在日社会の闇を隠してきたのです。
いつもお読み下さりありがとうございます。あなたの一押しが同胞と戦う支えになります!
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--物語の着眼となった契機は。
「数年前に、日本では亡くなった親の年金を受け取るために死亡届を出さない詐欺事件が社会的に大きな怒りを買った。はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」
--血の混ざらない家族について描いている。
「日本では今も家族は『血縁』というイメージが固定化されている。特に、2011年大地震以降、このような家族の絆を大げさに強調する雰囲気について疑問を感じていた。国際的な状況もある。カンヌで会った多くの人々が、私に『私は里子なんだ』『私には養子がいる』と打ち明ける」 (抜粋)
某監督のインタビュー記事からです。
年金問題、本当に世を騒がせましたが、結局のところこの年金問題は民主党政権下で解決を見ることはなく、いくつかあった問題のうち、
・基礎年金が生活保護費より安い
・年金受給者は生活保護を受けられない
・年金を支払ってこなかった私たちが受け取る資格がないのに生活保護を受けている
という問題は、いつのまにか有耶無耶にされてしまい、ネットを見る世代はその問題を知ってはいても、ネットをあまり見ない世代は、他の問題をクローズアップしたメディアのせいで、誤った感覚を持つ事になりました。
“他の問題”
それが、受給者死亡確認。受給者生存確認を怠った行政の怠慢により、死亡後10年以上も年金を受け取れたという問題です。確かに犯罪行為ですが、私たちが受け取っている年金額からすると非常に小さな額。それなのにメディアが大きく取り上げたのは、在日社会の闇を覆い隠すためのカモフラージュとして使われたからです。
その結果どうなったのかというと、老害、という言葉がより悪意を持って使われる事になり、セーフティネットで救える筈の日本人が救われずに、対象外の私たちが救われている事が知られるようになるのにはしばらく時間が必要になったのです。
“なぜこのような軽犯罪にそこまで怒った”
のかは、怒りの矛先を日本の老人に向けさせたメディアの思惑が強く絡んでいたからです。
“血の混ざらない家族”
を大切にする風土が日本にはあります。養子という制度は日中南どの国にもありますが、この中で、一番養子を大事にしている国が日本です。
例えば、歌舞伎の成田屋は途中血が途絶えました。というより、2代目の時点で既に初代の子ではありません。ですが、ほぼ全ての日本人はその事を以って現成田屋の業績を否定する人はいないでしょう。もちろん血縁を重く見る人は日本人にもいますが、血縁を殊更仰々しく唱えるのは、日本人よりも私たちに多く見られる事ですね。
こんな感じに、この某監督のインタビューは日本人の事よりも私たちについて言っているのではないか?と思わされるのです。そして、これを日本の監督に喋らせる事で、結果として日本人サゲになる。社会が窮乏化している南朝鮮にとって、この記事は一種の清涼感を与えてくれるものになった事でしょうね。
そして、日本人監督に喋らせる事で、問題の本質を隠せる。私たちは手を替え品を替えることで、私たち在日社会の闇を隠してきたのです。
いつもお読み下さりありがとうございます。あなたの一押しが同胞と戦う支えになります!
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コメント
コメント一覧 (12)
ひとつの事だけで白か黒か、イチかゼロかを判断なんかしませんが、この監督の作品は、たしかに作品そのものと云うよりも実に微妙な文脈で社会に紹介&評価されていますね。
金田さんに指摘されてはじめて、おおっ!その視点はなかったと、目からウロコでございました。
まぁでも、是々非々でエエと思いますけどね。
個人的な感想ですが、映画『誰も知らない』と、近い時期に公開されたロシア映画『父、帰る』とは、僕の中では1対の連作みたいに感じています。
赤裸々で残酷で美しいのですな。
積極的に知ろうとしなければ日本が朝鮮半島に対して酷い事をしたと思ってしまいます。
だから謝らなくてはならないなどと発言したんだと思います。
「そして父になる」はテレビで見ましたがいい映画だったと、私は気に入っています。
悪名高い団塊世代と老害夫婦ですが、夫は未だに国保を満額払っています。
ここ数十年は満額かほぼ満額の国保保険料を払っているので市からの支援はありません。各種予防注射のお知らせを市から送られてくるのですが、生活保護受給者はお金を払わなくても注射が受けられます。
私達の子供の頃はインフラ整備も余り整っていなかったし、地域格差も現在より大きかったと記憶しています。
子育ての頃は子供手当なんてものなく、子供であろうと親と同じ医療費を払わなくてはいけませんでした。
私の目から見たら現在の方が暮らしやすいと思います。
血の繋がりに関してはどうしても身内の方が他人よりも愛情をもってしまうので、分かりません。
確かに、数値に基づいた報道をしない傾向が、マスコミにあると思います。
要するに、偏向です。
例えば、戦後のアメリカの加害者的な側面を大きく報道する傾向があります。
しかし、被害者の絶対数で言うなら、それよりも声を大にすべきものがあります。
隣国でも、中国共産党、北朝鮮、韓国政府、ロシア(ソ連時代が主ですが)などがあります。
日本のマスコミの多くは、中立公平をうたっていると思います。
特に、テレビはそのはずです。(※1)
そうであれば、中立公平を担保するために、数値の比較を明確にした報道をして欲しいと思います。
「この件では、XXX万人、国民人口のXX%が殺されました。
最近10年で、世界最大規模の虐殺なので、大きく取り上げます。」的な文言を付けて報道して欲しいと思います。
※1:iRONNNA:「政治的公平」とかけ離れた偏向テレビが国民を惑わす
https://ironna.jp/article/361
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(省略)テレビは「政治的な公平」が法律で義務づけられているということです。
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時代劇なんかでもありますよね。
実を言うと私の父方の祖父母はどちらも養子(血縁者でもない)で、苗字の家の血とは全く繋がっていません。
なので、私と先祖代々の方々とも赤の他人な訳です(笑)
そんなもんですよ。
今回のエントリーで納得です。
今回の記事は、これを機にもう一度外国人の生活保護受給の気運を高めようキャンペーンを始めようとしているのかなと勘ぐっています。
アホなこと考えない方が良いよ。
「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」 (同じ中央日報の記事より)
このような発言が本当にあったのでしょうか?国粋主義?希望を失っている?そうかい?
発言が事実なら、年金どうのこうのよりこちらの発言の方が怖いと思いますが。このような発言はほとんど報道されてませんね。相変わらずの日本のメディアの悪い癖ですわ❗
発言が事実ならちゃんと報道するべきでしょう。それとも捏造記事かな?
ところで私は映画が大好きです。でも、日本映画はほとんど見ません。
なぜ? つまらないから。居酒屋で愚痴ってる様な描写が多い印象があります。アニメはあんなに素晴らしいのに。
フランス人は日本の文化が好きですね。その事はとても有難いと思いますが、好きなことと持ち上げることはちょっと違うと思います。
日本の映画ファンの皆様、気を悪くしないでね。あくまでも私の心の中の問題ですので。
>だが、同じ政権がずっと執権することによって
>私たちは多くの希望を失っている。
是枝裕和さんの発言です。
ナチスはユダヤ人を強制収容所に入れて、毒ガスで虐殺しました。アメリカは原爆を作って、広島や長崎の市民を虐殺しました。謝罪するのは日本ではなく、アメリカだ。なぜこういう考え方ができないのか。戦後70年も経っても、GHQの焚書捏造教育から抜け出せない日本人。
同じ政権がずっと執権することによって、、。逆でしょう。日本人は希望を持っているからこそ、安倍政権を支持している。大手メディアは周辺国に支配され、言論の自由さえ、ヘイトスピーチという名のもとに弾圧されています。国家ではなく、メディアによって弾圧されている。共産主義の恐ろしさは、市民運動によって言論が弾圧される。毛沢東の文化大革命がよい例です。
是枝裕和さんの発言にこそ、政治的な規制が見え隠れしています。日本は謝罪しなければならない。血縁や家族は古臭い。地域主義は悪であり、国際主義こそ善だ。単一的な世界観です。
フリーマン・ダイソンは、21世紀を多様性が消えてゆく時代だと予言しています。人類は、ミトコンドリア・イヴから現代に至るまで、地球上にあまねく拡がって、土着した土地の環境と相互作用することによって、多様な文化を創造してきました。逆なんですね。地域主義こそ、多様性を保つ手段です。国家と国家の壁を高くした方が、エントロピーはゆるやかに進行します。レンブラントが絵を描いていた時代に、長谷川等伯が水墨画を描いていました。両者の違いこそが、ほんとうの多様性であり、現代文化は、こうした多様性を保てなくなっています。
江戸時代だと、出来の悪い実子を排除して実子が跡を継ぐ。というのは、ある意味当たり前でした。里子や継子も多かったです。
商人、芸人、職人、町民、農民、漁民だと当たり前だったりします。
これは家族の誰かが犯罪を犯すと、家丸ごと責任を問われる。という江戸幕府の政策からも影響を受けています。
『家族に罪の影響が及ばないように、犯罪を犯しそうな出来の悪い者を排除する』ことで自衛を図っていました。(勘当した相手だと、責任を問われることはなかった。人別を抜くのは最終手段です)
明治、大正、昭和初期と、その価値観は継続します。
完全に崩壊したのは、戦後です。
戦中以上に食う物に困る生活の中で食い扶持を確保掏る為に『血族以外の家族を除外』が行われました。
戦後孤児が増えた(大きな駅前に戦災孤児が溢れた)のは、このためです。
ですので是枝監督のいう、「「日本では今も家族は『血縁』というイメージが固定化されている」というのは、単に戦後の日本社会がそう思い込んでいる。と言うだけの話です。
だから「日本の事」として描かれて居ると思うと違和感を強く感じ、「日本人が謝罪しなければ」と言うと対朝鮮人で年中対決している我々が過敏に反応するのと全く別に、中韓以外の各国では「俺の事だ!」と衝撃を受けるのではないか。朝鮮人以外ではやはり「自分から謝罪する」みたいな態度は相手にも「俺も謝罪しなければ」みたいにある程度は通じるのでしょう。「人の嫌がる事を進んでするニダ」は朝鮮人だけの問題なのです。
→→→ デジタル大辞林 第3版より「国粋主義とは」
これを理解しての発言でしょうか?この文章にぴったり当てはまるのは韓国がピッタリでしょう。
日本人も日本のココはすごい、とは言いますが他国に比べてとは言いません。それのどこが国粋主義なんでしょうか?
まあ発言は自由ですが、国粋主義はちょっと言い過ぎでは?
特にインタビュー相手が日本人になると、記者が興奮してノリノリになって筆が踊っている記事になる。
見方を変えると、流言飛語を楽しむ社会だとも言える。
近代国家ではありえない事象だが。
相手が河野太郎外務大臣でもそうなんだから、是枝裕和のインタビュー記事の発言なんて、半分以上が記者が勝手に作った話だろう。