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魔導具師ダリヤはうつむかない 作者:甘岸久弥
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278.スライム成形の靴と職人の女神

「皆様、ようこそお越しくださいました」


 ブラックワイバーンの鎧を見学していると、会議室にカルミネが入って来た。


「ダリヤ会長、こちらが先日お知らせしたスライム成形した靴です。廃棄革にブルースライム、イエロースライム、各種薬品を合わせています」


 テーブルの上に載せられたのは濃灰の戦闘靴と、靴にする前の同色の革だ。


「どうぞ、手に取ってご覧になってください」


 笑顔のカルミネに、遠慮なく見せてもらうことにした。

 指で触れた表面はほんの少しざらりとし、それでいて引っかかりはない。革らしい艶があり、底以外に継ぎ目は見当たらなかった。

 持ち上げると、思いの外、軽い。魔物討伐部隊の戦闘靴の半分以下ではないだろうか。

 ひっくり返すと、靴底だけは通常のものに近かった。


「防水性に優れ、火にも一定の防御があります。形を変えても元に戻りやすく、革のように変形して切れるということは少ないようです」

「すばらしいです! この撥水と軽さは、隊員の皆様にとても喜ばれると思います」

「ありがとうございます。耐久と劣化についてはまだ確認中ですが、一部の隊員の方に鍛錬時にお使い頂いています。あとはくり返し洗いをかけて実験中です。ただ、防水性が上がった代わり、どうしても内部が蒸れますので、乾燥中敷きが必須になりました」


 ダリヤの開発した乾燥中敷きは、この靴と抱き合わせ販売になるかもしれない。

 イヴァーノのいい笑顔が脳裏に浮かんだ。


「こちらが材料表と組み合わせの結果一覧です。写しですので、よろしければお持ちください」


 分厚い書類には、事細かに実験結果が記されていた。

 一体何種類をどれぐらいの割合差で試したのか――自分も魔導具開発ではそれなりにパターンを組むことがあるが、これほどの組み合わせはない。

 王城の魔導具制作部ならではの数量なのかもしれない。

 各種スライムの粉の配合、そして使用薬液の内容がとても興味深い。


「残念ながら、廃棄の革で一部元の素材名がわからなくなっているものがあり、均一に仕上がるとは言い難いのですが……」

「今のところは、下方を基準とするしかないでしょう」


 革を持つ魔導具師の残念そうな声に、カルミネが一枚の用紙を抜き出した。

 そこに並ぶのは、戦闘靴の強度確認の数字だ。

 実際に使う場合に要求される強度はわからないが、違いは一割ちょっとのようだ。

 意外にそろっていると思えるのは、自分が戦闘靴に関して素人だからかもしれないが。


「じゃが、この靴はよいぞ。なんといっても軽く、水漏れがない。それにずれぬ」


 ベルニージが靴の踵を床に打ち鳴らす。

 軽く響くその音に、同室の者達はつい笑みを浮かべてしまう。


「本人に合わせた一体成形ですから、今の靴よりもずれは少なくなるかと」

「私としては、もう少しゆるみがほしい。遠征では足がむくむことも多いのでな」

「むくみですか……できればむくんだ状態の数値があればいいのですが」

「夕方に測定するのに加え、成形時に少し厚い靴下を履いて頂くというのはどうでしょう?」

「なるほど、そうですね。あとは中敷きで調整できないかも考えて参りましょう」


 むくみも切実な問題だ。

 それぞれに意見を出し、カルミネがメモを取りながらまとめていく。


「耐久性があれば、隊の全員にほしいところだが、この靴では高かろう」

「今の靴はおいくらぐらいなのでしょうか? 不勉強ながら、今まで靴の値段を気にしたことがなく――」

「通常の物で銀貨八枚ほどだとグラートが言っていた。大柄な者や加工を入れた者は、もう少しいくだろうが」


 カルミネの問いに、碧目の騎士が答える。

 やはりそれなりのお値段だった。

 だが、厚手の革を使い、耐久度を上げる付与も入っているのだ、当然だろう。


「一足は、どれぐらいの期間使えるものでしょうか?」

「個人でかなり違うが、私が赤鎧スカーレットアーマーの頃は年単位だった。裂けや水漏れがあっても、修理をして使っていた」

「儂の若い頃は魔物を蹴ってよく底をはがしてな。先輩に修理代のかからぬ戦い方をしろと怒られたぞ」


 ベルニージが笑いながら、とてもせつない話をしてくれた。

 命懸けで魔物と戦う上に、予算とまで戦ってほしくないと切実に思う。


 ロセッティ商会からは多数の魔導具を納めさせてもらっているのだ、もう少し値段を考えた方がいいのかもしれない。


「あの、今後のご予算につきましては――」

「何でしたら、私の方からも少し話を――」


 問いかけは見事にカルミネと重なった。

 思わず彼を見ると、丸い藍鼠あいねずの目がすでに自分を見ていた。


「ダリヤ先生、カルミネ殿、気持ちはありがたいが、もう気にせずともよいのだ。秋からは追加予算も出たと聞く。それに、魔物討伐部隊は元から倒した魔物をある程度自由に使う権利があるが、最近は素材の持ち帰りが増えておる」

「ベルニージ様のおっしゃる通りだ。馬車いっぱいに持ち帰った森大蛇フォレストラスネイクも、いい値になったと聞いたぞ。あれは四十肩にもよく効いてなぁ」

「隊員達と話したが、森大蛇フォレストラスネイクの名を出すと、ヨダレをたらしそうな者もいたな。『緑の王』も不憫な時代になったものよ」


 騎士達の話にほっとする。

 隊員達は森大蛇フォレストラスネイクに甘ダレが合うと語っていた。

 ヴォルフがくれたその干し肉をスープに入れたら、なかなか深みのあるいい味になった。


 大変不憫ではあるのだが――森大蛇フォレストラスネイクは高級食材の一つになりつつあるらしい。


「ところでカルミネ殿、新しい靴はいくらぐらいなのだ?」

「おおよそ半額でしょうか。廃棄の革が使えますので、材料費は安くなります。魔導具制作部の研修に組み込めば、付与も加工もそうかからないでしょう。耐久度や使用感次第ですが、うまく進んだら現在の工房から順次引き上げていくことになるかと」


 さらさらと言われた内容が、不意に引っかかる。

 どうもまずい気がしてならない。


「あの、カルミネ副部長、そこは開発と作業を共同にして頂けないでしょうか?」

「もちろん、ダリヤ会長から案を頂いたのですから、開発にお名前は入れさせて頂きますし、正規の報酬を――」

「いえ、私の方は無しで結構です。そうではなく、現在靴を制作している工房と、開発と作業を共になさって頂けませんか?」

「なぜです? すべて王城内で可能になれば納期も短く、予算も浮きます。魔物討伐部隊としてはいいのではないですか?」


 カルミネがひどく不思議そうに自分を見た。周囲の者も何も言わない。

 もしかすると、王城、そして魔物討伐部隊の相談役として、まちがったことを言うことになるかもしれない。

 それでも、ダリヤは口を開いた。


「引き受けて頂いている工房は、仕事が急に少なくなったら、いろいろと大変になります」


 魔物討伐部隊の丈夫な戦闘靴を作るには、革の加工法と縫いの技術をもつ職人がいる。

 まして、王城と取引をしている工房だ、それなりに人数もいるだろう。

 その家族、その工房に関わる者の生活もある。

 いきなり上の都合で切られるのはたまらない。


「長く靴を作っている職人なら、スライム成形の革に対し、今の革と比較し、意見がもらえると思います。制作にあたっても、改善方法や別の形を生み出してくれるかもしれません。今までが長くある職人の知識と技術を教えてもらった方が、よりよい物ができるのではないでしょうか?」


 専門特化の職人ほど、仕事につぶしは利かないのだ。

 その頭脳と腕をスライム成形の革でも活かし、職人を、そして工房をそのまま続けてほしい。

 そう思いつつ、カルミネに、そして騎士達に説明する。


 残念ながら賛同は誰からもなく、複数の視線が自分に向くのだけがわかった。

 通じなかったかもしれない――そう思いつつ緊張を解けずにいると、カルミネが口を開く。 


「ダリヤ会長、ご意見をありがとうございます。開発品に気がはやり、大切なことを見落とすところでした……」

「私からはお詫びを。革のことならば己がくわしいとうぬぼれておりました。無駄な矜持を捨てて学びたいと思います……」

「いえ、ええと……?」


 カルミネには礼を言われ、魔導具師には詫びられている。

 工房関係者の生活にまで目が向かなかったということでいいのか、いや、言葉的になんだか違う気がする。

 迷い深まる自分の横、ベルニージが深くうなずいた。


「より良い物を作るためには、爵位も売り買いの立場も関係なく、その道に深い者に教えを乞うべきか……なるほど、見事な考え方だ」


 待って頂きたい、そんな高尚なことを言った覚えはない。

 確かに職人から意見をもらい、共に仕事ができたらと思ったが――ぐるぐる回る思考を無理にまとめ、ダリヤは言う。


「いえ、私は、互いに遠慮なく意見が言えて、共に作れる『仲間』が増えればと……」

「仲間――わかりました。靴工房から職人を招き、スライム成形の革に関して説明しましょう。その後に、関わる者達すべて『平ら』に意見交換をし、共に制作を行って参りましょう」


 カルミネが大変いい感じにまとめてくれたので、ダリヤは思わず笑顔になる。

 それが伝染したかのように各々(おのおの)が表情を崩し、話はまた靴と鎧の話へと戻っていった。



 ちなみに、ダリヤが心配した工房は、昔から各種の革による丈夫な靴作りを得意としていた。

 魔物討伐部隊へ長く戦闘靴を納めており、他の騎士団や貴族用の華美な靴を作ることはない。

 このため、同じような古くさい靴を制作しているだけだと、一部でぞんざいな扱いを受けることもあった。


 それでも、魔物から民を守る隊員の使うものだからと、工房長を含めた職人達は、ただ実直に懸命に靴作りを続けていた。


 この工房に、魔物討伐部隊長と王城魔導具制作副部長、二人の連名で王城への招待状が届くのは二日後。

 王城の魔導具師や魔物討伐部隊員、王城の武具職人と同じテーブルで意見を交わし、同じ部屋で作業を始めるのは翌週のことだ。


『身分も区分もなく、ただよりよい靴を作ることを目指す『仲間』となってください』

 とある赤髪の魔導具師の話をされた後、王城の魔導具制作副部長にそう願われたことが、工房長を奮い立たせた。

 その熱に感化されるかのように、関係する靴職人、魔導具師、武具職人も同じく戦闘靴の開発にのめり込んでいった。


『軽く丈夫で防水性に優れ、足を守り、蹴りの攻撃力も落としたくない』

 魔物討伐部隊員の無茶とも思える希望をかなえた靴ができるのは年明けしばらく後――

 今までの革とスライム成形の革を合わせ、工夫を重ねた魔法付与で完成することになる。


 冬の終わり、魔物討伐部隊には、戦闘靴一式と共に、美しい紅のブーツが届く。

 その靴底と靴の合わせの間、小さく彫られた字は『職人の女神』――

 制作関係者だけの秘密である。

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