国会召集せず 「憲法上の義務」なのに

2020年6月12日 08時07分
 安倍内閣は二〇一七年に臨時国会を約三カ月も開かなかった。訴訟が起き、那覇地裁が国会召集は「憲法上の義務」と明言した。意味は大きい。国会を軽視する政権への叱責(しっせき)と受け止めるべきだ。
 ちょうど学校法人森友学園と加計学園の疑惑が大きな問題となっていたときだ。一七年六月から九月にかけての九十八日間も内閣は臨時国会を召集しなかった。
 憲法五三条は衆参いずれかの議員の四分の一以上の要求があれば、臨時国会を開かなければならないと定める。野党議員らは条文に基づき、衆参両方で議員の連名でそれを求めていた。だが、実際に召集された日には、首相が冒頭で衆院を解散してしまった。
 だから「『国会召集せず』は違憲だ」として、沖縄県選出議員らが損害賠償を求める形で訴訟を起こしていた。那覇地裁の判決は確かに表面上は原告の「敗訴」である。それは損害賠償を認めなかったためだ。だが内容は深みがあり、示唆に富んでいる。
 まず憲法五三条に基づく国会召集は「憲法上明文をもって規定された法的義務である」と認定したことだ。召集しないと「少数派の国会議員の意見を国会に反映できない」事態を招くと意味を明確化した。かつ三権分立で国会と内閣には抑制関係が働くが、そのチェック機能さえ損なわれると。
 何よりも臨時国会の召集には「内閣の裁量の余地は極めて乏しい」と述べた意義の大きさは計り知れない。今後、内閣が同じ手を使って臨時国会を開かぬ場合、それに対する事前のけん制の意味をもってくるからである。
 国側はずっと国会召集は「高度に政治性のある国家行為だ」と主張していた。内閣や国会の意思決定には司法審査権が及ばないとする考え方だが、判決はそれを一刀両断、退けて「司法判断の対象だ」とも言っている。
 つまり判決の内実は、内閣への警告の意味をも含むといえる。そのように受け止めたい。確かに憲法判断に踏み込まなかった点は残念である。国会召集までの「合理的期間」について、言及がなかったことも。だが、召集しなかった事実を「違憲と評価される余地はある」と書き込んだことは救いである。かつ重い。
 スキャンダルにまみれた政権は国会追及を極端に嫌う。議論の姿勢にも欠ける。コロナ禍での国会も早く閉じたがる。それがあるべき憲政の姿と懸け離れていることは言うまでもない。

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