趣味で俳句をしています。 悪魔がやってきて「エロい季語といえば、何?」と聞いてきたら「ひめ始(ひめはじめ)」か「栗の花(くりのはな)」と答えると思います。 「ひめ始」は、新年の季語です。正月二日に行われる行事で、一般的には正月初めて男女が交わることをいいます。直接的です。ただ、神聖なものとして読まれることが多いようです。
いっぽう「栗の花」は、夏の季語です。角川学芸出版「俳句大歳時記」では次のように解説しています。
…初夏の頃、黄白色花穂を枝先に上向きにつけるが、大房になると花火のように八方へ垂れ、青臭い独特の強い匂いを遠くまで漂わせる。雌雄異花で虫媒花。雄花は穂状の部分に密生し、雌花は基部に着く。授粉が終わると雄花は褐色に変色して落ちる。栗の花の開花は梅雨の頃と重なるためか、その香りはどことなくずっしりと重たく感じる。
例句として挙げられているうちのひとつがこれ。
栗咲く香にまみれて寡婦の寝ねがたし 桂 信子「女身」
みょうに色っぽい句です。それは、なぜなのか? (答え)栗の花の匂いは、精液の匂いに似ていると言われているからです。 そう思ってこの俳句を読むと、色っぽさの意味がわかると思います。
「俳句大歳時記」では、「青臭い独特の強い匂い」とまでしか書かれていません。それで、句会では初心者が「どうして、こんな意味深な句の季語に栗の花が使われるんですか?」と質問してくるわけです。わたしは60~80歳代のキュートな先輩がたが「うっ、それは…」って困るのをもう見たくないのです。 一番信頼がおけるとされている歳時記が書かないというなら、ブログが補完するしかありません。大事なことだから、書きました。
もちろん、「栗の花」はこの意味だけに使われるものではありません。栗の花は形が細いヒトデみたいに垂れ下がっていて個性的ですし、ぽたぽた落ちるという特徴もあります。わたしは初夏の気持ちいい青空に呼応するようなあの花の白黄色の明るさが好きです。栗の花の本質というのはさまざまあるのです。
近づくな白いワンピース栗の花に
(ふうの句…中八、下六のかなり乱暴な句。どーん!)
今日は、これでおしまい。