な富戸そ (4/14 - その4)

今週の「手探り」

 この週末の大潮で注目していたのはボウシュウボラのハッチアウトだけではありませんでした。もう一つの関心事はホンダワラだったのです。

 2月の末から富戸の浅場では種々の海藻がグングン伸びて海底を被い始めました。ま、今までは

 「あ~あ、春濁りの季節の到来だよ~」

位にしか思わなかったのですが、今年は少し違います。「とことん富戸」の僕としては、今年からは海藻にも注目です。折りしも、昨年には海藻の解説本が出たり、この春には海藻の新しい図鑑が登場したりして、「愈々、海藻時代の到来か」と思わせます。でも、ま、ウミウシみたいに綺麗でもなんでもないので、そんな時代は簡単には来ないでしょうけどね。
 事実、僕自身も一体何から観察すればいいんだろうと手探りの状態です。

今週の「古文」

 さて、本を読んでいると、ホンダワラ等の海藻は万葉の時代から「なのりそ」と呼ばれていたとあります。そんな昔から日本人は海藻に慣れ親しんでいたんですね。

 「なのりそ」とは「な告(の)りそ」の意味だそうです。「な~~そ」とは、古文で「~~しないで下さい」という弱い禁止を意味する言葉であるというのは僕もかすかに覚えています。

 ああ、高校の古文の時間に「平家物語」を読みながら感極まって泣き始めた三浦先生は今頃どうしてるかなあ。

 それはさておき。という事で、「なのりそ」とは「告げないで下さい」「言わないで下さい」という意味です。ここまでは本に書いてあります。でも、ホンダワラが何故「言わないで下さい」なのかは何処にも書いていないのです。ホンダワラには何か人に告げてはいけない秘密でもあるというのでしょうか? あ~、気になる。 

 富戸の海ともダイビングとも何の関係もないのですが、この「なのりそ」の意味がどうにも気になって市の図書館で調べる内に、意外な事が分かってきました。お話は何と、日本書紀にまでさかのぼるのです(日本書紀なんて生まれて初めて読みました)。

今週の「ずるい奴」

 時は5世紀、第19代允恭(いんぎょう)天皇の時代です。天皇は、あの大古墳で有名な仁徳天皇の皇子に当たります。允恭帝には忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)という皇后がいました。
 天皇はある宴会の席で、皇后の妹である衣通郎姫(そとおしのいらつめ)を見初めてしまいます。「衣通(そとおし)」とは、その美しさが衣を通して輝いているという意味だそうです。それほど美貌の娘だったのです。
 さあ、のぼせ上がった天皇は衣通郎姫に使いを送って何度も呼び出そうとします。つまり、姉妹合わせて我が物にしようとした訳です。時代とはいえ、何とも厚かましくも羨ましい。
 ところが、衣通郎姫は、皇后である姉を気遣って決して首を縦に振ろうとはしませんでした。が、とうとう根負けする事になります。天皇は大喜びするのですが、やはり皇后の嫉妬を気にして、衣通郎姫を別邸に住まわせることになります。さあ、皇后の心中は穏やかではありません。
 が、皇后がお産の時にも天皇が衣通郎姫の別邸に赴いたのを知るに到って、その怒りは頂点に達します。天皇はさすがに慌てて、別邸通いを控えるようになります。
 衣通郎姫は姉に気を遣いながらも、やはり寂しさが募ります。その時詠んだのが次の歌でした。

 とこしへに 君も会へやも いさな取り
     海の浜藻(はまも)の 寄る時時(ときとき)を

 (いつも変わらずあなたにお会い出来る訳ではありません。
  海の浜藻が岸辺に寄せる様にまれにしかお会いしてくださらない
  のですから)   

 (いさな取りは「海」の枕詞)

いやあ、一度でいいから女性にこんな事言われて見たいもんだ。が、天皇は逆に慌ててこの様に言います。

 是の歌、他人あたしひとに聆(き)かせ

 (この歌を他人に聞かせてはいけない。皇后が聞けばうらむだろう
  から)

 ああ、男というのは何時の世もこんな時にはずるくて小心な生き物です。つまり、「そんな浜藻の歌を人に言ってはならない」=「告(の)り」と言ったのです。日本書紀は更に続けます。

 故から、時の人、浜藻をなづけて「なのりそも」と謂いへり。

 (そこで、時の人は、浜藻を名づけて「なのりそ藻」と呼ぶようになっ
  た)

それで「なのりそ」なのです。は~っ、なるほど。スッキリしたあ~。それにしても、1500年もの時間を隔てながら、海の生き物を通して何かを感じ合えるというのは本当にロマンチックですね。

今週の「はな」

 さて、前振りが長かったのですが、話を富戸の海に戻します。
 春先に一気に成長して来るホンダワラの仲間は枝を広げ、浅場は緑のジャングルの様になります。日差しの明るい日には、森にさえずる小鳥の声が聞こえてきそうです。

 さて、このホンダワラ、春になると「なのりその花」と呼ばれる花を咲かせるそうなのです。いや、正確には花ではありません。ホンダワラの属する褐藻類は種子植物ではないので、実のなる花を咲かせる訳ではありません。

 何と、ホンダワラには雄株と雌株があるのだそうです。そして、それぞれには雄性生殖器床と雌性生殖器床と呼ばれる唐辛子の様な器官がぶら下がっているのだとか。そして、大潮と共にそれぞれの生殖器床が放卵・放精して受精卵がホンダワラに花の様に付くのだそうです。

 でも、「~だそうです」「~だそうです」では、さっぱり分かりません。海藻一年生としては、とにもかくにも「海で見るべし」です。

 そこで、浅場を巡って見ました。ホンダワラ林には明るい光が射して暖かな一帯を形作っています。波の往来の度にゆったりと揺れ、それにつれてメバルの幼魚達、キタマクラの幼魚達などがやはり、ゆったりゆったりと揺れます。
 が、そんな所で揺れている場合ではありません。「なのりその花」です。でも、探せども探せどもそれらしい物は見当たりません。
 ユッサユッサ揺れながら、ホンダワラの根元からてっぺんまでを舐める様に見るのですが、茎と葉がモシャモシャとするばかり。

 「ホンダワラの季節はもう終わってしまったのかなあ」

 ホンダワラ科のホンダワラ、つまり本家ホンダワラが花を咲かせるのは3月の大潮の頃らしいので、今年はもう全て終わってしまったのかもしれません。

 「だめか・・・」

と思ったその時、ホンダワラ林の一角に、やや見慣れない一団がありました。やはりホンダワラなのでしょうが、丈が高くて、てっぺんの数十センチは水面にまで達して横になってたなびいていました。

 「 the ホンダワラではないのかな?」

と覗き込みました。これは、花をつける時期がホンダワラより遅いと言われるアカモクと呼ばれるやつかもしれません。

 「おっ、これは?」

あったのです。正しく3~4cmの緑の唐辛子のようなのが茎のあちこちから伸びていまいした。それも色んなパターンがある様なのです。

 「これは、さほど長くはないから雌の生殖器床なのかな?」

と更によく確かめようとするのですが、波にユッサユッサで少し気持ち悪くなってきました。これは、致し方ないと、唐辛子数本を切ってポケットに入れてひとまずExしたのでした。そして、直ぐにガラス瓶に入れたのが下の写真です。

今週の「種まき」

なのりそ瓶入り

 黒の矢印で示した部分が雌生殖器床と思われる部分です。3~4cmのボディーの表面には小さな白い穴がポチポチとたくさん開いています。よく見るとキュウリみたいな感じです。そして、白の矢印で示したのが、正しく求める「なのりその花」の様なのです。こちらはトウモロコシみたい。本に書かれているところによれば、黒矢印のキュウリの中に卵があって、この大潮で放出された雄株の精子によって受精すると、この表面に受精卵が並ぶらしいのです。それが「なのりその花」つまり、白矢印のトウモロコシです。
 では、秘密兵器の顕微鏡で早速それぞれを見てみましょう。

雌性生殖器床なのりその花
雌性生殖器床             なのりその花(受精卵)

 まず、雌性生殖器床は顕微鏡で見ても、やはり表面の白いポチポチの穴が見えるばかりでその奥に卵が見えるわけではありませんでした。このあと、カッターナイフでこれを切ってみたのですが、白っぽい瓜の実の様なものが只詰まっているだけでよく分かりません。もっと拡大しなければならないのでしょうか。

 続いて、表面に受精卵が並んだ生殖器床を見てみると、

 「お~っ、あるある」

確かに小さな粒々がビッシリと表面に並んでいます。これがこの大潮で受精されたホンダワラ(アカモク?)の卵なのです。そこで、別の「花」を見てみると、

なのりその花・旅立ち

 こんな感じです。受精卵の密度がぐんと落ちて、下地のキュウリのポチポチ穴が見えています。更に、受精卵そのものがキュウリの表面から浮き上がっている様に見えます。が、実際にはこの浮いた受精卵とキュウリ表面の間はゼリー状の物で満たされていて、ちょっと揺すると卵はプリンの様にプルルンと震えるのです。恐らく、受精卵はこうして徐々に海に放たれて行くものと思われます。そして、海底につくと、夏から秋へと向けて芽を出し成長をつづけるのです。

 「なんだかすごいなあ~」

女房の嫉妬にびびってるくせに自分のスケベ心も抑えられない男がずるい事言っていた1500年以上昔から変わりなく毎年繰り返されて来たであろうこの複雑なシステムに感じ入るのでした。

 これは暫く眼を離してはなりません。 眼を離せなのです。

2002/04/29 「富戸で何でも新発見」 へ続く

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