大学の原子力関係の学科は、昔は旧帝大+東工大にあって、私がいた日本原子力研究所は、かつて職員数が2000人くらい、ドクターを持った研究者だけでも500人以上いた。それが今では、壊滅と言っていい状況です。
その後、国が動燃サイクル機構(※注:動力炉・核燃料開発事業団。1998年に核燃料サイクル開発機構として改組された後、2005年10月には日本原子力研究所と統合され、独立行政法人・日本原子力研究開発機構に再編された)を作って、半ば国策として事業を増やした。でもどんどん悪い方向に行って、お金だけ使って疲弊して……。
細野 結局、官でやった方がうまくいかなかった。
田中 そうです。「もんじゅ」(※注:高速増殖原型炉もんじゅ。高速増殖炉実用化のための原型炉として建設されたが、冷却用ナトリウム漏れ事故等のトラブルにより、ほとんどの期間は運転停止されていた。2016年12月21日、廃炉が正式決定された)を潰したのは私だってよく言われるんですけど、あれは自滅したんですよ。1兆円使って50年かけてできないような技術にこだわること自体が、やっぱりどこかおかしいんです。その判断ができないところが、原子力業界の病根ですね。
細野 原発そのものは未来永劫、ずっと依存できるエネルギー源ではない。
田中 とはいえ、相当な長期間は必要だと思うんですよ。再生可能エネルギーでやればいいという方もいますが、まだ発電効率が大体20%ぐらいですよね。
細野 長期とおっしゃるのは、数十年ですか?
田中 50年から100年ぐらいかもしれない。
細野 50年から100年、いまある原発や関連施設を安全に運営していくためにも、廃炉を進めていくためにも、本気で人材を育てることが原発事故を起こした日本の責任でしょうね。
田中 燃料サイクルに関しても、すでに世界では技術的な限界がある、そんなことをする必要はないという判断になっています。そういう過去を徹底的に反省してようやく、原子力利用そのものの将来があるかどうか、というところですね。