細野 あの時、専門家も道が分かれたと思うんです。こう言うと語弊があるかもしれませんが、なんとか問題を解決しようと知恵を絞る方と、一方でマスコミに出て、ある種の人気を博する方と……専門家でも、立場によって物の言い方とか判断が大きく変わってしまう。各自治体の町長さん村長さんによっても、その町や村の運命がまったく変わってしまうことも感じましたね。
田中 おっしゃるとおりですね。時間が経つと忘れてしまうことかもしれませんが、繰り返しになりますけど、危機管理はやはり責任者、トップのリーダーシップにかかっていると思います。
細野 そういうリーダーシップを考えた時、私が田中先生を見習いたいと思ったのが、まさに除染についてでした。私が初めて除染作業をご一緒したのは7月で、その時にはやり方をかなり確立していた。
当時はボランティアでしたが、私は人手が足りないと思って、環境大臣になってから除染を国家プロジェクトとしてやろうとしたんです。当時はまだほとんど事業化されていなくて、実証実験的な物に留まってたんですね。これを事業化するために全国の大手建設会社の方に来ていただいて、実用化研究をお願いしたことを今でもよく覚えています。
ただ一方で、除染の基準をどうするかという議論になって、持ち上がってきたのが、ICRPや国内の管理基準になっている、「追加的な放射線量1ミリシーベルト」という数値でした。
私もそのころには、1ミリシーベルトが例えば健康とか、住めるか住めないかという基準とはおよそかけ離れたものだとわかっていたんです。しかし、これまでの基準として1ミリシーベルトで管理することが決まっている以上、全く無視するわけにもいかない。そして福島県側としては、除染の目標は1ミリにしてくれ、という非常に大きな要望もあった。
それで、悩んだ末に「長い時間をかけて最終的に1ミリを目指しましょう」という基準を設けることになった。ただ、繰り返しになりますが、健康基準や居住可能の基準とは全く違いますよ、と強調したけれど、残念ながらなかなかそうは受け止められなかった。