福島第一原子力発電所(2016年、Photo by gettyimages)

原発事故はなぜ起きたか?「危機の時代」に科学と政治ができること

細野豪志×田中俊一【前編】

「3.11」そして福島第一原発事故から9年の月日が流れた。

原発を推進してきた立場の科学者として事故直後に「陳謝」を表明、福島の除染に率先して取り組み、翌2012年には原子力規制委員会初代委員長(〜2017年)となった田中俊一氏。現在、福島県飯館村に住みながらボランティアで「復興アドバイザー」を務める田中氏を、2011年当時、菅直人内閣で原発事故担当の総理補佐官を務め、事故の最前線で対応に当たった衆議院議員の細野豪志氏が訪ねた。

あのとき、日本人は何を間違えたのか。今なお福島に置かれている除染廃棄物を、この先どうするのか。新型コロナウイルスという新たな国難が襲ういま、原発事故の過去と現在を考える特別対談。(構成・林智裕、ライター

欠けていた「科学的判断」

細野 田中先生はご出身が福島で、いまも飯館村に住んで福島の実態を見ておられます。

先生のことが初めて印象に残ったのは、3.11の後の3月31日に専門家の皆さんを率いて提案された際に、冒頭で明確に謝罪を書いていたんですよね。原子力の専門家の中で、当時あれだけ率直に謝罪をした方はいなかった。どういうお気持ちだったんですか。

田中 これだけの事故を起こしてしまったことについて、それなりの責任、国民に対する謝罪の気持ちを持つのはごく当たり前のことですし、他にも思っていた関係者はかなりおられたと思います。

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細野 事故から9年経ったいま、お伺いしたいのは、現場、東電本店、官邸を含めた政治の事故後の対応です。田中先生は間近でご覧になって、どう評価されていますか。私が当事者だったことは気にせず、率直にお話しいただきたいんですが。

田中 まず事故が起きた当初、きちっとした科学的判断に欠けていたと思うんです。その結果、放射線とか放射能に対する社会的不安が一気に増大しました。それが混乱の要因になって、いまだに尾を引いています。

危機管理の基本は、科学にもとづいてしっかりと決断をすること。その決断力を発揮できるかどうかが、リーダーの資質だと私は思います。そういう点では、結果論かもしれないけれど、決して瑕疵がなかったとは言えないですね。