この国の健全な民主主義のために、なぜもう一歩踏み込まないのか。司法の本来の責務の放棄と言わざるを得ない。
3年前、野党議員による臨時国会の召集要求に応じなかった安倍内閣の行いが憲法に違反するかが争われた裁判で、那覇地裁は議員側の訴えを退けた。
要求は、森友・加計問題の真相を解明するためとして17年6月22日に出された。内閣は98日後の9月28日にようやく召集。だが冒頭で衆院を解散し、実質審議は行われなかった。このため沖縄県選出の議員らが、質問や討論の権利を奪われたとして国に損害賠償を求めていた。
根拠としたのが、臨時国会について「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定めた憲法53条だ。
これに対し地裁は、召集されなかったことに伴う不利益や損失は金銭で回復される性質のものではないなどとして、訴えは国家賠償制度の趣旨に沿わないと指摘。当時の内閣の行為は合憲か違憲かの判断をしないまま、判決を言い渡した。
法律の解釈論でお茶を濁し、問題の本質に切り込むのを避けたと言うほかない。司法の世界には「憲法判断をしなくても結論が出せる場合はあえて判断しない」という考えがあるが、それに機械的に従うだけでは裁判所の存在意義はない。
召集要求を放置してもとがめられない。そんな受け止めが広がれば、内閣の専横に司法が手を貸すことになりかねない。三権が分立し、抑制と均衡を図ることで民主社会は成り立つ。この基本を忘れてはならない。
一方で、言い分がすべて認められたわけではないことを、国側は肝に銘じる必要がある。
国側は、国会の召集は高度の政治性をもち、裁判所はその当否を判断するべきではないと主張していた。だが判決は、召集要求があれば合理的期間内に応える法的義務が内閣にあると述べ、その際認められる裁量の幅は「限定的なもの」と判断。時期が遅すぎないかなど、司法審査の対象になると結論づけた。内閣の対応によっては、憲法違反と断じる可能性があるとの考えを示したものだ。
異論に耳を貸さず、国会軽視を重ねてきたのが安倍政権であり、その象徴の一つが臨時国会の召集要求の黙殺だった。そしてコロナ禍に直面する今も、国会を早々に閉じて野党の追及から逃れようとしている。
この裁判を通じて、少数派の意見を国会に反映させることの意義が確認されたのは大きな収穫だ。政権は従来の姿勢を改める契機としなければならない。
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