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戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

小話 其之参

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忘れ去られた話

信長の妹にあたるお市は、娘である茶々(ちゃちゃ)(はつ)(ごう)と共に静子邸で生活している。

かつては信長の正妻である濃姫も静子邸に逗留(とうりゅう)していたのだが、義理の息子である信忠の岐阜入城に合わせて、居を岐阜へと移した。

とは言え、静子と没交渉となることなく、折に触れて尾張の静子邸を訪ねては振り回すという事を繰り返している。

余談だが濃姫が岐阜城へと入ると共に、彼女の弟にあたる斎藤(さいとう)利治(としはる)が信忠の側近に着任した。

居候であるお市たちは肩身の狭い思いをして過ごしているはずもなく、生活の利便性と衛生水準だけで言えば日ノ本一と名高い静子邸で何不自由なく暮らしていた。


「さて初よ、今日は何をして遊ぶ?」


腰に手を当てて胸を反らしながら茶々は妹である初に声を掛けた。静子邸には他所には無い興味を惹かれるものが沢山あるが、あくまでも大人向けのものが多く、貴重な書物や名画でさえも彼女達には色()せて見える。

一応静子邸には子供向けの遊具や知育玩具も存在し、中庭の池に小舟を浮かべることすら出来るのだが、危険が伴うものについては大人が付き添うことになっており、彼女達のお眼鏡にはかなわない。


(あね)さま! かるた(・・・)はどう?」


「わらわと初では勝負が見えておる。負けると判っている勝負は好かぬ。どちらが勝つか判らぬ遊びがしたい」


「図書館の禁書庫に侵入は?」


「どちらが先に見つからぬよう潜り込めるかを競うのは面白かったが、あそこまで叱られるのでは割に合わぬ」


以前に実行した際、あと少しという処で彩に見つかってしまい。お市から尻が赤くなるほど叩かれた上に、一週間にも亘ってオヤツ抜きという厳罰が下された。

本当ならば自分達も口に出来たはずのお菓子を他人だけが食べる。その様子を指を咥えて見ているのは子供心にもトラウマとして刻まれている。


「それよりも姉さま。今日の課題は終わったの?」


「ふふふ、姉は賢いからの! 終わらせた(・・・・・)ゆえ遊んでおる」


「おおー! さすがは姉さま。でも彩が姉さまを探しておりましたよ?」


「は……はて? 何の用じゃろう? まあ、大した用事ではあるまい!」


露骨に視線を逸らして茶々は(うそぶ)いた。茶々は課題を終わらせたとは言ったが、全ての回答欄に何かを書きこんだだけであり、真面目に取り組んでいないことは一目瞭然であった。

課題が回収され、教師が採点する段になってサボタージュが発覚し、彩が茶々を探しにきた頃には二人とも学習室を抜け出した後だったという状況だ。


「そんな事より夕餉まで何をして遊ぼうか? 今日の夕餉には天ぷらが出るゆえ、腹を空かせておかねばならぬ!」


「どうして姉さまが献立を知っているの?」


「なに、静子の許へ見たこともないような立派な海老が届いての。静子が厨房の者と天ぷらにしてはどうかと話しておったのじゃ。あんなに大きな海老なのじゃ、さぞ美味であろう!」


「なるほど静子の言葉ならば間違いありませぬ。てっきり、また姉さまがつまみ食いをされたかと思いました」


「またとは何じゃ! そう度々はせぬわ!」


茶々はぷりぷりと怒りながら初の柔らかい頬を軽く引っ張る。突きたての餅のように柔らかく、むにむにと変形する頬を弄ばれていても初はされるがままになっている。


「あ! 姉さま、後ろに彩が!」


「ひいっ! 初、逃げるぞ!」


「見間違いでした。すみませぬ」


「初は人騒がせじゃのう……肝が冷えたわ。それにもう少しこの姉を見習って愛想良くせぬか?」


「姉さまの本性はこっち」


「何ぞ言うたか?」


愛想が良いのは外面だけで、中身はわんぱく極まり無いということを初は拙い語彙で指摘する。

痛いところを突かれた茶々は姉の威厳を以て封殺し、初も口に両手を当てて沈黙する。

そんなコントのようなやり取りをしていた二人だが、ふと本来の目的を思い出し、手をつないで屋敷内を散策し始めた。

大人の高い視点からは丸見えなのだが、子供なりに隠れている様子の二人を家人たちは見て見ぬふりをしてくれる。


「何ぞ面白いものはないかの……ん?」


自分達の興味を満たしてくれるものを探していると、茶々は遠くから猛烈に甘い香りが漂っていることに気が付いた。

静子邸にはこの時代では考えられない程に甘味が充実している。しかし、それでも生産量的に砂糖はまだまだ高級品。四季折々の果実なども手に入る静子邸では、砂糖がふんだんに用いられた菓子は垂涎(すいぜん)の的だ。


「初よ、気付いておるか?」


「はい、姉さま。向こうの方から匂いまする」


二人は顔を見合わせると、抜き足差し足で香りの発生源へと向かった。この先にあるのは静子の私室から襖一枚を隔てた側近の控え室である。

またぞろ静子が何か新しい甘味を思いついて試作し、それを側近にでも振る舞おうと用意しているのだろうと二人は推測した。

控え室の主である才蔵は、それほど甘い物が得意ではなく、普段は渋い茶をすすりながらそれでも静子から頂戴した菓子だからと苦労して食べている。

無理をして食べるぐらいならば、甘い物が大好きな自分達が食した方が甘味も嬉しかろうと二人は考えていた。


「おお!」


茶々と初が襖の隙間から室内を覗き見ると、部屋の中央にちゃぶ台が置かれ、その上にでんと小麦色の焼き菓子が鎮座しているのが見えた。

二人が知る由もないが、それはスイスの伝統菓子である『エンガディーナ』と呼ばれるものであった。

砂糖と水飴を低温で煮詰めナッツ類やドライフルーツを絡めて冷やし固めた『ヌガー』を、クッキー生地に包んで焼き上げたカロリーの爆弾とでも言う存在だ。

焼きたての小麦が香ばしく薫り、内包されたヌガーやドライフルーツの暴力的なまでも甘い香りが早く食えと騒ぎ立てる。

冷静になれば不自然極まりない菓子の配置に気付けたであろうが、甘い香りに魅了された二人が罠に気付くことは無かった。


「いただき――うわっ!」


皿の上の焼き菓子に手を伸ばそうとした瞬間、真上からバサリと広範囲に何かが落ちて広がった。茶々と初は突然の出来事に対応できず、覆いかぶさってきた物の重さに膝をつく。


「な、投網(とあみ)じゃと!?」


「姉さま、動けませぬ」


二人に覆いかぶさったのは狩猟用の投網であった。端々に錘が付けられた投網は、素早く対象に覆いかぶさり抜け出す(いとま)を与えない。

網自体がそれなりに重量があるため、幼い二人は髪の毛が絡まったこともあってまるで身動きが取れなくなっていた。


「これほど容易く引っかかるとは……もう少し注意力を鍛えねばなりませんね」


「あ、彩! 何故ここに?」


「それは茶々様がお考えの通りです」


網から抜け出そうと闇雲にもがき、ますます身動きが出来なくなっていく二人を冷徹な目で見つめるのは彩であった。


「わらわは織田家に連なる姫なるぞー!?」


「存じておりますが、お母上より存分にお灸を据えるようにと申しつかっております」


彩とて幼子に手荒な真似をするつもりはない。しかし、茶々は己の立場を利用して度々問題を起こしては逃亡すると言う事を繰り返す。

初が自発的に問題を起こすことは稀だが、姉と一緒になると二人で連れ立って問題を起こすようになる。

一人で動き回れない江を元より、茶々さえ抑えこめれば三人娘は大人しいため、お市や彩は茶々にだけ容赦がなかった。


「くぅ! 母上の裏切り者め」


「お市様は茶々様を何処に出しても恥ずかしくない淑女にしようとされているのです。今のままでは山猿も()くやという始末、嫁はおろか他家にすら連れてゆけぬとお嘆きです」


「むー!」


この時代の女は政治の道具である。最終的には他家へと嫁ぎ、孤立無援の状況で生き抜かねばならない。母であるお市は、その為の武器として教養を、(したた)かさとして処世術を見につけさせようとしていた。


「さて、茶々様。貴女には何故勉強をしなけえばならないかをご理解いただかなければなりませぬ。勉学の良い処は、一度見につければ誰にも奪えない処にあります。道具や財貨と異なり、どのような状況であっても貴女の武器となるのです。さあ、まずは課題のやり直しからですよ!」


「次こそは逃げ切ってやるぞー!」


彩に引きずられる茶々は捨て台詞を吐いた。図らずとも折れない心と、逆境に負けないバイタリティーは育っているようだった。


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