日本人を貶める追悼碑を許すな!
 都立横網町公園・朝鮮人追悼碑の撤去を
  街宣・チラシ配りにご参集を!
     日時:8月28日(日)13時~
     場所:両国駅 西口ロータリー

日本の国技相撲の聖地・両国の「都立横網町公園」に日本を貶める朝鮮人慰霊碑が
あるのをご存知でしょうか。
碑には「19239月発生した関東大震災の混乱の中であやまった策動と流言蜚語の
ため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました」と書いてあります。
日本政府(朝鮮総督府)はこの地震による圧死者・焼死者・行方不明者の朝鮮人は
832名と発表。その遺族に対して、地方官を派遣し1200円(現在のお金に換算する
と200万円)の弔慰金を渡しています。(日本人遺族16)
何故、残りの5200余名はその弔慰金を要求しなかったのでしょうか?
死者数自体が後付けだからです。
この、まったく科学的論拠を持たない「6000余名」などと書かれた碑によって、
公園を利用する日本の子供たちは、「日本人は6000人虐殺を行った悪い民族」
として、永遠に、自虐史観を埋め込まれていくのです。
「日朝協会東京都連合会」は今年も、9月1日(木)午前11時~ 横網町公園で
朝鮮人犠牲者追悼式典を執り行います。8月20日には、今年初めて、ソウルで
盛大な追悼集会が開かれ朝鮮日報は「日本の自警団や軍・警察によりおよそ6000
の朝鮮人が理由もなく殺害された」等と報道しました。
あなたこれを見逃すことはできますか。

      そよ風 関東大震災の真実を伝える会 如月 圭
     ibukupu-kupu@jcom.home.ne.jp   080-91948169

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日本政府は大震災の一月後、10月中旬には遺体処理が終わっていた。
ところが二か月も経って、上海から調査に来た独立新聞の
活動家達は朝鮮人6419人が虐殺されたと結論付けた。
彼等は腐乱した遺体をどうやって朝鮮人と見分けたのだろう。
虐殺死体をどうやって識別したのだろう。

公的にきちんと残っている数字は、
被災当時、東京、近県にいた朝鮮人は推定9800人。
そのうち、震災後、収容、保護された朝鮮人6797人。
残りは3000人は被災で亡くなられたと推定。
(本所界隈では、日本人の80パーセントが亡くなっている)
内務省のまとめでは無辜の朝鮮人が殺害されたのは231人
としている。

6419人の数字には全く科学的根拠がない。

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民団本部長は朝鮮人慰霊祭で次のように述べた。

「日本人の蛮行は
人類の歴史の恥辱として永遠に
糾弾されるだろう」

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関東大震災から91年 民団が朝鮮人虐殺犠牲者を追悼


2014/09/
【東京聯合ニュース】在日本大韓民国民団(民団)は1日、1923年の関東大震災当時に発生した朝鮮人虐殺の犠牲者を追悼する関東大震災殉難同胞追念式を東京・港区の韓国中央会館で開いた。

金秀吉(キム・スギル)民団東京本部団長は追悼の辞で、関東大震災は大きな天災だったと同時に流言により同胞らが無差別虐殺された青天
のへきれきのような人災だったと指摘した上で、
「日本人の蛮行は人類の歴史の恥辱として
永遠に糾弾されるだろう
と述べた。

 また、毎年追念式を開いていることについて
「日本の非人間的な蛮行を糾弾しなければならない
われわれの使命を自覚し、蛮行の歴史を後世に伝えるためだ」
と説明し、犠牲者の冥福を祈った。

   追念式には柳興洙(ユ・フンス)駐日大使、呉公太(オ・ゴンテ)民団中央本部団長ら150人余りが出席した。

   hjc@yna.co.kr
http://japanese.yonhapnews.co.kr/pgm/9810000000.html?cid=AJP20140901003000882


関東大震災で虐殺された朝鮮人名簿 韓国政府が公開

【ソウル聯合ニュース】
1923年の関東大震災当時に虐殺された朝鮮人被害者318人
名前などを記した韓国政府の公式資料が、初めて公開された。
 国家記録院は2日、昨年6月に東京の韓国大使館が移転する際に発見された日本による植民地支配時代の関連資料のうち、関東大震災において虐殺された朝鮮人の名前と住所、殺害当時の状況を記した「日本震災時の被害者名簿」を整理し、情報開示を始めたと発表した。
 関東大震災当時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」
「朝鮮人が暴動を起こした」などのうわさを公権力が流したことで
社会の不満が在日朝鮮人に向かい、
約6000人の朝鮮人が
日本軍や警察、自警団などに
より虐殺された。

 今回公開された資料によると、日本の警察や消防などが朝鮮人虐殺に加担した。竹やりや手かぎなどが用いられたという。殺害された中には10歳にもならない子どもも多数含まれ、年齢が確認される限りで最年少は2歳だった。
 この被害者名簿は1952年に韓国の李承晩(イ・スンマン)政権が調査、作成したが、その存在は忘れ去られていた。昨年韓国大使館で見つかった植民地時代の関連名簿は計67冊で、このうち1919年の「3・1独立運動」に関する被害者名簿は今年3月1日の独立運動記念日にインターネット上で公開されている。
 国家記録院は内部で検討した上で、関東大震災での被害者名簿も一般公開することを決めた。現在は情報公開請求を経て開示しているが、7月以降は請求しなくても誰もが閲覧できるようネット上に掲載する計画だ。記録院関係者は「いまだに不十分な真相究明と研究に大きく役立つだろう」と期待を示す。
 現在国会では、「関東大地震朝鮮人虐殺事件の真相究明および被害者の名誉回復に向けた特別法」が提出されている。
聯合ニュース