2012年の夏、ミネソタ大学で開催されたローラ・インガルス・ワイルダー学会で、「小さな家」シリーズの教育プログラムの実演が行われた。 実演したのは歴史専攻の大学院生M・ストリンガー、退職した元教師A・ダール、退職した教師・図書館員のJ・グリーン、やはり元教師だったC・ニューマンの四人。彼らは学校、図書館、開拓記念館、コミュニティセンターなどで、「小さな家」を使って、教育プログラムを実践している。 ストリンガーは開拓時代の衣装をまとい、実在のローラ・インガルス・ワイルダーに扮して、ワイルダー がミズーリ州へ発つ時に自分の人生を語るという一人芝居を演じた。 ダールは「小さな家」を基に、社会、理科、音楽などの授業を行うための教師マニュアルを執筆している。今回はクリスマスのストーリーを取り上げていた。 グリーンも衣装を着て、ブタの膀胱、パッチワークなど「小さな家」関連のものをテーブルに並べ、丸太小屋や弾丸作りの話、シカ肉やブタの屠殺など食べものの話をして、現代の食事との違いを取り上げた。 最後に彼女はワイルダーのオリジナルの手紙を見せてくれた。それは、ある老婦人が幼い頃にワイルダーからもらった手紙で、彼女のプレゼンテーションを観たその婦人が譲ってくれたそうだ。 「うちの息子たちは「小さな家」にまったく興味がないの。私が逝ったらゴミになってしまうでしょう。だったら大切にしてくれる人に持っていてもらいたいの」 ニューマンはお手製のドレスに身を包み、インガルスの写真や可愛らしい「小さな家」のグッズを並べたテーブルの前で、ポップコーン作りやつくろい物のデモンストレーションを行った。火にかけたポップコーンが出来てくると、指をパチパチならしてはじき飛ばしたり、縫いもののデモンストレーションでは、針を持つ手を皆一緒になって上げ下げした。彼女のプレゼンはあったかくて、観ている方まで温かな気持にさせてくれた。 彼女たちのように「小さな家」を使って教育プログラムを行っている人たちは多い。掲示板やウェブでもよく話題に上がる。アメリカでは小学校三年生の社会科の授業で開拓時代について学ぶ。こういう授業だったら楽しいだろうと思う。 けれども、アメリカは多民族国家だ。学校にはイスラム教徒やユダヤ教徒、アジア系やヒスパニックの子どもたちもいる。白人キリスト教徒の日常を描いた「小さな家」の暮らしは、彼らにとって異質のものだ。「小さな家」の描くアメリカに彼らは含まれない。その彼らにどのように開拓生活を教えるのだろう? 開拓時代はヨーロッパ系が大多数を占めていたのだから仕方がない、歴史は変えられないというかもしれない。 でも、アメリカ史の授業は国の成り立ちを学ぶだけでなく、子どもたちにアメリカ人としてのアイデンティティや誇りを育てる目的もあるはずだ。子どもたちの中にはアメリカ人なのに、アメリカの過去と自分をつなぐことが出来ない子がいる。彼らを除外したまま授業を進めていいのだろうか? その辺りのことを、プレゼンターの彼女たちは、教育者としてどう考えているのだろう? そこで実演が終わってから三人に一人ずつ訊ねてみた(一人は訊く時間がなかった)。最初に聞いた方は私の質問の意図を充分に理解していて、 「あなたの言わんとしていることはわかります。イスラム教徒の子どもたちも多いですから。だから、そういう子どもたちの民族背景を聞いたり、どの国にも共通する織物などを取り上げたときに、注意を払うようにしています」 彼女は掲示板でもよく発言していて、柔軟性のありそうな方だったので予想通りの答えが返って来た。 二番目に聞いた方は、そういうことを考えたことがなかったようで、 「ユダヤ系の学校でプレゼンテーションをしたときも、特別なことはしませんでした。私は少数派の子どもたちに教える特別スキルは持っていません」 と正直に話してくださった。彼女は私の質問にとても困惑していたので、これからは配慮するよう心がけるかもしれない。 三番目の方は、私の質問の意図が理解できず、少数派の子どもたちを考慮したこともなければ、これからもしないだろうと思われた。なぜ、そんな質問をするのかさっぱりわからないといった様子で、 「キリスト教徒だろうがイスラム教徒だろうが関係ありません。たまたまキリスト教徒の話だっただけです。信仰を持つことはとっても大切ですよ」とニコッと笑っておしまいだった。教育プログラム関係者の間では、彼女はよく知られた存在で、学会でも活発に発言している。彼女の講演や掲示板の発言から、信仰の深い保守的な方だと推測していたので、やはり予想どおりの答えだった。 「小さな家」を基にした教育プログラムは、社会史を扱うものが多い。私は学校の授業を見学したことはないけれど、掲示板での教師のディスカッション、学会の講演、教育プログラムのプレゼンテーションなどから判断して、非白人や非キリスト教徒の子どもたちは、ほとんど考慮されていないように感じる。 たしかに開拓時代はヨーロッパ系が多数を占めていた。でも、少数派の子どもたちとアメリカの過去をつなぐことは、可能だと思う。たとえば、お茶やスパイスはインドから輸入された貴重品だったし、中国の青磁器はヨーロッパの磁器の製法に大きな影響を与えた。食事の煮炊きのように、どの国でも行われているものなら、アメリカと他国との共通点や相違点をあげることも出来る。たとえ彼らが過去に含まれなくても、接点をみつけることはできる。その接点をつなぎ止めるようにすれば、子どもたちの自尊心とアメリカ人の自覚を育てられるのではないだろうか? 私がそう思うようになったのは、トロントの開拓記念館で、ガイドに連れられた学校教育プログラムの子どもたちを見てからだ。小学校三年生の、全員がアジア系カナダ人のグループで、ほとんどがインド系やパキンスタン系、それに数人の東洋系(おそらく中国系)が混ざっていた。トロントの学校ではそういうクラスは珍しくない。 ご多分に漏れず、そのうちの半分はガイドの説明を聞いていなかった。東洋系の女の子はコンピューターゲームに夢中になっていた。 ところが、ガイドが茶葉を入れておく箱(tea caddy)を指して、 「お茶はインドや中国から輸入されて高価だったので、この箱にいれて鍵をかけておきました」 と言ったとたん、子どもたちの表情が変わったのだ。全員、ガイドの方を向いて、いかにも嬉しそうな、何ともいえない表情になった。ガイドのひと言が子どもたちに誇りを与えたのは明らかだった。 拙書「大草原の小さな家の旅」(93年刊)で、私は白人中心の「小さな家」が、少数派が力を持ち始めた時代に、高い人気を保ち続けるかどうか、疑問を投げかけた。 アニタ・フェルマン教授もアメリカン・ガールが人気を誇る時代に、白い「小さな家」が生き残れるかどうか、疑問を呈している。 アメリカン・ガールは、ラテン系、東洋系、アフリカ系、先住民などさまざまな人種、民族を取り揃えた着せ替え人形で、全米の女の子たちに爆発的な人気を誇る。キャッチフレーズは"Just Like You". 車椅子にのった障害者の人形まであって、子どもたちは自分に似た人形を選んで可愛がっている。 多文化主義が言われて久しい。多文化主義とは、少数派を同化・吸収するのではなく、それぞれの文化や歴史を尊重して、各民族や人種のアイデンティティーを保持しながら、共存していこうとするものだ。その波は子どもたちの人形にまで浸透している。その流れはいずれ小学校の歴史の授業にも影響を及ぼすだろう。 黒人が大統領に選ばれる時代に、白い「小さな家」はどう生き残って行くのだろう? 「小さな家」に関わる教師や図書館員や研究者は、保守的なキリスト教徒が主流だ。彼らが、白い「小さな家」から多文化主義への切り換えが出来るかどうか、少数派にどう対応していくかが鍵になるだろう。 そうしなければ、先住民論争が火花を散らした九十年代のように、図書館や教室から「小さな家」を排除する要求が、再び出されるかもしれない。 ©服部奈美 All Rights Reserved. |