2020-06-10

長文です。

コンビニ経営してずいぶん長いこと経つ。

そのあい時代も変化してきたり俺も加齢したりいろいろあったわけだけど、そのあいだ、自分のやってる店の強みというか、店の運営者としての自分能力みたいなことはあんまり考えてこなかった。

まあこれだけ競合がどぎついご時世で、他店をまったく意識しないということもないのだけれど、でもまあ、結局は「自分の店をどれだけ優れたものにするか」が勝負ではある。

んで、ちょっとしたきっかけがあったというか、人にそれを説明する必要が出てきたんで考えてみた。

ひとつには、商品知識

いかげんおっさんというかおっさんを通過したその先の新たなる地平、陰毛にも白髪が混じるようなお年頃になったいまでも、原則として商品現物を見れば、どこに訴求してるのか、どんなシーンで消費されるのか、みたいなことはほぼわかる。その比喩必要だったの?

実際、商品ってのは見ればわかるようにできてるはずなんだが、そこがわからない人はあんがい多いらしい。

これに関しては、もちろん経験の蓄積ってもんもあるにはあるんだろうが、自分店長をはじめた20歳そこそこのころから、俺はすでにわかってたので、能力としてはかなり属人性の高いものに属するんじゃないだろうか。

モノが売れるか売れないか判断ってのは、その商品ターゲットとしている層に対して「欲しいと思わせられるかどうか」で決まってくる。それは価格であり商品の重量であり、ときには機能パッケージデザインだ。それがストレートに刺さる場合もあるだろうし、潜在的需要を掘り起こすということもある。あるいは、予測もしてなかった層に刺さる場合もあるんだが、どちらにせよ、作り手が想定していたターゲットと、客の需要とがなんらかのかたちで合致しないと話にならない。その両者は、いまだに数式化されない謎の関数でつながっていて、言葉にすると「なんとなく」というてきとーな用語なかに収まってしまう。それを読めるかどうかが「商品知識」ということの中身じゃないかと思う。まあ外すことも多々あるが。

次に、トライエラーの異常な回数の多さだ。

昨今、本部提供する棚割だとかバイト管理ツールだとか、そういうものは昔と比較してくらべものにならないくら進化している。いやもうほんと、30年前の本部棚割とか、真顔で「なぜそうなったにゃん。説明してくださいにゃん」って正座させたいようなものたからね。ツールだって、その使いかたがわかれば、かなりうまくやれるようになってる。

ということは、逆にいうと、ここ10年くらいで店を始めた人は、最初からそういう便利なツール恩恵を受けて店を始めたということになる。

ところが俺は、少なくとも棚割に関しては、本部提供するものは参考程度にしか見ていない。「なるほど、今季方針はこんな感じね」と把握する程度だ。あとは全部自分で決める。ということは、商品が売れたか売れなかったかは、すべて自分責任ということになる。仮説も検証もすべて自分の頭で考えなければならないということだ。

俺がこんなやりかたになったのは、本部棚割が微妙すぎたこから連綿と棚作ってるということもあるんだけど、結局は自分のやりたいようにやりたいからなんだろう。

そんで、人と違ったことやるからには、それなりの結果出さなきゃいけない。

まりふつう店長さんが本部の決めた棚割に従ってフェースをつくり、本部の定めた基準商品カットしているとき、俺はその回数分だけのトライエラーを繰り返していることになる。結果として蓄積した経験値はおそらく膨大なものになる。

誤解のないように言っておくが、俺は現状の本部主導のやりかたに文句があるわけではない。むしろ逆だ。本部提供するシステムが充実したことによって、チェーンの平均レベルはまちがいなく上がった。チェーンの持つ力が上がればブランド力が上がる。それは個店にもまちがいなく影響を与える。その恩恵は重々承知しているつもりだ。

また、全国チェーンを運営するときに、俺みたいな経験の蓄積で売るような人間を育てるより、本部がすべてパッケージを用意したほうが効率がいいことはまちがいない。専門の人間がそれだけ必死に考えてつくったものから、悪いはずがない。なぜ昔はあんなことになってたんだよむしろ

ただ、思うことがある。

本部はよく「商売人」というようなことを口にする。実際に店を経営している以上は商売であることはまちがいない。しかしまあ、ここでは含意があるだろう。おそらくは俺がその典型的人間であるような、そういう要素が。

でも、昨今の本部の動きを見てると、目指しているところは真逆だ。昨日まで素人だった人間に、どうやったら効率的に店を運営させられるか、というところを目標にしているようにしか見えない。もともとフランチャイズというのはそういう前提でできてる。でないと、店舗数を拡大できない。拡大できないということは、フランチャイズにとって死を意味する。

くどいようだが、俺はこのことを別に悪いとは思っていない。はてなでは基本的本部悪者で、まあ実際、個人的本部に対して思うところはいろいろいろいろいろあるわけだが、少なくとも「全国的に、だれが使っても便利な店を、均質に提供する」という点では、一点もまちがっていない。

ただ俺は、今後も、自分で考えて、自分おもしろいと思える店をつくり、その結果を自分で受け止める。それを続けていく。なぜなら、そのやりかたでも別に今後も食っていけるからだ。そのほうが退屈しないからだ。おそらく、今後のコンビニで求められているのは、俺のようなタイプ人間ではない。商売人としての資質は求められていない。この世に存在する、コンビニ経営者ではないほとんど大多数の人間にとって、それはとても便利な状況だ。俺も、いまは店やってるからあんまり考えないけど、自分がただの生活者になったとき、逆にこうした高度なサービス提供する身近な生活拠点が隙間なく立地していることをありがたく思うに違いない。

でも、個人としてはつまんねーなーとも思う。

まだ渋谷しか東急ハンズがなかった子供のころ、たまに行けるハンズで上から下まで舐め回すように見るのが大好きだった。金がなくてくもソニプラ(いまはプラザだけど)を見るのは楽しかった。近所の地元資本スーパーも、イオンも、地元百貨店のやる気の感じられない5階あたりも、もうなにがなんだかわからない雑多なことになってる古本屋も、とにかく俺は「ものを売っている場所」がとても好きだったのだと思う。

もちろんコンビニはいうまでもない。売場とか陳列とか死ぬほど汚ねえわりに、立地だけは凶悪にいいからアホみたいに商品が入ってるような店も、創意工夫で完全にコンビニを逸脱してるような店も、ドヤ街の真ん前にあるもんだからワンカップの安物焼酎が5段とか置いてあるようなわけわからない店も、おかずと白飯割合絶望的で白飯余ってどうしようもない失敗弁当を掴まされたときも。まあサークルKだけど。

いま、コンビニからはそういうアクのようなものは消えた(まあ特殊立地ってのはいまでも健在ではありますが)。弁当はおいしくなった。パスタだって500円オーバーのものはそこそこの味を出してくる。カウンターフーズはけっこうな開発費かけておいしいものを作ってくる。ハズレを掴まされる機会は減った(ないとはいわない)。それは最適化の結果だ。正しい。アクやら隙間やら、そういうもの生活者にとって余分なものだ。

ただ、なんだろう。俺はきっと自由時間が増えても、1日で何軒もの店を回ってあるくようなことはしないんだと思う。まあ、気に入らないんだよな、早い話が。だから俺だけは、わけのわかんねえ店をつくってやると、ずっと無駄努力をしてる。いや、稼げるからやってんですけど。商売からね。稼げなかったらやらない。

ハズレ弁当を掴まされた日、あれはもう30年前になると思うんだけど、いまでもよく覚えてる。車のなかで友だちと食った。「わけわかんねえ」と爆笑してた。もちろんそれは仕事の合間でもなかったし、400円の金も無駄にできない、払った金に見合った商品価値提供してくれなきゃ腹が立つ、というほど切羽詰まった状況でもなかった。きっとあの弁当は売れなかっただろう。失敗作だ。

俺は、ああい爆笑現在もできるんだろうか。

  • はてなの某名物店長じゃないのか~がっかりだ こないだパニックになって死ぬしかないっていってたからもう店長やめたのかな 安否が知りたかったんだが   それはそれとしてワクワク...

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