あの人を訪ねたい 水樹奈々
歌手として、声優として大人気の水樹奈々さん。ラジオのパーソナリティーやナレーターも務める。平成29年開催の愛媛国体に向けてイメージソング「えがおは君のためにある」を歌い、伊予観光大使(いよかん大使)として活躍するなど、地元・愛媛に関しても、精力的に活動している。水樹さんのその原動力について聞いた。
父の夢を託され「のど自慢荒らし」の日々
幼少時代から毎日欠かさず歌い続けているという水樹奈々さん。歌うことを始めたのは5歳だった。演歌歌手を目指した父親の夢を託され、自宅で毎日のように〝猛特訓〟を受け続けた。
「試験があっても、体調が悪くてもお構いなし。毎日、父独自の歌のトレーニングがありました。門限は夕方5時で、友だちと遊ぶ時間もありませんでした。書道教室に通っていたのですが、これも将来サインを書くときに恥ずかしくないようにと。全てが演歌歌手になるための生活でした。衣食住と同じように歌があって、歌うことは自分が自分でいる証し。私の細胞に染み込んで、切っても切れないものになっていきました」
地元では歌が上手な小学生として知られ、「のど自慢大会荒らし」と呼ばれるまでになる。そんな水樹さんにビッグチャンスが訪れたのは中学2年生のとき。東京の芸能プロダクションから声が掛かったのだ。だが、条件があった。「せとうちのど自慢10周年記念全国大会」で優勝し、グランドチャンピオンになること。実力のある大人たち相手に勝ち抜き、頂点に立たなければならず、そのときはいつも強気な父親でさえも、弱気な一面を見せた。それでも「優勝できなかったら夢が絶たれる」と家族一丸となって大会に挑んだ結果、優勝の栄冠を手にする。明るい未来への切符を手に、故郷の愛媛県新居浜市を後にした水樹さん。上京後は、芸能活動コースのある堀越高等学校に入学し、本格的な芸能活動がスタートするかに見えた。
さまざまな苦難乗り越え声優と歌手の夢かなう
だが、デビューはなかなか決まらず、芸能活動コースの生徒でありながら学校は〝皆勤賞〟だった。先生からも「デビューはいつ?」と聞かれるほどで、悔しく、なす術のない日々を過ごした。
それでも、水樹さんはくじけなかった。所属事務所倒産の危機や極貧生活などの苦労を乗り越え、奨学金を取得するほどの好成績を維持し続けた。高校2年からは声優の専門学校にも通い始める。小さいころから演歌と同じくらい好きだったアニメソングや、声優という職業にも興味があり、自ら二足のわらじを履くことにしたのだ。そんな活動が、高校3年のときの声優デビューにつながる。そのキャラクターソングのレコーディングで、歌唱力の高さが見出され、仕事も増えていった。インターネットラジオ「JAM STATION」で担当した番組「ななチャンネル」内で自主製作CDをリリースし、20歳の誕生日を記念してファースト・ソロ・ライブを開催。これがレコード会社の目に留まり、歌手デビューのきっかけとなった。声優と歌手、どちらの夢も手放さずに真摯(しんし)に取り組む姿に、次第にファンも増えていった。そして平成21年29歳のとき、NHK紅白歌合戦の出場を機に、さらに人気が加速する。
「月曜日から金曜日まで声優のお仕事をして、土日は歌手としてライブをすることもあります。そのライブでのバンドは大所帯で、ツインドラムやクアトロギター、それにダンサーもいるという状況です。それに負けない声量とパフォーマンスが求められるので、強い喉と基礎体力が必要でした」
とはいえ、幼少時代に受けた父親の特訓のおかげで、喉は自他ともに認めるほど強靭(きょうじん)だと笑う。
「父は歌唱講師の資格も取っていたのですが、トレーニング法は全くのオリジナル。歯科技工士だった父の仕事場が歌の練習場所で、義歯を削るドリルやコンプレッサーの爆音と粉塵の中で毎日歌っていました」
「練習を一日休んだら三日後退する」という教えは今も生きており、喉は日々セルフケアするが、決して過保護にはしない。
「マイクの調子がとか、空気が乾燥しているからとか、言い訳しても始まりません。どんな場所でも、マイクに頼らず、そのときの最善の歌を、声を、届ける。そのためにも喉を使い続けないと」
何足ものわらじを履き「いよかん大使」で地元PR
これまで声優としての出演はテレビアニメで120本以上、劇場アニメやゲームも含めれば200本は軽く超え、映画やテレビドラマの吹き替えも数多くこなす。歌手としても200曲以上歌い、テレビアニメなどのオープニングやエンディングテーマも多い。
声優と歌手はともに声を使う職業とはいえ、似て非なるもの。レコーディング一つとっても全く違う。アニメのアフレコはスタジオ内が無音で、アニメも未完成で効果音もない。場面を想像してせりふを言うのが通例だ。
「例えばロボットに乗って、空から20m先にいる相手にどう叫ぶか、自分の想像力が頼りです。『大好き』というせりふも、どんな子が、どんな状況で、どう思って言うかをイメージできていないと。キャラクターには生年月日や身長、体重など細かい設定があるので、それを全て理解して、想像して、なりきるようにしています」
作中で片思いをしている相手の声優とは距離を取ったり、男の子の役なら自らもボーイッシュなファッションにするなど、役に徹することを心掛けているという。
歌手としてレコーディングやステージに臨むときは「素の自分」だと言うが、歌の世界も表現して歌い上げる〝想像力〟が求められる点では共通しているようだ。
「歌はそのときの自分が出てしまうんです。嘘がつけません。譜面をなぞって上手に歌うだけではなく、言葉を大切に歌の世界を表現するようにしています。人の醜さも受け入れて『人はかわいい』と歌い上げた美空ひばりさんの想像力、表現力はあらゆる仕事のお手本です。落ち込んでも、浮かれてもいない、常に穏やかな気持ちでありたいです」
数多くの作品に関わってきた中で、声優としては平成17年放映の『バジリスク〜甲賀忍法帖』が、歌手としては21年、父親が他界した7日後に書き上げ、紅白初出場時に歌った『深愛』がターニングポイントとしてある。
「『バジリスク』は時代劇で、ベテランの声優さんぞろい。話し方、テンポ、息遣い一つとっても勉強になる貴重な現場でした。収録はテストなしの一発本番で、もし間違えたら他の方も録り直し。良い意味で緊張感がありましたね」。『深愛』は恋愛がテーマだが、「私のステージを一度も見ることなく亡くなった父への思いがたっぷり込められています」と語る。
今や二足どころか何足ものわらじを履く水樹さん。地元の愛媛県新居浜市の「ふるさと観光大使」に続いて、24年には「伊予観光大使」(いよかん大使)にも任命され、愛媛県のPR活動にも取り組む。「愛媛はおいしいものがたくさんあります。今おすすめなのは『じゃこかつ』かな。お酒のおつまみに最高です」。そして、最近購入したロードバイクで、しまなみ街道を走りたいと語る。
7月にニューシングルを発売、9月には大の阪神ファンである水樹さんが「聖地」と呼ぶ阪神甲子園球場での念願のライブも控えている。さらに来年の愛媛国体のイメージソングも担当する。「この曲は一般公募で生まれました。愛媛の景色や、たくさんの方が耳にすることを想像しながらも、私らしさも出していきたい」と、自曲との違いを繊細に感じ取って挑む。地元への思いを胸に、水樹さんはいつだって全力投球だ。
水樹奈々(みずき・なな)
声優・歌手
昭和55年愛媛県生まれ。「せとうちのど自慢10周年記念全国大会」でグランドチャンピオンに輝き、高校入学を機に上京。平成9年声優としてデビュー。12年シングル『想い』で歌手デビューし、4年後にオリコンチャート初のトップ10入り。21年にはアルバム『ULTIMATE DIAMOND』がオリコンチャート1位に輝き、声優初の東京ドームでのコンサート開催やNHK紅白歌合戦出場(以後6年連続)を果たす。14年から続くラジオ番組「水樹奈々 スマイルギャング」のパーソナリティーや、テレビ番組のナレーターなど活動は多岐にわたる
公式ホームページ http://www.mizukinana.jp/
写真・後藤 さくら
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