全米抗議デモ、ついにトランプは「宗教保守」からも見放され始めた

アメリカと「宗教」の複雑な関係
井上 弘貴 プロフィール

カトリックから現在は東方正教会に転じているドレアは、社会の世俗化がとどまるところを知らず、信仰を持つ者たちの価値はもはや既存の社会のなかでまったく守られない状況が極まっている現在、聖ベネディクト(6世紀に信仰を守るために修道院制度を確立した、ベネディクト会の創設者)が中世の時代に自給自足的な共同体をつくり、そこで信仰を守ったように、われわれもまた同じ志をもつ者たちで集まって宗教共同体をつくり、そのなかで生活して家族や子どもたちを守るべきであるという「ベネディクト・オプション」という構想を主張してきた。

そのドレアにとって、信仰をパフォーマンスの道具として利用するトランプ大統領は、もはや見限るしかない存在にみえたことだろう。

ただし、ドレアは暴動にも強い拒否感を示している。民主党やメディアが暴動に甘い態度をとり続けるならば、人びとはトランプに投票するだろうと追記している。この追記は自分自身に言い聞かせているようにもみえる。ドレア個人の信仰と信念に揺るぎはないものの、宗教保守全体にとっては、トランプをどこまで支持すべきか否か、望ましい選択をめぐって、この秋の大統領選を前に悩みは深いと言える。

 

信仰による友愛と連帯

アメリカにあってキリスト教の信仰は、個人と社会のあるべきヴィジョンを示し、時に人びとを苦難に耐えさせ、時に人びとのあいだに霊的なつながりをもたらし、時に人びとを不正義に抗して立ち上がらせてきた。

この点で、さまざまな宗派の違い、保守と革新の違いはあれども、信仰の核にあるものは変わらない。保守的な自然法論者であるロバート・P・ジョージと、左派の行動的知識人であるコーネル・ウェストが、政治的にはお互いに対極的な立場にありながら親交を保ち、折にふれて対話をしているのは、それを象徴している。

今日、アメリカを覆っている分断はかつてにも増して根深く、そのあいだを架橋することはもちろん容易なことではない。ただ、アメリカが信仰とともにみせる友愛と連帯の強さには、驚くべきものがある。アメリカがこの危機のなか、その強さを発揮する可能性は十分にある。