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TOTOの「アフリカ」は いかにして〈みんなのうた〉になったのか

ベタでエモーショナルなこの曲がリリースされてから36年。ネット上では、この曲への皮肉ゼロの純粋な愛が溢れてやまない。

by Jessica Furseth
17 December 2018, 9:38am

カリフォルニアのロックバンド、TOTOによる「アフリカ」は1982年のヒットソングだが、私はこれまで、この曲について真剣に考えたことはなかった。「アフリカ」は、当たり前のようにそこにある曲だった。

しかしある日、この曲は唐突に私の目の前に現れ、私の心を奪った。あれは真夜中、アムステルダムの街を走っていたときのことだ。私はタクシーの後部座席に座っていた。それは暑い夏の日で、楽しい仲間たちと楽しいひとときを過ごした私は、極上の赤ワインで酔っていた。すなわち私は、この80年代のヒットソングに魅了されるための準備が充分に整っていたわけだ。この曲の嘘偽りないメランコリーが、人生を彩る完璧なサウンドトラックとなった。

こうして「アフリカ」にハマった私だが、同じようにハマっている仲間がいると直ちに気づいた。この曲はネット上で大人気で、ミーム状態となっていたのだ。4分55秒の壮大なこの曲は、インターネットの住民たちを魅了する〈マタタビ〉のようだった。その理由は、何といってもまず、曲のなかにある。「アフリカ」はただの曲ではない、感情だ。イントロは静かなので、タクシーのなかで聴いていた私は、これが「アフリカ」だと気づくのに少々時間がかかった。キーボードに乗せて、「I hear the drums echoing tonight(今夜 僕の耳に太鼓の音がこだまする)」と歌うデヴィッド・ペイチ(David Paich)の優しい声が聴こえると、私の耳は、車内に響き渡る彼の真剣な声に夢中になった(あの瞬間、世界中が彼の声に夢中になっていたのかもしれない)。そしてサビ前の「Hurry boy, it's waiting there for you!(急ぎなさい 若者よ/それはお前を待っている)」が聴こえると、私は何となしに続けていたタクシードライバーとの会話を切り上げ、サビを待った。「It's gonna take a lot to drag me away from you!(僕を君から引き離すのは大変だ)」と分厚く壮大なコーラスが聴こえてきたときには、私もいっしょに歌っていた。

リリースから36年経った今、ネット上では、このベタでエモーショナルな曲への、皮肉ゼロの純粋な愛が溢れている。Twitterには、この曲の歌詞をツイートする「アフリカ」ボットが存在し、公式MVを延々と流すサイトもあった(YouTubeにもいくつかループビデオがある)。またこの曲は、これまで様々なCMやTVシリーズに使用されてきた。記憶に新しいのは80年代ノスタルジー満載のSFドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』(Stranger Things)だろう。また、米国の長寿アニメ『South Park』、NBCのシットコム『コミ・カレ!!』( Community)、同じくNBCの人気トークショー『The Tonight Show with Jimmy Fallon』などで、パロディとして歌われている(しかも『コミ・カレ!!』ではベティ・ホワイト(Betty White)、『The Tonight Show』ではジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake)が歌っている)。更に今年の春には、〈@weezerafrica〉というファンのツイッターアカウントからのリクエストにより、WEEZERによる「アフリカ」カバーが実現し、Billboard Hot 100では89位にランクイン。WEEZERにとって2009年以来のシングルヒットとなった。

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この曲に寄せられているのは、皮肉ゼロの好意だ。Twitterで〈アフリカ TOTO〉と検索すれば、スクリーンは幸福と愛に溢れたコメントでいっぱいになる。「TOTOの『アフリカ』の魅力を具体的に説明することはできないけど、これを聴くと、自分は何でもできるような気がする」。「TOTOの『アフリカ』を聴くのが朝の日課だから、それが終わるまで邪魔しないで」。「もしストレスを感じてるなら、TOTOの『アフリカ』という曲が存在していたことを思い出してほしい」…。

称賛のコメントは枚挙にいとまがない。

シカゴのポップミュージック愛好家、ニック・デジデリ(Nick Desideri)は、「アフリカ」はインターネットの住民にとって特別な位置を占めている、と証言する。彼が2017年11月に発表した、イケてる曲とイケてない曲を分布させた〈良曲の統合理論(Unifying Theory of Bops)〉のグラフは、大きくバズった。その翌日、彼はこうツイートした。「みんなおはよう、リプライが50人以上から来てるけど、全部TOTOの『アフリカ』についてだ」

「TOTOの『アフリカ』以外では、ビヨンセの『Love On Top』に異論が殺到しました」とデジデリはメールインタビューで言及した。彼によると、大多数のコメントが彼のグラフを支持してくれているそうだが、いらだちをあらわにする「アフリカ」ファンも数多くいたらしい。彼らは、「アフリカ」の評価がこんなに低いグラフなど信用できない、と主張しているそうだ。「TOTOの『アフリカ』は今ミーム化していますから、不満の声が上がるのも納得です。ただ、意見の本気度にはさすがに驚いてます」とデジデリ。

TOTOの押しも押されもせぬ名曲「アフリカ」が、新曲との比較に利用されることがあるのも、この曲への愛ゆえだ。例えば、2017年8月、テイラー・スウィフト(Taylor Swift)がアルバム『レピュテーション』( Reputation)からの初シングル「ルック・ホワット・ユー・メイド・ミー・ドゥ~私にこんなマネ、させるなんて」( Look What You Made Me Do)をリリースしたとき、ロンドンのジャーナリスト、モリー・グッドフェロー(Mollie Goodfellow)のツイートに約6万もの〈いいね〉が集まった。ツイートの内容はこうだ。「TOTOの『アフリカ』なら1回聴けば夢中になるんだから、テイラー・スウィフトの新曲を〈好きになる〉ために6回も聴いてられない」

おっしゃる通りである。

それにしても、どうやって「アフリカ」は、ネットで愛される曲になったのだろう。この曲が米国のBillboard Hot 100の1位を飾ったのと同じ1983年は、マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」、デヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』( Let's Dance)、プリンスの『1999』などがチャート入りした年だ。これらのアルバムやシングルは、もちろん今もなお人気を博し、評価も高い。しかし独立した1曲である「アフリカ」はひそかに、それらを抜いた地位に収まっている。ベタであるからこそ、ミームづくりが得意で、ハッピーで有益なインターネットコミュニティの関心を惹いたのだ。

「『アフリカ』は、まさに80年代らしい曲です。完全に時代を反映しています」と指摘するのは、ロンドンの広告代理店BMBのエグゼクティブデジタルディレクター、ベン・ラント(Ben Lunt)。ラントは80年代後半の幼少期、この曲が「超ダサい」とされていた時期を覚えているというが、今やこの曲は、彼にとっても「公言しづらいけど好き」な曲だという。「『アフリカ』は世代を超えています。私の世代なら、真正のノスタルジーを感じますし、若い世代も、追体験的なノスタルジーを覚えるんです」とラント。彼によると、若い世代が「アフリカ」を好むのは、自分が幼い頃に両親が聴いていた音楽を思い出すからだという。「そういう幼少期とのつながりが、彼らに安心を与えてくれるんです」

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もちろん曲自体の完成度も、この曲の人気に寄与している。力強いドラムループ、幾層にも重なったハーモニー、聖歌のようなコーラス。歌詞の意味はちょっとよくわからないが、80年代の曲はだいたいそう。全ての歌詞がナンセンスだ。しかしラントは、だからこそ「アフリカ」がネット上で生き残っている、と断言する。ミームは、みんながそれぞれの解釈をできる余地を有していなくてはならない。曖昧だからこそミームは広がる。「ただ、通常ミームになるのは、様々な〈アレンジ〉を施すことができるモノです」とラント。「でも『アフリカ』のアレンジバージョンは多くありません。みんな、幸福と愛を表現するさいに、この曲をそのまま使用しているだけです」

TOTOのキーボーディスト、デヴィッド・ペイチと、ドラマーのジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)は、この曲をつくった当時、アフリカに足を踏み入れたことがなかった。1992年に死去したポーカロは、歌詞についてこのように説明した。「白人の青年がアフリカについての曲を書こうとした。でもアフリカに行ったことがない彼に書けるのは、TVで観たイメージや、これまでの記憶だけ」。「アフリカ」は、アフリカ大陸についての曲であるはずがない。いち度も行ったことのない場所についての空想、あるいは追体験のノスタルジーを歌った曲なのだ。

「『アフリカ』は、当時の文化状況の産物です」と指摘するのは、南カリフォルニア大学(University of Southern California)でインターネットを研究するケイト・ミルトナー(Kate Miltner)。サビの「I bless the rains down in Africa(アフリカに雨が降りますように)」という歌詞は、80年代前半に発生したエチオピア飢饉を念頭に置くと意味がわかる、と彼女は説明する(エチオピア飢饉では、「ウィ・アー・ザ・ワールド」(We Are The World)や「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」(Do They Know It’s Christmas?)などのチャリティシングルが生まれるなど、世界の反応も大きかった)。「アフリカ」に表れているのも、白人的、西洋的なアフリカ大陸の見方だ。MVにも、もし現代に発表されていたら大バッシングを受けるであろう、アフリカのざっくりしたイメージが満載である(ちなみにテイラー・スウィフトは「Wildest Dreams」のMVでそれを思い知ったはずだ)。

文化盗用やホワイトウォッシュといった、論争を引き起こす文化的行為に殊更厳しいのがインターネットだ。そう考えると、オリジナルメンバー6人全員が白人のバンド、TOTOがつくった「アフリカ」に対する批判の声がそこまで大きくないのが不思議だ。ミルトナーはその理由について、歌詞の曖昧さを指摘する。歌詞をざっと読むと、「これは、ある女性に好意を寄せている男性の歌に思える」とミルトナー。さらに、この歌には神話的な部分もある、と彼女はいう。例えば「As sure as Kilimanjaro rises like Olympus above the Serengeti(セレンゲティを見下ろすオリンポスがごとく/そびえたつキリマンジャロのように)」という歌詞は、地理的に不可能だ。「論理的なストーリーを構築するというより、感情を引き起こす曲なんです」と彼女は付け加える。

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今や「アフリカ」は少々ベタな曲として認識されているが、もともと100%真剣につくられた曲だ。「現在、インターネット文化では真面目で純粋なモノをありがたがる傾向にあります。犬やシカが甘える写真に〈この世界にはピュアすぎる〉というキャプションがついていることはよくあるでしょう」とミルトナー。この曲がネットで愛されているのは、〈真摯であること〉が社会的に広く認められている今の時代の性格もある、と彼女は指摘する。

もちろん80年代は80年代で、社会的、政治的な問題があった。しかしミルトナーは、TOTOの「アフリカ」がインターネットでバズったもうひとつの理由として、現在の政情を挙げる。実に真摯な、懐かしいこの曲は、決して〈クール〉ではない。でもそれが良いのだ。私たちはこの変な歌詞を大声で歌い、無条件で愛することができる。真夜中のアムステルダムを走るタクシーのなかで、私がこの曲に心を奪われたように。

ミルトナーはいう。「変な時代を生きている私たちに、カタルシスを与えてくれる曲なんです」

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オンライン飲み会のしんどさについて専門家に訊いてみた

「自粛期間中も友人が恋しくならない僕って、性根が腐っているのでしょうか?」

by Vincenzo Ligresti; translated by Ai Nakayama
19 May 2020, 8:20am

Illustrazione di Matteo Dang Minh.

質問: ロックダウンが始まったばかりのころは、誰もがグループでのビデオ通話に熱狂していました。それが、家族や友人たちと集ったり飲んだりして、ひととの距離を近くに感じられる唯一の手段だったから。でも僕は、割と早い時期からオンライン飲み会にしんどさを覚えるようになりました。最近では通話を終えるごとに、自分は何も大したことを言わなかったし得られなかったと感じてしまいます。なんなら頭痛さえします。大丈夫なのは一対一のビデオ通話のときだけです。

それだけじゃありません。僕はこの状況に順応してしまっています。自分の頭の中でいろんな声が響いているし(それは常にいいこととは言えませんが)、それさえあればいいような気がしています。完全に他人とのやりとりを断っているわけでもありません。メッセージには自分のペースで返信しています。だけど、こう考えずにはいられないんです。思ったよりも友人が恋しくならない僕って、性根が腐っているんじゃないか、と。それともこれは単純に、僕が自立した大人であるということなのでしょうか。

心理学者/心理療法士 ジャンルカ・フランチオーシからの回答:

確かにロックダウンが始まった頃は、グループビデオ通話の新奇性に誰もがワクワクしていましたね。多くのひとが、グループビデオ通話を他人と繋がるための手段として、〈新しい日常〉に向き合っていくために役立つものとして、強迫観念的ともいえるかたちで捉えていました。しかしビデオによるグループでの会話は、日々のタスクと同じような、時間を埋めるだけのものとなってしまい、結局ストレスの源になる可能性すらあります。

オンライン飲み会は、リアルな友人との飲み会の代わりにはなりません。友人の顔や表情を見ることができるとはいえ、実際に近くにいるわけではないですし、触ることもできません。さらに、ビデオ通話の最中は、自分が、自分を含む全員に見られているという感覚になる。実際の飲み会では、最初にふたりと話して、そのあとまた別の2〜3人と話し、そしてまた次のひと、というふうになるので、みんなが常に自分、あるいは自分の背景に映っているプライベートな空間に注目しているという意識は抱きませんよね。

親密で近しいひとと一対一で話しても、しばらくすれば疲れることがあります。今は毎日変わり映えしないですし、ニュースだってそう。そのため議論するテーマも、お互いに報告し合うこともそんなにありません。それに、ビデオ通話をしているさいに起きる技術的な問題も気にする必要がある。接続が悪いとか、音声が途切れてしまったとかで、場の雰囲気が壊れてしまうこともありますよね。最初はそういった問題も気にしないかもしれませんが、時間が経つにつれて、会話に集中するのが難しくなります。

概して、質問者さんがおっしゃる内容は当然のことだと思います。ただ、あまり気にしすぎないほうがいいですね。誰かを恋しく思わないからといって、成熟しているというわけではないですし、自分ひとりでいたいと思うことは、必ずしも自立とイコールではありません。社会的な接触は人間にとって重要です。でも、こんな時期には、自分のニーズをもとに他人との接触を改めて調整してもいいでしょう。ひととのつながりを減らしたいと思うのは、ロックダウンが始まって以来の〈質より量〉的なコミュニケーションからのデトックスなのかもしれません。

あなたは今、自分の愛するひとを恋しく思わないからではなく、人間関係が環境によって制限されているからこそ、ひととのやりとりを煩わしく思っているのだと私は考えます。もし人間関係を枯渇させたくないと思うのであれば、例えば同じ映画をみたり、いっしょにリモートで運動してみたり、同じ記事を読んでみる、というようなことを試すのがいいでしょう。でも、無理にする必要はありません。今は断ることが難しい時期だとは思いますが、ノーと言うことがメンタルヘルスに必要な場合もあるので。

This article originally appeared on VICE Italy.

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パンデミック映画のファクトチェックをやってみた

遠からぬ未来、この世界は『アウトブレイク』『コンテイジョン』『28日後…』などのパンデミック映画で描かれるようなディストピアになってしまうのだろうか?

by Annie Lord; translated by Ai Nakayama
01 May 2020, 2:42am

Photos: 'Contagion' Trailer

映画は必ずしも現実に即してはいない。ハリウッドでは、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のオタクがチアリーダーとセックスすることもできるし、ホホジロザメが島の住民を襲撃することもできる。鳥の大群が人間に襲いかかることもあるし、細長い指のハゲた宇宙人が、空を旋回することだってある。

しかし今の状況を鑑みると、私たちはまるで映画館でお金を払って観る世界のなかに生きているような気がしてくる(まあ、何百万人が『Bargain Hunt』(※BBC Oneで放映中のお宝発掘番組)を観ながらジンジャービスケットをバカ喰いしている様子を描いた映画がヒットするとは思えないが)。

私はよく、人類の危機を描いた映画作品を観てはそのストーリーに震えていたが、今は自分が友だちと会うことで私たちのなかの誰かが病院行きになってしまう危険性があるため、友だちとはビデオ通話でしか話せない。TVをつけると、映画『コンテイジョン』のキャストが安全でいるためのアドバイスを送っている。今にもウィル・スミスがリビングの窓を破って家に入ってきて、「早くこのヘリに乗れ!」と叫ぶのではないか、と思うような世界だ。

私たちがスクリーンで観て怯えていたディストピアに、今の世界はどれほど近づいているのだろう。それを知るべく、私はふたりのウイルス学者に、3本の人気パンデミック映画のファクトチェックをしてもらった。ぜひ読んで、泣き喚いてほしい。こんな世界で泣き喚いていないひとなんていないかもしれないが、いずれにせよ、今は頑張るしかない。

『28日後…』(2002)

VICE:『28日後…』では、人間を凶暴化するウイルスの感染が広まります。このように、感情がウイルスに支配されることはありえるのでしょうか?
ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン ウイルス学 ディーナン・ピレイ教授:いえ、あり得ません。ただ、ウイルスへの反応が凶暴性というかたちで発現することはあります。狂犬病は神経系に影響するので、自分でコントロールできなくなり、錯乱状態になるなど特徴的な症状が出現します。それが怒りというかたちで現れる可能性はありますね。

本作では、感染者に噛まれてから20〜30秒で症状が現れますが、そんなに早く症状が出るウイルスは現実に存在するんでしょうか。
感染者が噛むことで感染するウイルスはありますが、そこまで早急に症状が現れることはないですね。ウイルスは増殖する必要があり、増殖には時間がかかります。まず、人の生きた細胞に侵入しないといけません。口のなかの粘膜を通して侵入することが多いです。そこから他の細胞へと広がっていきます。インフルエンザだと、何らかの自覚症状が出るまでに24時間はかかります。瞬間的に症状が出るものは毒素だけです。毒ヘビに噛まれれば数秒で麻痺してしまう。でも毒素は神経系に影響を与えるタンパク質なので、ウイルスとは違います。

本作のウイルスとCOVID-19との違いは?
COVID-19は、症状が出るまでに4〜7日、あるいはそれ以上の日数がかかります。そんなにすぐに症状が出ることはありません。

『アウトブレイク』(1995)

VICE:本作で描かれるような、密輸されたサルのベッツィから、カリフォルニアの小さな町でのアウトブレイクへとウイルス感染が拡大していく、というシナリオはどれほど現実的なのでしょうか。
ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン 感染症研究者 ジェニファー・ロン博士:新しいヒト病原体が多くの場合動物由来だということは、現在の新型コロナウイルスのパンデミックをみれば明らかです。COVID-19はコウモリ由来だと考えられています。HIVは、1950年代のコンゴ民主共和国でHIVに感染したチンパンジーの肉に人間が接触したことが起源となった説が有力なので、チンパンジーから人間へ感染したウイルスです。

『アウトブレイク』の〈モターバウイルス〉のモデルになったエボラウイルスは、フルーツコウモリ、また人間以外の霊長類から定期的に感染が広まっていると考えられています。映画では、ウイルスは当初唾液や血液を介して感染していきますが、それは実に妥当な感染経路です。映画の設定のなかで唯一非現実的なのは、オマキザルをアフリカに棲息させたことです。このサルは〈新世界ザル〉と呼ばれ、南米に棲息しているので。また科学者が、1匹の小さなサルの血清の抗体をベースにした治療薬を数時間で完成させて、町の住民にそれを接種するというのも不可能です。でも現実には不可能だからといってハリウッド映画を責めるなんて面白くないですよね。

シーダークリークでは握手がウイルス感染の経路となりました。現実でもそういうことは起きますか?
本作ではウイルス対策が徹底していないと思わざるを得ない所作が散見されます。ウイルス感染が拡大している場所で握手をしたり、すでにウイルスと接触した防護服を着た人物が何の防御もされていないひとと接触したり。映画制作にリアリズムを持ち込みすぎたらシナリオの力が弱まってしまうとは思いますが。バイオセーフティーレベル4の防護服は1990年代当時としては実に正確だと思いますが、しっかり空気が入っていないようにみえます。

作中では、米国陸軍がモターバウイルスを生物兵器として保管していることが判明しますが、こういうことは実際に起こっているのでしょうか?
もし私がその答えを知っていて、ここで答えてしまったら、あなたは殺されちゃいますよ! でも実際、これまで炭疽菌など生物兵器を使用した国はありますし、そういう研究がどれほど進んでいるのは誰にもわかりません。ただ、それらの予防となる対抗策の研究も進んでいるとは思いますけどね。もちろん、生物兵器は国際法で禁止されています。

将来、こういったことが起きる可能性は?
パンデミックは何度でも繰り返される、というのは確かだと思います。私たちが暮らすのはグローバル化が進み、ひとが溢れる世界ですし、人間はどんどん未開の地へと入り込み、これまで私たちが、そして私たちの免疫システムが触れたことのない動物や微生物に出会っています。来たるべきパンデミックが『アウトブレイク』で描かれたような惨事につながるかどうかは、ウイルスのタイプや危険性によって決まるでしょう。

本作では、当初接触感染で広まっていたウイルスが突然空気感染するようになり、インフルエンザのように広がりました。ウイルスがそのように突然変異することはあるのでしょうか?
ウイルスは変異します。ゲノム核酸としてDNAではなくRNAをもつ場合は特にそうです。様々な理由により、RNAのほうがウイルス複製サイクルで誤ったコピーが発生しやすいので。例えば毎年新しいインフルエンザの予防接種をしなくちゃいけないのは、インフルエンザウイルスが多様に変異するからです。絶えず外被タンパク質を変化させ続けて、人間の免疫システムを騙すんです。また、鳥や豚などの動物の細胞に侵入した際に、ウイルスがピックアップした宿主の遺伝子と交じり合い、一体化していきます。変異の程度が高ければ高いほど、ウイルスの毒性は強まります。1918年に発生し、世界に大ダメージを与えたいわゆる〈スペインかぜ〉などをはじめとするインフルエンザのパンデミックも、様々な動物を介してウイルスが変異していったために起こったとされています。

HIVのようなレトロウイルスは、何百万もの異なる種が患者の体内で〈群れ〉として存在します。変異率が非常に高いため、同じ構造のHIVウイルスというものはありません。雪の結晶のようなものです。

そうはいっても、血液や唾液を通して感染するウイルスが空気感染をするようになるまで変異するには、多くの高いハードルを超える必要があります。まず呼吸器の細胞に侵入することができるよう変異しなければいけないし、咳をすることで次の被害者にウイルスを撒き散らすようにしなければならない。エボラウイルスのようにすでに感染が拡大していた場合は、より入念な変異のための進化的選択を強いられることはありません。また、外被タンパク質をより強化する必要もあります。空気中で長く生存するのは容易ではないので。でも、起こる可能性は低いといえど、ウイルスに関しては〈絶対〉はありません。

ウイルスの感染拡大を防ぐため、米国陸軍はシーダークリークの爆破を計画します。実際、そういった過激な措置が講じられることになる可能性はありますか?
ないことを祈りたいですね。

この作品で、特に博士が感銘を受けたシーンはありますか?
主人公のサム・ダニエルズ軍医大佐(ダスティン・ホフマン)が、上司のビリー・フォード准将(モーガン・フリーマン)に、新型ウイルスについて警戒通達の発令をするよう説得するシーンです。フォードは、ダニエルズがこれまで多くの誤った警戒通達を流してきたから今回も無駄になる、と冷たく一蹴するんですけど、これはまさに急所を突くような回答です。パンデミックを見越した備えのための財源や部署は、近年縮小され続けてきました。その理由は、上層部が深刻な感染爆発なんて起きない、と考えていたからでしょう。いっぽうで、専門家はパンデミックは不可避であると警告を続けてきました。ダニエルズの訴えが聞き流されたように、現実でも科学者たちの声は無視され続けてきたんです。〈顕微鏡レベルの敵〉を過小評価し、適切な備えを怠ってきた代償を、私たちは今払っているわけです。

『コンテイジョン』(2011)

VICE:本作のウイルスは、コウモリの食べかけのバナナを豚が食べたことが発生源でした。コウモリのなかに既に存在していたウイルスが豚のウイルスと交ざり、新しいウイルスへと変異。その豚は屠殺され、その豚を解体していたシェフが、手を水で洗わずにグウィネス・パルトロー演じるベスと握手をした。ベスはその手を口に入れてしまい、ウイルスに感染。この経路は、現実にもあり得ますか?
ディーナン・ピレイ教授:間違いなくあり得ます。新型コロナウイルスも、中国の食品市場で何種類かの動物のなかで交ざって発生したという説があります。市場にはコウモリなど様々な動物がいるので。宿主の動物が死ぬと、その体内でウイルスが生き残っていくことはかなり難しいので、食物の衛生状態が悪く、生きた動物が多くいる場所というのは、ウイルスが感染しやすい環境であることは確かです。

本作で登場するウイルスの致死率は20〜30%でした。この致死率は現実的ですか? それともここまで高いことはあまりないでしょうか。
可能性は充分あります。新型コロナウイルスの致死率は感染者の1%前後ですが、過去にはもっと致死率が高いウイルスがありました。例えば2002年のSARSコロナウイルスは、感染者こそ多くはありませんでしたが、致死率は9.5%。2012年、サウジアラビアで発生したMERSコロナウイルスの致死率は30〜40%です。

本作では、国民にウイルスの情報が広まると株式市場が崩壊し、旅行業界にも大打撃が起こるかもしれない、と危惧した政府が、ウイルスの危険性を控えめに発表します。また、メディアに情報が漏洩しないよう、科学者に治療法の研究の中止を命じました。実際にそういう状況になったことはこれまでありますか?
新型コロナウイルスの感染が広まり始めたとき、いくつかの国では起きている事実を隠すひとがいましたね。それはまさに、旅行業界や経済に与える影響を危惧したからです。中国政府は最初の2週間、このウイルスについてコメントを出しませんでした。被害が深刻化してからの情報開示は早かったですが。

本作のラストでは、アリー・ヘクストール医師がワクチンをつくり、自分に注射します。それで効果があると証明され、一般市民へのワクチン接種が始まります。そんなことは現実に起こり得ますか?
現時点で、科学者たちは市民へのワクチン接種を実現する道のりを短縮しようと努力しています。かつてはワクチン開発に5〜10年かかっていましたが、現在、新型コロナに関しては1年で実現できるようスピードアップを図っています。しかし、あなたが言ったようなことは現実には起きません。ひとりに有効だからといって、それ以上の臨床試験を行わずにいきなり国民全員に接種することはありません。ひとりに効果があっても、全員に効果があるかはわからないからです。

本作に登場する科学者たちが、ひとりの感染者が平均何人に感染させるかという人数を示す〈R-0(基本再生産数)〉について話し合いますよね。最初はゆっくりでしたが、時間が進むに従って、最低4人となります。これはあり得ることですか?
どんどん致死率が上がっていくウイルスというのは基本的にはありません。ウイルスを意識のある人間として考えたとき、彼らの関心は感染者をすぐに殺害することではないはずなんです。なぜなら宿主を殺してしまったら、ウイルスも存在できなくなってしまうから。彼らには宿主が必要なんです。成功したウイルス、すなわち長く生きられるウイルスというのは、病気の原因にはならない。大概のウイルスは、時を経るにつれてどんどん毒性が低くなっていきます。

This article originally appeared on VICE UK.

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10歳のタトゥーアーティスト〈NOKO〉。「大人になってもタトゥーをやってたいな」

わずか10歳にしてタトゥーアーティストとしてデビューしたNOKO。日本のタトゥーカルチャーは異常なまでの抑圧に苛まれているが、そんな環境は意に介さず、タトゥーをただ単純に心の底から楽しんでいる彼女に話を聞いた。

by Yuichi Abiko
23 December 2019, 3:01am

Fixer By Yurina Ishibashi

日本におけるタトゥーカルチャーを取り巻く環境は、『ヤクザ、ダイバシティー、インバウンド!! タトゥーと温泉問題の行方』で紹介した通り。

そんな日本のタトゥー事情にも関わらず、世界最年少だろう日本人タトゥーアーティストがいる。その名はNOKO。彼女の父親は世界的にも著名なタトゥーアーティスト、ガッキン(GAKKIN)。3年前、大阪からオランダのアムステルダムに移住したのを機に、わずか10歳にして、タトゥーアーティストとしてデビューした。

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アムステルダム時間の、日曜日の午前中。お団子ヘアに前髪パッツン。大振りのイヤリングに、総柄のニットを着たNOKOちゃんにスカイプで話を聞かせてもらった。

父親がタトゥーアーティストであるため、タトゥーが身近な環境で育ったことは容易に想像できる。「父さんがタトゥーを入れてるのを、はじめて見た記憶はないけど、多分赤ちゃんのころ(笑)」

タトゥーをはじめたのも両親の勧めから。「ママと父さんが、NOKOの描いた絵が上手いって褒めてくれて、タトゥーもしてみたらって。それではじめたら楽しくて。確か8歳くらいのときかな。オランダに住みはじめたころです」

はじめてタトゥーをした日のことを聞くと「それまでは鳥の絵とかネコの絵とかを描いていて。鳥は日本に住んでいるときに〈こまじろう〉って文鳥を飼っていたから、こまじろうを描いてて。はじめてのタトゥーもこまじろう」と答えてくれた。ちなみに、こまじろうは、オランダに連れてこれず、今は祖父母の家で飼っている。

「はじめてタトゥーをしたのは、父さんだったから、あんまり緊張しなかったけど、はじめてお客さんにタトゥーをしたときは、ちょっとだけ怖かったし緊張した。NOKOはラインを引くのが遅いし、ガタガタになったりするときがあるから。あとで残るし、間違えたらやり直せないし、今でも緊張してます。でも色塗るのは間違ってもやり直せるし、ごまかせるから楽しい(笑)」

タトゥーアーティストのエスター(Esther)から貰ったジョン・ジェームズ・オーディボン(John James Audubon)の画集『MASTERPIECES』を参考に描くことも多い。「いっぱいポーズとかが入ってるから好き。いろんな種類の鳥を描いてあるからすごいなーと思って」

彼女のタトゥー作品のもうひとつの特徴がネコ。この日のインタビュー中には、隣に住むクッキーが姿を現した。「ネコは飼ってないけど、描きやすいし、可愛いから。なんか、最初にNOKOがネコを描いたときに、お客さんがそのネコのタトゥーを入れて欲しいって言ってくれて、そしたら、みんなNOKOのネコが欲しいってどんどんなってきて、それからネコを描くのが楽しくなった」

リボンや花などは、彼女が描きたいものとは少し異なる。8歳まで過ごした日本で観ていたプリキュアなどのアニメの特徴である薄紫、淡い黄色、ピンクなどの色も好きだったそうだが、父親の影響で、黒が主体の絵が好きになっていったという。

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こちらのタトゥーはNOKOが8歳のときに手がけた作品
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こちらのタトゥーはNOKOが10歳のときに手がけた作品

彼女の作品からは、日本の伝統や色彩が感じられる。「ママと父さんの影響が混ざってるかも。ママも色々手伝ってくれるから」。尊敬するタトゥーアーティストを尋ねると、父親以外にもサーシャ・ユニセックス(Sasha Unisex)ニッサコ(Nissaco)を挙げてくれた。「父さんは、お客さんの背中に大きいのを入れててすごいと思う。NOKOは小さいのでも、すごく疲れるから。サーシャは絵も可愛いし、色とかいっぱい使ってるから、すごいなーって思う。ニッサコさんは、細かい線とかキレイにまっすぐに引けるからすごいと思う」

普段はオランダの学校に通っているため、彼女のタトゥーアーティストとしての活動は、主に土曜日がメイン。家から自転車で10分ほどの場所にあるガッキンのスタジオが仕事場だ。オランダ人以外にもイギリス人のお客さんも多く、英語でコミュニケーションをとって仕事をしている。

タトゥーを入れているひとについては、どう思うのだろう。「顔とかにタトゥーが入ってるひとは、ちょっと怖いけど、話しかけたら優しいひとが多いなとは思う。日本やったらタトゥーが入ってると、ちょっと悪いひとみたいに思われるけど、オランダやったらタトゥー入ってても、変なひとだと思われないから。学校の先生とかお医者さんとかも普通にタトゥーが入ってたりするから。NOKOは、まだタトゥーが入ってないけど、ちょっとは入れたいけど、そんなにめちゃくちゃいっぱい入れたいとは思わへん。温泉とかプールとかNOKO好きやから、日本だとタトゥー入ってるひとが、なんで入ったらあかんのかなって思う。NOKOが大人になったら、温泉とか入れるようになったらいいのになーって」

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NOKOちゃんは、他にもいろいろ答えてくれた。「学校の友達がK-POPを好きだから、最近好き」「学校の授業では、何かつくってるときが楽しい」「フィリピンとイランとオランダのこと友達になった」「〈せなけいこ〉の絵本が好きだったの忘れてた」「お寿司、特にサーモンが好き」「狐とか狼とか動物が描きたいなって思う」「NOKOが大人になってもタトゥーをやってたいな」

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