YOSHIKI氏
(株)ジャパン ミュージック エージェンシー/プラチナム レコード代表取締役社長
---9月22日に解散の緊急記者会見を開いて,その後10月15日にライブアルバム,同29日にライブビデオ,11月5日にもう1枚ライブアルバムを,12月19日にベスト・バラードアルバムとラスト・シングルを発表とかなりのハードスケジュールだったんじゃないですか.
YOSHIKI:そうですね.今は(取材日'97年12月24日)31日の東京ドーム公演と,その後のNHK『紅白歌合戦』に向けてのリハーサルの最中で,最後の追い込みといったところです.
---X JAPANとしてはいよいよ最後の仕事となるわけですね.現在の率直な感想を聞かせてください.
YOSHIKI:今はコンサートの直前なので,そのことで頭がいっぱいですね.やはり,最後ということで思い出もたくさんありすぎるほどありますから.
---TOSHIさんとは,それこそ小学生の時から一緒にいて,その頃からバンドを組む約束をしていたという話で,つまりX JAPANというのはYOSHIKIさんが音楽に限らず何かしら自分を表現する時の一番最初の,そしてこれまでずっと続いてきた場所じゃないですか.それがここで無くなってしまうわけですよね.
YOSHIKI:やはり,正直なところ少し混乱していますよね.ただ,冷静に考えてみますと,バンドをやっていた最初の頃はそれでよかったんですけれど,ここ4~5年の間には他の仕事もかなりこなすようになってきまして,そういう経験を積んでくると,かえってX JAPANの枠に閉じ込められてしまっている気もしたというか....
---バンドのリーダーであり,プロデューサーでもあり,レコードの制作からコンサートについても,音楽関係のすべてを全責任を持ってやってこられた,それは結局自分で作られてきた状態なわけですけれど,YOSHIKIさん個人にとってそんなX JAPANがひとつの限界になってしまっていたと.
YOSHIKI:かなり大変でした.
---メジャーデビューする以前から,かなりしっかりとしたセルフ・プロデュース能力を持ってバンドを運営してきたり,プロのプロデューサーとして他のアーティストに接してきているという印象があるんですが.
YOSHIKI:ぼくがいつも意識してきたことは,客観的に自分を見るということなんですね.要するに,東京ドームでのコンサートをソールド・アウトした時,百万枚を売上げた時,そうした時でもどこかで冷静な自分がその状況を外から見ていたんです.だから,例えばエクスタシー・レコードをやっていて様々なバンドに出会ってきた時にでも,ミュージシャンとしてではなく,レコード会社の立場としてそれぞれのバンドを客観的に見れたんですよ.それはもともとそういった能力があったというより,自分でそうあろうと意識的に思い続けた結果なんですが.ですから,ある種冷めている部分が自分の中にもともとあるんでしょうね.それがプロデュースの現場でも役に立っているのかもしれません.
---そうすると,とことんやらなければ気が済まないもう一方のミュージシャンの部分と矛盾する場面が出てきませんか?
YOSHIKI:いや,それと同時に音楽に関しては,とても情熱的なんです.ステージの上で後先考えないことをやってしまうのも,レコーディングで妥協できないのも,すべては音楽をなにより優先していることからくるものなんです.でも,それを冷静に見ているプロデューサーとしての自分がいたから,これまで続いてきたんじゃないかなと思います.逆にそうでないと見失ってしまったと思うんですよね.コンサート・ツアーのチケットも全部売り切れて,レコードもガンガンいっている時っていうのは,誰も悪いこと言わないですから(笑).自分で自分を見分けないと.
---もしかしたら,そうしたYOSHIKIさんが引き受けてきた立場というのが,冒頭で言われた「閉じ込められてしまったような気分」と結びつくんでしょうか.
YOSHIKI:やはり,X JAPANというものが一人歩きしていったところはあると思います.あたりまえですが,バンドが成長していくにしたがって,だんだんそれに係わってくる人が増えてきますし.
---それに対するプレッシャーのようなものもですか?
YOSHIKI:というか,ぼくはいろいろめちゃくちゃなこともやってきましたが(笑),責任感だけはあったんですよ.そうしたまわりに対する責任みたいなものが大きくなっていったんですね.
---そういった意味では,これからはかなり自由な活動ができるわけですよね.
YOSHIKI:とても刺激的でわくわくしていますね.これまでは何か失敗しても,最終的にはX JAPANがあったじゃないですか.最後の逃げ場というか,戻っていく場所として.それが無くなったわけですから.
---わりと自分に何かリスクを負わせるのが好きなんですね.
YOSHIKI:ええ,何をするにも命懸けでやってきましたしね.X JAPANの事でも何でも.また,会社の事でも,何かイヤなんですよ,逃げ道を作っておくのが.例えば誰かアーティストを売り出す時にも,これで駄目だったらもうお終いだ,くらいの気持ちでやりたいんです.まあ,実際そういうのは,会社にスタッフもたくさんいるわけだから経営者としては良くないのかもしれませんけれど,その中にはちゃんと忠告して止めてくれる人もいますからね(笑).まあとにかく,今までもこれからも攻撃あるのみですね.
---これからYOSHIKIさんがどんな活動をしていくのか,非常に注目されているんですが.
YOSHIKI:逆に言えば,どうなっていけばいいとみなさん思っているんでしょうね(笑).やりたいことはたくさんあるし,やらなければならないこともたくさんあるんですが,自分自身では,たとえば,いちど影の存在になりたいんですね.X JAPANの時は,やはりどうしても表に立たざるを得ないところがありましたから.こんどは,影から何かを動かしてみたいという思いがあります.
---具体的には?
YOSHIKI:今進んでいるプロジェクトが98年に動きだすんですが,アメリカでレーベルを立ち上げます.現在は向こうのアーティストの契約やメジャーレコード会社とのジョイントベンチャーなどの契約事を進めています.また日本のプラチナムでの事もいろいろありますし,その他にもいろいろあります.
---やはり,アメリカでの活動が主になっていくんでしょうか.今はどのくらいの比率なんですか?
YOSHIKI:例えば,97年でいうと日本には1カ月もいなかったですね.向こうに自分のスタジオを構えてしまったんで,いろんな意味で居る必要に迫られてしまったんです.これからは,日本とアメリカを行ったり来たりしようと思っていますけれど.
---現在の日本の音楽状況についてはどう思っているんですか?
YOSHIKI:そうですね,ぼくにはやっぱり日本のマーケットがとても面白いんです.『ビルボード』誌とか見ていると,日本のマーケットだけ不思議なんですね.つまり,独特の世界があるでしょう.まず,確実にいえることは,大きいアーティストのヒットするレコードは,最初の週に1,2位になるという初登場1位というやつですね.いっぺんに数字が上がって,その売上をキープし続けるのが難しいという.アメリカでも最近は多くなってきましたが,そんなに極端ではないんじゃないですか.じわじわと支持されて結局トータルでこれだけのセールスを上げました,という受け取られ方をしますよね.日本はそれだけメディアが発達していて,いっぺんに情報が流れ出すということが理由なんでしょうが.
---チャートは気になるほうですか?
YOSHIKI:そうですね.まあ,チャートの上位に入るということはそれ自体がプロモーションになり,次の売上につながりますよね.そういう意味では多少なりとも気にしますが,順位自体の数字にはそれほど興味はありませんね.レコード会社の立場から言いますと,やはりどれだけ売れているかということが大事ですから,第1週に1位になったけれど,次の週に十何位に落ちてしまって,トータルでこれだけしか売上げなかった,ということでは何の意味もないわけです.1年間に1位は50回以上もあるわけですし,そんなに大きなものではないです.また,アーティストの立場から売上げに対して言うと,自分のつくる音楽がどれだけ支持されているのか,また,受け入れられているのか,そういうことの参考としてはチャートを見ます.もちろんプロモーションによってかなりそれも変わってくると思いますが.ただ音楽を作る時には,決して自己満足にならないアートとして,たくさんの人に届けたいといつも注意深くやってきています.ぼくが刺激的で好きだと思うものが他の人にはどう伝わるのか.聴く人の気持ちを無視して(ライターをテーブルに転がして)「これがアートだ!」(笑)などという次元では進めたくなかったからです.
---97年はGLAYが大きなセールスをあげた年でしたが,彼らを発掘したのもYOSHIKIさんですよね.
YOSHIKI:まあ,ぼくが作ったのは,きっかけですね.そのあとに,うちの井ノ口さんや真下さん,それにバーニングの周防さん,ポリドールの折田さん,ポリグラムの石坂さんをはじめ,力のある方々がかなりがんばってくれたので,このように良い結果が出たんでしょうね.他にもプラチナムのスタッフを含めた多くの人達のおかげですね.僕自身もエクスタシーでのレコード会社の立場としての経験,またはSR,EW,TO時代でのアーティストとしての経験の中で学んだことをメジャーレーベル第一弾のGLAYに注ぎましたからね.特に自分が今までの中で失敗した事や,自分の会社を含めた今までのレコード会社の中で限られた資金によりできなかったプロモーションなど,全部の事に関して経験を生かしました.まあ,最初にプラチナムから出すアーティストは必ず百万枚売ると宣言していましたから,今は少しホッとしています.また,お金に糸目をつけなかったんで,もしGLAYが駄目だったら自分自身も駄目になっていたんでしょうね...,経済的な意味ですけど.ただ,最初にGLAYの曲を聴いてライブを観に行った時に,彼らは大スターになることが判りましたから.ここまでくるのに,ちょっと時間がかかり過ぎたくらいだと思っています.
---最初から,これはいけると判断されたわけですか?
YOSHIKI:ええ.そういうバンドにはキャラクターなり,勢いみたいな何かがあると思います.自分がそのバンドと契約したいと思う時は2つあって,才能があって素晴らしい音楽を作っているバンド,またはなにか判らないんだけど勢いがあるバンド.自分でX JAPANを一からプロデュースしてきたせいか,そこらへんが不思議に判るんです.ファンの立場になって考えてみて,自己満足で完結していない姿勢を持っているというのが基本ではないかと思いますよ.まあ,これまでにエクスタシーレコードで自分が直に30バンド位契約してきましたし,そういった経験もあるかもしれませんが....そうですね,昔は自分が契約したバンドのほとんどが成功とともに大手レコード会社の方に流れて行ってました.全て単発契約でしたから.例をあげると,LADIES ROOMがES,ZI:KILLがTO,Gilles de RainsがPC,LUNA SEAがUV,東京YANKEEYSがC,DEEPがWMJとか....それでもよかったし,逆に自分が間に入ってメジャーレーベルとの契約をすすめてきました.大きくなりかけているアーティストには,エクスタシーよりもメジャーの方がいいと思っていたので.ただ,周りの人間からは何て不思議な事をやっているんだ思われていたんですね.自分で抱えていればかなりの事になっていた訳ですから.そんな中で少しずつメジャーレーベルの計画を立て始めて,プラチナムの設立に到った訳です.
---今後のお話をもっと具体的にお聞きしたいんですが.
YOSHIKI:アメリカで立ち上げるレーベルは,今現在4組のアーティストと契約交渉をしています.それと同時に大手各社とディストリビューションの契約の話を進めています.それらの4組のアーティストはすべて新人です.そのうち2組はぼくが直接プロデュースを担当しています.そのうちの1組というのは,向こうでの映画に主役で出ることになっていまして,その内容があるグループのサクセス・ストーリーなんです.そのグループを映画に引き続いて,実際にアーティストとして育てていこうという,監督とぼくとの話し合いで決まりまして,進めているところです.
---純粋なアメリカ映画なんですか?
YOSHIKI:そうです,日本でも公開されると思いますが.他にも,もう一つ別の映画のサントラに僕自身が自分のNEWプロジェクト"バイオレットUK"として参加していまして,今そのサントラ全体のレコード発売の権利をレーベルとして交渉しています.もちろん,これも新しいこのレーベルから出したいと思っています.
---どういったレコード会社・レーベルをイメージしているんですか?
YOSHIKI:そうですね,ぼくの思っているレコード会社の基本はA&R,A&R,A&Rなんですね.それにつきると思っています.だからA&Rにはかなりの人材と力を注ぎます.契約・管理に関しては,弁護士が3人位いればいい.マーケティングとプロモーションに関してはディストリビューターの会社の力や外部のインディペンデント・プロモーターという感じで考えています.
---今後のレコード業界については,どんな考えを持っていますか?
YOSHIKI:これからは大手レコード会社に加えて,制作やアーティストの発掘に関しては小さな小回りの効くレーベルがかなり増えていくんじゃないですか.アメリカではそうした形が多くなっていますが,日本でもかなり増えていくと思いますよ.なによりこれからは,スピードが鍵になっていくと思います.日本の音楽産業も決して好調とはいえない状況ですし,これからが修羅場じゃないですか.まあ,今までもそうですが,漠然と仕事をしているのではなくて,ほんとうに自分たちが何をやっているのか理解している,自分たちのアーティストにプライドを持っている,そうしたレコード会社が生き残っていくんじゃないでしょうか.新しいレーベルも,今流行りのオーディションなんかで大々的に募集しなくても,あそこのレーベルに入りたいとアーティストが望むような,プライドを持てるものにしたいんです.逆に,アーティストに対する,レーベルとしての責任もきちっと取っていきたいです.長い目で見てあげたいですし.自分がアーティストとして経験してきたことが色々ありますから,それを伝えてあげることもできますし.ロイヤリティの面も含めてね.
ぼくが初めてメジャー・デビューしたときは,アルバムを百万枚売りたい,と言ったら周りの人に笑われてしまう時代でした.当時は日本のロックバンドは十万枚売ること自体が奇跡と思われていた時代でしたから,あちこちで喧嘩をしてきましたよ(笑).だからGLAYなんて幸せですね.最初から百万枚売ろうとレコード会社が思っていたんですから.今から考えると,X JAPANはかなり困難な道を歩んできたと思います.それができたのも,やはりファンの人達が支えてきてくれたからなんですね.そういう意味でも大晦日の東京ドームでは,ファンの方々に対する責任を果たしたいと思っています.
---しかし,精力的ですね.休みをとることなんてあるんですか.
YOSHIKI:とりあえずバンド形態での活動はしばらくはやりたくないですね(笑).とても疲れました.何かのプロジェクトに参加することはあるかもしれませんが,表立っての活動はしないようにするつもりです.
---今でもミュージシャンとしても,たくさんオファーがあるんじゃないですか?
YOSHIKI:そうですね.でも...どこかでドラマーを捜しているバンドがあったら入れてもらおうかな(笑).