人は分かり合えません。話しても伝わりません。泣いても知りません。叫んでも響きません。譲歩しても気付きません。説明しても分かりません。諦めたことさえ伝わりません。そんな事があったから、もう半年ほどもまえからずっと、そう言っています。その言葉を他人にどれだけ玩弄されようと、私の疵そのものを弄ばれようと、真実は澱みません。これだけの文章を書いて私のたましいの砕片を磨り潰して混ぜて、血を滴らして反吐を擦り付けても、きっと、私の文章など煌びやかなだけの装飾品としか映らないのでしょう。もしくは、奇を衒った内実虚無のはりぼてに過ぎないのでしょう。貴方が私の言葉の断片を切り取って遊ぶように。それでもまだ文章に真実を託す余白のあることを信じて、ともかく筆を執ることにします。
まず、理解してないようでしたから私が貴方と関わることが不可能だと思った点から説明していきます。私が「世間一般に蔓延する無意識のサブカル的要素、及びそれらへの批判」をTLで述べていたものへ対して其方からリプライが寄せられました。内容は私の呈している議題に無関係の、また様々にとっちらかった見解の集合を送られ、私は「此方の意見を聞く気がなく、ただ自分の意見をぶつけているだけのリプライ」であると判断し、そのような姿勢の相手の意見を分かりやすく解体し、論点を整理し、議論する労力を割く必要はないとして自分の元々の主張だけを反復しました。その翌日に其方の公開noteで明確に私のことを指して「修辞と歴史が好きだが中身がない」と発言されているのを発見しました。問題の経緯は概ねこの様です。次に、以上の発言に如何なる問題が含有されるかの説明へ移ります。
リプライの件に関しまして、其方としては「議題の内容は分からないがそれによって喚起された自分の中の意見を片っ端から投入し、必要な箇所を吟味し取捨選択して貰おう」との意図から来る行為だろうと予測しております。それを踏まえても、其方が提示した意見の数々は自分の語りたい内容に掠りすらしておりませんので、やみくもに話を振られても困ります。興味の湧くものであれば拾いもしたでしょうがそれもありませんでしたので話を流したというのが此方の意識です。
この時点でも対応に困窮し混乱してしまっていたのですが、重ねて翌日で恐らく私の文章そのものに対しての批判が上がりました。本文は「自分の大事なものが貶された、理解されなかった。共通読書本にも書いてあることなのに。それが理解できないならば、アイツの生みだす物もその程度のものに違いない」という湿っていて感傷的な怨嗟の言葉のように受け取れます。ですが元々私の主張していることは共通読書本に書いてあること、またはその筆者がツイッター上で発している呟きに感化されて思考していたものですから、あの本を読んでいながら私の発言が理解できない方が読解に不足しています。そして当の「中身がない」発言についてですが、これは書き手としてそれが最大の批判になると無意識下で熟知した上での明確に貶す意思のある発言と思われます。実際のところ、理解が及ばなかったことは、理解しようとの努力もなかったことを含め其方の問題ですので、私に責任転嫁されても困ります。
「此方の意見を理解しようとすることはなく」、「自分の意見をただただ押し付け」、「それを躱されると責任転嫁をして」、「明確な敵意を以て」、「関係のない箇所を攻撃する」。これが其方のリプライとnoteで露わになった(と、少なくとも私には見えた)点です。また、字書きであるなら文章が字書きにとって大事なものであると身を持って知っている筈ですから、そこを敢えて攻撃したということは最大限の敵意の現れと見て良いでしょう。つまり、「みずからの都合で相手の急所を攻撃する」とも開示しています。これらを以てこの人との交流は不可能だと判断しツイッターでの繋がりを断ちました。
次にDMでの遣り取りに移行します。機会があって上記のことを簡単に纏めてお伝えした時、「そんなことを気にするよりも短歌などをした方が貴方のためだ」とのお返事を戴きました。つまり、「反省の意思はなく、みずからの行いの是非を全く度外視し、それよりも相手の行動について言及し」ている訳です。喩えば暴漢が被害者に糾弾され、「そんなことどうでもよくない?」と答えたとしたらどうでしょうか。私の目には貴方の行いはそれと同じように映りました。
恐らく、これだけではまだ理解しづらいでしょうからもう少し踏み込んでお話します。これらの振る舞いを受け、私はたいへん混乱し立腹しました。どうして私がよくわからない他人の意見の羅列を押し付けられねばならないのか、全く意図が分かりませんし、会話にもなっていません。貴方の詩に対する感情を関連なく突如ぶつけられても困ります。そもそも詩に対して特に学んでもいない方からそのように仰られても、何も言えることはありません。ある程度思考が練られたものしか議論の俎上にあげることは出来ません。私から見ると貴方の意見はまだ議論出来る段階に至っていないのです。その様な方からであろうとみずからの生産物を「内容がない」といわれればしっかり深く疵付きます。私が文章を描き始めたのは一年にも満たない最近のことですが、それでも自分なりの拙い美学を持っています。短歌がポップだとかは知りません。私は私の求めるものだけを求めていますから、それ以外のことは存じ上げません。私は今まで積み上げてきた文章という軌跡を泥まみれの靴で踏み荒らされたような気持ちになりました。屡々私がよく使う「人は分かり合えない」という言葉を否定されているようですが、あのたった九文字の言葉にどれだけ私の泣き出したくなるような苦痛と悲泣と哀嘆とが詰まっているか、分かりませんか。あの言葉は私の疵痕が詰まった箱です。あの言葉を口にすると、私は身体中を引き裂かれるような、死んだ心地になります。それでも言わざるを得ないから言うのです。けして、貴方に上面を複製して濫用される為ではありません。今回の件も似たような心地にさせられました。このような心境を、「心を踏み躙られた」と呼びます。貴方の言動は、たいへん人の心を踏み躙るものです。目には見えませんが、実は、人にはけして侵してはならない尊厳の領域があります。そこに手を掛けることは魂への毀損と同義です。魂に疵を付けられた者は夜な夜なその消えない痕を思い出してもがき苦しみます。燃えるような乾きと苦痛。私達の魂の源泉を穢す行為。人を疵付けるということは、ただ疵付けるというのではないことを知っておくべきでしょう。
では、貴方のそのような言動はどこから起因するのか。それは恐らく「そんなこと気にしなくてよくない?」のような文章などから見受けられるように、自分の肉体を保有する意識の低さに要因があるように思います。貴方は元来一風変わった人ですから、周りが反応に困り、貴方自身が「空気」として透明化されることがあるのではないでしょうか。自身の肉体の動作によって受ける周囲からの応対を適切なかたちで受けられず、それによって周囲の反応から自身の客体化を感じることが出来ない。そうなるとどうなるか。他者と自己との間にある空気や感触に触れる機会を失うのではないでしょうか。距離感を訓練する機会を奪われているため、「適切」な距離がわからない。物理的にも心理的にも、人はあまりに突飛な行動を見ると反応が疎かになるものです。特に人の心理状況は本人が開示してくれなくては余人が感知することは出来ません。そうなると何処が、何がダメだったかがわからない。
貴方は私に「ちゃんと傷付いててえらい」といいましたが、現世の肉体が何かしらの動きをしれば必ず何かが疵付きます。砂が潰れ、意思が転がり、靴は擦り切れ、人は避け、時にぶつかり、視線が合います。肉体が足を踏めば別の肉体は転びます。肉体が頬を叩けば別の肉体は痛みます。肉体が「死ね」といえば、別の肉体は心を抉られます。貴方の保有している肉体も例外ではありません。貴方の振る舞いによって疵付く人間はたくさん居ます。もちろん、私の振る舞いによって疵付けた人間も呪われたっておかしくないほどいます。「自分は相手に関与できない」という風に考えてはいませんか。貴方が肉体を持つ以上、振る舞いによってきっちり疵付けることが出来ています。肉体を持っている、存在を持っている、誰かの前に一人の他者として存在しているということを強く意識して下さい。そしてその存在は、貴方以外の存在と同じように確固とした存在として立っています。
次点。それでは、貴方の周囲と違うところは何処か。周りと遊離してしまうのは何故なのか。自身の言動について「訳の分からないことをいって周りがついていけなくなる」という風にいっていたと思いますが、それは表現がやや甘い。訳の分からないことではなく、主観に没頭した意識をそのまま公の場、客観の場に言葉として持ち込むから場が混乱するのです。私も気を付けないとやってしまうから分かります。というか、以前がそうだったのでなんとなく実感としてわかります。主観世界と客観世界の混濁と融解。貴方のそれは主観世界が客観世界に洩れ出ているが故の不調和です。今いる世界に別な世界の法則を持ち込んだら、それは首を傾げられます。
ではそれをどう直したらいいのか。こればっかりはやはり、投薬などで整えていくしかないように思います。思考によって整理出来たら良いのですが、これは思考以前の問題、思考が把捉する世界地盤に関わる話になりますから、軽率に努力を促していいものでもありません。強いていうなら周りをよく見ること、人と人との間にある空気感を観察して浴びることなどが私から言える訓練方法です。ただ貴方は強迫観念に囚われ易い人ですので、今言ったような言葉に過剰に囚われてしまわないか、やや不安が残ります。先日も結局「人の話を聞く」という言葉に囚われていたようですし。精神が波立つ時は人を遠ざけるのも手です。大体の悩み事や自己嫌悪って他人からやってくるので。あとは好きなことをするとか。いちばんは好きなことをして身体の不調をやり過ごして欲しいですね。苛烈な鬱状態を内在させながら生きている人間、生きていること自体が既に賞賛するべき事柄ですから。世辞とかではなく本当にそう思います。貴方は自身の感情によって取り乱し周りを振り回すところがありますが、その根幹にあるのはやはり精神の不安定さであり、精神の不安定さは貴方の制御の手に余る代物です。それと共に生きるという偉業は貴方にしか出来ないことだと思います。貴方からすればそんなの心底要らないだろうとは思いますが、それが与えられた肉体に付与された一つの瘤である以上受け入れるしかないのもまた実情です。私には、どうかせめて悔いのない生命を、と願うことしか出来ません。
長きに渡って書き連ねてしまいましたが、私から貴方へお伝えしたい事はこれを持ちまして以上になります。私が縁を切った理由、そして貴方への考察とを大まかに述べました。書き記した理由は貴方へ僅かの情が残っているからでも自分の鬱憤を晴らしたいからでもありません。色々と思案して悩んだのですが、この先も貴方が同じように誰かの心を踏み躙り原因も分からずただ離縁だけを積み重ねていくと想像したところ、余りに憐れに感じましたので私の持ちうる限りの力を以て私なりの考えを纏めて提出することにしました。みずからを省みる際の資料の一つになれば幸いです。長々と失礼致しました。当然ながらこれに対する返事やアクションは不要です。それでは。