私はここ数年、自己のなんたるかの本質をすっかり忘失して生きていました。最近忘れていたことを思い出して、ああそういえば私はこういう人間だった、どうして忘れていたんだろうと唖然とすることが多く実が弾けるごとくぼろぼろと爛れて仕方がない。これは、それらを文章に纏めようという試みです。
さて、私、まず第一にひどく欠落した人間です。思考が滑らかに続いてくれません。何かを考えようとすると必ずぶつ切りになったり、意識が遠のいたりして他の人より上手く物事を考えることが出来ません。だから人と話すのが苦手です。文章ではなんとか断片を取り繕うことが出来ますが、現実の会話はそうはいかない。それに加えて集団する人間への距離が遠く、人間たちの作法をしっかり観察して、洞察して、法則性を見いだしてそれをみずからに馴染ませて、ようやく人間のふりが出来ます。人の前にいると緊張して思考が続きません。あと以前バイトの面接を受けた時、面接中に緊張で気分が悪くなって音が聞こえなくなって視界が見えなくなることが2回続いたから、多分そういう強迫性障害?かなんかもあります。高校時に軽い離人症にもなったので、それに加えてさらに思考が鈍いというか、上手くものごとを考えたり感じたりすることが出来ません。何が言いたいかというと、元々の人間性の不出来に加え後天的な要素によって更に感性や思考を制限されています。もうほんとう、ボロボロの穴だらけの紙くずみたいな人間です。裏を返せば、そうしないと生きていけなかったくらいに過敏なみずからの感性があります。昔からずっと感情を失いたい、感情を失いたいと願い、その術をみずからに試しながら痛みを噛み締めて生きていましたので。
私にとって他人は恐ろしい生き物です。だって見ず知らずの他人の言葉の一つで私の心は割れることが出来たし、壊れることも出来ました。元々の心の在り方が不安定というか首が座ってなかったのだと思います。昔の私はあまりにさびしい人間で、哀しい怪物で、頭がおかしかった。哀しい怪物でも哀しむことが出来て、ものを考えることが出来ましたので、なんとか考えながら自分と世界との分別を付けることに成功したのが私の人間としての始まりでした。
人間としての私の中には粘膜のような、単細胞生物のようなかたちをしたひどく劣等な存在が蠢いています。それは人の温もりを頑是なく求め、貪り、欲望を満たそうとするだけの流れる泥土のようなおぞましい欲望の触手です。これは人間の形をしていません。人間の薄皮を着ただけの私はいつもその蠢きに惑わされ、翻弄され、服従していました。だってさびしいんです。生きてるってすごくすごくさびしい。薄皮の下で単細胞生物の脈動ばかりが鮮明に脈打って皺を作って影を作って、単細胞生物のかたちが鮮明に映し出されました。この濡れそぼつ弱々しいさびしさの雨の奥から、どうしようもない人間への愛が生産されていました。人間!なんてうつくしくて、存在のくっきりした、個々が既に完成されたかわいらしくきれいな存在なんだろう。私は人間に恋をしていました。ただ存在しているというだけで、人間は恋するに値する立派な宝石の数々です。ええ、病気です。私の人間愛も人間の皮もこのぶよぶよした感性も、ぜんぶ怪物の病気からうまれた産物です。
私にとって人間は憩いのある場所では到底なくて、つねに心を揉まれるもみくちゃな市場でした。それを、ここ数年、忘れていました。忘れて、ただ人間への恋心だけを募らせて、私のかわいい孤独を放って、人間を嘗めつくして、ここは自分の胎内であると勘違いしていたのです。だから人間から爪牙で引っ掻かれた程度のことで世界の終わりのように泣き喚き、嘔吐し、混乱して泣き乱れてたんです。まるで犬猫に噛まれた子供がわけも分からず泣き出すように。だけど私という存在の系譜を思い出せばそんなの、記憶喪失した人間が恋人を恋人と認識出来ないようなものです。そもそもこの宏漠たる宇宙に私は細菌としてひとりで、人間の広場は私にとっての息抜きならない戦場で、そこでは可憐な火花が可憐に人を殺しています。そんな場所に死ぬ覚悟もなく参入して甘い汁を啜って帰ろうだなんて片腹痛い話でした。人間はいつでもなんの気なく私を殺して、腕を引きちぎって帰っていく生き物だって思い出してしまえば、世界は全く歪で悲哀に溢れたものではなく、ごく平然とした蒼色の球体です。
そもそも私というものの本質は鬱憂としたものへの沈溺です。痺れるような陰鬱と悲愴な覚悟。覚悟、そう、覚悟が足りなかったのです。世界は針の一本で私を殺しに来るという前提意識をすっかり忘れていました。それだけ分かっていても、私の粘膜は人間に恋焦がれて媚態を成します。これはもう、引力のようにどうしようもない。だから死ぬ覚悟をします。それが世界に対して示すべき礼儀だったのに、この世界は赤ちゃんでも地面を這うことができるから、そのような責任から免れていると思い誤っていたのでした。私が呪うべきは世界ではなくみずからでした。みずからの吐き気を催す様態と、生まれた時からずっと患っている罪と、醜悪な存在の慣れ果てとだけが私の狭い故郷で、すべての罪やみにくさは私の臓腑に収斂していきます。みずからの存在への飽くなき翫弄。私のいちばんあったかい心臓は、そこです。そこから流れる血潮で私は文字を啜り、抽象を愛し、人間に恋をしています。
なにが言いたいんだっけ、えっと、世界に私はひとりで人間は戦場で、つねに世界へ畏怖を向けながら死ぬ用意をしなさいということでした。そしてお前は人間などではなく、最上級に穢らわしくきたない醜汚の存在だと思い出しなさい、そういう話でした。ふふふ。疵口はいいですね。永遠に血が流れる。