世界はそれをクロと呼ぶんだぜ

世の女性たちがなんとなく共有する、「ニッポンのおじさん」へのファジーな嫌悪感の正体に迫る本連載。今回は、高感度の高い『鬼滅の刃』『愛の不時着』の主人公たち、そして文春に報じられた幻冬舎の編集者・箕輪厚介氏を手掛かりに、「いい男とは? 悪い男とは?」を分析します。

まずは綺麗な男の話から

 昔は一番汚れたところに一番美しいものがあると愚直に思っていて、だから悪いものや傷のついたものに囲まれている方が良かったのだけど、最近はできれば誰も傷つかない綺麗な庭で子犬と戯れ果実を捥ぐような妄想が弾むし、NHKのアナウンサーみたいな顔が好きになってきたし、昔はいちいち殴りかかりたかったような、お互いを「ぶぅ」とか「にゃんちゃん」とか呼び合っているカップルを見ても目を細めていられるし、多分半分は歳を取ったせいで、半分は疲れているせいなのだと思う。

 そう言えば4年前に死んだ母は、歳をとって癌になってから、「色々なものが怖くなった」と言って、残虐シーンがあるような映画や漫画すら受け付けなくなっていた。別に私は自分の死期は悟ってないけど、米国の友人から日々届く警官たちの無慈悲な暴力も、便乗して略奪を行う一部の暴徒も、各国の新型肺炎による死者数のグラフも、政治家たちの思惑も挑発的な加藤紗里のインスタも、どれも見れば見るほど気が滅入って、細部に神が宿るなんてことすら疑わしく思えてくる。

 というわけで、かつてはわざわざ汚めな街に勇んで入っていったような私も汚いものに惹かれなくなってきたし、ここでも汚い男の話をする前に、とびきり綺麗な男の話でもしたいと思うのだけど、そう言えば最近、私を含めた私の周囲のニッポンのオバサンたちが、竈門炭治郎とヒョンビンに異様な涎を垂らしまくっている。

女が惹かれる『鬼滅の刃』と『愛の不時着』の主人公たち

 炭治郎はアニメから爆発的な人気に火がついた漫画『鬼滅の刃』の主人公で、人食い鬼を退治する鬼殺隊の隊員、つまりは殺傷を生業とする者なのだけど、もともとは炭を担いで山を下り、父親亡き後の家族を養うためにせっせと働き、しかも街では多くの人に愛され、必要とされ、彼自身そんな期待に愚直に応えるタイプ。作品冒頭では妹を守るために自分が囮となって剣士に歯向かっていくような自己犠牲的な一面もあり、勇敢で、努力家で、信念は強いけれども押し付けがましくなく、人の話をよく聞くし、人の事情をよく想像するし、仲間を大切にするし、そもそも漫画なので毛穴や体臭もない。

 ヒョンビンの方は、人気の韓国ドラマ『愛の不時着』で北朝鮮の軍人役にあたる俳優の名前だ。北朝鮮の軍人といえばごくごく勝手なイメージの中では融通がきかず上下関係が厳しく行進が得意のような感じだけど、彼は物腰が柔らかく気品があり、礼節をよく知る。実は超偉い人の息子で、元々は軍人なんてマッチョなもんじゃなくピアニストを目指しスイスまで留学していたおぼっちゃまなのだが、そう言った環境を鼻にかけることなく、前線で地道に活動する。平壌から離れた前線地帯の村での暮らしぶりは極めて質素、料理など超マメで、コーヒーは豆から煎るし、飛び抜けて部下思いで村の口うるさいおばさんたちにも優しいし、こちらもまた自己犠牲的な性格で、正義感は強いけれども独善的ではない。身長は185センチだし。

 と、要は双方見た目も性格も非の打ち所がなく、そんな二人をいきなり並べて男のなけなしの自尊心を踏みにじって申し訳ないけど、男の自尊心を踏みにじるのはいつだって楽しいので先に進むと、必ずしも常に非の打ち所がない男ばかりに惹かれているわけではない複雑な乙女たちがなぜこうも夢中になっているかということに当然興味が湧く。お見合い相手の非の打ち所がない経歴を横目に非の打ち所しかない男に狂って20代を棒に振るのが私たちの特技だし、そもそも、居酒屋で奢ればセクシストだと、逆に奢らなければ甲斐性無しだと罵られ、守ってあげるねと言えば前近代的価値観を説教され、守らず逃げれば男らしくないと未だに白い目で見られる今日の男事情を考えると、正解の男、何ていうものは太らないパンケーキ、というくらい不可能で矛盾した存在になってしまう気もする。

矛盾を超えられる「正解の男」

 おそらくそんな太らないパンケーキを求められる現代において、前出の二人は限りなく正解に近いのだ。女の子の希望は、尊重されたい、でも守ってほしい、と難しく、従来的な「らしさ」でいうところの、お金と腕力と命は引き続き差し出してほしいが、女を黙らせて所有しようとするようなところは綺麗さっぱりアンインストールしてほしい、と、我ながら身勝手でわがままなのである。

 と、この困難な状況の打開策としてこの二つの優れたフィクションは巧妙な仕掛けをもつ。片方は、守るべき女が鬼に殺されかけて鬼の血を浴び、人畜無害な「鬼」に変貌してしまっているし、もう片方の女はパラグライダーの事故で不法入国自体が非常に危険な北朝鮮に不時着してしまっている。つまり「女だから」という女のプライドを酷く傷つける動機づけではなく、彼女たちの、彼女たちのせいではない困難な状況こそが、彼女たちが彼を頼らざるを得ず、また彼が彼女たちを守る理由として目眩しをしてくれるのだ。よって「男の俺が」と言う性差による留保なしに、しかし現場では非常に従来型のヒーローに近い動きで男が女を守る。この、全くプライドの傷つかない「不遇による弱い者扱い」に、私たちが酔いしれない理由など一つもない。彼らはやはり、矛盾を力技で打ち破った、正解の男である。顔も含めて。

 正解の男二人にオバさんたちがハートを鷲掴みにされるのはもちろん、この世が苦界でございまして、現実ではあまりに不正解の男にばかり遭遇するからだ。不正解の男とはすなわち、従来の男らしさの良い所と新しい時代の価値観の良いところを合わせた前出お二組の真反対で、従来的な男の嫌なところと、新しい時代の嫌なところを組み合わせたような生物を指す。

文春に報じられた箕輪氏の言動

 先日「週刊文春」に、仕事相手であるライターへのセクハラおよびパワハラが報道された「天才」編集者について、文春オンラインは続報として、報道後に彼が自身のオンラインサロン会員向けに放った動画の内容を公開した。「あいつが一番キチガイ」「反省してないです」と言った発言内容や言葉遣いは、最近汚いものを見るのが苦手な私としては二度見はしたくない荒んだものである。顔も含めて。

 「従来の編集者という枠組みにとらわれず多方面で活躍し、オンラインサロンは高額にもかかわらず1500人とかの会員がいてTwitterフォロワーは21万もいる」彼は、黒川元検事長の賭け麻雀疑惑が報じられたのと同日、彼から請け負った仕事が今後のキャリアの礎となるような新人の女性ライターの仕事を突然上からの命令でキャンセルしたことと、仕事の依頼をした後に、「下心がまったくない」とした上で、彼女の自宅を訪問し、「でもキスしたい」などと迫ったことが報じられた。そのメッセージの応酬が立場の違いによる威圧と下から頼み込む言葉とで相手の断る力を拒絶したものであることは、すでに幾度も指摘されているとおりだ。

 その上で、報道による批判の声が強まると、サロン会員向けに、要約すれば「俺は普段からこんな感じで普通のことしただけなのに、やべー女に手出しちゃってすごい被害に遭ってる」というような内容のことを動画で発し、Twitterでは「死にたい」とツイートして以降コメントはなされていない。若き女性プロレスラーの死によって、死とネット炎上に過敏になっている多くの善良な市民はこうして批判の言葉を封じられた。死に向かう者に鞭打つことはできないし、本当に死ぬくらいなら悪しき者、醜い者でも生きていた方がいいと願うのが人間だからだ。私もいかなる場合でも死を願ってはいない。ただここまででも、彼が従来の男の、自分勝手で女を舐めてて上に媚び諂うような嫌なところを保存したまま、現代社会の嫌なところを丸呑みしたような存在であることは窺える。

HATASHIAI(果し合い)での出来事

 私は彼と個人的な付き合いはないが、記憶の限りでは4回生で見たことがある。うち2回は複数人のゲストが出るテレビ番組で、1回は知人たちと連れ立って行った格闘技の試合会場で合流した。もう1回、初めて彼を生で見たのは、当時書籍の内容をめぐって幻冬舎と対立関係にあった水道橋博士と彼が格闘技のルールで殴り合うというイベントだった。なんでそんなところにいたかというと、とある知人の結婚式の余興を手伝った見返りに、寿司を奢ってもらおうと出かけたら、「寿司の前に、友人が格闘技のセコンドをやるから顔を出したいので付き合ってほしい」と言われたからで、私は何の情報も持たずにイベント会場に連れられて行って、その場でスマホの検索を駆使して、イベントの概要と、それまでの水道橋博士の発言の経緯などを調べたのである。

 リングの上には、プロの格闘家について特訓をしてきた30そこそこの元気な若者と、50代半ばの『藝人春秋』などで執筆面でも才能を見せるお笑い芸人が立ち、リングの周りの席は、水道橋博士に対して「引っ込めー」などとがなり立てる若者たちが固めており(後から聞けば、あれが箕輪オンラインサロンのメンバーらしい)、当然殴り合いは元気な箕輪勝利ですぐに決着がつき、礼をすることもない彼はリングを囲む若者達に向かってロープに乗ってアピールを繰り返していた。その姿のあまりの胸糞の悪さを当時いくつかの媒体で書いた記憶があるので、もしかしたらこの連載にも登場しているかも。

 私はその姿こそが彼の全てを物語っているように思っていて、さらにはその第一印象をひっくり返すような事柄にはそれほど出会っていない。彼は自信のなさを姑息な形で無理やり隠そうとする、あまりに凡庸な根性の持ち主だ。

 なぜ言葉を仕事とする大人二人が、体格的にも年齢的にもアンフェアな殴り合いの場で戦うのか。そのこと自体が、言論人として戦えば勝ち目がないと実証しているようなものだ。口喧嘩で勝てなそうな相手を、勝てそうな方法を選んで黙らせるのは、男が何百年と腕力だけを頼りに繰り返してきた愚行である。別に男の拳の勝負を全否定なんてしないし、ヒョンビンも炭治郎も武力は使うのだけど、シンプルな言論での意見対立に拳なんて持ち出したら負けが確定する。

 なぜそんな場が用意されたか。その素人による異業種格闘技イベントは箕輪と付き合いのある堀江貴文が主催するもので、箕輪が「博士に絡まれていたのをホリエモンが見つけて」対戦が決定した。文春に告発をしたA子さんの執筆する書籍でも、箕輪は「大丈夫だと思って進めてきた」にもかかわらず、「社長」の一声で「たしかにそうだなって俺も思っちゃった」とすぐに取りやめ、その「社長」がA子さんに冷たく当たった直後には、路上に彼女を放置したまま携帯で指示されるままに社長の元に走った。どちらを見ても、彼はよほど決定権がないか、よほど自分の決定に自信がない、誰かの指示をそのまま行動に移すだけの、中が空洞な機械であることを自ら露呈させている。一応私もライターではあるので追記すると、編集者の多くは著者と同じかそれ以上に原稿に愛情を持っていて、なおかつ文化系にありがちな体制嫌いなところがあるので、上から「この表現変えろ、この社名出すな」などと指示が来ても、最後まで著者に変わって噛み付いてくれる。泣く泣く大人の事情で変更を余儀なくされた時など、次の週まで編集長を呪っているものだ。「別の出版社に持っていきましょう」と堂々と自社を裏切ってくれる人もいた。

自信のなさを自覚できているか

 さらに、セクハラとはその自信のなさの最たるもので、多くのセクハラ人たちは、単に女を口説いて落とす自信がないため、力関係によって自分を拒絶しないとわかりきった人にのみ、セクシャルな近づき方をする。道でやったら痴漢でも、社内でやれば笑って許してもらえるような文化が確かに従来の男社会にはあり、自信のない男たちは勝手なオアシスとして、立場の弱い部下や下請けの女性たちを口説いてきた。

 加えて「やべー女に手を出した」という言い訳も、あまりによく耳にする。相手が異常な者でなければ、状況証拠的に自分の論理が通る自信がない。さらに、一度口説いた相手を「キチガイ」「異常な人」と報道後にわざわざ口にすることは、自分の女を見る目にもからきし自信がないのをわざわざ自分で告白している。しかも彼はA子さんの告発に対して一度も公の場で反論しておらず、自分の論理は、閉じられた猿山の中以外では彼女の論理に勝てそうもないこともまた、自分から吐露しているのだ。

 彼が動画の中で、自分が嫉妬されているという文脈の中で発する「だって実力が違いすぎるんだもん」は、深層心理では、彼の本意とは逆向き、つまり普通の編集者として編集の仕事をしては、他と実力の差がありすぎて太刀打ちできないから、正攻法ではない形で仕事をせざるを得ないと言ってるんじゃないかと、私なんかは訝しむ。別にそれ自体は悪くないというか、人間そんなにみんな実力者じゃないし、一番は一人しかいないので、まっすぐ向かって勝てない相手には何かしら奇策を出すものではある。私がこのページ上で乳を放り出しているのも、そんなもんである。ただ、その自覚が綺麗に欠如しているあたりが、彼が空虚である所以だ。

 空虚な人間は、主張の強い人間とは結構相性がいい。加えて、彼はテレビ番組などの裏で挨拶を交わす限り、極めて温厚で可愛らしい態度の青年である。その水道橋博士のイベントの後、怒り冷めやらぬ私は、彼と付き合いのある同業者ら複数名に「きっととんでもない悪口が聞けるだろう」という邪心から彼のイベントの話をしたが、「会うと意外と可愛い人だよ」とか「殴り合うタイプじゃないんだけどね」とかいう肩透かしな言葉が返ってきた。我の強い編集者や書き手、経営者などは、自分の考えをつっかえることなく飲み込み、100%同意・共感・同化する彼と話すと意外と心地よい可能性もなくはない。

 ちなみに私も、威張れる要素が何もない割に主役でいたい人間なのだけど、共演した番組のCMの間に「本の話」を彼にふったら、あまりに見事に「売れ行きの話」と「マーケティング戦略の話」しかしない人(販売部の人だってもうちょっと中身の話をしてくれる)だったので、「上」の人間の思想はグイグイ飲み干すけど、「下」の人間には「俺の得意な話」と「俺がすごい話」しかしないタイプなのかもしれない。

 アジア映画初のオスカーを手に入れた『パラサイト』は、残虐かつ世の中の汚い部分をどんどん見せるような内容だが、監督のポン・ジュノが、映画製作というブラックにならない限り無理、みたいに思われていた労働現場でさえ、役者やスタッフの労働時間を基準内に抑え、パワハラなどせず、とてもホワイトな姿勢で製作に挑んだのは有名な話。貴公子のような柔らかい物腰のイケメンの、ワイルドなセックス、みたいなワクワク感をそこに感じるのだが、お行儀と人当たりの良いビジネス本を得意とする箕輪が、仕事の現場でブラックな行為ばかりしているのは笑えない。粗野な乱暴者で、ベッドではマグロ、みたいな話だし、そんなギャップには誰も萌えない。

 A子さんの話が全て実証されるまでもなく、「不正解な男」っぷりがあまりに目立つ彼にかけられた容疑は、報道を見た部外者の私からすると「クロ」ばかりだが、彼自身の性根は「シロ」いのかもしれないとちょっと思う。ただし、潔白の白ではなく、空白の白だけど。



今週の参考文献

  • 太宰治『人間失格」(1952年、新潮文庫)
  • ドストエフスキー著、工藤精一郎訳『罪と罰」上・下巻(1987年、新潮文庫)
  • ジョーダン・ベルフォート著、酒井泰介訳『ウォール街狂乱日記 「狼」と呼ばれた私のヤバすぎる人生」(2008年、早川書房)
  • 水道橋博士『藝人春秋』(2012年、文藝春秋)
  • 吾峠呼世晴『鬼滅の刃」1〜20巻(2016年、集英社ジャンプコミックス)
  • 「ユリイカ」2020年5月号「韓国映画の最前線」(青土社)




鈴木涼美さんの新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい 』(講談社刊)発売中! 2014年から2019年までのTV Bros.連載に加え、各雑誌やWebに掲載されたエッセイ・評論・書評をまとめた5年分のコラム集です。

この連載について

初回を読む
ニッポンのおじさん

鈴木涼美

どこか物悲しく、憎めないおじさん。男にリスペクトされる好感度高い系おじさん。こじらせおじさん。新しい価値観で社会を斬るおじさん。そして日本社会を動かすおじさん。彼らはなぜ〈おじさん〉になってしまったのか。彼らの何が〈おじさん〉たる所以...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

    コメント

    ssski1370 気持ち悪くて近寄りたくない(可能なら視界にも記憶にもいれたくない)男性像を具体的に書き出してくださっている貴重な文章 https://t.co/j5eVGlb6YF 約2時間前 replyretweetfavorite

    10ricedar いやー、今回もおもろかった 箕輪氏知らんかったけど(世間知らずでさーせん) 約5時間前 replyretweetfavorite

    mikapon99 |ニッポンのおじさん |鈴木涼美 https://t.co/M3kpFoPEL5 約8時間前 replyretweetfavorite

    kokerui >道でやったら痴漢でも、社内でやれば笑って許してもらえるような文化が確かに従来の男社会にはあり、自信のない男たちは勝手なオアシスとして、立場の弱い部下や下請けの女性たちを口説いてきた。#箕輪氏 https://t.co/bwwU2owHfD 約10時間前 replyretweetfavorite