生い立ち(思春期2)

生い立ち(思春期1)の続きです。


入学して今後の生活が人並みに不安だった僕は、1週間程経って恋人を作りました。彼女は僕に一目惚れをしたらしく、少しでも早く学校に馴染みたかった自分は彼女と付き合うことにしました。しかし僕はまだその頃、自分の恋愛的性質を理解してはいませんでした。


僕は人を信じることができない質で、自己肯定感が低いという言い方があるとするなら、他者肯定感も極めて低く、それが自分の場合は恋愛観を大きく傾けているようでした。まぁつまりは、いつの間にか彼女に依存してしまっていたわけです。


彼女にだけ自分の陰湿な部分を見せて、彼女の内面を無理やり覗き込み、それで秘密を共有したつもりになって、常に浮気が心配で、何もかも上手く行かず、2年ほどで別れることになりました。しかし、問題なのはその先でした。僕は彼女に執着し、一方で彼女は僕を軽蔑して、僕の内面の暗く陰湿な部分や弱みを周りの友達に流し始めたのです。自分は周りから笑われているような気がして学校へ行くことが怖くなり、半ば不登校のような状態になってしまいました。寮と保健室とを往復するだけの日もありました。学校へ行かずに寮の個室に引きこもっている時には、太宰治フロイトなどを好んで読んでいたり、相変わらずCDプレイヤーでRADWIMPSやamazarashiを聴いて過ごしていました。


自分はその学校にいることに耐えかねて、実家に何度か電話をして母親に学校を辞めたい、もしくは死んでしまいたいという由を伝えました。すると彼女からは「学校辞めるくらいなら死んでくれた方が楽だ、いくら学費を払っていると思ってるんだ」という言葉が出てきて、自分は絶望の中へ突き落とされた気持ちでした。それがトドメとなり、自分はぼんやりと死ぬことを決意し始めました。


その頃から僕は眠れなくなっており、真っ暗な部屋で起きているのか眠っているのか分からないような時分に背の高い女(メラン)に襲われる夢なのか幻覚なのか分からない、とても恐ろしい現象を繰り返し味わうことになります。まるで毎晩ベクシンスキーの世界へ迷い込むような、そんな心地でいました。また、同じ頃に僕は幻聴を聴くようになりました。蜂か虻かが自分の近くを飛んでいる音、そいつが僕に語りかける言葉、最初は不可解でどうしようもなく怖かったですが、そのうちに彼らは僕の味方であり、メランと僕とを遠ざける為の役割であることを知り安心しました。それから、僕は彼らのおかげで無理をすれば学校へ行けるほどの気力が湧いてきて、少しづつ学校へ足を運んでいました。死のうと決めた割には、できる限り学校へ通っていたんです。


そんなギリギリの生活の中、自分は無事大学へ入学することが出来ました。大学の合格が決まった頃には蜂もメランも僕の前からいなくなっていました。

生い立ち(思春期1)

前回の「生い立ち(幼少期)」の続きです。

小学校低学年の自分は社交的で目立ちたがり屋だったわけですが、高学年に上がるにつれて母親の虐待によってか、周りの人間の反応によってか、内向的な暗い性格と態度とを身に付けていきました。


それから中学、高校と思春期を迎えるわけですが、思春期の自分が大きな影響を受けたのは母親だけではありませんでした。音楽と文学との出会い、進学、失恋、それから、統合失調症鬱病の発症。それらは今でも僕の価値観や性格に大きな影響を与えているものだと思っています。以降、それらを順を追ってお話ししていきます。


僕は小学校高学年の頃から兄の影響でRADWIMPSを聴くようになりました。その頃はスマホもミュージックプレーヤーも買い与えられていなかったので、学校帰りに親の財布から抜いた金で中古のCDを買って、家にあるCDプレイヤーにイヤホンを付けて深夜にこっそり一人で聴いていました。


中学になると1人部屋が与えられたので、時間さえあればRADを聴いて、音楽という自分の知らない世界の中に入り込んでいきました。ミュージシャン。その頃からそれは僕の夢になっていました。家にも学校にも馴染めていない自分にとっては音楽だけが救いだったのかも知れません。しかし、やはり僕は音楽を聴くときには決まって「こっそり」と、母親の目の届かない所で聴いていました。それは、僕が音楽を聴いていることがバレるとCDは捨てられ、例の虐待が始まるからでした。「そんなに音楽が聴きたいならCDだけ持って今すぐ家を出ていきなさい」そう言って母は僕に暴力を加えるのでした。


僕はそれに反発するように捨てられたCDを買い直し、学校ではバンドを組んで文化祭でRADのコピーをしました。僕は簡単そうで練習の必要がなさそうなベースを買い、それは学校に隠すかバンドメンバーに預けるかして捨てられないように守り、学校で少しづつ練習をしていました。中3の文化祭が終わり、大事に守り抜いてきたベースを家に持ち帰らなければならなくなり、それも捨てられてしまいましたが…


そんな中3の文化祭が終わった頃、僕はある1冊の本に出会います。太宰治の「人間失格」でした。人間(主に母親)に対する恐怖心と不信感と溜め込んだそれらを表現したいという欲求とが、思春期の自分にピッタリハマった感じがして、もう何回も読み返していました。


高校は親に川崎医科大学附属高校に入るよう決められていましたが、実家嫌いの僕はそこが全寮制だということに魅力を感じてそこに入学します。入学して寮に入ると、その寮の舎監が新入生を一室に集めて全員に「一人一人入学した理由を話しなさい」と言って、1人づつその理由を説明しなければなりませんでした。皆それらしい理由を答える中、僕は嘘をつきました。「病気の人を救いたい」とでもいったようなことを答えたような気がします。本当は親元から離れたかったという理由だけで来たわけですから、病気の人も医者になることもどうでもよかったのです。嘘をつくことには慣れていた自分はその時は何ら罪悪感なども感じていませんでしたが、次の舎監の一言で自分の背筋は凍りついて、内心ひどく狼狽えました。舎監は「医者になりたいと思っていない者は今すぐ学校をやめた方がいいぞ」と言ったんです。もう自分が恥ずかしくて、自分だけが場違いな気がして、それは後に大学を辞めるまで深く自分を傷付け続けた言葉でした。


これ以上書くと長くなり過ぎると思うので、次回に持ち越しってことにしようと思います。

生い立ち(幼少期)

僕は、2000年2月28日の23時頃に生まれたと聞きます。2020年現在、20歳というわけです。現在の自分の性格は根暗で意地悪く面倒くさがり、それこそ白痴のような人間だと思っています。しかし、人から見ると少し控えめでそこそこ優しい奴のように思われてるみたいです。そんな、内と外の、あるいは主観と客観の二面性が「どくそだ」という人間の本質と言えるかも知れないです。

 

前回の投稿にも書いたと思いますが、「どくそだ」の名前の由来は「毒親育ち」から来ています。僕の生い立ちや性質を語る上で「親」の存在は切っても切り離せないものがあります。以降、僕の生い立ちにおいて親と僕との関係を中心に綴っていくつもりです。今回語るのは「幼少期」の追憶です。


僕が覚えている内で最も古い記憶といえば、小学校低学年でしょう。勉強は嫌い、運動もダメ、素行も悪い、けれどもその頃、僕は人を笑わせることに大きな喜びを見出していました。


朝礼の出席確認では先生に名前を呼ばれた生徒は「はい!元気です!」と答えるのが通例でしたが、僕はスマした顔で「今日はインフルエンザです!」などと答えてクラスの人達を笑わせたり、授業中に大きな声で隣の子にちょっかいを出してみたり、休み時間には校長室をノックしてダッシュで逃げたり、火災でもないのに非常ベルを押したり、まぁ目立ちたがり屋だったわけです。小学校低学年ですから、ちょっと目立ったことをすれば周りは笑ってくれます。それが嬉しかったというか、その役が自分の居場所だと本能的に思っていたんですね。もちろん、そんなことばかりしている僕に担任の教師は毎回呆れ顔で注意をしてきます。けれども僕はやめませんでした。


一方で、母親はそんな僕の行いを恥ずかしく思っていたみたいで、何やら学校から苦情の電話などが来ると、時に鬼の形相で、時に泣きながら僕を叱りました。「叱る」と言うとそれが正当のように思えてしまいますが、その実態は「虐待」でした。「お前は精神病なんだ」、「バカは死なないと治らない」、「お前はみんなに軽蔑されている」などの言葉、および髪の毛を掴まれて浴槽に顔を沈められる、殴る蹴る、夜に裸足で家の外に数時間出されるなどの暴力。ですから僕は家の中では母を恐れ、目立たないように身を潜めて、母の顔色を伺って大人しく、いい子にしていました。


にも関わらず、やっぱり学校では相変わらずのオチャラケキャラ。しかし心の中では母親の言葉が引っかかっていて、おそらく毎日が相当ストレスフルだったかと記憶しています。そんな僕の二面性はその頃から始まっていたように思われます。


小学校高学年になると、本当に自分は精神病で他人とは一線を画する存在なんだと悲観的な理解が出来てきて、現在の自分に通ずる根暗で変に思慮深い無気力な人間になっていました。家と学校とで態度を変えることに疲れたのか、親に怒られるのが恐ろしかったのか、オチャラケてみても自分の居場所が確立出来ないことに気づいたのか、アドラー心理学的な無能の証明だったのか、そのいずれも当てはまっていたのか、今では分かりませんが、とにかく低学年では社交的な自分を演じていた少年は高学年になるにつれて段々と内向的な所謂「いい子」になっていったのでした。

自己紹介

はじめまして。

「どくそだ」と申します。

名前の由来は「毒親育ち」

略して「どくそだ」です。

 

〈プロフィール〉

性別) 男

出身) 茨城県水戸市

生年月日) 2000年2月28日

血液型) O型

星座) うお座

趣味) 音楽

最終学歴) 川崎医科大学中退

好きな食べ物) すき焼き・梅干し

好きな芸能人) 中川翔子

まぁこんな感じですかね…

 

どうしてブログを書こうと思ったかと言うと、今入院生活送ってまして、それで暇だったし、日記のようなものを不定期で更新できたらいいなって思ったからです。今後、自分のことを深く掘り下げて書いていこうかと思案しています。よろしくお願いします。