故郷神戸駅のサボと駅スタンプ/茜堂 神戸駅上り線に佇むゴハチ100号機=茜堂 |
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神戸駅の2番線に停車中の、熊本発の汐留行き荷物列車の先頭に立つ、宮原所属のEF58 100号機。 当機はキリ番で原形小型窓の為、人気車の一つです。以前は芦屋付近で1号機の単機を、撮影した事が有りますが、 やはり、窓は旧機の風情を残すパテ式でないと、Hゴムの窓では、トップナンバーでも頂けません。 ● |
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神戸駅2番線、EF58 100号機、宮原所属、荷物40列車、熊本15時25分発~汐留4時着、昭和47年10月撮影。 当機の特徴は、精悍な面構えの原型小窓と、原型ワイパーに尽きると思います。 パンタグラフは、旧型電気用の最終形のPS-15。PS-14の腕から上部が、小型化された物が付けられています。 エアフィルターは海辺を走る為、塩害対策の鎧戸式。小窓以外には余り特徴の無い当機ですが、キリ番100号が輝きます。 ● 晩年にはTVCMの「100番、100番」から、鉄道ファンの間では、ダスキンの愛称が付けられていましたが、 昭和59年1月に、下関へ転属し、翌年の昭和60年2月4日に、下関運転所にて、廃車となりました。 神戸駅発行の鉄道省旅行券=茜堂 |
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鉄道省時代の神戸駅発行の、1年間有効の商品券タイプの旅行券。 ● |
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昭和7年2月13日~昭和8年2月12日迄有効、金壱圓也、神戸驛発行。 通用1年間の、鉄道省旅行券の表紙。画像は表紙。 綴り裏表紙有り、中札には、本体の20銭の5枚綴りの、クーポン券構成。 ● 使い勝手が良い為、戦後の国鉄旅行券に、引き継がれます。 国鉄最終期のギフトカードや、オレンジカード等、 時代に対応した技術と、その形態を変え乍ら、 現在のギフト対応等の旅行券に、反映されています。 |
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昭和6年12月1日から発売され、淡褐色の表紙には、動輪マークの浮き出し(エンボス)が、施されています。 当1円券の場合の中身は、20銭の5枚綴りの回数券仕様となり、どの駅でもどの切符にも、換券可能となっています。 後に、戦時体制化にて、不要不急の旅行は制限され、鉄道省の券としては、昭和17年3月31日を最後に、廃止されました。 ● 旅行券等の前払証票は、明治42年1月5日から始まった、乗車券引換証が有りますが、 こちらは、運賃の他に別途手数料5銭が掛かり、換券迄のプロセスが煩雑な為、贈答品としては余り歓迎されず、 上記の回数券と同じ、昭和17年3月31日を最後に、廃止されました。 神戸駅発行の流電試乗券と第二次車用サボ=茜堂 |
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神戸発の京阪神地区専用急行電車52系の試乗券と、神戸~京都と大阪行の行先板を、紹介します。 ● |
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昭和11年6月5日の、京阪神地区専用急行電車52系(流電)の京都間往復試乗券(葉書切取券)。 試乗区間は、乗車下車駅が神戸駅、元町駅、三宮駅(三ノ宮駅)、通用6月5日限りの、京都駅迄の一往復の試乗券です。 駅長印として、神戸駅長の角印が押されています。(画像は縮小しています) ● 営業運転時の停車駅は、神戸駅、元町駅、三ノ宮駅、大阪駅、京都駅の5駅で、急行料金は設けられていませんでした。 一編成4両編成の流電は、京都駅~大阪駅間の所要時間が34分で、大阪駅~三ノ宮駅間を25分で結び、 京都駅~三ノ宮駅間では、当時、最速の特急列車と呼ばれた燕号より、所定時間が7~9分も速く、設定されていました。 ● 京阪神地区専用急行電車52系は、42系電車の基本設計を元に、当時世界的に流行していた、流線型を採用。 当初は「魚雷型電車」と呼称されましたが、後に「流電」の愛称で、親しまれました。 昭和23年4月23日には、高速度試験(三島~沼津)に使用され、現在の電車特急の礎となりました。 ● |
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神戸~京都、第二次車用差込式行先板、急行(急行券不要)、クリーム地赤青刷り文字(厚板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 |
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大阪行、第二次車用差込式行先板、急行(急行券不要)、クリーム地赤青刷り文字(厚板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 行先板は、第二次車の車体と同じ塗色の、クリーム色を採用しています。 モハ52系電車は、京阪神緩行線、及び、急電向けに増備された、20m級2扉クロスシート車の、42系を基本としつつも、 汎用性に逆らい、高速運転実施の為の急電用に特化し、更に4両固定編成とする事を前提として、各部の設計が行われています。 ● 使用開始は、昭和11年6月26日で、神戸駅~京都駅間、及び大阪駅行きの2系統が、モハ52系の第1次車で運行され、 神戸寄りに偶数車を、大阪寄りに奇数車を連結し、第1、2、3次車、戦時改造と続きますが、戦中に急行運用を終了しました。 昭和24年4月10日に、急行に復活しますが、翌年、新製配備の80系電車に、順次置換えられました。 神戸駅発行の山陰周遊微賞=茜堂 |
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駅主催の、国鉄団体旅行企画での、山陰周遊旅行に依る、 主催駅、三ノ宮駅、神戸駅発の山陰廻遊(回遊=周遊)の参加者用微賞を、紹介します。 ● |
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山陰廻遊(回遊=周遊)、三宮(三ノ宮)、神戸駅、主催、ツアー参加徽章。 昭和6年、当時の鉄道省三ノ宮(表示は三宮)駅と、神戸駅が協同で主催した、山陰地方への旅行ツアーの参加者用徽章。 団体旅行の必須アイテムで、動輪を中央に配した、七宝製の直径2.2センチの、重厚なバッジ。 ● 関西からの、山陰ツアーでは、一般的に城崎温泉(平安時代から1300年の歴史有る温泉地)を、メインにして、 海の幸や、松葉ガニを堪能し、玄武洞、天橋立観光と、言った所ではないでしょうか。 因に、山陰本線は、昭和8年2月24日に須佐駅~宇田郷駅間の8.8Kmが、延伸開業し、京都駅~幡生駅が全通します。 神戸駅発着の黄色の快速行先板=茜堂 |
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昭和中期頃までは、神戸駅は東海道本線と、山陽本線の接点駅として、 また、県庁最寄り駅として、多くの優等列車の停車駅でも有り、数多くの発着列車を有していました。 ● 後に、東海道本線と山陽本線との、接点としての役割も薄れ、神戸線の単なる中間駅として、三ノ宮駅の利便性等からと、 枝線等も有していない関係から、神戸市の代表駅としての機能は神戸駅から、三ノ宮駅に移行した感は、否めません。 次に栄光の時代、神戸駅発着の行先板(サボ)を紹介します。 ● 行き先を表示する、列車の側面に掲げられた、行先板(列車行先札)は、電報略語から「サボ」と、言われていますが、 これは「サインボード」の、省略から来ています。また、車両の側面に、掲げられている事から「サイドボード」の略とも、 或は「サービスボード」の略語で有る共、諸説が有り、詳しくは 鉄道親爺の脱線話-2011/4/5 を、参照下さい。 ● その行先板は、重厚な琺瑯製に始まり、長い時代を経て、その時代対応から、素材がプラ製に取って変わり、 後に、表示方式が機械化され、手作業での差込や取外し作業、及び、駅での保管業務から開放される事となました。 機械化の始まりが、ビニール製の巻取式(方向幕)で、更に、発光ダイオード(LED)製の、全自動行先表示に変っています。 ● 琺瑯製の行先板は、初期の頃は重さも有る、1.5mm厚の重厚な鉄板の「厚板」が使用され、 後に、1mm厚の鉄板が「標準厚」として登場し、後期に於いては、実に半分の0.5mm厚の鉄板の「薄板」が登場しています。 因に、晩年に登場した、プラスチック製の行先板は、2mm厚のプラ板が使用されています。 ● 表面文字と裏面文字との関係では、琺瑯製の行先板では、文字の天地は同じで、左右に裏返しますが、 プラスチック製の行先板では、文字の天地は逆となり、上下に裏返す様になっています。 交換時の利便性を考慮した、文字配置となっています。 |
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神戸~草津、差込式行先板、快速用黄色、厚板ホーロー緑浮文字(厚板)、大阪鉄道管理局、京都駅持ち。 |
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筆文字タイプの書体から、 柔らかな、丸ゴシック体へと、 移り変わっています。 |
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神戸~京都、差込式行先板、各駅停車用白色、厚板ホーロー青浮文字(厚板)、大阪鉄道管理局、京都駅持ち。 この行先板は、往年の厚板が使われ、標準よりずしりと重く、重厚な作りの行先板となっています。 以前は、草津行きは定番で、その運行本数もかなり有りましたが、昨今では運行本数は激減し、その先の米原行きや、 長浜行きへとシフトをしています。列車速度の進化で、車両整備の出来ない草津駅での、折返し運用の難しさがその理由です。 |
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草津~神戸、差込式行先板、快速用黄色、薄板ホーロー緑浮文字(薄板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 |
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面白い事に、 片面では、丸ゴと角ゴ文字が、 和名、英名共に混合されています。 |
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草津~京都、差込式行先板、各駅停車用白色、薄板ホーロー緑浮文字(薄板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 この行先板は、標準の厚みより、かなり薄く作られた、節約型の行先板となっています。 その為、琺瑯仕上げ乍ら曲がり安く、経年劣化も伴い、あちらこちらが複雑に彎曲をしています。 ● 片面の字体は、書体が一致していません。神戸の「戸」は、従来通りの旧字体を使用し、書体は丸ゴシック体ですが、 面白い事に「京都」の表示み、和文字英文字共に、角ゴシック体風に変えられています。 この異書体の意味合は、良く分かりませんが、何か「京都」に深い思惑が、潜んでいるのかも知れません。 |
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播州赤穂~神戸、差込式行先板、快速用黄色、標準板ホーロー緑浮文字(厚板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 |
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同じく、丸ゴシック体ですが、 神戸の「戸」の文字が、 旧字体から、新字体に変わっています。 |
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播州赤穂~京都、差込式行先板、各駅停車用白色、標準板ホーロー緑浮文字(厚板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 関西では筆文字体で始まった、行先板の表示書体でしたが、戦後に丸ゴシック体に変わり、 更に、丸みを帯びた、角ゴシック体も登場し、それらのバラツキを是正する為に、すみ丸ゴシックへと推移しました。 琺瑯板は、鉄板にシリカ(二酸化ケイ素)を、主成分とするガラス質の釉薬を、高温で焼付けた物で、対応年数が高くなります。 ● 播州赤穂駅~京都駅間は、161.9Kmで、現在の快速でも、約2時間程掛かります。 赤穂線の播州赤穂駅は、兵庫県の西端地域にあって、直線距離16Km弱で、隣県の岡山県に届きます。 |
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米原~神戸、差込式行先板、快速用黄色、薄板ホーロー緑浮文字(薄板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 |
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従来の丸ゴシックから、 角のエッジが、なだらかな、 角ゴシック体に、変更。 |
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米原~姫路、差込式行先板、各駅停車用白色、薄板ホーロー緑浮文字(薄板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 琺瑯先板の仕様では、堀文字、浮文字の二種類が有り、前者はベタ地版に、抜文字ベタ版を重ねて焼き付けた物で、 琺瑯の厚みで、文字が掘られた様な事から、堀文字と呼ばれ、文字以外の所が2層になるので、対応年数が特に高くなります。 後者の浮文字ですが、単純にベタ地版に、文字版を重ねて焼き付けた物で、共に孔版印刷で刷り付けています。 ● 因に表記の、米原駅~姫路駅間は、実に198.4Km、現在の新快速でも、2時間30分程掛かります。 |
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昭和48~49年頃の、 角のエッジが、なだらかな、 角ゴシック体の仕様書。 |
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標記文字仕様書、VB115077、標記文字、行先駅名標字幕、国鉄、車両設計事務所。 昭和48年7月10日、国鉄車両設計事務所作成の、行先駅名標字幕の標記文字に対する、大鉄向けロゴフォーマットですが、 完璧に使い回されてはいない様で、概ね合わせると言った感、無きにしも有らずと言う所です。 ● |
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標記文字仕様書、VB115595、標記文字(すみ丸ゴシック体)、行先駅名標字幕(大鉄向)、国鉄、車両設計事務所。 昭和49年5月15日、国鉄車両設計事務所作成の、行先駅名標字幕の標記文字に対する、大鉄向けロゴフォーマットです。 職人の手書きによる、丸ゴシック体の、統制が取れていないバラツキから、書き易い書体へと鉄道掲示基準規程が変わります。 一見は角(カク)ゴシック体乍ら、交わら無い角(カド=スミ)のエッジには、それぞれ、微妙なアールが付けられています。 ● 創始から使われていた「楷書体(筆文字)」ですが、戦後になっても、暫くは使用されています。 昭和29年に、現代的な「丸ゴシック体(丸文字)」が登場し、昭和35年に、現在の「すみ丸ゴシック体」へと推移しています。 ● |
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米原~神戸、差込式行先板、快速用黄色、標準板ホーロー緑浮文字(厚板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 |
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神戸~大阪、差込式行先板、各駅停車用白色、標準板ホーロー青浮文字(厚板)、大阪鉄道管理局、神戸駅持ち。 黄色の塗色は、関西圏内の快速列車で有る事を、表示しています。 行先板掲載車両は、昭和38年に国鉄が開発した、直流近郊形電車113系で、初期の頃の快速電車。 ● 昭和45年10月に、関西地区の新快速に113系が導入されますが、 昭和55年10月には、新快速の座を117系に譲り渡します。その後は、快速や各駅停車等で活躍していましたが、 惜しまれつつも、平成15年10月16日秋のダイヤ改正で、役目を終えてしまいました。 神戸駅発着の梅小路経由の行先板=茜堂 |
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昭和63年3月13日から、京都駅~園部駅間が、山陰本線とは別に、嵯峨野線の愛称で呼ばれる様になり、 平成2年3月10日には、京都駅~園部駅間が電化されます。 電化開業当初に、神戸駅~園部駅間で、113系電車での直通運転が開始されました。 ● 次に、山陰本線園部電化延伸当時の、神戸駅発着の行先板(サボ)を紹介します。 神戸駅~園部駅間を梅小路駅(現、京都貨物駅)から、山陰連絡線経由の113系に、使用されたプラサボです。 ● |
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神戸~園部、梅小路経由、差込式行先板、プラスチック白板黒文字、大阪鉄道管理局、向日町運転所持ち。 |
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園部~神戸、梅小路経由、差込式行先板、プラスチック白板黒文字、大阪鉄道管理局、向日町運転所持ち。 神戸駅と山陰本線亀岡駅とを結ぶ、山陰本線用優先列車に使用、当然、京都駅での乗降者は排除されています。 可成り思い切った運用だが、これは山陰本線利用者に配慮した、混雑防止と時間短縮の、特別な措置となっています。 片面には、泥汚れの拭き跡有り。隅を少し拭いてみたら綺麗になるが、現状維持が好ましくそのまま維持。 ● |
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神戸~亀岡、梅小路経由、差込式行先板、プラスチック白板黒文字、大阪鉄道管理局、向日町運転所持ち。 |
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亀岡~神戸、梅小路経由、差込式行先板、プラスチック白板黒文字、大阪鉄道管理局、向日町運転所持ち。 本来の経由点で有る、京都駅を経由しないで、貨物駅で有る梅小路駅を経由。 梅小路機関区の西裏側に有る、貨物線の山陰連絡線を短絡通過し、京都駅には立ち寄らないと言う、特異な方法で、 東海道本線と山陰本線(嵯峨野線)とを、結んでいました。 神戸駅発着の参宮列車の行先板=茜堂 |
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神戸駅~伊勢市駅間を走った、お伊勢参りの臨時快速、参宮列車。 東海道本線から草津線、関西本線、紀勢本線、参宮線の5路線を経て、伊勢市駅迄の直行列車です。 伊勢志摩方面への需要が、高かった時代の、神戸駅~伊勢市駅間の、参宮列車専用の行先板。 ● 東海道本線の電化区間と、非電化区間を運行する為に、乗車はPCでの運行。 恐らく、京都駅か草津駅辺りで、ELからDLに交換牽引されたで有ろう、12系客車に使用されたプラサボです。 ● |
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神戸~伊勢市、草津線経由、差込式行先板、プラスチック白板黒文字、大阪鉄道管理局、向日町運転所持ち。 |
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伊勢市~神戸、草津線経由、差込式行先板、プラスチック白板黒文字、大阪鉄道管理局、向日町運転所持ち。 伊勢参りとは、元々はお蔭参り(おかげまいり)の事で、伊勢神宮に団体で参拝をする事を言います。 ● 江戸時代の中期から明治にかけて、庶民の間では、一生に一度は、お参りに行きたいと言う、憧れの地で有った為、 各地で旅行団体が組織され、お蔭参り(おかげまいり)と、呼ばれる参拝ツアーが行われました。 勿論、当時は鉄道が無かった時代ですので、歩いて伊勢神宮まで旅をしていました。 ● お蔭年(60年周期)のツアーは、数百万人の規模で、180年間に都合3回行われています。 そしてこの、お蔭参り(おかげまいり)が、抜け参り(ぬけまいり)とも、お伊勢参りとも呼ばれていました。 大阪~神戸間鉄道開通100年=茜堂 |
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大阪~神戸間に、明治7年5月11日に鉄道が開業し、百年の節目を昭和49年に迎えます。 開業当初の営業開始駅は、大阪、神崎(現、尼崎)、西ノ宮(現、西宮)、住吉、三ノ宮、神戸の6駅でした。 百年目に当たる昭和49年当時では、計14駅と成り、現在では16駅となっています。 ● 次に、大阪~神戸間鉄道開通100年記念券を、紹介します。 |
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大阪~神戸間鉄道開通100年記念として、 各駅で駅100年の歩み、と言うB5サイズの冊子が発行されました。 ● 神戸駅の物は、16ページのしっかりとした内容の、冊子となっています。 また、湊川駅の同冊子も発行され、 こちらも、B5サイズで、8ページの冊子となっています。 |
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大阪~神戸間鉄道開通100年記念ステッカー、昭和49年5月11日、大阪鉄道管理局発行。 ステッカーはコート紙で、最下段に有る、駅スタンプと同じサイズで、同じ絵柄となっています。 中央には、明治7年5月11日開業当時の、120型2号機関車があしらわれています。 ● 背景には、神戸港を行き交う大型船、左手前には湊川神社、右手前に旧ハッサム邸が、それぞれ描かれています。 このハッサム邸は、インド系英国人貿易商ハッサム氏の自邸として、明治35年に建てられています。 昭和36年に前所有者で有った、神戸回教寺院から神戸市に寄贈されました。現在、重要文化財に指定されています。 ● |
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大阪~神戸間鉄道開通100年記念券、昭和49年5月11日、大阪鉄道管理局発行。 図柄は開通当時の大阪停車場から、神戸停車場へ向かう120型が牽引する列車が、描かれています。 ● 大阪湾と神戸港の浜沿いには、松林が描かれています。 現在では、海岸部は埋め立てられていますが、芦屋、夙川、西宮では且つての海岸部に、名残の松並木を見る事が出来ます。 神戸の山には、滝が描かれています。当時、船舶の飲料に重宝がられた水源地、布引の滝(雄滝)です。 ● 因に、布引の滝は生田川の中流に位置し、上流から順に、雄滝(おんたき=高さ43m)、夫婦滝(めおとだき=高さ9m)、 鼓ケ滝(つづみがだき=高さ8m)、雌滝(めんたき=高さ19m)の、四つの滝から構成されています。 我が故郷神戸駅の戦中の臨時入場證=茜堂 |
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普通入場券は、本来、各駅駅長の判断で、販売を停止致しますが、戦中は国策に因り、 一般入場者は、不要不急抑制の為の、旅行や駅への入場を、差し控える様になり、戦争も中期の昭和18年頃には、 徴兵により招集された兵士達が、軍隊に加わって戦地(外地)に赴く為の、見送り用の入場証が主流となります。 ● 昭和19年頃には、出征軍人の見送り等に当たり、関係者に交付される、限られた入場証のみの、入場者となって来ます。 戦争中期から末期に掛けて、普通入場券が、余り見られ無くなるのは、以上の理由が上げられます。 ● |
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昭和19年頃発行、臨時入場證、運輸通信省、大阪印刷場、流用券、神戸駅発行、鉄道寮汽車運輸規程58.59条-20章適用。 臨時入場証は硬券で、団体員ノ章の裏面を天地逆に流用し、表面に表題と駅名が、スタンプで押印されています。 まだ、物資に余裕が有ったと言うのでは無く、優先順位として団体員ノ章を臨時入場証に、回さざるを得なかったので有ろう。 出征軍人の見送り入場証について、詳しくは 鉄道親爺の脱線話-特別入場券は入場証 を、ご覧下さい。 |
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当券のスタンプを、上段のスタンプと比べてみると、 可成りの枚数を、スタンプしたので有ろうか、 先端の撥ね等が摩耗し、欠落しているのが見て取れます。 |
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非常に簡素な、軟券での、 戦争最末期による、 出征軍人見送用の、臨時入場証。 |
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昭和20年頃発行、臨時入場證(軟券)、運輸通信省、神戸駅発券、鉄道寮汽車運輸規程=58.59条-20章適用。 こちらの、臨時入場証は、無地の簡素な軟券として、表題と駅名が片面に、スタンプで押印されています。 見るも無惨な様相となっていて、戦況の深刻さと物資の枯渇等、身内を万歳で送る側の方々の、入場証が斯様な状況では、 残された家族が、絶望的で、悲しく惨めな思いをしたで有ろう事は、筆舌に尽くし難い。 ● 地方の駅とは異なり、人口密度の高い、関西の都市に位置する神戸駅では、必然的に発行枚数が多くなる事に踏まえ、 都市部では、物資に余裕が無かった為、また、関西では以前から、節約が浸透されていた事も相まって、 簡易な印刷券、或は、謄写版での印刷や、スタンプでの対応券が主流となって行きます。 ● 末期の頃には、当券の様に定規等を当てて、手切りで断裁した粗末で、簡素な軟券となっています。 戦地に赴く、兵士達を送るにしては、何とも粗末な臨時入場証では有るが、これが精一杯の措置で有ったので有ろう、 ここ迄追い込まれた、当時の鉄道関係者の苦労は、いかばかりで有っただろうか、その思いは計り知れません。 戦前と昭和平成の神戸駅スタンプ=茜堂 |
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戦前の神戸駅の、記念スタンプ(切符対比80%縮小)を、紹介します。 現在でも、主要駅に置かれていますが、戦前にも全国の主要駅には、旅の記念にと、駅スタンプが設置されていました。 ● |
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昭和12年1月25日の、神戸駅のスタンプが押された、伏見局から、翌日出された絵葉書。 住所の一部と先様名、は画像処理を施しています。裏面には、湊川神社のタイプ違いの写真が、印刷されています。 ● この絵葉書は、故郷の切符のページの神戸駅絵葉書-15と、同じメーカーの品ですが、残念乍ら発行社名が不明です。 当時は、同じ方に複数の絵葉書を、旅先から送ったようです。切手は、田沢新毛紙1銭5厘。 カメラと旅行が、一般的で無かった時代の、必須アイテムだった様です。 ● |
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昭和7年9月15日の、神戸駅記念スタンプ。専用台紙には、県名や線区駅名と駅名が、書込める様に処理されていて、 書き込まれた、神戸の二文字が旧字体な所も、歴史を感じさせてくれます。 ● スタンプの図柄は、菊水と湊川神社(楠公さん)正門、鉄道高架と、港神戸の大型船をモチーフに、 神戸の地形と神戸港を、シンボライズした扇形の枠に、バランス良く納められています。 ● |
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スタンプの比率は下段の物と同率です。現在のスタンプと比べると、かなりサイズが小さくなります。 右の、昭和10年10月1日の神戸駅スタンプは、阪神電車の物。 阪神の神戸駅は、明治38年4月12日に開業し、大正1年11月1日に三宮駅に改称されますが、 阪神線地下化に伴い、再び神戸駅に改称。更に、昭和11年3月18日の阪神線の元町延伸により、再び三宮駅と改称されました。 ● 戦後の駅スタンプでは、国鉄のキャンペーン用のスタンプとして活用され、 昭和45年の「DISCOVER JAPAN(DJスタンプ)」では、旅行の記念として、全国の約1400もの駅に設置されました。 ● その後、昭和52年の「一枚のキップから」、昭和53年には山口百恵さんでお馴染みの「いい日旅立ち」、 そして昭和55年には、スタンプを押す事を主体とした、キャンペーン「わたしの旅」が始まります。 ● |
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初期と後期のスタンプ形態。 | |||||||||||||||
この二つは懐かしい「DISCOVER JAPAN」のスタンプ。駅のキオスクでは専用のスタンプ帳も、販売されていました。 その後「一枚のキップから」にも、同じ形態のスタンプ帳が、受け継がれて行きます。 後期のスタンプから、駅員による日付けの差替え業務が無くなり、残念乍ら、日付け表示が消えてしまいました。 ● |
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昭和52年に「一枚のキップから」が登場します。昭和53年には、山口百恵さんのキャンペーンソングに乗って、 国鉄の「いい日旅立ち」が始まります。右側のスタンプは一枚のキップからの、つなぎの普通印です。 ● |
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左側の、大阪~神戸鉄道開通100年記念のスタンプは、昭和49年5月11日からの記念スタンプで、 中央には、明治7年5月11日開業当時の、120型2号機関車が、あしらわれています。 ● 右側は、新快速電車停車記念のスタンプで、昭和53年10月2日から、神戸駅にも、新快速が停車する様になります。 図柄は、山と153系で、翌年にはクリーム地に、マルーン帯のツートンカラーの、新製車両117系が登場します。 ● |
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国鉄時代の昭和55年からの、スタンプを経て「港神戸の玄関口」JR神戸線「わたしの旅」神戸支社印です。 わたしの旅シリーズの決め事では、本来は黒色なのですが、JRでは、スタンプ台が、赤色に変わってしまっています。 ● 右側は、JR西日本「憩いのベイエリア」JR神戸線、図柄が今迄とは異なり、スケッチ風に変わっています。 今では、旅の楽しみの一つとして、駅のスタンプ収集を目的とする程、大切な記念アイテムとして、確立されています。 ● 今や故里は、遠くに有りて近いもの、日本列島も時間距離が年々短くなって参りました。 故里の神戸駅の切符-乗車編の、続編として、ここへ移動増設致しました。 今後共、資料の整理が出来ましたら、茜堂の各ページにて、画像共々随時アップして行く予定です。 |
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当ページの掲載写真は、茜堂による原盤ネガからの画像の為、無断複写や画像への直リンクは、禁じております。 解説に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、 責務を負えない事をご了承願います。 ● |
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