故郷神戸沿線の乗車券/茜堂 | |||
故郷神戸沿線の明治から戦前戦中の乗車券類=茜堂 |
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茜堂の故郷、神戸沿線の切符達を紹介致します。 神戸市の中央から東側では、横一列に海側から阪神電車、阪国電車(廃線)、国鉄(現、JR)に、阪急電車と併走しています。 収録の対象は、主に硬券切符ですが、一部、時代的背景により、軟券も収録しています。 |
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明治42年6月11日、舞子(まひこ)~兵庫(ひやうご)、二等、金貳拾壱銭、右書表示、裏面英文表記、内閣鉄道院。 明治36年5月1日、大坂(大阪=おほさか)~兵庫(ひやうご)、三等、金参拾六銭、右書表示、裏面英文表記、逓信省鉄道作業局。 明治30年11月1日から、旅客等級を、上等、中等、下等から、一等、二等、三等に変更されます。 染め付けの薄い和紙(麻紙)による、ボール紙への両面貼り合わせ切符、一等が白色、二等が青色、三等が赤色で推移します。 大阪駅の「お」の字は、一見すると「た」の様ですが、これは変体仮名で「お(於)」を表しています。(情報提供=海外在住 坂崎氏) ● 舞子駅は、明治29年7月1日に、山陽鉄道の垂水駅~明石駅間に、舞子公園仮停車場として開業し、 明治32年4月1日に、舞子仮停車場に改称しますが、それ迄は、隣の垂水駅が、舞子駅を名乗っていました。 明治39年12月1日には、山陽鉄道の国有化により、官営鉄道に移管され、同時に駅に昇格し、現在の舞子駅となりました。 |
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大正4年8月7日、乗車券、兵庫~和田岬、三等、金五銭(通行税金壱銭)、兵庫驛発行、鉄道院、GIR赤地紋。 明治39年10月1日に施行された、官公断線。小児断線と交わるその線形から、エックス断線とも、呼ばれています。 大正年間では、日露戦争での大勝利の影響等もあり、軍や官吏の力が大きくなり、官職割引き制度が定着し、運賃が半額となります。 ● |
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大正10年11月11日、乗車券、大阪~三ノ宮、三等、五拾銭、通行税壱銭、鉄道省、過度期GIR赤地紋。 大正11年9月13日、乗車券、大阪~蘆屋(芦屋)、三等、参拾銭、通行税壱銭、鉄道省、過度期GIR赤地紋。 この時代の特徴として、稀に当券の様に漉目(すきめ)が、横目で顕著に表れている券が有ります。 本来ならば、硬券台紙としては、活版印刷不適合紙として扱われるのですが、この2枚では問題無く使用されています。 ● |
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大正11年2月4日、乗車券、大阪~蘆屋(芦屋)、三等、参拾銭、通行税壱銭、鉄道省、過度期GIR赤地紋。 大正11年4月15日、乗車券、三ノ宮~大阪、三等、五拾銭、通行税壱銭、鉄道省、過度期GIR赤地紋。(硬券の歴史ページにも掲載) 官公断線の表示が「官」の文字から「公」の文字に変更されます。 また、この時代は鉄道省ですが、地紋は鉄道院のGIR地紋が使われていて、過度期GIR地紋と呼ばれています。 ● |
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大正13年3月2日、乗車券(大人専用券)、須磨~三ノ宮、三等、拾五銭(通行税壱銭)、須磨驛発行、鉄道省、GJR赤地紋。 以下省略、個々の詳細は、それぞれの切符画像を参照願います。 小児断線の無い乗車券は、大人専用券となっています。まだ、乙片側には綴り穴が開けられていません。 ● 左と中央の乗車券では、通行税額表示が有りますが、右の乗車券では、税共表示になっています。 従来の通行税表示の外税方式は、大正14年2月20日から、合算の必要が無い、税共表示の内税方式に、変更されました。 |
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昭和4年8月19日、乗車券、明石~兵庫、三等、28銭、明石驛発行、鉄道省、GJR赤地紋。 以下省略、個々の詳細は、それぞれの切符画像を参照願います。 昭和6年頃から、裏面の券番が従来の明朝体から、ゴシック体に変更されて、昭和10年頃には明朝体に戻されています。 昭和7年8月1日に、数字で唯一残っていた、等級数字の「漢数字」が、他の数字と同様に「算用数字」に、統一される事となります。 呉より三ノ宮ゆきの券では、小児断線の乙片側の綴り穴が無く、初期の黒点が付けられています。 |
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昭和8年9月17日、乗車券、龍野~兵庫、3等、1圓10銭、69.2粁表示、龍野驛発行、鉄道省、GJR赤地紋。 以下省略、個々の詳細は、それぞれの切符画像を参照願います。 ● |
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昭和9年11月24日、乗車券、須磨~明石、小影入り、3等、9銭、粁表示、須磨驛発行、鉄道省、GJR赤地紋。 当乗車券には、乗車区間の距離が、粁程にて表示されています。 区間距離を切符面に表示する理由は、良く分かりませんが、昭和7年8月1日から始まり、昭和12年6月1日に廃止されました。 |
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昭和12年10月28日、乗車券、上郡~三ノ宮(下車印-神戸)、3等、1圓42銭、上郡驛発行、鉄道省、GJR赤地紋。 以下省略、個々の詳細は、それぞれの切符画像を参照願います。 昭和13年4月1日(前日発布、法律第51号)、日華事変特別税法に因り、乗客に対して通行税を取る事となり、 大正15年に廃止していた、通行税が復活する事になります。 戦争の足音が忍び寄る頃には、関西地域のA型乗車券は、使い切り次第終了となっています。 ● |
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昭和16年5月12日、乗車券、西ノ宮~三ノ宮、3等、25銭、西ノ宮駅発行、B券、鉄道省、GJR赤地紋。 戦時体制の為に、紙資源の節約上、硬券のまま乍ら、順次B券化されて行きます。 |
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昭和17年4月15日、乗車券、三ノ宮~京都、3等、1圓55銭、税共、三ノ宮驛発行、鉄道省、GJR赤地紋。 戦中でも、戦前の残りのA型券が、乗車距離の長い券程、売れ残っています。 ● |
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昭和17年12月17日、乗車券、舞子~西ノ宮、3等、70銭、舞子驛発行、B券、鉄道省、GJR赤地紋。 以下省略、個々の詳細は、それぞれの切符画像を参照願います。 戦時体制の為に、紙資源の節約上、B券化されてます。末期には地紋の無い硬券や、軟券が台頭してきます。 ● |
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昭和20年1月14日、乗車券、浜崎~鷹取神戸間、3等、特別運賃共5圓、須浜坂駅発行(裏面駅表示無し)、B券、鉄道省、GJR赤地紋。 昭和20年4月21日、乗車券、和田岬~明石、3等、特別運賃共60銭、和田岬駅発行(裏面駅表示無し)、B券、鉄道省、GJR赤地紋。 左の券からは、昭和19年4月1日から実施された、戦時特別運賃加算により「特別運賃税共」の文言が、表記されています。 右の券では、小児断線の乙片側の綴り穴が省略され、初期に使用されていた、黒点が付けられています。 ● |
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昭和20年4月22日、乗車券、明石~摂津本山、1圓10銭、明石駅発行(裏面駅表示無し)、B券、鉄道省、GJR赤地紋。 戦争も末期状態(終戦、同年8月15日)となる中、更に簡素化され、矢印でも無い只の線のみが、駅間の表示として記されています。 小児断線の乙片側の綴り穴が省略され、黒点が付けられた上に、3等の表示までも省略されています。 |
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昭和20年11月2日、乗車券、塚本~元町、3等、1圓、軟券、補充式片道乗車券(大阪驛備付)、運輸省、広島工赤地紋。 昭和20年12月26日、乗車券、摂津本山~兵庫、3等、40圓(運賃訂正)、軟券、補充式片道乗車券(住吉驛備付)、運輸省、広島工赤地紋。 戦時対応の、広島工地紋の軟券ですが、日付けは共に戦後となります。 ● 戦争の激化で、鉄道省GJR地紋台紙(右側の券)の、印刷配給が遅れがちになり、 これに困窮した広島印刷場が、場内でも地紋印刷が可能な様にと、昭和19年9月30日に、考案された簡易地紋です。 従来の地紋と並行して、各局(名鉄局、大鉄局、門鉄局、後に仙鉄局)でも、使用出来る様になりました。 ● 上記画像にある、短距離用の乗車券では、工の字を4倍に、拡大した物が使用されました。 また旅規では、昭和22年8月から、軟券用として距離に関係なく、工の字を4倍に、拡大出来る様に改規されますが、 昭和24年4月30日、戦時中の臨時規定を整理した際に、同地紋は廃止されました。 |
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昭和20年10月7日、乗車券、芦屋~三ノ宮、3等、特別運賃共30銭、軟券、 連続券、芦屋驛発行、運輸省、GJR赤地紋流用、上下濃淡別地紋。 昭和21年7月29日、乗車券、神戸~天王寺、1圓40銭、軟券、5片連続券、 3等表示省略券、神戸驛発行、運輸省、GJR赤地紋流用。 終戦直後の軟券には、正規の地紋券が、印刷される様になりましたが、 混乱期の為に、年を経る毎に、紙厚も薄くなっていきます。 ● 左の券には、3等表示が成されていますが、 これは、3等表示省略券が始まる、昭和20年4月1日以前の券の流用券です。 特殊な割引運賃近郊用の流用券なのか、上下濃淡別地紋が施されています。 |
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昭和22年3月31日、乗車券、神戸~大阪、3等、2圓80銭、軟券(薄)、連続券、3等表示省略券、神戸驛発行、運輸省、GJR赤地紋流用。 昭和22年4月16日、乗車券、神戸~大阪、3等、3圓40銭、軟券(極薄)、連続券、3等表示省略券、神戸驛発行、運輸省、GJR赤地紋流用。 右列の、昭和22年4月16日発行券では、上段の、昭和22年3月31日発行券と比べても、運賃が値上がりしているにも関わらず、 わら半紙を使用する等、紙質も更に貧相になり、紙厚も透ける程、格段に薄くなっています。 ● また、この時期の券には、昭和20年4月1日に始まった3、等表示省略がなされていて、以降6年間も、3等の表示がされなくなります。 戦後の混乱も落ち着き、昭和26年4月1日には、全ての乗車券に、3等表示が完全復活する様になりました。 ● 上記終戦の解釈では、終戦の日を、8月15日としているが、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日としている。 これは、ポツダム宣言に因る、降伏文書(旧線協定)に、日本が調印した日から来ています。 因に、ソ連時代では、9月3日としていた。これは、翌日に行った、対日戦勝祝賀会に起因しています。 この、9月3日は、中国や、台湾も終戦記念日と捉えています。韓国や北朝鮮では、開放の日として、8月15日としています。 ● 斯様に、戦争が終結したとされる日については、諸説が有り、概ね次の様になっています。 昭和20年8月14日、日本政府が、ポツダム宣言の受諾を、連合国各国に通告した日とする。 昭和20年8月15日、玉音放送(昭和天皇による、終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が、国民に公表された日とする。 昭和20年9月2日、日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた、降伏文書(休戦協定)に調印した日とする。 昭和27年4月28日、日本国との、平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、 連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と、日本の戦争状態が、終結した日とする。 |
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