故郷神戸駅の特急券と急行券/茜堂 神戸駅発行の赤斜線引き特急券=茜堂 |
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故郷神戸駅の、旧切符続編(現、乗車編)の頁が、些か手狭になって参りましたので、乗車編と種別編を分離し、 特急券、急行券、寝台券や座席指定券等の、料金券をまとめ、こちらへ新設させて頂きました。 ● 特別急行券や、普通急行券等に施されていた、華やかな時代の赤斜線引の切符達等、 赤斜線の時代は古く、大正12年7月から、1~3条と、切符の表面に表示される様になりました。 最初は、距離に応じて赤斜線の本数が増えて行く、地帯別表示を採用し、後に、列車種別表示へと変化しています。 ● 神戸駅発行の特急券と急行券、哩表示と粁表示、キロ表示とKm表示への移り変わりや、それぞれの違いをご覧下さい。 寝台券は、縦のA型券から、他の切符同様、横のA型券へと移り変わっています。 赤斜線は、時代に応じて、赤縦線へと移行し、やがて、切符面から寂しく消えて行きます。 ● 特急富士と並び、名士列車と言われた、神戸駅~東京駅間を結ぶ夜行急行の、18列車の寝台券や、 急行券では、戦時中の券が大半を占めし、また、地帯別赤斜線引きの、最終期の急行券等も収録しています。 ● |
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■大正9年2月1日=名称改定。 昭和4年1月22日発行、500哩迄、哩表示券、 昭和4年1月22日発行、同時乗車券、 昭和4年2月14日発行、500哩迄、哩表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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特別急行列車券の名称は、理由は不明ですが、急行列車券共々、幾度も変更が繰り返されています。 名称の変更は、最初に制定された「特別急行列車券」から、大正4年3月1日に、一旦「特別急行券」へと改称されます。 その後、大正9年2月1日には、再び「特別急行列車券」と「急行列車券」に、戻されています。 ● 上段の2券は、昭和5年3月31日迄続いた、哩表示の地帯別特急券、特別急行列車さくら-4列車です。 乙片綴り穴が省略され、黒点印刷となっていますが、これは後の粁表示券の初期の頃にも、施されていた様です。 尚、500哩は、804.672Kmで、付帯乗車券の、神戸駅~横浜駅間の鉄道距離は、558.2 kmとなります。 |
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■昭和5年4月1日=表示改定。 昭和6年5月8日発行、800粁迄、粁表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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距離表示を、哩から粁で表した、 改正後の券。 昭和26年頃には、キロ表示に。 |
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地帯別の赤斜線表示では、哩時代は501哩以上が赤斜3条で、500哩迄が赤斜2条、250哩迄が赤斜1条となっていましたが、 粁表示になってからは、801粁以上が赤斜3条で、800粁迄が赤斜2条、400粁迄が赤斜1条に、変更されています。 粁表示の地帯別特急券、特別急行列車富士-1列車です。 |
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■昭和5年4月1日=表示改定。 昭和7年8月31日発行、800粁迄、粁表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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当券は、時期的には、改正前の流用券となっていて、以下の券同様のトレインマークが、付けられています。 粁表示の地帯別特急券、特別急行列車さくら-3列車となっています。 ● |
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昭和7年8月1日から、 トレインマークの、押印開始、 昭和16年12月31日迄、続きます。 |
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■昭和7年8月1日=名称改定。 昭和7年12月31日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和9年6月6日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和15年8月6日発行、800粁迄、粁表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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更に、昭和7年8月1日には、上記券の様に、再び「特別急行券」に変更されています。 途中で名称が戻されたり、また元に戻ったりと、原因は定かでは有りませんが、紆余曲折を経た後に暫くは落ち着きます。 この流れは「普通急行列車券」も、同様な時系列で、改称されています。 ● また「特別急行列車券」や「特別急行券」には、発行時に駅員の手に因って、トレインマークが青インクで押印されます。 尚、このトレインマークの切符への押印は、昭和17年1月1日(昭和16年12月31日最終)に、廃止されました。 上から特別急行つばめ-12列車、特別急行富士-1列車、特別急行つばめ-12列車となっています。 ● 下の券の赤斜線が細いのは、この時代の、広島印刷場の台紙を使用した、大阪印刷場の印刷券となっています。 神戸駅発行の赤斜線引き急行券=茜堂 |
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初期の頃の距離表示は、哩(1マイル=1.609344 キロメートル)で、表していました。 ● |
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■大正9年2月1日=名称改定。 昭和3年12月6日発行、500哩迄、哩表示券、 昭和4年3月4日発行、500哩迄、哩表示券、 昭和4年4月15日発行、500哩迄、哩表示券、 昭和3年11月2日発行、250哩迄、哩表示券、 昭和5年2月16日発行、250哩迄、哩表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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地帯別の赤斜線表示では、哩時代は501哩以上が赤斜3条で、500哩迄が赤斜2条、250哩迄が赤斜1条となっていましたが、 粁表示になってからは、801粁以上が赤斜3条で、800粁迄が赤斜2条、400粁迄が赤斜1条に、変更されています。 因に、500哩は804.672粁で、250哩は402.336粁となり、粁表示では若干、区間距離が短くなっています。 ● 昭和5年3月31日迄は、距離の表示が哩表示でしたが、昭和5年4月1日からは、以下の様に、粁(キロ)表示へと変換されます。 哩表示から、粁表示に伴い特別急行列車券同様に、地帯別での実距離内容は、変更されています。 ● 従来の500哩券(804.67粁)が、800粁券へと切り替り、4.67Kmが切捨てられました。 また、粁表示は、昭和26年頃にはキロ表示となり、更に、昭和33年頃には、Km表示へと変わりました。 |
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■昭和5年4月1日=表示改定。 昭和7年4月5日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和6年3月20日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和6年4月10日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和5年4月26日発行、400粁迄、粁表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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距離表示を、哩から粁で表した、 改正後の券。 昭和26年頃には、キロ表示に。 |
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昭和7年8月1日からは、以下の様に、等級数字が従来の「漢数字」から「算用数字」へと変更されます。 また、特別急行列車券同様に、普通急行列車券の名称が、それぞれ特別急行券、普通急行券へと変更されます。 |
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■昭和7年8月1日=表示改定。 昭和8年4月11日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和14年5月6日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和14年12月2日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和9年4月16日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和10年12月1日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和14年1月7日発行、800粁迄、粁表示券、 昭和9年8月2日発行、400粁迄、粁表示券、 昭和11年10月14日発行、400粁迄、粁表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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等級表示を、算用数字で表した、 改正後の券。 昭和44年5月10日、等級制廃止。 |
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上段の券は、2等券で、様式的には同期の券ですが、昭和1桁台の切符の特徴から、距離数の活字が小さく表現されています。 それぞれ下の券の赤斜線が細いのは、この時代の、広島印刷場の台紙を使用した、大阪印刷場の印刷券となっています。 |
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■昭和7年8月1日=表示改定。 昭和16年11月18日戦時発行、800粁迄、粁表示券、 昭和16年12月2日戦時発行、800粁迄、粁表示券、 昭和16年3月28日戦時発行、400粁迄、粁表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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開戦前の、気運高揚の為、
従来通り、通行税が内税で有る旨を、 敢えて表示しています。 |
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戦時中に発行された券で、料金表示には、税共表示が成されています。 こちらも、下の券の赤斜線が細いのは、この時代の、広島印刷場の台紙を使用した、大阪印刷場の印刷券となっています。 |
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■昭和17年1月1日=制度改定。 昭和17年9月29日戦時発行、401粁以上、粁表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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特急券、急行券等の料金券は、昭和17年1月1日(昭和16年11月29日=鉄道省告示第245号)の改正で、料金区分が変更され、 従来の三地帯制から、二地帯制に変わり、400粁迄が赤斜1条、401粁以上が、赤斜2条となりました。 当券は、戦時中に発行された券で、料金表示には、税共表示が成されています。 ● |
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昭和17年1月1日、 種別券は、三地帯制度から、 二地帯制度に、変更されました。 |
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■昭和17年1月1日=制度改定。 昭和17年11月4日戦時発行、401粁以上、粁表示券、 昭和17年11月4日戦時発行、同時乗車券、 昭和18年4月5日戦時発行、401粁以上、粁表示券、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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当券は、戦時中に発行された券で、料金表示には、税共表示が成されています。 また、戦時体制での二地帯制化に因る、赤斜線券の最終期券ともなり、戦争の激化に因って、赤斜線は消滅する事となります。 ● 赤斜線引きは、以前の三地帯制の、801粁以上(赤斜3条)、800粁迄(赤斜2条)、400粁迄(赤斜1条)から、 昭和17年1月1日には、401粁以上(赤斜2条)、400粁迄(赤斜1条)の、二地帯制へと変わりましたが、 その後、戦時体制下の節約に因る、印刷軽減の為、昭和18年7月1日には、一旦、赤斜線引きは廃止されました。 神戸駅発行の復活した赤斜線引き急行券=茜堂 |
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戦時中の、昭和18年7月1日に、姿を消していた赤斜線引きが、 昭和26年11月1日(昭和26年10月31日=国有鉄道公示第249号)に、従来の地帯別から、列車種別に変更され、復活します。 |
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■昭和26年11月1日=制度改定。 昭和28年4月15日発行、600キロ迄、 昭和27年9月1日発行、600キロ迄、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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従来の地帯別赤斜線と比べると、列車種別の赤斜線は、以前の様な存在感が乏しく、少し乍ら薄っぺらな感じが致しますが、 待ちに待った、料金券への赤斜線の登場で、特急が赤斜3条、急行に赤斜2条を、準急行には、赤斜1条が付きました。 ● 昭和27年3月15日(昭和27年3月13日=国有鉄道公示第82号)の改正で、特急券、急行券、準急行券の2等以上の、 料金券の裏面には、英文字表記が記されています。 ● また、急行券と準急行券のみ、昭和29年頃から、等級表示の位置が、従来の「料金前」から「キロ数前」へと変更されます。 尚、特急券ではモノクラス制が布かれる迄、等級表示は、そのまま「料金前」に置かれています。 ● |
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■昭和26年11月1日=制度改定。 昭和31年5月17日発行、600キロ迄、 昭和33年3月4日発行、600キロ迄、 昭和30年10月17日線引-翌収発行、600キロ迄、 昭和30年11月26日発行、600キロ迄、 昭和32年1月5日発行、600キロ迄、 昭和33年11月9日ヨ-翌収発行、600キロ迄、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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● 戦後の昭和26年11月1日には、地帯別(距離別)から、列車種別に変換された赤斜線引きが、復活しましたが、 赤斜線同士の幅間隔が、従来の赤斜線より、基本的(例外有り)に狭くなっているのが、新しい赤斜線引きの特徴です。 その後、赤斜線引きの料金券は、昭和33年9月30日を最後に、廃止されました。 ● 尚、最上段の神戸駅発行の、神戸駅発には、神戸駅の変更印が押され、大阪駅発となっています。 また、その下の3等切符の日付下に有る、手書きに因る線と、最下段の日付後部の「ヨ」は、翌収扱いの印となります。 詳細は 茜堂-謎の記号と不思議な落書き を、参照願います。 神戸駅発行の赤縦線引き特急券と急行券=茜堂 |
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昭和33年10月1日(昭和33年9月24日=国有鉄道公示第325号、総裁達第465号)の改正で、 従来の列車種別での、赤斜線に換わり、列車種別での赤縦線が、登場します。 赤斜線丁付印刷での断裁時に、斜線がズレる場合が多々有り、作業効率の為、問題の無い縦線になりました。 ● |
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■昭和33年10月1日=表示改定。 昭和34年11月17日発行、区間制、 昭和35年2月22日発行、区間制、 昭和35年8月10日発行、区間制、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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特急券や急行券、準急行券類は、従来の赤斜線引きから、次世代券として赤縦線引きが登場します。 赤斜線引きは、戦争をはさみ一時中断され、昭和26年11月1日に復活しましたが、 その際に、以前の地帯別(距離別)から、列車種別に変換され、赤縦線引きも、その流れを踏襲しています。 ● 上から、特急第1こだま-2M列車、2等券(裏面には英語表記)、特急第1こだま-2M列車、3等券(流用券)となっています。 下の券は、昭和35年7月1日の2等制改正後に、発券された前様式の流用券となります。 また、等級表示が、距離表示の前に配置されています。 |
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■昭和33年10月1日=表示改定。 昭和36年5月10日発行、区間制、 昭和36年8月2日発行、区間制、 昭和36年11月2日発行、区間制、 昭和38年5月26日発行、区間制、 昭和37年11月5日発行、区間制、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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特別急行券のみ、 従来の距離制から、 区間制に変更されています。 |
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上記の特急券は、赤縦3条となった後の、昭和35年7月1日(昭和35年6月23日=国有鉄道公示第294号、総裁達第344号)の、 等級改正後の券で、これより、従来の2、3等は、1、2等と呼称変更されています。 また、等級が料金の前に配置され、更に、特別急行券のみ、従来の距離制から、区間制に変更されています。 ● 上から、特急第1こだま-2M列車、特急第1つばめ-2002M列車、特急第1富士-2004M列車、特急第1富士-2004M列車、 特急うずしお-2009M列車で、2等券(旧3等券)となっています。 尚、特急第1富士の上の券では、窓口表記がアルファベットですが、下の券からは、数字に変更されています。 ● |
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■昭和33年10月1日=表示改定。 昭和35年6月30日発行、600Km迄、 昭和38年7月9日発行、300Km迄、 昭和38年8月25日ヨ-翌収発行、301Km以上、 昭和38年12月17日ヨ-翌収発行、301Km以上、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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急行券は、列車種別に因り、赤縦2条となっています。尚、最上段を除く3枚の急行券は、赤縦2条となった後の、 昭和35年7月1日(昭和35年6月23日=国有鉄道公示第294号、総裁達第344号)の、等級改正後の券で、従来の2、3等は、 新しく、1、2等と呼称変更されています。また、急行券は従来通りの、距離制を保っています。 ● また、最下段の2等切符の、日付後部の「ヨ」は、翌収扱いの印となります。 詳細は 茜堂-謎の記号と不思議な落書き を、参照願います。 ● |
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■昭和33年10月1日=表示改定。 昭和34年12月19日発行、300Km迄、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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準急行券は、列車種別に因り、赤縦1条となっています。 準急行券は、昭和21年10月15日(昭和21年9月14日=運輸省告示第237号)に、料金を全線均一とする、様式が制定されます。 昭和23年6月30日(昭和23年6月29日=物価庁運輸省告示第8号)の改正で、従来の料金均一制から、地帯制に変更されます。 ● 当券は、昭和35年7月1日(昭和35年6月23日=国有鉄道公示第294号、総裁達第344号)の、等級改正前の券で、 旧1、2、3等時代の、3等券です。また、準急行券も急行券と同じく、従来通りの、地帯制(距離制)を、保っています。 |
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■昭和33年7月24日=様式制定。 昭和39年11月8日発行、301Km以上、 昭和37年9月21日発行、全線均一、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和33年7月24日制定の、 特急券や急行券と、指定席券が、 合体された、一葉式の設定。 |
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上記は、昭和33年7月24日(同日=国有鉄道公示第269号)の改正で始まった、普通急行券と、寝台券の一葉式券。 同日から始まった、座席指定制実施により、特急券や急行券、準急行券と、寝台券や指定席券等が一体され一葉化された、 一葉式券が設定されます。 ● 下の準急行券は、昭和35年7月1日(昭和35年6月23日=国有鉄道公示第294号、総裁達第344号)の、等級改正により、 従来の2、3等を、1、2等に変更すると共に、従来の、料金地帯制から再び、料金全線均一性に戻されています。 上の券から、急行ぎんが(12列車、普通急行券、寝台券)、準急行第1いぶき(準急行券、座席指定券)で、共に改正後2等券です。 ● 昭和41年3月5日(昭和41年3月4日=国有鉄道公示第132号)の改正で、券種別表示に因る、全ての赤縦線が廃止されました。 また、昭和43年10月1日(ヨンサントオ)の白紙ダイヤ改正にて、長らく親しまれて来た、準急行券は廃止されました。 |
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■昭和33年10月1日=表示改定。 昭和40年8月25日神戸駅長発行、代用証、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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所属長等から発行される、 国鉄職員の、乗車証の一種で、 急行券、準急行券の代用切符。 |
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上記の券は、国鉄職員が公務で移動する時の、無賃で乗車出来る乗車証の一種で、列車種別券の代用となる物です。 また、構内営業や作業の外注先の職員等の乗車にも、無賃で適用され、乗車証で管理されていました。 当時は、特等車等にも拡大解釈され、一般旅客者が立っているのに、鉄道関係者が座っている事への、批判も多かった。 ● 問題となったのは、職員を含めた家族が、所属管理局内等の制限のもと、無賃となる慣行が古くから有った事で、 世間からは、家族を含めての「鉄道一家」等と批判され、昭和20年代初期には、廃止の気運が高まったが、 この制度は縮小され「特殊精勤乗車票」と、名を変えて細々と存続していました。 ● その後、昭和32年7月1日からは、職員の子弟が、学校教育法第1項に規定された学校に、通学する場合のみ、 丸職の通学定期乗車券(6割引)を新設し、また、丸職の家族運賃割引証(7割引)を、発行する制度に移行しました。 ● 因に、昭和41年3月5日(昭和41年3月4日=国有鉄道公示第132号)の改正で、急行料金と、準急行料金は統一され、 準急行料金は、100Km迄の物を指す事に、なっていますが、当券は、その改正前の券となっていますので、 普通急行券と準急行券が、同列表記されていますのは、単なる印刷節約の為の措置と思われます。 ● 当、券面の赤縦線2条は、上記の切符類と同じく、列車種別を表し、普通急行券を表しています。 使用に際しては、等級、乗車距離に関しては、乗車券に準ずる物とし、乗車券と同時に使用する場合のみ、有効とされます。 神戸駅発行のグリーン券=茜堂 |
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等級制が廃止され、モノクラス制となり、特別車両券(区間制のグリーン券)が登場します。 ● |
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■昭和44年5月10日=制度改定。 昭和44年5月20日発行、グリーン券、 昭和46年3月3日発行、グリーン券、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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上段の券の乙片には、小児運賃差額が、下段の券の乙片には、大人運賃が、記載されています。 ● 他券でも、小児断線から、右側の乙片内の運賃表示が、小児運賃差額か、大人運賃かが、記載されていますが、 売上げ計上の際には、小児運賃での帳簿に記入する場合、当然、前者の仕様の方が、引き算だけで便利な筈では有るが、 年代別、駅別でも無い、この仕様は一体どの様な、規則性が有るのだろうか。 ● 印刷場での、小児運賃差額原稿作りが煩わしい、燃しくは時間が無かったので、各駅に任せたので有ろうか、 確かに、一ヶ所で、全駅、全切符の小児運賃差額を割り出すより、各駅に任せた方が、遥かに楽で、合理的では有る。 但、この発想は茜堂管理人の、個人的な考えなので、何ら根拠は有りません。 ● 昭和44年5月10日(昭和44年5月9日=法律第22号、国有鉄道公示第102号、旅自達第6号)の改正で、等級制が廃止され、 モノクラス制になりましたが、この日からグリーン券が登場します。 ● グリーン料金は、旧1等車の設備に対する、設備料金との事で設けられましたが、 やはり運賃の等級差であり、どこか矛盾した、等級制廃止後のグリーン料金の、設定切符です。 茜堂管理人は、趣味と収集目的から、快速に乗る前には窓口で、硬券のグリーン券を、よく購入していました。 神戸駅発行の急行券や寝台券=茜堂 |
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戦中戦後には、一時赤斜線入りの特急券や急行券が姿を消し、シンプルな急行券等が登場します。 ● |
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■昭和18年7月1日=表示改定。 昭和21年3月6日発行、8列車急行券、 昭和22年10月11日発行、4列車急行券、 運輸省、 昭和24年9月2日発行、2列車急行券、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和18年7月1日、地帯別の赤斜線引きが廃止され、戦中戦後にかけ節約の為、簡素な特急券や急行券が、登場しました。 上段の8列車急行券には、乙辺綴り穴が省略され、黒点刷りで対応をしています。 また、料金表示の前部に、特別運賃税共の表示が有りますが、当券は戦後の発行で、料金が手書きで改正されています。 ● 下段の2列車急行券は、鹿児島駅~東京駅間を運行し、進駐軍占領下で、初の日本人が乗れる、寝台車両付きの急行列車です。 但し、外国人の優先利用が原則で、空き座席や、空き寝台のみの利用が可能という、制約が有りました。 尚、当券は600粁迄の急行券ですが、6の数字が欠落した侭で、鉄道省GJR地紋の、流用券となっています。 |
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■昭和25年4月1日=制度改定。 昭和26年10月27日発行、600キロ迄、常備券、 昭和26年10月29日発行、600キロ迄、常備券、 昭和26年10月29日発行、同時乗車券、 昭和26年10月29日発行、600キロ迄、常備券、 昭和26年10月29日発行、同時乗車券、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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四地帯の券ですが、 従来の赤線数での、差別化を、 黒線の本数で、代用しています。 |
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上記の券には、2条の黒線が施されていますが、これは昭和25年4月1日から始まった、四地帯制の券です。 1201km以上(黒線横4条)、1200km迄(黒線横3条)、600km迄(黒線横2条)、300km迄(黒線横1条)となります。 影学は学生割引券で、急行券とペアとなり、上下で二人分となっています。券面の違いを見比べて下さい。 ● 昭和26年11月1日に、赤斜線引き(列車種別)が復活し、昭和33年10月1日から、赤縦線に変換されましたが、 昭和41年3月5日( 昭和41年3月4日=国有鉄道公示第132号)の改正で、列車種別の赤縦線は、廃止されました。 以下は、復活後の赤線引きが全面廃止となった後の、近代形の急行券類を掲載しています。 |
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■昭和25年4月1日=制度改定。 昭和42年7月8日発行、400Km迄、常備券、 昭和41年3月26日発行、1000Km迄、常備券、 昭和41年3月28日発行、1000Km迄、常備券、 昭和41年9月12日発行、1000Km迄、常備券、 昭和41年3月22日発行、400Km迄、常備券、 昭和41年8月3日発行、200Km迄、常備券、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和41年3月5日の改正で、 特急券や、急行券から、 赤線引きが、廃止されました。 |
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以前の乗車距離の区間様式では、乗車距離の次に、発駅表示が位置していましたが、 当券から、発駅表示の後に、乗車距離が記される様になりました。 ● 尚、上段の1等急行券は、 昭和42年3月1日(昭和42年2月20日=国有鉄道公示第70号)改正後の、 前期様式流用券となります。詳しくは下段の切符類での、解説を参照願います。 |
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■昭和42年3月1日=様式改定。 昭和44年4月2日発行、400Km、常備券、小児使用、 昭和44年4月2日発行、400Km、常備券、 昭和44年4月15日発行、1000Km、常備券、 昭和44年5月6日発行、200Km、常備券、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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甲乙に分けられた、 小児断線を、切り取った、 小児輸送料金を使用の、急行券。 |
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昭和42年3月1日(昭和42年2月20日=国有鉄道公示第70号)の改正で、 区間表示が従来の「発駅から、Kmまで」が、新たに「発駅→Km、Km以上」に、変更されました。 最上段の急行券は、小児断線で切離の小児急行券です。切離後の乙片は、小児切符発行の証として、発売駅で保管されます。 ● |
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■昭和44年5月10日=様式改定。 昭和45年3月19日発行、201Km以上、常備券、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和44年5月10日(昭和44年5月9日=法律第22号、国有鉄道公示第102号、旅自達第6号)の改正で、 従来の等級制が廃止され、モノクラス制となり、券面から等級の文字が無くなります。 ● |
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■昭和50年11月20日=様式改定。 昭和52年12月22日発行、神戸~熊本、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和50年11月20日(昭和50年11月18日=国有鉄道公示第151号)の改正で、区間表示が従来の「発駅→Km、Km以上」と、 特急券の場合は「発駅→着駅」も、併用していましたが、新たに「発駅▶区間、着駅」に、変更されました。 当券は、神戸駅~熊本駅間の、下り特急明星4号-6029列車の、特急券です。 |
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■昭和33年7月24日=様式制定。 昭和42年5月30日発行、神戸~1000Km迄、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和33年7月24日制定の、 特急券や急行券と、指定席券が、 合体された、一葉式の設定。 |
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上記は、昭和33年7月24日から始まった、普通急行券と、寝台券等の一葉式券で、急行銀河-104列車です。 同日から始まった、座席指定制実施により、特急券や急行券と、寝台券や指定席券等が一体となった、一葉式券が登場します。 ● 神戸駅発着の、寝台急行銀河は、昭和40年10月1日~昭和47年3月14日の、7年間のみ姫路駅迄延長され、 最初の2年間は、寝台車両が運用から外され、座席編成のみの急行銀河となっています。 更に、昭和47年3月15日のダイヤ改正では、神戸駅での停車を外され、大阪駅発着に、その運用が短縮されました。 ● 急行銀河の最終編成は、昭和51年2月20日に置換えられた 20系 から、14系に、更に、24系25形に置換えられ、 平成20年3月15日の、ダイヤ改正によって、惜しまれつつ廃止されました。 |
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■昭和33年7月24日=様式制定。 昭和36年8月14日発行、座席指定、 昭和41年4月30日発行、座席指定、 昭和41年10月20日発行、座席指定、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和33年7月24日制定の、 A型券での、指定席券の設定。 後に、D型券へと、変更されます。 |
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上記は、昭和33年8月21日(昭和33年7月24日=国有鉄道公示第269号)から始まった、座席指定券です。 上段の券は、上り急行銀河(ぎんが)-16列車-1等座席指定券、中段の券は、下り急行夕月-203列車-2等座席指定券。 下段の券は、下り急行天草-1201列車-2等座席指定券です。 ● 初期の座席指定券は、A型券として、列車名は愛称を左下に配置していましたが、 昭和40年10月1日(昭和40年9月24日=国有鉄道公示第538号)の改正に因って、D型券とし、列車名を上部に配し、 列車名は愛称を、券名の前に大きく示す様になりました。尚、中段と下段の券は、前期流用券で、A型券の侭となっています。 ● |
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上記は、昭和40年10月1日(昭和40年9月24日=国有鉄道公示第538号)から始まった、D型座席指定券です。 下り急行天草-1201列車、神戸駅~熊本駅迄の、2等座席指定券です。 ● 乗客サービスの一環から、A型券面での、情報量を考慮した結果として、D型券への移行だったと推測されます。 その後の座席指定券は、昭和44年5月10日(昭和44年5月9日=国有鉄道公示第102号)の改定で、 券名を、指定席券と変更をし、昭和57年4月20日(昭和44年4月19日=国有鉄道公示第9号)の改定で、小児断線を新設します。 ● 座席指定券の制度としては、元々、特急、寝台や特ロ等には、座席手配の手数料が含まれた、料金が設定されていましたが、 座席の手配それ自体に、料金が定められたのが、この昭和33年8月21日からの制度となります。 ● その切っ掛けとなったのが、九州の55系気動車準急ひかりで、博多駅と門司港駅からの車両を、小倉駅で併結し、 日豊、豊肥線経由で、熊本駅迄を結ぶに当たり、休日とその前日に、2、3等車全車の座席指定を試み、乗車の一週間前から、 西部支社内の各駅と、日本交通公社案内所で、準急券と一葉化された、座席指定券を発売しました。 ● これが、特急以外の3等車座席指定の、始まりとなります。 昭和33年10月1日(昭和33年9月24日=国有鉄道公示第325号)には、基盤となる座席指定券販売規程が、制定されました。 ● |
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上記は、下り急行但馬5号-615D列車、神戸駅~城崎駅、播但線経由、急行券-指定席券(一葉化券)。 ● 昭和44年5月10日(昭和44年5月9日=法律第22号、国有鉄道公示第102号、旅自達第6号)の、改正に因り、 従来の等級制が廃止され、モノクラス制となり、券面から等級の文字が無くなります。 ● 昭和50年11月20日(昭和50年11月18日=国有鉄道公示第151号)の、改正に因り、 区間表示が、従来の「発駅→Km、Km以上」と、特急券の場合は「発駅→着駅」も、併用していましたが、 新たに、区間表示が目立つ様にと「発駅▶区間、着駅」に、変更されました。 |
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■昭和3年9月16日=様式制定。 昭和4年10月13日発行、寝台券、下段、鉄道省、 昭和30年10月25日発行、列車寝台券、B上段、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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寝台券は、 昭和30年7月1日には、 列車寝台券に、改称されました。 |
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寝台車は、明治33年に山陽鉄道に僅かに遅れて、鉄道作業局が、米国、英国から、それぞれ各2両の寝台車を購入し、 同年10月1日から、新橋~神戸間の普通急行列車で、1等車として使用されました。 当時の寝台車両は、片廊下で、上下各2人ずつの5区分室から成る、ヨーロッパ式でした。 ● 昭和3年9月16日(昭和3年8月13日=鉄道省告示第161号)の改正で、2等大型寝台を廃止し、寝台券の大型、並型表示を廃止。 従来の縦型軟券から、縦型硬券に戻されました。 ● 上段の券は、急行18列車(名士列車)の寝台券で、下段の券は、急行14列車の列車寝台券です。 従来の1等寝台券は、昭和30年7月1日に廃止され、2等寝台券が、列車寝台券に名称変更されています。 ● 寝台列車の18列車は、神戸駅~東京駅間を結ぶ夜行急行ですが、華族や政財界の要人等、多くの知名士が利用した為に、 当時は、特急富士と並び「名士列車」と、呼ばれていました。 急行列車で有り乍ら、その編成は当時の特急を凌ぐ、優等編成の寝台急行でした。 |
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■昭和31年3月20日=様式設定。 昭和35年7月31日発行、列車寝台券、上段、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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縦型のA型寝台券は、 昭和31年3月20日には、 横型寝台券に、変更されました。 |
当初の、寝台券は縦型のA型券でしたが、昭和31年3月20日(昭和31年3月10日=国有鉄道告示第70号)の改正で、 3等列車寝台券を制定すると共に、横型のA型券へと変更されています。当券は、上り急行銀河-16列車です。 ● |
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■昭和33年10月1日=様式制定。 昭和37年2月22日発行、列車寝台券、B下段、 昭和37年5月2日発行、列車寝台券、中段、 昭和38年6月11日発行、列車寝台券、下段、 昭和38年9月23日発行、列車寝台券、下段、 昭和38年10月21日発行、列車寝台券、上段、 昭和38年12月17日発行、列車寝台券、中段、 昭和39年1月6日発行、列車寝台券、下段、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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また、1、2等寝台券の様式も、3等寝台の横型A型券での登場から、遅れる事、2年7ヶ月余り経った、 昭和33年10月1日(昭和31年9月24日=国有鉄道告示第325号)の改正で、横型のA型券へと、変更されています。 ● 上から、急行ぎんが-16列車-1等B常備、急行高千穂-35列車-2等、急行霧島-31列車-2等、急行ぎんが-16列車--2等常備、 急行さつま-601列車-2等、急行げんかい-33列車-2等、急行ひらど-209列車-2等常備。 急行「ひらど」は、昭和43年10月1日(ヨンサントオ)の白紙ダイヤ改正で、急行「西海」に改称されます。 ● 昭和31年11月19日の改正で、急行「きりしま」から、急行「霧島」に改称されますが、上記切符では未変更です。 尚、昭和45年10月1日の改正で、寝台特急「きりしま」が新設された為、急行「霧島」は「桜島」へと改称されました。 急行「げんかい」は、昭和57年11月15日の改正で、急行「玄海」の漢字表記に、改称されます。 ● 急行銀河は、昭和20年12月に、東京駅~大阪駅間の深夜急行として誕生。 本来ならば海外渡航の窓口でも有る、神戸駅迄とすべき所ですが、占領下に措ける統制の為に、大阪駅迄となります。 規制が緩和された、昭和25年10月1日の改正で、大阪駅から神戸駅迄、延長されています。 ● |
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上記は、下り急行第2夕月-203列車(昭和42年10月1日改正)、神戸駅~大分駅迄の、2等寝台券です。 乗客サービスの一環から、A型券面での、情報量を考慮した結果として、D型券への移行だったと推測されます。 昭和39年2月1日(昭和年39年1月25日=国有鉄道公示第22号)の改定で、下車駅の表示が成されます。 ● 列車は大分駅で増解結され、1号車~7号車=新大阪駅~宮崎駅間、8号車~11号車=新大阪~大分駅間となっています。 大分駅では、下り列車の場合、後部の8号車~11号車を解結し、上り列車の場合、8号車~11号車が、先頭に増結されます。 また、下り列車の場合、機関車の直後(1号車の前)に、荷物車が付けられ、上り列車の場合、最後尾に荷物車が付きます。 ● 急行「夕月」は、昭和40年10月1日、新大阪駅~宮崎駅間の、客車寝台急行列車-203、204列車として登場します。 昭和42年10月1日からは、同列車番号乍ら、急行「第2夕月」で登場し、不定期での増発便を設定します。 多客期、団体使用時には大阪発着とし、急行「第2平戸」を増結、大阪駅~佐世保駅間を、3209、3210列車として運用。 ● 昭和43年10月1日(ヨンサントウ)の白紙ダイヤ改正で、昭和35年6月1日に、気動車準急として登場した、 先輩格の急行「日南」との、愛称統合に因って、急行「夕月」と、急行「日向」共々、その愛称は消滅しています。 |
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