故郷神戸駅の乗車券/茜堂 | |||
神戸駅発着の明治大正の乗車券=茜堂 |
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入場券や特急券等は、漢字表記で始まりましたが、乗車券は、平仮名表記で始まります。 乗車券は、多くの方に使用される為、漢字が読めない乗客の為に、大正4年9月15日迄、平仮名表記されています。 ● その他、官公断線入りの右書き乗車券や、通行税入券、戦時特別運賃加算の戦時券等の、一般式乗車券や、 地図式乗車券、矢印式乗車券、金額式乗車券や、バス乗車券等を収録しています。 ● 官公断線は、官の威光が大きかった、大正初期(正確には明治45年4月1日)に始まり、大正15年頃には廃止されます。 明治45年4月1日での、施行より後四ヶ月程で、大正元年と年号が変わりましたので、便宜上、これを大正初期としています。 また、官公断線は、小児断線と交差するようなX形から、エックス断線とも呼ばれています。 ● それらの乗車券での官職割引率は、小児割引率と同じ扱いで、半額の端数切捨て運賃となります。 乗車券は、その永きに渡る歴史から、様々な様式や形態が存在し、それらを紐解く楽しみが潜んでいます。 ● |
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■明治43年4月1日=制度改定。 明治44年12月13日発行、平仮名表示券、 内閣鉄道院、 西部鉄道局兵庫印刷所印刷券。 |
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明治43年4月1日(明治43年3月24日=法律第5号)の改正で、乗車運賃に、通行税が課税される様になります。 それ以前には、明治38年1月1日から、日露戦争の費用調達を目的とする、非常特別税が、課税されていました。 切符台紙は、薄い青染め和紙(麻紙)による、ボール紙への両面貼り合わせ切符で、裏面は英語表記となっています。 |
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■明治39年10月1日=制度改定。 大正7年4月3日発行、右書表示券、 内閣鉄道院、 西部鉄道局兵庫印刷所印刷券。 |
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明治39年10月1日に、
小児断線と、交わる形で、 官割用の断線が、引かれます。 |
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明治39年10月1日(明治39年9月28日=逓信省告示第432号、陸軍省告示第19号)の改正で、 公務軍人、軍属、警察官の乗車に就いて、官用割引制を制定。小児半額輸送の断線と交わる様に、官割断線が入ります。 ● 大正4年9月16日(大正4年9月11日=鉄道院総裁達第993号)に、自至駅名は「ひらがな表示」から、「漢字表示」に変更。 但し、読みにくい漢字駅名は、ひらがな表示でも構わないとする、特例が付きます。 |
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■大正9年2月1日=制度改定。 大正10年6月18日発行、左書表示改定券、 大正10年3月11日発行、左書表示改定券、 鉄道省、 西部鉄道局兵庫印刷所印刷券。 |
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大正9年2月1日に、
券面の、全ての右書表示が、 現在使用の、左書表示に改正されます。 |
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大正9年2月1日(大正9年1月8日=鉄道院総裁達第1号)の改正で、従来の右書表示から、現在の左書表示に変更されました。 また、ダッチングの日付様式も同様に、日月年の右打ち表示から、年月日の左打ち表示に、改められました。 ● |
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■大正10年1月11日=制度改定。 大正12年8月14日発行、左書表示改定券、 鉄道省、 西部鉄道局兵庫印刷所印刷券。 |
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大正10年1月11日(大正9年12月1日=鉄道省達第727号)の改正で、官公断線の表記が変わり、 従来の官公断線の表示の「官」が「公」に変更され、ヨリ表示が、よりゆき表示に、着駅表記がゴシック体に変更されました。 ● |
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■大正10年1月11日=制度改定。 大正12年1月29日発行、よりゆき表示、 大正12年2月11日発行、よりゆき表示、 大正12年10月10日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 西部鉄道局兵庫印刷所印刷券。 |
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大正10年1月11日(大正9年12月1日=鉄道省達第727号)の改正に因り、 乗車券の従来の「ヨリ」表示が「よりゆき」表示に変更され、発駅表示が明朝体活字に、 着駅表示がゴシック体活字に、変更されています。また、全券共に、小児断線の無い大人専用券となります。 |
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■大正15年4月1日=様式改定。 大正15年10月24日発行、よりゆき表示、 昭和3年12月6日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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大正末期~昭和初期、
乙片集束用の、綴り穴位置が、 黒点印刷に因って、表示されます。 |
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大正末期発行の、乗車券等の乙片(小児断線右側)に、集束用の綴り穴位置が、過度期として黒点が付く様になります。 これは、大正15年4月1日(3月31日=鉄道省達第247号)から施行の、改正に因る券式となっていて、 これらの乙片黒点は、私鉄券でも採用され、大正末期から昭和初期の、極短い期間の、特徴的な処置券となっています。 ● 後に、下段に有る様な、乙片上部に、コストの掛かる穴開け処理がなされた、切符へと推移します。 神戸駅発行の三ノ宮ゆき戦前の乗車券=茜堂 |
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大正後期から、昭和初期迄の短い期間に、様式が大きく変貌しています。 特に、等級と料金の漢数字から算用数字への、移行が良く解る時期の、同区間の券を収録しています。 ● |
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■大正10年1月11日=様式推移。 大正12年4月29日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 西部鉄道局兵庫印刷所印刷券。 昭和4年2月22日発行、よりゆき表示、 昭和7年7月17日発行、よりゆき表示、 昭和7年12月20日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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最上段の大正券は、小児断線が付いていない、大人専用券です。 料金等、全ての数字は漢数字(ダッチング除く、以下同様)で、更に、通行税が外税で記載されています。 ● 二段目の券では、通行税の記載が無くなり、料金のみ、算用数字に変わっています。 この頃には、小児断線の乙片(右側)に、切取られた乙片の、集束用の綴り穴基準の黒点が、付く様になります。 これは、大正15年4月1日(大正15年3月31日=鉄道省達第247号)からの、改正に因る券式となっています。 ● 三段目の券では、切取られた乙片の、集束用の綴り穴が開けられていますが、 何故か、戦後の大阪印刷場管内のB型券では、乗車券や入場券も含め、乙片集束用の綴り穴は、開けられませんでした。 四段目の券では、乗車キロ数が表示され、唯一、漢数字であった等級迄が、算用数字に変わってしまいます。 |
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■昭和7年8月1日=様式改定。 昭和9年10月26日発行、よりゆき表示、 昭和9年10月29日発行、よりゆき表示、 昭和9年10月23日発行、よりゆき表示、 昭和9年11月7日発行、よりゆき表示、 昭和9年11月11日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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目的は不明乍ら、
短期間ですが、券面に粁表示が、 近距離券で、距離記載の必要性が不明。 |
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昭和7年8月1日(昭和7年6月6日=鉄道省達第179号達389号)の、旅客運輸規則の改定で、 普通乗車券の券面に発着駅間の、粁程を表示する様になりました。 ● 上部記載の粁程表示と同じ様式の、同区間の乗車券を、窓口番号順に追記致します。 等級が、現在的な算用数字に、変わっていますが、表記の距離数の単位が、粁となっている所が、 この時代の特徴ですが、着駅表記が成されているので、距離表記の併記は、乗客にとっては余り意味が有りません。 ● 三枠共、発駅の神戸の前に、A、B、Cの表記がなされ、がそれぞれの発行窓口が、異なっている事が分かります。 当時の神戸駅には、K(11窓口)まで、存在していた様です。 尚、い、ろ、は等(後に算用数字に変更)が、付けられた物が有りますが、こちらは券番に対する、循環符号となります。 ● 循環符号に就きましては、「茜堂-私鉄国鉄等連絡乗車券」を、ご覧下さいませ。 神戸駅発着の戦前戦中の乗車券=茜堂 |
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昭和の初め頃、小児断線の乙片側に、断片綴り穴が登場します。 小児断線の綴り穴は、黒点印刷から始まり、その後、次のコーナーに有る様な、丸穴が開けられる様になりました。 ● 小児券として、小児断線より切離された、残りの乙片を、後の検査用として束ねる為に使用されます。 この小児断線付き乗車券の利点は、コストが掛かる、小影の加刷が必要な小児専用券を、別途に設けなくても良い点です。 また、小児断線付き乗車券での、小児割引率は、券面記載の大人料金の、半額の端数切捨て運賃となっています。 ● |
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■昭和初期頃=乙片綴穴登場。 昭和4年2月14日発行、よりゆき表示、 昭和4年4月13日発行、よりゆき表示、 昭和4年4月14日発行、よりゆき表示、 昭和7年2月19日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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上記2枚の乗車券では、金額表記は、算用数字に変更されていますが、等級表示は、まだ漢数字のままです。 乗車券の機能が、ほぼ完成されたA型券ですが、時代に応じて、その姿を順次変えて行きます。 |
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■昭和7年8月1日=様式改定。 昭和8年4月19日発行、よりゆき表示、 昭和9年2月2日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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目的は不明乍ら、
短期間ですが、券面に粁表示が、 近距離券で、距離記載の必要性が不明。 |
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上記2枚の乗車券では、等級表示が、算用数字に変更されています。 これは、昭和7年8月1日(昭和7年6月6日=鉄道省告示第179号)の改正で、等級表示の漢式数字の廃止に因るものです。 また、同日から乗車券には、発着区間の「粁程」を、表示する様になりました。 ● 昭和初期発行の一部の乗車券の1~2等の表面に、行き先駅名の、英文字(ローマ字)併記が施されます。 また、初期の頃には発駅と着駅、後に、着駅のみの英文字(ローマ字)併記となり、マクロンが無かったり有ったりします。 英文字(ローマ字)併記や、マクロン等に付きましては、「鉄道親爺の脱線話-2014/2/14」を、参照願います。 ● |
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■昭和7年8月1日=様式改定。 昭和8年1月1日発行、よりゆき表示、 昭和9年7月27日発行、よりゆき表示、 昭和12年3月25日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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上段の、神戸駅から長崎駅までの、2等の長距離乗車券ですが、こちらには、英文字(ローマ字)併記が付けられていません。 必要に応じて、英文字(ローマ字)併記とされていますが、その判断基準は、明確では有りません。 |
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■昭和7年8月1日=様式改定。 昭和10年5月27日発行、よりゆき表示、 昭和10年7月4日発行、よりゆき表示、 昭和11年4月19日発行、よりゆき表示、 昭和10年6月2日発行、よりゆき表示、 昭和10年9月15日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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駅間距離と、駅間数が、
上線下線で、比例しない、 初乗り区間券。 |
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初乗り区間の、5銭券で括って見ましたが、神戸駅より兵庫駅への下り方面は、僅か1.8粁で1駅間ですが、 片や、神戸駅より三ノ宮駅への上り方面は、2.5粁で2駅間となり、粁数が表示されていると、損得感が表れてしまいます。 ● |
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■昭和7年8月1日=様式制定。 昭和10年9月21日発行、よりゆき表示、 昭和11年2月2日発行、よりゆき表示、 昭和11年4月17日発行、よりゆき表示、 昭和11年4月19日発行、よりゆき表示、 昭和11年4月30日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和7年8月1日から、乗車券には、発着区間の「粁程」を、表示する様になりましたが、 乗客へのサービスと言う、費用対効果が見られなかったのか、改定後5年弱で、そのサービスを終える事となります。 |
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■昭和12年6月1日=様式改定。 昭和14年1月14日発行、よりゆき表示、 昭和14年4月23日発行、よりゆき表示、 昭和14年2月22日発行、小影、よりゆき表示、 昭和14年11月13日発行、よりゆき表示、 昭和15年5月20日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和12年5月31日を、最後に、
有効乗車距離の、 券面への表示が、廃止されます。 |
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その後、昭和12年6月1日(昭和12年4月30日=鉄道省告示第138号)の改正で、裏面の発行駅名の前後の()が外され、 短い期間のみ、乗車券にも付けられていた、過剰サービスの様な、粁表示が外される事になります。 特急、急行券類では、重要な項目ですが、近郊の駅間で、距離表示が必要で有ったのかは、甚だ疑問が残ります。 |
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■昭和13年4月1日=様式改定。 昭和15年11月25日発行、よりゆき表示、 昭和16年2月2日発行、よりゆき表示、 昭和16年1月27日発行、よりゆき表示、 昭和16年11月3日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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開戦前の、気運高揚の為、
従来通り、通行税が内税で有る旨を、 敢えて表示しています。 |
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昭和13年4月1日(前日発布、法律第51号)、日華事変特別税法に因り、乗客に対して通行税を取る事となり、 大正15年に廃止していた、通行税が復活する事になります。 ● 開戦の気運が高まる中、国策として乗車運賃には、従来通り通行税が内税として、含まれている旨の表示として、 3等50粁未満を除き、金額表示の後ろに「税共」の表示を付ける様になり、今後の戦時対応での、税の道筋を立てています。 軍靴の足音が響く度に登場する、乗車への通行税、今後、斯様な表示が券面に記されない事を、願って止みません。 ● また、昭和15年4月1日(法律第43号、鉄道省告示第54号)から、運賃を5銭、10銭の単位に端数処理をし、 小児運賃は、5銭未満を切捨てとし、最低運賃を、5銭に制定する。 |
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■昭和13年4月1日=様式改定。 昭和14年7月23日発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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開戦の気運が、高まる中、
その時代背景を、踏まえて、 公務に因る、旅行が多発します。 |
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公の押印は、第五種公務用として、公務に因り旅行をする陸海軍軍人、軍属、及び警察官吏等に対して、 公務旅客取扱手続きを制定し、公影や押印を施し、半額の乗車運賃割引を行いました。 |
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■昭和15年12月1日=制度改定。 昭和17年4月8日戦時発行、よりゆき表示、 昭和19年12月17日戦時発行、よりゆき表示、 鉄道省、 大阪印刷場印刷券。 |
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戦時節約に因って、
切符用紙の、節約を図る為、 従来のA型券は、B型券へと移行。 |
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昭和15年12月1日(昭和15年10月31日=鉄道省告示第236号)の改正で、乗車券のサイズに、変化が見られる様になり、 発着区間40粁以下の場合に限り、乗車券を従来のA型から、B型サイズへと改定される事になります。 戦争が激化した時代には、戦時節約に因って、小振りのB型券が主流となり、徐々に、A型券は姿を消す様になります。 ● 昭和18年7月1日(昭和18年5月29日=鉄道省告示第131号)の改正で、汽車区間、省電区間を問わずB券化され、 戦時特別運賃加算に因って、 券面には「特別運賃共」或は「特別運賃」の表示が、付く様になりましたが、 昭和20年4月1日(昭和20年3月6日=鉄道省告示第50号)の改正で、券面から「特別運賃共」の表示が、廃止されています。 神戸駅発着の戦後の乗車券=茜堂 |
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戦後、僅か2箇月弱後に発券された、珍しい簡易地紋「工」の地紋券。 昭和19年10月頃、戦時混乱により、無地紋券が発行される中、広島局が考案した、簡易地紋「工」の地紋券です。 ● 長距離用乗車券の工地紋、短距離用は、工の字が4倍に拡大された、地紋が用いられています。 後に、近隣の管理局でも使用されましたが、昭和22年4月30日を最後に廃止されます。 ● |
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■昭和19年10月頃=様式制定。 昭和20年10月14日発行、よりゆき表示、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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戦後直下の乗車券類では、物資不足の関係で、粗末な切符が一時期、流通していましたが、 戦後1年を過ぎた頃には、通常形態の切符へと立ち直っています。 ● |
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■昭和25年6月1日=様式制定。 昭和25年12月4日発行、からゆき表示、 昭和28年6月15日発行、からゆき表示、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和25年6月1日(5月26日=国有鉄道公示第110号)の改正で、 常備乗車券の有効区間表示を、従来の「よりゆき」表示から、現在の「からゆき」表示に変更されました。 |
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■昭和25年6月1日=様式制定。 昭和38年3月29日発行、からゆき表示、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和初期から、一部の1等、2等乗車券券に対して始まった、英文字併記(駅名=マクロン付きのローマ字)の乗車券ですが、 後期様式で着駅のみの英文字併記券です。料金表示に「¥」と「円」と、両方が並ぶ、変則的な券となっています。 ● 昭和33年10月1日(昭和33年9月24日=国有鉄道公示第325号)の改正で、 従来は乗車運賃の前に有った、等級表示が、運賃の次に等級が、表示される様になりました。 ● |
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英文字併記後期様式の、
着駅のみの、英文字併記、 料金表示に、¥と円の両記載。 |
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■昭和25年6月1日=様式制定。 昭和35年8月20日発行、からゆき表示、 昭和37年9月26日発行、からゆき表示、 昭和37年11月7日発行、からゆき表示、 昭和39年3月8日ヨ=翌収発行、からゆき表示、 昭和39年11月8日発行、からゆき表示、 昭和42年2月12日発行、からゆき表示、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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戦時中に多発された、B型券ですが、遠距離用(汽車区間)の切符については、従来のA型券に戻される中、 比較的近距離の普通乗車券用として、B型券は戦後も引続き、使われる様になりました。 上から4枚目の券、日付後部の「ヨ」は、翌収扱いの印となり、詳細は、「茜堂-謎の記号と不思議な落書き」を、参照願います。 |
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■昭和24年9月6日=様式制定。 昭和39年11月17日発行、からゆき表示、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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国鉄神戸駅発の、大阪駅経由、地下鉄梅田駅乗換の、大阪地下鉄本町駅行きの、連絡乗車券。 本町駅は、御堂筋線と四つ橋線の二路線が有り、御堂筋線では梅田駅、四つ橋線では西梅田駅が、乗換駅となります。 但、利便的には、御堂筋線の梅田駅での乗換が、一般的となります。 ● 因に、御堂筋線は、日本初の公営地下鉄として、昭和8年5月20日に梅田駅~心斎橋駅間(3.1Km)が、開業します。 御堂筋線の正式名称は、高速電気軌道第1号線となっています。 |
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国鉄神戸駅発、
大阪駅経由の、梅田駅乗換、 大阪地下鉄への、連絡乗車券。 |
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■昭和44年5月10日=様式制定。 昭和47年5月7日発行、等級無表示、 昭和49年5月11日発行、等級無表示、 昭和49年11月19日発行、等級無表示、 国鉄、 大阪印刷場印刷券。 |
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昭和44年5月10日からの、 等級制度、廃止後の、 モノクラス制に依る、地図式券。 |
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昭和44年5月10日(昭和44年5月9日=国有鉄道公示第102号)の改正で、等級制が廃止され、モノクラス制となり、 全ての切符表示から1等、2等の文字が無くなりました。 ● 昭和18年11月1日、鉄道省から運輸通信省に変わり、戦争末期の昭和20年5月19日には、運輸省に改称されますが、 戦時混乱期の為、運輸省特有の地紋は作成されず、鉄道省時代のGJR地紋を、そのまま流用しています。 昭和24年6月1日に、運輸省から日本国有鉄道(国鉄)に変わり、地紋も暫く後には、GJRから、国鉄JNRに変更されました。 ● その後、昭和62年4月1日には、国鉄から民営化され、JRグループ各社(旅客6社、貨物1社、他2社)へと、分社化し、 旅客鉄道の切符で使用の社地紋も、それぞれ、JR各社用に変更されています。 また、全ての乗車券に課税されていた、通行税は、平成元年4月1日の消費税の導入に伴い、物品税等と共に廃止されます。 新会社発足初乗り記念乗車券 |
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日本国有鉄道改革法「昭和61年12月4日法律第88号、第6条第2項(旅客会社)、第8条第2項(貨物会社)」の規定により、 昭和62年4月1日に、国鉄は民営分割化され、株式会社としてJR各7社が発足します。 運営は、旅客鉄道株式会社、及び、日本貨物鉄道株式会社に関する、法律(JR会社法)によって、定められました。 |
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■昭和62年4月1日=新会社発足。 昭和62年4月1日発行、からゆき表示、 JR西日本、 大阪乗車券管理センター。 |
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券面左上の「企」の符号は、特別企画乗車券(区間や列車、利用期間等、特別な利用条件の切符)を表し。 旅客に対し、利便性向上、割引等の提供を目的に、特殊割引乗車券販売規則に基づく、特殊割引乗車券制度に拠り発行され、 通称「トクトク切符」と言われ、又、コアな層の間では「特企券(とっきけん)」とも呼ばれています。 ● 当券は、新会社発足時に発行された、イベント券で、近距離券乍ら、立派なA型券が採用されて、 常用運賃乍、通常の発売当日限りの所を、昭和62年4月1日~4月10日迄有効の特例が有る、特別企画乗車券となっています。 私鉄との競合区間の為、本来140円ですが、1~2地帯低いキロ帯の運賃適応で、120円となる、区間特定運賃券でもあります。 ● 券面の地紋は、旧国鉄JNR青地紋となっていますが、新会社の地紋は、昭和62年11月1日から始まります。 地紋は差別化が施され、JR北海道=北、JR東日本=E、JR東海=C、JR西日本=W、JR四国=S、JR九州=K、JRバス=Bの符号が、 それぞれ、共通地紋のJRの間に入ります。但し、JR北海道のみ12月1日から実施されています。 |
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昭和62年4月1日、
民営化、JR西日本発足記念、 特別企画乗車券。 |
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当ページの切符枠画像と、他のページの切符切抜画像とでは、拡大比率が異なっています。 解説に於いて、誤記や解釈の違いにより被られた不利益につきましては、茜堂では一切関知しないと共に、 責務を負えない事をご了承願います。 ● |
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