故郷神戸駅の切符-赤線入場券/茜堂
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我が故郷神戸駅の赤線入場券=茜堂
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茜堂-神戸駅の明治貳銭券 我国で、二番目の鉄道開業路線の、最西端駅で有った神戸駅は、我が茜堂の故郷でも有り、
地の利を生かした情報や、手持ちの資料や、古い切符類も、潤沢と迄は行きませんが、比較的揃っていますので、
入場券等、鉄道切符の歴史を語るには、最も都合の良い駅となっていますので、以下に記させて頂きます。
   
鉄道入場券の名称は、明治5年9月9日付の、開業式典用特別優待入場証の「印票券」から始まって、
明治30年11月5日から、神戸駅を含む10駅で発行された、A型弐銭縦型の「入場切符」を経て、
明治38年7月1日には、A横型の「入場券」となり、大正9年2月1日に、右書きから左書きへと、書式が変更されます。
   

その後、昭和24年5月1日には、現行の「普通入場券」へと、名称が変更されました。
近年の入場券では、旅客営業規則第294条第2項の規定に因って、使用時間(2時間)を制限して発売した、普通入場券も有り、
当該券の制限使用時間内に、限定使用する事が出来ます。尚、無人駅への入場には、入場券は不要となっています。
   

明治5年9月9日に、新橋駅と横浜駅で、行われる予定で有った開業式典は、大雨の為に三日後の12日に、順延されていますが、
既に、招待客に配布されていた「印票券」の日付は、明治5年9月9日の侭で、使用されています。
然し乍ら、この印票券は、式典の為の特別優待入場証であって、通常の入場券とは一線を画しています。

   

茜堂-神戸驛貳銭右書赤線入場券
茜堂-神戸驛貳銭右書赤線入場券(裏面)


■明治38年7月1日=横型改定。

大正2年1月26日発行、右書貳銭券、明治様式券、
大正2年1月26日発行、右書貳銭券、明治様式券、
券番表、鉄道作業局、
西部鉄道局兵庫印刷所貳銭1期券。
茜堂-裏面英文表記

この入場券は、台紙となるボール紙の両面に、薄い和紙(麻紙)を貼り合わせている、明治期特有の切符形態で、
赤い横線は、和紙(麻紙)に染め付けを行っていますので、以降の赤線刷とは違い、経年劣化に因り、にじみが生じています。
日付は、大正2年1月26日となっていますが、切符の体裁は、まだ明治期のままとなっています。
   

明治初期の注意書では「入場ノ節改鋏ヲ受ケ出場ノ節係員ニ渡サルベシ」と記されていて、
明治中期~後期の注意書には「本券ハ入場ノ節改鋏ヲ受ケ出場ノ節係員ニ御渡相成度候」と文章が長くなっています。
大正初期には、末尾の「候」が外され「出場ノ節」が「出場ノトキ」に、それぞれ変化しています。
   

裏面の英文字表記は、明治9年12月1日、鉄道差配役カーギルの意見で、乗車券の裏面に注意書きとして、
和英での表記が起源となり、後に発行された、入場券でも乗車券に習い、裏面に英文での注意書きを記していますが、
乗車券とは異なり、表面の和文に対し、裏面がその英文表記となっている点です。
  

英文下三行の、This Shall be punehed on entering the platform and collected on lenving it. 
直訳すれば、これはプラットホームに入る際に処罰され、それを残して収集されるものとする。となるが、
要約すれば、これはプラットホームに入る際に処理(入鋏)され、それを持ち(入場し、出る際に駅側に)収集される物とする。
  

当初の入場券には、単にプラットホームへの、不要不急の立入りを、入場制限する思惑が有った様で、
裏面英文字は日本人に対しての、バイアス効果も、加味していたのではないのかと、思われます。
裏面の英文字表記は「右書表記」から、大正9年2月1日からの「左書表記」に変わる迄、表記される事となります。
左書き入場券へと、
文字様式が変わる迄は、
表内様が、裏面に英文記載されます。
   

茜堂-右書最終券
茜堂-神戸驛貳銭右書赤線入場券


■明治38年7月1日=横型改定。

大正7年6月10日発行、右書貳銭券、
券番表、鉄道作業局、
西部鉄道局兵庫印刷所貳銭2期券。
左書き入場券へと、
文字様式が変わる前の、
右書きの、最終様式となる入場券。

当券からは、入場券の文字が以前と比べ、可成り大きく表示される様になりました。
これはまだ、多くの方々に入場券自体の認識が浸透されず、認知向上を計る為の、措置で有ろうと思われます。
裏面には、前様式と同様に、外国人向けに英文字が表記されています。



神戸駅の赤線入場券に無日付登場=茜堂

茜堂-無日付入場券の登場 大正9年1月8日付けの、鉄道院総裁達第1号に拠り、大正9年2月1日からの施行として、 
全ての切符の書式が、ダッチング共々(入場券以外)「右書表示」から「左書表示」に、変更される事になります。
   


茜堂-神戸驛五銭赤線入場券
茜堂-神戸驛五銭赤線入場券(裏面)


■大正9年2月1日=料金改定。

無日付時代券、左書改定五銭券、大正中期券、
券番表、鉄道院、
西部鉄道局兵庫印刷所五銭1期券。

大正初期の頃迄、入場券の文字が駅名より大きく、中央に置かれていました。
尚、この様式迄は、券番が表面に施されていて、更に、本様式のみ、裏面には一切の印刷が行われていません。
様式の大きな変化としては「右書
表示」から、現在の「左書表示」に改訂され、裏面の英文字表記が消滅しています。
   

この時代の特徴として、稀に当券の様に漉目(すきめ)が、横目で顕著に表れている券が有ります。
本来ならば、硬券台紙としては、活版印刷不適合紙として扱われるのですが、当券では裏面に回し使用されています。
   

大正9年2月1日から登場する、左書改訂五銭入場券の直後(詳細日不明)から、全国規模で入場券が無日付となっています。
以下、全ての入場券の表面の左位置に、ダッチングマシンに依る日付の打刻が、一切施され無くなります。
この対応は、運送を請求出来る、権利を有する証券では無い、入場券のみの対応となっています。
   

茜堂-駅名主体券
茜堂-神戸驛五銭赤線入場券
茜堂-神戸驛五銭赤線入場券(裏面)


■大正9年2月1日=料金改定。

無日付時代券、五銭券、大正中期券、
券番裏、鉄道院、
西部鉄道局兵庫印刷所五銭2期券。
入場券表示主体を、
駅名表示主体に変更し、
以降、同様に推移して行きます。

裏面の英文字表記が消滅し、注意書の一切が券面から消え去っています。尚、剥離された券では有りません。
また、画像は有りませんが、裏面無地券以降、明朝体駅名と、明朝体入場券の位置が入れ替わり、駅名主体券となります。
裏面には、二行で注意書「入塲の際之に改鋏を受け出塲の際之を係員にお渡し下さい」が、新たに入ります。
   

裏面の書き込みは、回収後の審査課での書き込みです。審査後の回収切符は、再生用紙として製紙会社へと搬出されますが、
その為、大きな袋に詰め込まれ、雑な扱いに因って駅から審査課へ運搬され、大きな負荷が硬券に掛かります。
どういう経過かは分かりませんが、審査後の厳重なる管理を擦り抜けて、当券の様に稀に市場に出回る事が有る様です。
   
当券以降、入場券の表記が従来と比べ、駅名より小さくなり、中央から外され上部へと移設(画像無)されましたが、
これは、入場券の存在が、一般乗客へ広く浸透された為の、措置だと思われます。その後、駅名がゴシック体へと変わります。
   


茜堂-神戸驛五銭赤線入場券
茜堂-神戸驛五銭左書赤線入場券(裏面)


■大正9年2月1日=料金改定。

無日付時代券、五銭券、大正中期券、
券番裏、鉄道院、
西部鉄道局兵庫印刷所五銭3期券。
茜堂-裏面三項目表記

上記券は、活版字組相違に因る、同様式亜種となります。また、裏面には、3項目からなる、入場注意書の記載が有ります。
入場券の文字が、駅名より小さくなり、更に、駅名が大きく中央に置かれる様になりました。
また、料金表示が「金五銭」から「料金五銭」へと、変更されていて、現在もその表示方式を継承しています。
   

何故、日付けが打込まれ無かったのか、その理由は、定かではございませんが、
恐らく不正事案も無く、日付を付ける意味合いが薄いと、判断されたのではないのかと、思われます。
以下の入場券から、料金が、五銭から拾銭に値上がりしていますが、料金表示以外、基本的な様式
は変更が有りません。
   

大正9年1月8日付けの、鉄道院総裁達第1号に拠り、大正9年2月1日からの施行として、 
全ての切符の書式が、ダッチング共々(入場券以外)「右書表示」から「左書表示」に、変更されると共に、
入場券では、裏面英語表記が消え、駅名主体様式後、和文にて三項目の注意書が、新たに記載される様になります。
   

注意内用の一番目には「入場の際は之に改鋏を受け出場の際は之を係員に渡して下さい」
二番目には「鞄、信玄袋、行季其の他崇高なものは持ち込まぬ様にして下さい」
三番目には「客車内に立入らぬ様にして下さい」と、
入場の際の注意が、事細かく綴られています。
   

注意文章の2項目中の、信玄袋(しんげんぶくろ)は、布製平底の手提げ袋で口を紐で締め、現在のポーチの様な物で、
行季(こうり)は、竹や柳、籐等を編んで作られた、葛籠(つづらかご)で、旅行カバンの様な物となります。
左書き入場券へと、
文字様式変更後、暫く経つと
裏面に三項目注意が
記載されます。
   

茜堂-誤用字券
茜堂-神戸驛五銭赤線入場券


■大正9年2月1日=料金改定。

無日付時代券、五銭券、大正中期券、
券番裏、鉄道院、
西部鉄道局兵庫印刷所五銭3期券。
この時代の券では、
戸は旧漢字で、有るべきですが、
現代漢字の、戸が使われています。

当入場券では、神戸駅の旧漢字の「戶」の活字のみが、現代漢字(当用漢字)の「戸」に、変更されていますが、
何故だか、後の拾銭券では、以前の旧漢字である「戶」へと、活字が戻されています。
恐らく、前後の時代券群から考査をすれば、意図的な物では無く、活字の欠版か、或は単純な活字の誤植だと思われます。
   

一旦は、現代漢字の活字を使用した物の、そのまま使用して行っても、支障は無かったで有ろうが、
神戸駅である一等駅としての、重厚さが無いとの現場の声で、戻されたのかも知れません。
   

茜堂-一等駅拾銭券
茜堂-神戸驛拾銭赤線入場券


■昭和5年4月1日=料金改定。

無日付時代券、拾銭券、大正末期券、
鉄道省、
西部鉄道局兵庫印刷所拾銭1期券。
県庁所在地に位置して、
年間入場人員が10万人以上の、
一等駅のみ値上された、拾銭入場券。

神戸駅は、県庁所在地で、年間入場人員10万人以上の一等駅の為、昭和5年4月1日には、五銭から拾銭に値上げされました。
その後、昭和7~8年頃には、年間入場人員10万人以上の全ての駅が、10銭に値上げされます。
更に、昭和17年4月1日には最低運賃に合わせて、他の駅も10銭に値上げされています。
   
駅名の前に有る記号は、裏面の券番に対する、1万単位の循環符号で、(い)は1万の位で(ほ)は、5万の位を表します。
後に、分かり易い様に、数字が使われる様になります。また、入場券の前の英文字は、発行の窓口番号を表しています。
循環符号に就きましては、「茜堂-私鉄国鉄等連絡乗車券」を、ご覧下さいませ。
   

表面画像下から2枚目の券は、国鉄乗車券類歴史事典=149頁に、掲載されています。
無日付の入場券は、五銭券、拾銭券、十銭券を経て、昭和7~8年頃からの10銭券登場迄の、長きに渡りました。
上記券は、活版字組相違に因る、同様式亜種となります。尚、三項目の注意書き等は、当様式券を以て終了となります。



神戸駅の赤線入場券に日付復活=茜堂

茜堂-日付復活の赤線入場券 ダッチングマシンによる日付けが、全国的に復活したのは、昭和7~8年頃の、10銭入場券の、登場時からの事となります。
日付押印復活については、不正時案が多発したのか、或は、第一次上海事変勃発、五・一五事件、桜田門事件等の、
動乱が相次ぎ、戦時体制への危機意識が高まった為か、入場券に日付統制が、掛けられる様になりました。
   

当様式券から、従来の裏面三項目の和文注意書が無くなり、裏面の券番は左右に記され、それ以外は無地となります。
尚、入場券類に関する、分類期についての茜堂の解釈は、当ページの最下段に記しています。
   


茜堂-神戸驛10銭赤線入場券
茜堂-神戸驛10銭赤線入場券(裏)


■昭和5年4月1日=料金改定。

昭和7年11月1日発行、10銭券、券番0003、
昭和7年11月1日発行、10銭券、券番0006、
鉄道省、
大阪印刷場10銭3期券。

入場券に於いては、当券の日付より若番の、昭和日付のダッチングを、今だ見た事が有りませんので、
恐らく、当券の日付である、昭和7年11月1日が、入場券のダッチング復活の、開始日で有ろうかと思われます。

   

裏面の3項目の注意書が無くなり、券番が左右の二ヶ所に付く様になります。注意書きは簡素化され、表面下段に記されます。
本形態が完成形となり、以降の入場券の基本様式となります。

   

上段の二券は、様式分類上の別枠では無く、下段の枠と同様式ですが、様式改定での初日券となっています。
掲載の券は、3番窓口発行の券番0003と0006で、この二券については、それぞれ茜堂への入手経路が異なっています。
   

券番0006は、東京の方からお譲り頂いたのですが、 その方は、更に、東京の別の方から、譲り受けたとの事です。
券番0003は、後に、大阪の方からお譲り頂いた物で、祖父から頂いたそうですが、 何と、同じ発行窓口で発行日も同じです。
何の縁か、生まれが同じ窓口で、初日券の3番違いの兄弟、実に、77年振りの再会となります。

   


茜堂-神戸驛10銭赤線入場券


■昭和5年4月1日=料金改定。

昭和7年12月3日発行、10銭券、
昭和7年12月17日発行、10銭券、
昭和8年1月28日発行、10銭券、
昭和10年3月2発行、10銭券、
昭和11年5月4日発行、10銭券、
鉄道省、
大阪印刷場10銭3期券。

上記券は、同一或は活版字組相違に因る、同様式亜種となります。
当入場券は、料金表示が、漢数字の「拾銭」と「十銭」表示を経て、算用数字の「10銭」に変更されています。
従来は、裏面に有った注意書の一条が、表面に記され、他の二条の注意書は無くなり、裏面の注意書は消滅しています。
   

やはり切符には、しっかりと、ダッチングが施されていないと、生きた切符の雰囲気が感じられません。
何故、大正初期に日付を施さなくなったのか、どうして、昭和初期に日付が復活したのかは、謎の侭となっています。
   

残念乍ら、この期間の無日付券については、明確な資料が見当たりません。憶測の域を出ませんが、
不正事案が無かったのと、使用後の回収が完璧で有った為、ダッチングの手間を、省いたのかも知れません。
ダッチングが復活した事に因り、何らかの抑止効果が、発生したのではと思われます。
   

茜堂-券番角文字券
茜堂-神戸驛10銭赤線入場券
茜堂-神戸驛10銭赤線入場券(裏)


■昭和5年4月1日=料金改定。

昭和12年4月21日発行、10銭券、
鉄道省、
大阪印刷場10銭4期券。
裏面の券番書体が、
従来の明朝体数字から、
ゴシック体数字に、変更される。

当入場券では、神戸駅の「戸」の活字が、旧漢字の「戶」から、現代漢字(当用漢字)に、変更されています。
この字体の変化自体は、他駅の同期の入場券との、様式の整合性から、同様式亜種となる所ですが、
裏面の券番が、従来の明朝系からゴシック系へと、変更されていますので、旧新の漢字には関係無く、別期様式となります。
   

尚、この券番のゴシック字体の、登用の意味合は良く分かりませんが、乗車券類では、昭和6年頃から変わっています
入場券につきましては、赤線入場券B型券10円2期券の終了迄、ゴシック系の券番が続く事となります。
尚、ゴシック系の券番は、従来の明朝系の券番に比べ、インクの消費量が増える事となり、合理性に欠けます。
   

茜堂-符合横表示券
茜堂-神戸驛10銭赤線入場券


■昭和5年4月1日=料金改定。

昭和13年8月19日発行、10銭券、
鉄道省、
大阪印刷場10銭5期券。

従来の、窓口番号と循環符号の表示配列は、入場券表記の前と、神戸駅名前にそれぞれ配置され、縦列表示でしたが、
当様式では、入場券表記の前に配置が集約され、初めて横列表示へと変更されています。
以降、戦後の硬券入場券の、復活に於いても、当様式での横列表示を引き継ぎます。
   

表示場所は、様式毎にそれぞれ異なりますが、基本的に、窓口番号と循環符号の縦列表示は、姿を消す事となります。
尚、当券発行日の、1年前の昭和12年7月7日に、中国北京の西南部で発生した、盧溝橋(ろこうきょう)事件を切っ掛けに、
日中は、宣戦布告をしないまま、支那事変が勃発します。これを起因として、後に太平洋戦争が勃発します。
窓口番号と循環符号が、
従来の縦列表示から、
横列表記に、変更されています。
   

茜堂-符合料金前表示券
茜堂-神戸驛10銭赤線入場券


■昭和5年4月1日=料金改定。

昭和16年5月12日発行、10銭券、
鉄道省、
大阪印刷場10銭6期券。

神戸駅の入場券では、明治30年10月1日から始まる、赤線入場券の縦A型券、後の横A型券を経て、
更に、戦後に登場するB型券を通し、昭和41年3月5日から始まった、白券の硬券入場券の、平成3年6月1日の軟券化迄、
約80年間、料金表示の前に、窓口番号や、循環符合が付けられた様式券は、当様式券が唯一となっています。
   

入場券や、神戸驛の活字の前に、立ちはだかる様な、番号や符号は排除され、控え目に料金の前に、配置されています。
支那事変中の、精神的国民スローガンの1つ「九千万人 一列行進」からか、券面のレイアウトも、一列行進になっています。
東亜圏の前線へ兵を送る、幾許かの験担ぎとしての、大阪印刷場職員の配慮が、伺い知れる様な様式券です。
   

この様式券以降、新たな様式の、A型硬券入場券は配備されず、事実上、A型硬券での、最終様式券となっています。
尚、当券発行日から、半年後の12月8日に、米英に宣戦布告をし、日本連合艦隊がハワイの真珠湾を攻撃

終戦迄、3年9ヶ月に及ぶ、太平洋戦争(第二次世界大戦)が、始まります。



我が故郷神戸駅の戦中の軟券入場券=茜堂
窓口番号と循環符号が、
横列表記に、変更後、
料金表示の前に、配置されます。

茜堂-戦時軟券 昭和16年12月8日に、太平洋戦争が勃発し、日本は開戦を迎えますが、昭和19年頃には、
物資節約の為に、従来のA型硬券入場券は姿を消し、代わりに軟券での10銭入場券が、発行されます。
   

尚、昭和19年4月からは、 入場券の発売を、停止する駅が多くなりますが、神戸駅では、継続して発売されています。
戦後も引続き、地方毎に一部の駅でしか発売されず、昭和23年11月1日に、発売を全国的に一部再開します。
入場券の発売が、全国的に全面再開されたのは、昭和24年2月1日の事となります。
   


茜堂-神戸驛10銭入場券(軟券)


■昭和5年4月1日=料金改定。

昭和20年4月20日発行、10銭券、
運輸通信省、
大阪印刷場10銭軟式券。

実券は、やや腰の有る初期の軟券で、天地は概ねA券サイズ、左右は可成り短くなっていますが、
恐らく、戦争末期や終戦後には、他の乗車券同様に、紙質も更に粗雑で、お粗末な軟券で有ったと思われます。
当券では、神戸駅の活字が「神戸」では、ゴシック体で有るのに対し「驛」は、明朝体に変えられています。
   

発行日付は、軟券の為、従来の印字機が使用出来ませんので、手押しのスタンプ印字が、表面に押印されています。
戦後には、段階的に値上げが敢行され、昭和21年3月には、20銭に値上げされます。
翌年3月には50銭に値上げ、同年7月には1円となり、昭和23年7月には、3円に値上げされています。
   

大阪鉄道管理局管轄では、昭和22年6月4日(同日通達、大鉄局達乙第462号)に、入場券を完全軟券化します。
因に、同局では入場券の他にも、3等片道乗車券と3等急行券が、同様に軟券化されています。
最後の軟券常備入場券は、昭和24年5月1日~昭和26年10月31日間に発売の、5円券となっています。
   

尚、軟券入場券は、「茜堂-故郷神戸駅の切符-軟券編」の頁にて、紹介すべき所ですが、
夫々の硬券入場券の歴史を語る上で、当券を、重要な切符として位置付けをした上で、当頁に敢えて掲載しております。



我が故郷神戸駅の戦後の赤線入場券=茜堂

茜堂-戦後復活硬券 昭和24年5月1日には、従来の「入場券」から「普通入場券」へと、名称が変更されました。
それと同時に、最後の軟券
入場券は、5円に値上げされ、その翌年には硬券入場券へと、切り替わる事となり、
戦後5年を経て、ようやく物資不足も解消され、大阪印刷場では昭和25年頃から、硬券の入場券が復活をします。
   

但し、大阪印刷場では、これを機に、硬券A型入場券は印刷されず、硬券B型入場券のみとなりました。
この頃には、全国的に戦後の復興にも弾みが付き、日本の経済にも、明るい兆しが見え始めます。
鉄道切符は、その当時の歴史や世相を、如実に表す鑑の様な紙片で、小さな歴史書と言っても、過言では有りません。
   


茜堂-神戸駅5円赤線入場券
茜堂-神戸駅5円赤線入場券(裏)


■昭和24年5月1日=料金改定。

昭和25年12月4日発行、5圓券、
運輸省、
大阪印刷場5円硬券1期券。

戦中に資源節約の為に始まった、軟券入場券でしたが、漸く経済も落ち着き、
軟券5円入場券発行の、翌年辺りから、関西では、硬券での5円入場券が顔を出し始めます。
尚、関西の私鉄券では、軟券の経済性には、早くから着目していた為、戦争、戦後に関係無く乗車券共々、軟券化されています。
   

裏面券番のゴシック指定は、最後の五様式2期券迄継続されておますが、本券では明朝体が使われて居り、
裏面券番えの、指定に措ける統制が執れていない事が分かります。
   

茜堂-円表示券
茜堂-神戸駅5円赤線入場券
茜堂-神戸駅5円赤線入場券(裏)


■昭和24年5月1日=料金改定。

昭和26年8月5日発行、5円券、
運輸省、
大阪印刷場5円硬券1期券。
旧漢字の「圓」から、
現代漢字の「円」に、変更されます。
券番ゴシックは、統制されず。

当券では、従来の旧漢字「圓」から、現代漢字の「円」へと変更され、別様式を確立しています。
また、裏面の券番は、規程通りのゴシック体で、印刷されています。
当様式から、戦後の混乱も終息し、赤線入場券乍ら現代漢字を登用した、近代的な入場券様式が、確立されて行きます。
   

茜堂-無訂正流用券
茜堂-神戸駅5円流用赤線入場券


■昭和26年11月1日=料金改定。
昭和26年11月3日発行、5円流用10円券、
国鉄、
大阪印刷場5円硬券1期流用券。

赤線10円入場券への流用券で、末期の5円券ですが、上段の券では駅名の前に、発行窓口を表す英文字のみですが、
若しくはと言うより、恐らく券番が最初のロットで、循環符号が「00」に値するのかも知れませんが、
当券では、裏面の券番に対する循環符号が、平仮名で付記されています。
   

赤線入場券の硬券5円券時代では、実施期間も短く、物資が整った反面、まだまだ戦後の影響が尾を引き、
各印刷場では、多種券等を流用した雑多の流用券が目立ち、残念乍ら様式での統制が整っていません。
当然乍ら、10円に値上げした後でも、余剰の5円券での流用券が、発行されています。



我が故郷神戸駅の最後の五様式赤線入場券(1期券)=茜堂
料金訂正印が付けられていない、
昭和26年11月3日からの、
無訂正流用券。

茜堂-最後の五様式赤線入場券 硬券の赤線入場券が復活して、約2年後の、昭和26年年11月1日には、入場料金が、10円に値上げされました。
赤線入場券は、10円の普通入場券にて、終わりを迎えますが、
様式的には非常に多彩で、表面に対して第1期券~第5期券迄の、五様式で推移していきます。
   

活版印刷の特性上、追加印刷の度に字組を施す為、字間や文字の位置等が微妙に異なっていて、
五様式(第2期券未収録)の内、字組によるレイアウト違いもピックアップし、亜種の類として収録しています。
同枠内の文字組は、どこがどう異なっているのか、それぞれ見比べて下さい。
   


茜堂-神戸駅10円赤線入場券(1期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和27年7月23日発行、10円券、
昭和27年8月10日発行、10円券、
昭和28年3月1日発行、10円券、
昭和28年10月27日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円1期券。

上記の入場券は、様式の分類として、大阪印刷場で刷られている為、大阪印刷場10円1期券と呼ばれています。
その特徴は、驛の旧漢字を使用している点、通用発売日当日、立ち入るの表記、句点が無く、
裏面の券番が、特殊な数字となっている事を、基準と致します。
   

上記券類は、活版字組相違に因る、同様式亜種となります。
何故、活版字組相違になるのか、それはフィルム等と違い、在版で保管をすると、膨大な数量となってしまうからで、
印刷後は、組版ステッキ上の活字を解版する事から、印刷の度に組版を施すので、活字の配置にバラツキが生じてしまいます。
   

また、神戸駅の入場券では、駅名の前に発行窓口を表す、英文字が付記されています。
尚、10円赤線入場券の様式の、それぞれの切替変更日は、窓口に因ってもバラツキが有り、残念乍ら分かっておりません。
   

下段の券の1日の前の線について、昭和7年8月1日(昭和7年6月6日=鉄道省告示第179号)の改正で、日付印の仕様を改定し、
月と日に付いてのみ、数字が1桁の場合には、悪用や改ざん防止の為に、前にハイフォンを付ける様になりました。
但し、各地での統制が整う迄には、機器の更新等に因って、多少の年数が伴っている様です。
   

貴重な、駅名旧漢字の赤線10円券の1期券の、三段目の券は「秘境日高三股へようこそ様から、寄贈して頂きました。
この場を借りまして、お礼を申し上げます。



我が故郷神戸駅の最後の五様式赤線入場券(2期券)=茜堂

茜堂-現代漢字券 長らく使用されていた、旧漢字の驛が当2期券を以て、現代漢字の駅に改められました。
神戸駅では、旧漢字を含む「神戸驛」が、現代漢字(当用漢字)の「神戸駅」に、換えられています。
また、A型券10銭券の後期から、変更されていた裏面のゴシック系の券番が、当2期券を最後に終わる事になります。
   


茜堂-神戸駅10円赤線入場券(2期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和28年9月5日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円2期券。

上記の入場券は、様式の分類として一般的に、大阪印刷場10円2期券と呼ばれています。
その特徴は、1期券からの変更点が、駅の字が現代漢字に変更された点で、他の箇所は概ねそのままとなっています。
また、神戸駅の入場券では、駅名の前に発行窓口を表す英文字と、循環符号の平仮名が付記されています。
   

切符の日付右側に有る、細い縦線は、日付の後ろに記される「ヨ」の押印と同じ、翌収扱いの印となります。
詳細は、「茜堂-謎の記号と不思議な落書き」を、参照願います。



我が故郷神戸駅の最後の五様式赤線入場券(3期券)=茜堂

茜堂-句点追加券 昭和12年頃に発行された、A型券10銭券の後期から、変更されていた裏面のゴシック系の券番が、
当3期券より、従来通りの明朝系の券番に戻されています。
   


茜堂-神戸駅10円赤線入場券(3期券)
茜堂-神戸駅10円3期券(裏面)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和33年4月19日発行、10円券、
昭和33年6月2日発行、10円券、
昭和33年8月5日発行、10円券、
昭和34年4月8日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円3期券。

上記の入場券は、様式の分類として一般的に、大阪印刷場10円3期券と呼ばれています。
その特徴は、2期券からの変更点が、注意書に句点が付けられた所のみで、他の箇所は概ねそのままとなっています。
また、神戸駅の入場券では、駅名の前に発行窓口を表す英文字と、循環符号の平仮名が付記されています。
   

四段目の券に、英文字の前の循環符号の平仮名が無いのは、券番が最初のロットで有る「00」を表しています。
上記券は、活版字組相違に因る、同様式亜種となります。裏面は、ゴシック系に変えられていた券番が、
当3期券より、
インク量節約となる、従来通りの明朝系券番に戻されています。



我が故郷神戸駅の最後の五様式赤線入場券(4期券)=茜堂

茜堂-発行駅名表示券 裏面に、発行駅名や循環符号、窓口表示等が付けられますが、4期券様式の使用期間が長かった為、
裏面の様式が、循環符号と発行窓口の表示方法で、幾度か変更をされています。
それに因り、別途5期券、6期券とすべきかは判断が鈍る所ですが、裏面様式違いでの亜種として、4期券に統合して居ります。
   

以上、4期券の裏面亜種と位置付けた事に拠って、裏面様式として、別途、整理して居ります。
   


茜堂-神戸駅10円赤線入場券(4期券)
茜堂-神戸駅10円4期券(裏面1期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和34年10月25日発行、10円券、
昭和35年2月27日発行、10円券、
昭和35年4月1日発行、10円券、
昭和36年10月15日発行、10円券、
昭和36年10月24日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円4期券。
茜堂-裏面1期券
裏面の様式が、10円4期券のみ、
駅名表示の前に、
平仮名、英文字の表記。

上記の入場券は、裏面様式の分類として、駅名の前に英文字の窓口番号と、平仮名の循環符号が、表示されています。
上記券は、活版字組相違に因る、同様式亜種となります。
   

大阪印刷場の10円では、4期券のみ、裏面に発行駅名が付いていますので、
付帯表示が印刷され易く、また使用期間が長かった為、様々な裏面様式が発生しています。
   


茜堂-神戸駅10円赤線入場券(4期券)
茜堂-神戸駅10円4期券(裏面1期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和36年6月7日発行、10円券、
昭和38年1月27日発行、10円券、
昭和38年5月4日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円4期券。

上記の入場券は、裏面様式の分類として、駅名の前に、英文字の窓口番号のみが、表示されています。
これは偶々、券番が1万未満の為、循環符号が「00」なのかも知れませんので、取り敢えず、裏面1期券の仲間に収録します。
   

大阪印刷場の10円では、4期券のみ裏面に発行駅名が付いていますので、
付帯表示が印刷され易く、また使用期間が長かった為、様々な裏面様式が発生しています。
   

茜堂-裏面2期券
茜堂-神戸駅10円赤線入場券(4期券)
茜堂-神戸駅10円4期券(裏面2期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和38年5月6日発行、10円券、
昭和38年8月20日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円4期券。
裏面の様式が、10円4期券のみ、
駅名表示の前に、
平仮名、数字の表記。

上記の入場券は、裏面様式の分類として、駅名の前に数字の窓口番号と、平仮名の循環符号が、表示されています。
大阪印刷場の10円では、4期券のみ裏面に発行駅名が付いていますので、
付帯表示が印刷され易く、また使用期間が長かった為、様々な裏面様式が発生しています。
   

茜堂-神戸駅10円赤線入場券(4期券)
茜堂-神戸駅10円4期券(裏面2期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和38年4月8日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円4期券。

上記券は、活版字組相違に因る、同様式亜種となります。
上記の入場券は、裏面様式の分類として、駅名の前に数字の窓口番号のみが、表示されています。
   

これは、6番窓口の発行券番が1万未満の為、循環符号が、00なのかも知れませんので、
窓口番号の前(平仮名)で有れば、裏面2期券の仲間に、駅名の後(数字)で有れば、裏面3期券の仲間になるのでしょうが、
駅名の字組位置から推測をすると、循環符号は、窓口番号の前に位置するものと思われ、裏面2期券と判断致します。
   

大阪印刷場の10円では、4期券のみ、裏面に発行駅名が付いていますので、
付帯表示が印刷され易く、また使用期間が長かった為、様々な裏面様式が発生しています。
   

茜堂-裏面3期券
茜堂-神戸駅10円赤線入場券(4期券)
茜堂-神戸駅10円4期券(裏面3期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和39年1月5日発行、10円券、
昭和39年3月14日発行、10円券、
昭和39年3月21日発行、10円券、
昭和39年3月27日発行、10円券、
昭和39年5月25日発行、10円券、
昭和39年8月1日発行、10円券、
昭和39年10月9日発行、10円券、
昭和39年10月27日発行、10円券、
昭和39年11月22日発行、10円券、
昭和39年11月23日発行、10円券、
昭和39年12月23日発行、10円券、
昭和40年4月2日発行、10円券、
昭和40年5月2日発行、10円券、
昭和40年6月17日発行、10円券、
昭和40年8月1日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円4期券。
裏面の様式が、10円4期券のみ、
駅名表示を挿んで、
数字と、数字の表記。

上記の入場券5ブロックは、様式の分類として一般的に、大阪印刷場10円4期券と呼ばれています。
その特徴は、3期券からの変更点が、通用発売日当日と発売から発売日になり、裏面に発行駅が追記されています。
後期で、且つ、発行年月が長かった事から、収録枚数も多くなっています。
   

当券は、同一或は活版字組相違に因る、同様式亜種となります。
上記の入場券は、裏面様式の分類では、駅名を挿み前に数字の窓口番号と、後に、数字の循環符号が、表示されています。
   

当4期券では全く統制がなされず、発行の年代順に並べてみると、駅名前に平仮名と英文字、駅名前に英文字のみ、
駅名前に平仮名と数字、駅名前に数字のみ、駅名を挿んで数字と数字の、5パターンが存在していますが、
券番が1万未満の為の、循環符号00で有る可能性も有るので、裏面3様式として分類しています。
   

茜堂-神戸駅10円赤線入場券(5期券)
茜堂-神戸駅10円4期券(裏面3期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和39年6月18日発行、10円券、
昭和40年4月3日発行、10円券、
国鉄、
大阪印刷場10円4期券。

当券は、活版字組相違に因る、同様式亜種となります。
上記の入場券は、裏面様式の分類として、駅名の前の窓口番号のみが表示され、駅名の後ろに過分な空きが有ります。
   

これはそれぞれ、6番窓口と、5番窓口の発行券番が1万未満の為、循環符号が、00なのかも知れませんので、
駅名の後ろの過分な空きから、駅名の後(数字)表示で有れば、裏面3期券の仲間になるのでしょうが、
或は、駅名の字組がズレてるのか、判断のしようが有りませんが、発行時期から推測すれば、恐らく裏面3期券と思われます。
   

大阪印刷場の10円では、4期券のみ、裏面に発行駅名が付いていますので、
付帯表示が印刷され易く、また使用期間が長かった為、様々な裏面様式が発生しています。



我が故郷神戸駅の最後の五様式赤線入場券(5期券)=茜堂

茜堂-発行駅名削除券 赤線入場券最後の様式では、券面が賑やかになっています。
従来の3期券表面にも有った、循環符号の平仮名や、窓口表示のアルファベットが、それぞれ数字に変わって、
4期券裏面最終様式の、発行駅名の左右に配していた様に、表面駅名の左右に表示されています。
   


茜堂-神戸駅10円赤線入場券(5期券)
茜堂-神戸駅10円5期券(裏面)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和40年9月23日発行、10円券、
昭和40年9月26日発行、10円券、
昭和40年9月26日発行、10円券、
昭和40年10月1日発行、10円券、
昭和40年10月26日発行、10円券、
昭和41年1月19日発行、10円券、
昭和41年2月22日発行、10円券、
券番裏、国鉄、
大阪印刷場10円5期券。

上記の入場券は、様式の分類として一般的に、大阪印刷場10円5期券と呼ばれています。
裏面からは駅名表示が消え、窓口符号や循環符号は正面に戻り、裏面様式は、B型赤線入場券の3期券へと戻ります。
   
その特徴は、裏面では4期券から、発行駅名、発行窓口、循環符合が削除され、券番のみとシンプルになっています。
後の30円2期券からは、裏面に「客車内に立入ることはできません。」の注意書が、移される事となります。
因に、記念硬券や広島様式120円券の、神戸駅入場券では、表に注意書が入れられています。
   
神戸駅の、当様式では、表面の駅名表示の後ろに、裏面券番に対する循環符号(01~50)が、付けられています。
また、同じく駅名表示の前には、発行窓口表示が付けられていれ、2の数字は2番窓口を表しています。
上記券は、同一或は活版字組相違に因る、同様式亜種となります。
   

茜堂-神戸駅10円赤線入場券(5期券)


■昭和26年11月1日=料金改定。

昭和40年9月30日発行、10円券、
券番裏、国鉄、
大阪印刷場10円4期券。

上記の入場券は、前期(4期券)券使用の入場券で、窓口によっては、前期券の残分が必然的に生じる為、
他の窓口では、5期券を発行しているにも関わらず、前期券(4期券)が、発行される場合が有ります。
これは仕方が無い措置で、どの駅でも行っています。因に、当入場券は、5番窓口にて発売された入場券です。
   

尚、上記の裏面様式の分類や名称は、一般的な分類では無く、茜堂独自の分類に因るものです。
   

茜堂-無訂正流用券
茜堂-神戸駅10円赤線入場券5期流用券
茜堂-神戸駅10円赤線入場券5期流用券


■昭和41年3月5日=料金改定、白券改定。

昭和41年3月10日発行、赤線10円流用20円券、
昭和41年4月25日発行、赤線10円流用20円券、
券番裏、国鉄、
大阪印刷場10円5期流用券。
料金訂正印が付けられていない、
昭和41年3月5日からの、
無訂正流用券。

明治時代の入場券創成期より、親しまれて来ました、赤線入りの入場券は、昭和41年3月4日を最後に廃止されます。
一般的には翌5日からは、20円に値上げされた赤線の入っていない、白地入場券(白券)が登場しますが、
神戸駅では、暫くの間ですが旧赤線10円券を、料金訂正印が無い無訂正券にて、そのまま発売されています。
   

残念乍ら、神戸駅ではどの時点で赤線10円流用券から、正規の白券20円入場券に、切替わったのかは定かでは有りません。
茜堂の手持ちの券では、昭和41年3月10日の10円流用券~同年8月28日の20円白券の間で、有る事が確認出来ます。
上記に於ける、約5ヶ月間の空白期間を、埋められるべく、資料券を鋭意探索中です。
   

また、一部近隣他駅でも、同様に赤線10円流用券を、使用した駅が存在し、それぞれ茜堂で現認済みです。
赤線入場券以降の白券は、上下のリンクバーの「神戸駅の白券」を、クリックの上お入り下さい。



神戸駅入場券誕生秘話=茜堂

赤線-入場券事始 それでは、少しばかり時代を遡って、入場券の誕生秘話をご披露致します。
鉄道開業当初は、官鉄でも事前に駅長認印を受ければ、駅構内に入場が出来ましたが、
明治30年に、神戸駅始発の上り急行列車の、乗客が起こした出来事から、入場券が生まれる事となります。

   

神戸駅始発の、急行列車に乗った控訴院の院長を、出迎える数人の裁判官が、無許可で大阪駅に入場しようとし、
改札掛と口論となった時、乗客の院長曰く「君達は構わないから入りなさい、後で駅長に話して置くから」と言い放ち、
制止する掛員に、入場しようとした裁判官達は「我々は裁判官で有る、君の為に成らぬよ」と暴言を吐いた。
   

それを受けた駅側は、一行を捕らえ「無札」に関する当時の規定どおり、神戸駅からの1等運賃の3倍を請求しました。
然し、内1人の裁判官がこれを拒絶した為、曾根崎署に連行し、事件は新聞沙汰と
って、世論は裁判官達を糾弾します。
   

この事件を受け、鉄道作業局も、入場制度の必要性を認め、明治30年10月1日(鉄運乙1340、11月5日施行)に、
入場切符を制定し、新橋駅、品川駅、横浜駅、名古屋駅、京都駅、大阪駅、三ノ宮駅、神戸駅、金沢駅、横須賀駅の10駅で、
料金2銭の、硬券赤線縦型入場切符(入場券)を、発売しました。
   
鉄道入場券の始まりは、神戸駅から乗車した客が、大阪駅での送迎で、揉めた事からと言う顛末です。
因に、控訴院の院長とは、後の大阪高等裁判所長官に当り、改札掛は、後の清水駅駅長の石川政貫氏でした。
   

また、国内最初の駅構内への、入場用の発売切符は、明治30年8月11日に、山陽鉄道が発行した、
硬券横型の、入場時間表記に入鋏するA型券で、プラットフォーム入場券とされています。
山陽鉄道は、明治39年12月1日に国有化されています。



赤線入場券の印刷期分類についての見解=茜堂

茜堂-類の見解
硬券切符の印刷では、平成5年5月5日からの、記念入場券の様な、断裁前の一括オフセット印刷(平版印刷)に対し、
それ以前の、入場券類では、断裁(小断ち)後に活版印刷で、1枚づつ印刷されていました。
   
活版印刷の特性上、多量となる駅単位での在版は、フィルムやデータ等と違い、膨大な数量となってしまう為、
印刷後は、印刷版の保存は行われず、組版ステッキ上の活字を、全て解版する事から、
増刷する都度に、字組を新たに施すので、微妙に或いは、大きく活字の字間や行間が、異なって参ります。
   

それにより、各々を別期とすると、駅単位での、増刷頻度が異なる事により、他駅との、印刷期に於ける整合性が、
損なわれる事となりますので、茜堂の鉄路趣味に於いては、文言や句読点の違いや、改行の相違のみを、別期券の扱いとし、
活字の書体(新旧漢字の相違は、別期とする)及び、字間や行間の相違については、期内での亜種と致します。

   

但し、神戸駅の場合、一般的に「驛」から「駅」に変わる過程で、途中「戶」が「戸」に変わっているが、
これも、他駅との様式での整合性を考慮すれば、亜種と言わざるを得ません。
   

尚、以上の印刷期分類に就きましては、あくまでも、茜堂筆者の個人的な見解でございますので、
何ら公的な、見解ではございませんし、また、それらに拘束される物でも無いと言う事を、ご理解の程ご了承願います。





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