私の趣味の起源と進化の過程/茜堂 |
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神戸発~京都経由~福岡着=茜堂 |
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茜堂の筆者は、零歳から芸術系の大学卒業時まで、神戸の実家で過ごしておりました。 勿論、戦後生まれですので、戦前の切符など、本来知る由もご在ませんが、 ご覧頂きます古い切符類の大半は、社会人になってから、地道にコツコツと収集したものです。 ● 幼い頃から、鉄道大好き小僧でしたので、小学校の頃には、親の田舎(鹿児島県甑島)まで、 ハーフカメラを小脇に抱え、夏休みの一人旅などに果敢(無謀)に、チャレンジをしていました。 昭和39年の夏休みからは、急行「しろやま」のハネが、私のお気に入りの御用達列車でした。(一度地獄の霧島にも乗車) ● |
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急行しろやまは、 昭和38年10月1日に、大阪~西鹿児島間の、 夜行急行(2201列車、2202列車)として、誕生します。 当時の編成は、ハネ3両を含む12両編成。 1号車から9号車迄が、大阪~西鹿児島間となり、 10号車から12号車迄は、大阪~八代間の運用でした。 翌年からは、編成にロネ1両が追加されました。 昭和47年3月15日、屋久島へ改称。 最後は、オロネ10、スロ54を含む、12両編成でした。 |
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学生時代は、旅費稼ぎに将来の仕事に関連する、アルバイトに明け暮れ、社会人になってからは、独り京都に居を移し、 親の束縛から解き放たれ、更に、趣味の活動範囲は、野方図に拡大するのでした。 ● 旅鉄撮影、録音、切符収集、部品収集、模型等、華の鉄ちゃん道まっしぐら。 広告関係の仕事柄、機材は6×7、4×5(勿論、会社の無断目的外使用)に、伝助(こちらは自前)等々。 配属部署は、嬉しい事に全国行脚の出張が多く、嫌がる先輩方を知り目に、駅弁片手に少し過剰装備で、嬉々として飛び回っておりました。 ● 旅費も経費も現像も会社持ちで、おまけに、お小遣い(出張費)まで頂いて。とっても幸せで、大らかな良き時代(会社)でした。 残念な事は、遠方地では往復が、飛行機で有った事位で、現地では結構な自由時間を捻出し、鉄を楽しんでいました。 ● 現在では、お陰様で独立致しまして、福岡の 筑前大分 に居を構え、沖縄のお仕事をメインに、 可愛い二人の子供と奥さんと、愛犬2匹と愛猫1匹に、面倒を見て貰い乍らの、お散歩三昧。 陽(よう)君は足長コーギー、空(そら)君はポメラニアン、星君はニ代目キジ猫、長女は京都、長男は東京、卒業しても戻っては来ない。 ● 平成24年に60歳で、羽ばたく様に代表取締を退任。平成29年現在、我が家には、キジ猫の二代目星(せい)君と、 我が家初のお姫様、シャム猫の練(れん)ちゃんが、新たに家族となりました。彼女は、愛くるしいお顔に似合わず、ツンデレ娘です。 そして、悲しい事に彼女が来る前に、愛犬2匹は、パパとママに看取られ乍、陽君が、その翌年に空君が、旅立ちました。 ● お家のローンと、日夜「泡盛」を、飲みながら闘っておりましたが、 奮闘の末、平成24年5月11日大安吉日の午前11時に、残り7年の住宅ローンを一括繰上返済し、ようやく完了。 撮影時に苦楽を共にした、戦友達を紹介します、私の大切なカメラバックです。 ● |
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ある時は、新兵訓練所の流れ弾の下で、背中に背負い、恐怖の列車待ちをしてみたり、 陸軍の野営近くでのロケハンでは、いけない物を見てしまったのか、二人乗りの、迷彩色のジープで追い掛けられたり、 とある機関区では、銃を小脇に抱えた軍人に、一時拘束もされました。 ● 一番恐かったのは、カメラを向けた走行列車が軍用だった時で、見張車輌から機銃を向けられ、この時ばかりは目前が真っ暗になりました。 野宿においては、椅子に化けたり、テーブルになったり、枕の変わりをして頂いたり、とても便利な相棒です。 はたまた、山奥では熊と出会ったり、大きな鴉に囲まれたり、農家のオバサンに、ショットガンを突き付けられたり。 ● お陰様で、私は有能なスパイでも有りませんし、無慈悲な盗賊でもございませんでしたので、ハッピーにも、事も無きを終えましたが、 楽しくもスリリングで危険な思い出が、この箱には、目一杯詰まっています。 勿論、彼の国々でのお話です………。 鉄路趣味の懐かしの録音機材=茜堂 |
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蒸機現役時代の、初期録音機器デンスケは、大振りな機材でしたが、満を持してカセットデンスケが登場。 ややコンパクトになり、写真機材と一緒に行動が可能でしたが、 それでも結構な重量が有り、肩に掛けて収録すると、その夜は肩が凝ってしまい大変でした。 ● |
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上から、 WALKMAN PROFESSIONAL WM-D6、SONY製。 TC-2890SD、SONY製。 ● ハンドマイクは、 ECM-270の単一指向性をRLで2本、SONY製。 |
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鉄道音用の録音機器、SONYカセットデンスケ。 最初は、シルバーボディの、TC-2850SDを登用、こちらは半年余りで同僚に売却し、 ブラックボディの優れもの、TC-2890SDにチェンジUP。 ● 上に乗っかっているのが、可成り後に発売された、ウォークマンプロフェッショナルWM-D6、コンパクトながらモンスター機。 そのコンパクトなお手軽ボディー機は、海外での収録に大活躍してくれました。 現在、ちょい録ではポケットに入る、ソニーのMZN1Sが活躍しています。 鉄路趣味の現役と動態保存の写真機材=茜堂 |
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蒸機現役時代の、パチカメ達を紹介します。 雨の日も、雪の日も、ピーカンの日も、頑張って画像を綴ってくれた、動態保存機達です。 モードラも稼働し、シャッターも大きな狂いは無く、露出計も元気です。 |
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レフレックスニコン500mmF8は、レンズ構成に二枚の反射鏡を備えた、 カタディオプトリック系のレンズです。 ● 全長が非常に短く(画像はフード装着時)軽量の為、 手持ち撮影も可能、レンズ面のコーティングによリ、 ゴーストやフレアー等のストレスも無く、程良いコントラストが得られます。 ● 絞りはF8の固定絞りの為、 被写体深度が深く切れの良い画像を、提供してくれます。 ボケは構造上、リング状の洒落た物になる。 |
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本機の500mmレフレックスは、構造上の特性から可愛いリングボケを醸し出し、幻想的なポイントが表現出来るので、重宝致します。 レンズの上に、ちょこんと乗ってるのは、タイムスリップグリコ第2段の、シークレットのミニュチュアです ● 社会人となって、最初にバケペンと呼ばれていた。アサヒペンタックス6×7を購入、35ミリ一眼レフを、拡大した様なカメラで、 使い勝手が良く結構鉄道シーンでは活躍してくれましたが、その後、マミヤ6×7と、マミヤ6×9を購入。 やはり手持ちは35のモードラで、三脚はマミヤ兄弟かシノゴが占め、結局2年後には、カメラバックから、自然淘汰されてしまいました。 ● 今ではデジカメ主体で、余り撮影現場に出て来る事は有りませんが、共に、SL時代の映像を刻んでくれた、私の愛機達です。 最初は、キヤノンF1サーボにモードラと、EFで固めていたのですが、当時の会社や先輩諸氏も、ニコンだったのでニコンへと鞍替え、 でもキャノンFDレンズは、やはり世界一でした。 ● |
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D80、画像を見ても金属感は皆無です。 どことなくプラモデル風。 でも機能は比類無き強者です。 ● プラ製だが、金属的なスチールブルーに変身。 |
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最近では、ちょい旅撮影には今様コンデジか、TPOに応じてデジ一を採用。 デジ一は、ニコンのD80、ボディーもレンズもプラ多用なので、従来の金属カメラと比べると、若干重厚さには欠けますが、 何より軽いので楽です。歳には勝てません。 ● 我家には、ハスキーやジッツォ等、重量級の三脚が三本ありますが、最近では日中の撮影では、全く使用しません。 自前の移動式二脚と、腰から上の、スーパーテクニカルマルチ雲台のみです。 珠に、場所取り等で混む場合には、車でお邪魔し、皆さんの頭越しに、大きな脚立を立てて撮影をしています。 ● 三脚を卒業しますと、場所の制約も無く、臨機応変にシュートが出来ますので、 チャンスのヒット率も格段に向上します。尚、脚立の使用に際しては、自分の身の危険を伴うと共に、 第三者に、迷惑が掛かる場合が有りますので、くれぐれも線路の近くや、危険な場所での使用はお控え下さい。 ● |
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長玉ズームの割には、実にコンパクト。 重量は少し重いが、 気になる程の、重さでは無い。 ● 話しは変わるが、黒の色合いが良く撮れてるね、 スタジオライトが効いている。 |
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お気に入りのレンズは、AF-S DX NIKKOR 18-300mm F/3.5-5.6G ED VRです。少し重いがコンパクトに纏まった、中々の優れものです。 広角は18mmから、望遠は300mm迄をカバーしてくれる、重宝なレンズで、これ1本有れば鬼に金棒です。 ● レンズ前群に、強力なフレアカッター内蔵なので、約16.7倍と言うズーム比の割りには、描写力が比較的安定しています。 手ぶれ補正機能も付いていて、満月を手持ちの300mmでシュートしたが、円周のクレーター迄しっかりと、画像に切取られています。 鉄路趣味の大判フィルムの魅力=茜堂 |
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機動力重視のカメラとは違い、余裕を持って撮影を楽しむカメラ、それが4×5、贅沢にも蒸機現役時代に投入した。 フィルムサイズが、6×7、6×9とは違い、格段にフィルムサイズが大きい為、引き伸すとSLのリベットまで優々拝める。 数字的には、4×5と小さいが、これはインチサイズで、フィルムの膜面が何と102×127mmも有る。 ● 勿論、こればかりは三脚が必須、蛇腹でシフト等の煽りが効くので、ピントやレイアウトには自由が生まれる。 欠点は、機材が重くて撮影準備に多少時間を要する、そして絵切りでは一発必中を余儀なくされる。 停車時では、カットホルダーを交換さえすれば、複数カットは可能だが、その意味合いと必要性は、微塵も感じられない。 ● 撮影時にはピントグラスは、カットホルダーで封印されるので、両目で前方を睨み、 カマの息吹を全身で感じ取り、バミった位置へカマが来る迄、息を殺し、レリーズボタンに掛かる、右手親指に全神経を集中する。 一瞬の勝負が全てを決める、勝ったか負けたかは、瞬時に分る。そしてそれは帰宅後の現像で、確信に変わる。 ● この緊張感が、4×5カメラの醍醐味だとしておこう。 風景写真では、ポラを切り、複数度のレベル変更撮りや再撮が可能だが、鉄道撮影は、そうはいかない。 真剣勝負を余儀なくされる、剣客になったかの様な気分が味わえる。 ● |
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カットホルダー、 フィルムサイズは、4×5、 シノゴサイズと、呼んでいます。 |
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フィルムは厚手のカットフィルムを、カットホルダーに、ノッチを頼りに暗室で装填する。 このカットホルダーには、裏表で都合2枚のカットフィルムが装填できる。 複数枚装填出来るチェンバー付ホルダーも有ったが、出先でジャムると大変なので、信頼度が高い原始的な2枚ホルダーを愛用。 ● 旅先での撮影では、カットホルダーの保管が最重要視されるのは、言うまでもない。 勿論、旅先で補充する為に、予備のカットフィルムとダークバッグも、決して忘れてはならない。現地調達は、ほぼ不可能であるから。 ● 二重写しでもしたら、全てが水の泡となり、脳内での妄想カットが走馬灯状態となってしまう。 撮影後は、しっかりフックを掛け、用心の為、スライドとホルダーに掛かる様に、文具用の赤丸ステッカーを貼っていた。 鉄路趣味の懐かしの動画機材=茜堂 |
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蒸機現役時代の動画機材を紹介します。 当時は動画と言えば、当然フィルム。アマチュアの本命は、8ミリフィルムが主流でした。 瞬間を切取るスチールも秀逸ですが、動きの有る画像も音響と相まって、結構楽しめるアイテムです。 ● |
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映写機は、ELMO ST-160 M.O、 スーパー8と、シングル8のフィルム対応。 音声は、サイレントと、磁気式と光学式の3方式。 |
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カメラは、ELMO SUPER 8 SOUND、 2600AF MACROです。 |
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フィルムのリールは、付属品として後部に一つのみだが、一つあれば十分だからです。何故ならば、映像を切り取ったフィルムには、 リールが付いて来るからです。編集用に、別途購入したケース付きの、大きなリールが、繋いだだけの未編集のフィルムを抱き、 キャビネットには、可成りの本数が貯まってしまいました。これを、整理するのは結構大変です。 ● 最初のムービーカメラは、ELMO SUPER 8 SOUND、 2600AF MACROでした。 蒸機終焉後には、ベータテープを使用の、超重たいポータブルビデオSL-FIを肩に掛け、SONYのHVC-F1に移行。 暫くムービーはブランクが有り、あそBOYがデビューする頃には、SONYの8ミリビデオに移行。 ● 初代の8ミリビデオはCCD-TR55、二代目は知る人ぞ知る、いけない機能温存のCCD-TRV425を経て、三代目のHDR-UX1で打ち止め中。 旅の裏方さんも、次に紹介しておきます。 撮影行の重いで(思い出)の頼もしい相棒=茜堂 |
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両手をフリーにしておくには、この道具しか有りません。 写真機材や録音機材に映写機材、そして寝袋と時刻表と生活用具等一式を、この背負子が面倒を見てくれます。 但し、背負子を含むそれら一式の面倒を、最終的に見るのは、鎖骨と肩甲骨(健康な骨)と骨盤に、二本の足ですが。 ● ギシギシと音を立て、肩に食い込む様な重量物を、結わえ付けて前屈みで運びます。 若くてタフな頃だから可能な、難行苦行です。只今の筆者なら、確実に腰に来てしまいます。 ● |
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撮影と録音を、同時収録の場合には、 録音マイクを、左右の上端にクリップし、 録り流します。 ● 勿論、その場合は、撮影が優先の時です。 暗くなって来てからが、音も澄み、 録音の独り舞台となります。 |
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カーゴタッグが、沢山ぶら下がっていますが、 勿論、全部をつけたまま、 移動している訳では、有りません。 ● 現在は静態保存中で、 旅の記念品として、この様な姿になっています。 恐らく、私の背中での復活はないでしょう。 |
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銀箱2個と三脚2本に、最低限の野営道具、旅の必需品の全アイテムを背中に背負い、西から東、北から南へと、大活躍をしてくれました。 SLの晩年期には、当時話題の十勝赤ワインを買えるだけ買って、勿論、金額では無く、生身の人間が背負える本数を、 旅の土産に奮発した事も有り、この時ばかりは、お仲間達にも大変喜ばれました。 ● このアルミ製の厳つい背負子(しょいこ)は、昭和45年に投入された物で、現場で10年程活躍し、現在は現役を引退しています。 この背負子には、国家的な驚くべき、秘密兵器が施されています。 足元には、オリジナルの特製着脱式キャスターを搭載し、肩から外した時には、キャリーに大変身します。 ● 可成りの重量に耐える様に、鉄工所で製作して頂いた、超オリジナルアイデアキャスター(特許は取っておりません)です。 そして横棒トップには、左右に布製ガムテープを巻いています。撮影現場のバミリ用ではありません。 キャリー時のハンドフィットと、録音コードや長尺レリーズ等を固定する為の、接着テープのストックです。有ると結構重宝します。 仕事と鉄路趣味の使い分けをしていないPC機材=茜堂 |
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我家で、太陽とお星さんに一番近い所に位置する、仕事場兼、茜堂のホビールームに、メインのPC、Mac軍団が頑張っています。 お仕事関連より、お遊び関連が充実していて、他のお部屋と異なる点は冬涼しく、夏暖かい、とても自然環境に近い、PCには酷なお部屋です。 勿論、夏場の日中は人間様よりパソコンの為にだけ、エヤコン全開です。朝夕は結構涼しいですが。 ● 我家は飲酒禁煙なので、PCのフィルターにも汚れが有りません。その点ではPCに優しい環境だと言えます。 正面のブラインドと雨戸を全開にすると、見晴らしの良い(緑の含有量が98%以上の超田舎)、広めのルーフバルコニーが有り、 冬は日向ボッコ、夏は甲羅干し、そしてお酒や食事をしながら、三郡山のパノラマが楽しめます。 ● |
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●Akane-dou laboratory (アカネラボ=茜堂制作室)。 茜堂のMac、WIN両雄共存のPC機材一覧。 ●Mac/メイン使用機種 Mac Pro(2.26GHz Quad-Core Intel Xeon HDD+外2) OS10.6.8(10B504) Darwin10.0.0 Cinema HD Display 30inch Flat Power Mac G5(Dual 1.8GHz HDD×内2+外1) OS10.5.7(9G55) Darwin9.6.0=機材整理。 iPhone6Plus MGAH2J/A iOS9.2(13C75) 64GB ●Mac/サブ使用機種 Mac Book Pro(2.4GHz Intel Core 2 Duo) OS10.11.2 Darwin10.0.0 Display 13.3inch Flat Power Mac G4(733MHz改) OS10.4.3(8F46) Darwin8.3.0 Studio Display 17inch Flat=休眠中=分解整理。 Power Mac G4(400MHz HDD×内2) OS9.2.2 Studio Display 17inch CRT=休眠中=静態保存。 iMac G3(600MHz) OS9.2.2×2台=休眠中=分解整理。 Power Mac 7500/100(100MHz MAX Powr G3改) OS8.6.1 Maltiscan Display RS-A770N 17inch=休眠中=静態保存。 ●WIN/メイン使用機種 Microsoft Surface Pro4 Intel Core M Processor 128GB 4GB RAM Windows 10 Display PixelSense 12.3inch Flat NEC LaVie S LS150/FS6W PC-LS150FS6W (2.10GHz)Windows 7 Display 15inch Flat=休眠中=静態保存。 Dynabook TX/66GBL(2.26GHz) Windows Vista Display 15inch Flat ●WIN/サブ使用機種 SONY VAIO PCV-L350/BP(600MHz) Display 15inch TFT Windows 98×2台=休眠中=分解整理。 ● 兼ねてからメインで使用の、Power Mac G5(Dual 1.8GHz HDD×内2+外1) OS10.5.7(9G55) Darwin9.6.0は、 クラシック環境が、使用可能な貴重な最終機でしたが、後のOSレパードとの相性が悪かったのか、 信じられない事に、マザーボードを三ヶ月間で二回変え、グラフィックボードやファン等、総替えで中身が、ほぼ新品状態に大変身。 ● 然し乍ら、その後も不具合が多々発生し、以降も修理対象保証期間内に、度重なる修理を経るが、 メーカーさんもスプーンを投げ、結果惜しくもリタイヤ、合掌です。 閲覧の為の推奨ブラウザ=茜堂 |
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茜堂のホームページはSafariを推奨し、標準フォントはヒラギノ角ゴ(pro)を基準として、レイアウトされています。 ● 一部の画像は、Internet Explorerを使用していた時に、実色に近付かせる目的で、濃度を高めた画像が含まれ、 後の正常濃度の画像と混在している為、Safariではノーマルとアンダー画像が、 Internet Explorer、Firefoxではノーマルとオーバー画像が混在しています。 ● 基本的にSafariでは、Photoshop画像と同色で表現されますが、Internet Explorer、Firefoxについては、オーバー気味に表現され、 Webセーフ色に減色される為、彩度も押さえ気味に表現されます。 補足します。最新バージョンでは、Firefox、Google Chrome、両ブラウザに於いて写真画像は、ほぼ適正化されています。 ● 尚、カラーベタ面では、Firefoxが、やや濃目に、Google Chromeが、やや薄目に表現されています。 Internet Explorer、Windows版Firefoxでは、それぞれの文章のブロック下側に、過分な空きが生じる場合がございます。 また、Firefoxや、Google Chromeでは、一部の分割画像が僅か乍ら、上下にずれる場合がございます。 ● 切符のページの硬券切抜き画像は、 画面解像度のサイズ2560×1600(Wide Quad-XGA、総画素数4096000)設定のモニター上にて、原寸表示されます。 昔は大らかだった切符集め=茜堂 |
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昔は切符収集も、大らかな時代(はてさて何時の時代やら)が、有りました。 旅先や、地元の大きな駅でも駅員さんに直接、回収済み硬券ををおねだりすると、貴重で希少な切符をチョイスして、数枚は頂いていました。 ● 今では、概ね考えられません。地方の小さな駅でも、全部はプレゼント出来ないよ(当然です)と、 珠玉の逸品を頂いたりと、とても良い時代が有りました。 ● |
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画像は文書とは、直接関係ありません。切符が楽しく踊っているイメージ画像です。 当時、使用済み切符を集めて、払い戻し機能を悪用した、今で言うホームレスさんが複数人検挙され、 国鉄本社から、各駅に回収切符の統制が厳しく引かれました。 その煽りを受け、国鉄からの指導の元に、古切符類を扱わなくなった古物商も居た位ですから、切符収集ファンの冬の時代も有りました。 ● その後、不正事案も落ち着き、純粋な鉄道切符ファンで有る事が分かれば、そこは遠方からわざわざ(本当は旅のついでに)来た、 切符ファンの為、魚心有れば水心で、一肌も二肌も脱いでくれた、心優しき鉄道マン(同士)が居られた事も、事実として記しておきます。 当方としても、珍しい切符が無いかと、出札窓口で、お薦め切符を購入したりもしましたので、有る程度は、貢献出来たのかもしれません。 ● 貴重な切符等は、旅先で知合った旅行好きのお年寄りさん等が、旅の副産物として昔から集めらている事も有り、 気軽に旅談義をすると、茶飲み話の後、思わぬ収穫が有ったりもします。 色々な方々に、趣味は切符収集だと言う事を、随時アピールするだけで、損得の無い善意の切符収集も夢では有りません。 還暦メモリアル=茜堂 |
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文化の日を前に、目出たく祝える歳を迎えたが、赤いチャンチャンコ等は恥ずかしいので、当然拒否。 私流還暦祝いは、明治券の赤乗車券、明治の赤地白斜1条の流用入場券、D51167の赤ナンバープレートの、赤揃い3点で進行。 ● |
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明治36年5月1日、大坂(大阪=かさほお)~兵庫(ごうやひ)、三等、金参拾六銭、右書表示、裏面英文表記、逓信省鉄道作業局。 明治36年5月1日、大坂(大阪)~兵庫の乗車券は、薄い染め和紙(麻紙)による、ボール紙への両面貼り合わせ切符で、 官営鉄道の神戸駅へ乗入れをしていた、山陽鉄道(後の山陽本線)兵庫駅への、連絡片道乗車券となります。(茜堂-故郷沿線の乗車編にも掲載) ● |
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大正6年6月14日、大阪驛入場券、金貳銭、三等急行明治券(二地帯制、百五拾哩)の流用券、内閣鉄道院。 右書表示の入場券は、明治時代の三等急行券(二地帯制の百五拾哩券)を、流用した物です。 従来の明治券の三枚貼合では無く、マット調の鮮やかな赤色で、両面印刷されています。(茜堂-故郷沿線の異彩記念編にも掲載) ● |
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昭和13年=日本車両製造、盛岡、旭川、遠軽、D51167(ギースルーエジェクタ化)、赤ナンバー、砲金製、昭和49年=遠軽廃車。 鉄ちゃんの私にとって、無用な祝着、大黒頭巾、祝扇の三点セットより、 些か値の張る、鉄グッズ三点の方が、人生の節目として、そして紀念のお品として、有意義で、且つ満足するアイテムなのです。 ● 明治から大正に掛けての、時代を形造る硬券。ナンバープレートの裏面には、幾年月の齢を重ねる様な、真っ黒な煤が張り付いています。 お祝儀の全てが、小生のメモリアルの一部として、生まれ代わると共に、終生傍らに置き、末永いお付合いとなる。 まずはここにて、お祝いの品をご披露させて頂きます。 当ウェブサイトに於ける著作権の見解=茜堂 |
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広告代理店業務の関係上、撮影、制作等の著作権問題は、避けては通れない道で、ガイダンスとしてここに紐解かせて頂きます。 明治32年3月4日、法律第39号として著作権法が確立されます。これが、現在で言う所の、旧著作権法です。 昭和45年5月6日、法律第48号として著作権法が制定されます。これが、現在で言う所の、新著作権法です。 ● 以降、幾多の改正を経て、現行の著作権法では、次の様に定められています。 最終改定、平成21年7月10日、法律第73号。 ● 著作権法、 第2章、著作者の権利、 第4節、保護期間(第51条~第58条)、 以下、第54条~第58条は、割愛させて頂きます。 (保護期間の原則)、著作権法、 第51条第1項、著作権の存続期間は、著作物の創作の時に始まる。 第51条第2項、著作権は、この節に別段の定めがある場合を除き、著作者の死後(共同著作物にあつては、最終に死亡した著作者の死後。 次条第一項において同じ。)五十年を経過するまでの間、存続する。 ● (無名又は変名の著作物の保護期間) 第52条第1項、無名又は変名の著作物の著作権は、その著作物の公表後五十年を経過するまでの間、存続する。 但し、その存続期間の満了前に、その著作者の死後五十年を、経過していると認められる、無名又は変名の著作物の著作権は、 その著作者の死後五十年を、経過したと認められる時において、消滅したものとする。 第52条第2項、前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する時は、適用しない。 (1. 変名の著作物における、著作者の変名が、その者のものとして周知のものである時。 (2. 前項の期間内に第75条第1項の実名の登録が有った時。 (3. 著作者が前項の期間内に、その実名又は周知の変名を著作者名として表示して、その著作物を公表した時。 ● (団体名義の著作物の保護期間)、 第53条第1項、法人その他の団体が、著作の名義を有する著作物の著作権は、その著作物の公表後五十年(その著作物が、 その創作後五十年以内に、公表され無かった時は、その創作後五十年)を、経過するまでの間、存続する。 第53条第2項、前項の規定は、法人その他の団体が、著作の名義を有する著作物の著作者である、個人が同項の期間内に、 その実名又は周知の変名を、著作者名として表示して、その著作物を公表したときは、適用しない。 第53条第3項、第15条第2項の規定により、法人その他の団体が著作者で有る、著作物の著作権の存続期間に関しては、 第1項の著作物に該当する、著作物以外の著作物についても、当該団体が著作の名義を有するものとみなして、同項の規定を適用する。 ● 現行の著作権法では、昭和32年以降に撮影された写真に付きましては、著作者の死後50年間迄を著作権保護期間と定めています。 著作者が、死亡している場合は、著作権を継承する者が、著作権所有者となります。 昭和45年の法改正の時点では、昭和32年度以降の著作物では、旧著作権法での著作権は失効されていなかった為、 新著作権法の保護下に入っています。 ● 尚、昭和31年度末迄に撮影された写真は、公表の有無に関わらず昭和44年度末には、著作権の保護期間が終了しております。 これは、旧著作権法の該当期間に当たる物で、よって、写真を複製し使用するのに、現在の所、制限は有りません。 但し、古い写真を今日修正した写真、絵葉書等の画像を、勝手に複製使用は出来ません。 何故ならば、修正画像についての著作権が、新たに付加されているからで、使用にあたっては、十分な注意が必要となって参ります。 ● 著作権法第8章、罰則、第119条第1項~第124条第4項までに渡り、侵害したる者に科せられる、罰則が細かく定められています。 第119条第1項を要約すると、10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。と記されています。 以上は刑事罰ですが、これとは別に民事訴訟も同時に発生しうる事案で、別途、賠償金が発生する事も有ります。 ● 只、著作権については著作権者が侵害していると見るか、見ないかの違いで、自ずと位置付けが異なって参ります。 例えば、ネガの売買に置ける画像の場合、HP上での非営利的な行為に付いての掲載は、茜堂では全く問題視致しておりません。 ● また、茜堂HP上の画像拝借の場合でも、その旨、事前にご連絡下されば、 その掲載が、営利、非営利のウェブサイトに関わらず、「茜堂の鐵路趣味」のキャプションと、 トップ頁の「http://akane-dou.com/」への、リンクを施して下されば、茜堂では、極力、協力させて頂きます。 また、検索サイト様に於かれては、画像の掲載については、当方へのリンクが施されている限り、フリーとさせて頂きます。 但し、非営利な個人での資料的保有で有れば、茜堂鉄路趣味の管理者に通告無く、フォーマット「Webアーカイブ」等で、 ページのテキスト、イメージ、その他のコンテンツを保存する事を、特例として別途許可します。 然し乍ら、第三者への発表(ウェブでの掲載、印刷等)は、一切出来ません。 ● 尚、茜堂の鐵路趣味HPにて、使用の航空写真は、国土交通省(画像整理番号=CKK-85-4-C12A-18)から、 正規の方法で、データ購入(画像オーダー番号=E-4D30-026=1点)をした物で、個人保有や二次使用は一切出来ません。 別途、データ購入、国土地理院(画像オーダー番号=D07-032=1点、E-7F19-012=5点)や、航空写真の画像加工も含みます。 また、筑前芦屋駅の画像3点も、個人保有や二次使用は一切出来ません。 当ウェブサイト記載内容の参考文献=茜堂 |
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●参考文献 国鉄蒸気機関車の角度●小寺康正 著、株式会社機芸出版、昭和47年12月10日発行。 神戸駅100年の歩み●41代神戸駅駅長 左近正、神戸駅職員一同 著、国鉄神戸駅、昭和49年5月11日発行。 楽しい硬券の集め方●辻阪昭浩 著、株式会社交趣会、昭和50年6月20日発行。 陸蒸気からひかりまで●機芸出版社、昭和52年3月25日発行。 鉄道きっぷ大研究●辻阪昭浩 著、株式会社講談社、昭和54年5月25日発行。 国鉄乗車券類歴史事典●辻阪昭浩 著、株式会社ダンダン、昭和55年6月10日発行。 鉄道きっぷ博物館●築島裕 著、日本交通公社出版事業部、昭和55年7月1日発行。 鉄道記念キップ●長谷川弘和 著、株式会社山と渓谷社、昭和55年10月30日発行。 鉄道入場券図鑑●金井泰夫・長沢博之・高橋雅之 著、日本交通趣味協会、昭和56年10月25日発行。 乗車券研究・第3号●徳江茂 著、東京チケットクラブ、昭和57年6月発行。 国鉄の幹線見たまま記●雑喉 謙 著、昭和58年6月5日発行。 国鉄の車両18九州各線●関崇博・成田冬紀 著、写真 諸河久、株式会社保育社、昭和59年7月25日発行。 地図式乗車券のすべて●徳江茂・久田進一・小田規夫 著、日本交通趣味協会、昭和59年10月30日発行。 鉄道切符全百科●佐藤滋恭、佐藤忠、辻阪昭浩、森徹 著、株式会社小学館、昭和60年2月20日発行。 新橋オークション85●新橋スタンプ商会、昭和60年6月10日発行。 九州鉄道雑学の本●弓削信夫 著、ライオンズマガジン社、昭和60年11月10日発行。 新橋オークション86●新橋スタンプ商会、昭和61年7月5日発行。 時刻表百年史●高田隆雄 監修、松尾定行・三宅俊彦 著、新潮文庫、昭和61年7月25日発行。 上川庄二郎コレクション明治鉄道錦絵展●受賞記念企画展、神戸市立博物館、平成6年10月8日発行。 きっぷの話●徳江茂 著、財団法人交通研究協会、平成6年12月18日発行。 蒸気機関車形式D51●伊藤久巳、イカロス出版株式会社、平成8年12月20日発行。 蒸気機関車形式C57●伊藤久巳、イカロス出版株式会社、平成9年2月20日発行。 むかしの神戸 絵はがきに見る明治・大正・昭和初期●和田克巳 編著、神戸新聞総合出版センター、平成9年7月10日発行。 蒸気機関車メカニズム図鑑●細川武志、株式会社グランプリ出版、平成10年7月13日発行。 日本の鉄道なるほど事典●種村直樹 著、株式会社実業之日本社、平成14年11月1日発行。 復刻版明治鉄道開業時刻表●三宅俊彦 著、株式会社新人物往来社、平成15年12月15日発行。 国鉄乗車券類大事典●近藤喜代太郎・池田和政 著、JTB、平成16年1月1日発行。 全国鉄道おもしろ雑学事典●川島令三 著、PHP研究所、平成16年9月10日発行。 神戸駅130年史●西日本旅客鉄道株式会社、神戸支社、平成17年3月発行。 硬券カラーリスト昭和の鉄道乗車券・料金券●永瀬 敦夫 著、株式会社運輸情報センター、平成17年5月10日発行。 鉄道切符コレクション●澤村光一郎 著、ミリオン出版、平成20年3月17日発行。 機関車表-国鉄編1-レイルマガジン300号付録●沖田祐作 著、株式会社ネコ・パブリッシング、平成20年9月21日発行。 機関車表-国鉄編2-レイルマガジン301号付録●沖田祐作 著、株式会社ネコ・パブリッシング、平成20年10月21日発行。 日本の鉄道東海道ライン 第7巻●川島令三 著、JTB、平成21年3月18日発行。 週刊歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 第1巻●美和企画、朝日新聞出版、平成21年7月5日発行。 神戸開港三十年史●村田誠治 編、開港三十年記念会発行、中外書房、昭和41年復刻。 鉄道きっぷクロニクル●辻阪昭浩 著、イカロス出版株式会社、平成23年5月15日発行。 Early Japanese Railways 1853-1914●Dan Free 著、Tuttle Publishing; Reprint版、平成29年11月7日発行。 図説 沖縄の鉄道(改訂版)●加田芳英 著、有限会社ボーダーインク、平成29年9月25日発行。 切符スペシャルメールオークション●有限会社アベノスタンプコイン社。 ヤフオク切符サイト●ヤフージャパン。 EF58廃止時形態一覧表●NTH鉄道研究会。 鉄道模型趣味●株式会社機芸出版。 鉄道ピクトリアル●株式会社電気車研究会。 RM MODELS●株式会社ネコ・パブリッシング。 週刊鉄道データファイル●株式会社デアゴスティーニ・ジャパン。 月刊鉄道ファン●株式会社交友社。 月刊鉄道ジャーナル●株式会社鉄道ジャーナル社。 デゴイチよく走る!蒸気機関車のページ●WEB版。 当ウェブサイトに於ける免責事項について=茜堂 |
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2008年2月25日、神戸プラットフォーム「月間ぷらっと3月号vol.96」に、茜堂HPが紹介されました。 2008年5月30日、アーカイブス出版「昭和30年代の中野・杉並」に、茜堂HPが記載され、部品写真や切符写真が掲載されました。 2012年4月25日、クリーク・アンド・リバー社、降旗組から劇場版「少年H」に関する、神戸市電乗車券の資料要請を受け、茜堂HPが資料提供しました。 2013年6月30日、株式会社メディアックス「鉄道の歴史超図鑑」に、茜堂HPが記載され、切符写真が掲載されました。 2014年6月17日、独自ドメイン取得後、Yahoo!カテゴリに、茜堂HPが登録されました。 2014年10月14日、大和ハウス工業、プレミスト神戸ハーバーレジデンス、マンションギャラリー内シアターに、茜堂HPの神戸駅画像が使用されました。 2015年5月5日、スタジオジール「鉄道ch.NET」の番組に、茜堂HP内の鉄道部品画像が使用されました。 2016年1月24日、イカロス出版社、蒸気機関車EX12月号特集、本線蒸機最後の20両をみるに、茜堂HP筆者撮影のSL写真が掲載されました。 2016年7月19日、関西テレビ「よ~いドン!」の番組に、茜堂HP内の神戸駅画像が使用されました。 2016年7月29日、ネット番組Netflix、明石家さんまプロデュース「JIMMY」に、小道具の切符2点の制作原稿を、茜堂にて提供しました。 2018年2月21日、鉄道史料46号(4月)「神崎駅および西ノ宮駅とされる開業時写真の検証」に、茜堂HPが情報提供しました。 2018年3月20日、洋泉社「地図と地形で楽しむ 神戸歴史散歩」に、茜堂HPが記載され、明治期の写真が掲載されました。 2018年6月30日、株式会社PSC、大林組から劇場版「海辺の玉手箱-キネマの玉手箱-」に関する、乗車券の資料要請を受け、茜堂HPが資料提供しました。 2018年11月14日、朝日新聞神戸総局、正月三日版新聞に関する、明治期の鉄道資料要請を受け、茜堂HPが資料提供しました。 ● |
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