硬券変種入場券の歴史と資料/茜堂 | |||
特殊な硬券入場券=茜堂 |
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長い硬券入場券の歴史には、千差万別、数々の様式が存在しています。
ここでは、一般的な様式の硬券入場券とは少し異なった、風変わりな入場券を紹介致します。 その少し異なった様式の入場券の目的が、明確に分かる物や、そうで無い物(知識、情報不足に因る)等も、含んでいます。 ● 追って、それらの情報不足を補える日が来る事を、筆者は願って止みません。 また、当頁のタイトルは、変種入場券と銘打っていますが、変わり種の入場券の事だと、ご理解願います。 ■昭和50年頃 国鉄の高松印刷場では、四県の主要駅小児用入場券に、目的が不明乍ら、JNR赤地紋が付きます。 乗車券用の地紋台紙の余剰調整で、使われたのかも知れませんが、想像の域を出ず、その真意は不明です。 ● |
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昭和49年12月7日、高松駅。昭和50年9月9日、徳島駅。昭和51年1月24日、高知駅。昭和51年9月6日、徳島駅。 普通入場券、10円、小影、国鉄、JNR赤地紋、高松印刷場小児2期券。 小児用入場券の内、高松駅(香川県)、徳島駅(徳島県)、松山駅(愛媛県)、高知駅(高知県)のみ、JNR赤地紋券で発行されます。 当券を、高松印刷場小児2期券に、分類しているのは、無地小影の高松印刷場小児1期券と、区分する為です。 ■昭和52年12月19日 入場券の不正使用対策として、東京駅では、往年の赤線入場券を模倣した、東京駅カメレオン作戦券が登場します。 ● 第1回=昭和52年12月19日~25日(7日間)、60円入場券。 第2回=昭和53年12月6日~8日(3日間)、80円入場券(60円の流用券で、運賃変更印が押されています)。 第3回=昭和54年11月18日~20日(3日間)、100円入場券。 |
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昭和53年12月8日、普通入場券、東京駅、60円(流用券)、国鉄、東京印刷場60円カメレオン作戦券。 昭和54年11月19日、普通入場券、東京駅、100円、国鉄、東京印刷場100円カメレオン作戦券。 昭和54年11月18日、普通入場券、東京駅、50円、小影、国鉄、東京印刷場小児50円カメレオン作戦券。 第2回目発行(最終日券)の60円流用券、第3回目発行の100円券。 東京駅ラッチ内にて、午前11時迄に黒活字赤線入りで発券され、午前11時を過ぎると、 通常の赤活字入場券を発券し、大凡の滞在時間を割出し、不正使用者を摘発する国鉄の作戦券。小児券(小影赤線)も同様。 ● 左は、60円時代のカメレオン券の流用の為、他駅80円時代券とは、活字様式が大きく異なっています。 真中の、100円時代の券は、他駅80円時代の券と、同じ活字様式となっています。 ■昭和62年4月1日=施行(前年12月4日=法律第87号、日本国有鉄道改革法) 日本国有鉄道廃止、国鉄民営分割に因って、駅名左にJR各支社の符号(発区分記号)が付きます。 ■昭和62年11月1日 各社の旅客鉄道(JR)の地紋券に「JR」の地紋が付きます。 JR北海道=北、JR東日本=E、JR東海=C、JR西日本=W、JR四国=S、JR九州=K、JRバス=Bの符号が、 それぞれ地紋のJRの間に入ります。但し、JR北海道のみ12月1日から実施されます。 ● JR九州の一部の主要駅入場券に、目的が不明(恐らく、JR地紋制定のお披露目の意かと、推測されます。)乍ら、 昭和62年11月1日から、再刷無しの期間限定にて、JR赤地紋が施されます。 ● |
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入場券不正使用者、 摘発対策用の、特殊入場券。 |
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昭和62年11月19日、普通入場券、長崎駅、140円。昭和62年11月24日、普通入場券、博多駅、140円。 昭和63年4月29日、普通入場券、折尾駅、140円、JR九州、JR九赤地紋、門司乗車券管理センター140円券。 九州の乗車券と、同じJR九州地紋の赤地紋券。平成元年の後半頃には白券に戻ります。 長崎駅、佐世保駅、唐津駅、佐賀駅、熊本駅、久留米駅、博多駅、香椎駅、折尾駅、黒崎駅、小倉駅、門司駅、行橋駅、 大分駅、宮崎駅、西鹿児島駅等の各駅で、小児券共々、確認されています。 ● 平成の時代に入ると、従来の活版印刷による硬券切符は、徐々に姿を消して行き、 代わりに、電算券(マルス端末、POS端末)や、電子切符(ICカード)等が台頭してくる中、 カード紙にオフセットやオンデマンド印刷を施した、リバイバル的な異様式の記念硬券が、各地で数多く発行されます。 ● 変わり種硬券入場券=茜堂 |
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上段の異なった様式の硬券入場券を紹介したついでの、続編として、硬券の歩みとは別の視点で紹介致します。
■入場券新橋駅の乱 表面は、注意書きから「候」の文字が無い、右書表示の大正初期券ですが、裏面には立派な地紋が付けられています。 本来の切符として使い道の無くなった、地紋入りの余剰原紙を使った流用券です。 ● |
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大正3年9月12日、入場券、新橋驛、金五銭、表、裏、鉄道院網目黄地紋(流用券)、新橋駅発行、内閣鉄道院。 余剰となった、鉄道院網目黄地紋一等用を台紙を裏面に廻し流用した、大正3年の赤線入場券の新橋驛五銭券。 様式的に初期の右書表記の、入場券ですので、日付のダッチングも、右側からブロック毎に読んで行きます。 このダッチンの場合、発行された日付は、大正3年9月12日となります。 ■入場券伊東駅の乱 上枠の国鉄JNRの赤地紋入場券や、JRの赤地紋入場券とは、本質的には異なる地紋入り入場券で、 本来の切符として使い道の無くなった、鉄道省GJR地紋入りの余剰原紙を使った流用券です。 |
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昭和26年5月5日、普通入場券、伊東驛、5円、表、GJR赤地紋(流用券)、伊東駅発行、国鉄。 昭和39年4月1日、普通入場券、伊東駅、10円、伊東駅発行、国鉄。 余剰となった、鉄道省GJR赤地紋台紙を、表に流用した伊東驛の赤線入場券と、通常の伊東駅の赤線入場券。 余談ですが、関西では幼少の頃から、伊東と言えばハトヤのTVCMが有名でした。今でも耳に残っているコマソンです。 ● 伊東に行くならハトヤ、電話は良い風呂、伊東で一番ハトヤ、電話は良い風呂、4126(ヨンイチニイロク)、4126、 はっきり決めた、ハトヤに決めた。伊東に行くならハトヤ、ハトヤに決めた。 全国温泉好きの筆者ですが、残念乍ら今だ伺った事が有りません。何時か伺える日が来れば幸せです。 ■入場券東京駅の乱 昭和25年頃には、硬券入場券が復活しましたが、純正の入場券の他に、他種券の流用品が多種出回る様になります。 まだまだ、戦後復興の途上で、無駄な事が出来なかった時代の流用券。 ● |
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鉄道省GJR赤地紋台紙を、 表面に流用した、赤線入場券。 |
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昭和26年10月27日、普通入場券、東京驛、5円、表、GJR赤地紋(流用券)、東京駅発行、国鉄。 昭和15年10月17日、入場券、東京駅、10銭、東京駅発行、鉄道省。 余剰となった、鉄道省GJR赤地紋台紙を、表に流用した東京驛の赤線入場券と通常の赤線入場券。 こちらの流用券は、上段の伊東駅流用入場券の、原紙での赤線印刷とは異なり、小裁の後に赤線を印刷しています。 ■入場券鹿児島駅の乱 表面には、赤線が引かれていないので、何となく、玩具の子供鉄道切符の様な、寂しい風采ですが、 これでも、実はれっきとした、料金5円の国鉄の入場券なのです。 ● |
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昭和25年1月3日、入場券、鹿児島驛、5円、表、GJR青地紋(流用券)、裏、鹿児島駅発行、国鉄。 余剰となった、戦時中の鉄道省青地紋二等用の、台紙を表面に流用した、昭和25年の鹿児島驛5円入場券。 まだまだ、戦後の影響が続く中での、節約形の入場券で、赤線印刷すら施されていない、貧相な入場券となっています。 やや薄目の硬券で、その紙質は劣悪で、下級板紙の馬糞紙(黄板紙)が使われています。 ■入場券宇野駅の乱 昭和25年頃には、硬券入場券が復活しましたが、純正の入場券の他に、他種券の流用品が多種出回る様になります。 まだまだ、戦後復興の途上から、無駄な事が出来なかった時代の流用券で、こちらも小裁の後に赤線を印刷しています。 |
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昭和26年5月13日、普通入場券、宇野驛、5円、表、裏、工赤地紋(流用券)、宇野駅発行、国鉄。 余剰となった、広島局長距離用簡易地紋台紙を裏面に流用した、赤線入場券の5円券。 戦時中に物資困窮の折に、広島局が考案した簡易地紋「工」の地紋券。戦後も暫く物資困窮が続き、使い回しをしています。 ● 赤線も、辛うじて付けたと言う程度の印刷で、当時の苦労が見て取れます。 日付下の線引きは、券回収後の審査用の「翌収扱い」とする為の印です。詳細は「茜堂-謎の記号と不思議な落書き」を参照。 ■入場券横浜駅の乱 以前、茜堂筆者は同時期の伊東駅の、赤線横2条の入場券を所持していましたが、 この赤線横2条の入場券が、何故、存在するのかは、手持ちの資料にも記載が無く、良く分かりません。 |
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戦時簡易、工地紋券を、 裏面に流用した、赤線入場券。 |
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昭和26年7月31日、普通入場券、赤線2条、横浜驛、5円、表、裏、横浜駅発行、国鉄。 伊東駅には、国鉄、伊豆急が有り、横浜駅には、東急、京急、相鉄等が存在するので、 他社識別の為の、赤線横2条かとも思いますが、戦後まだ5~6年の頃にわざわざ、斯様に手の込んだ事をするで有ろうか。 ● 全くの、想像では有るが、赤線を凸版刷りする際に、隙間の開いた帯線を2条渡し、インクの滲みで、 一本の赤線に見せようと、考えたのかも知れません。伊東駅のそれは、横浜駅の一目瞭然の 赤線横2条とは異なり、 パッと見は赤線1条ですが、良く見ると2条となっているので、差別化するので有れば、間隔を明確に開ける筈だと思います。 ■入場券大分駅の乱 表には、入場券定番の赤横1条が入っていますが、裏面にも、赤線が入れられています。 然も、縦に3条の赤線が、表裏合わせれば、実に4条の赤線が一枚の入場券に、豪華絢爛に飾られています。 |
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赤線横引きの1条が、 何故だか、赤線2条の入場券。 |
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昭和37年1月23日、普通入場券、大分駅、10円、表、裏、特急券(流用券)、大分駅発行、国鉄。 こちらは、九州地区では有名な入場券で、昭和40年10月1日に、廃止される事で余剰となる、特急券用赤線縦3条の台紙を、 そのまま裏面に、使用した流用券で、地紋は刷られて居らず、門司印刷場A型4期券に、分類されています。 ● 昭和35年6月30日迄は、地紋は個別に3色(後に2色)が必要ですが、赤縦3条は1色で、それぞれの地紋に共用出来るので、 印刷のランニングコストを考えれば、無地の台紙に赤縦3条を先に印刷し、地紋を刷る為の台紙と致します。 後は、1等、2等、3等用に地紋色を変えて、必要枚数をその都度、印刷するので必然的に、余剰は無地の赤線台紙が主となる。 ● 因に、大分駅の他には、桂川駅、飯塚駅、直方駅、日田駅、大牟田駅、延岡駅等が確認されています。 ■入場券新札幌駅の乱 札幌刷場では、昭和48年8月の規則改正に伴い、合理化の為、乗車券を入場券の代用とする目的で、 金額式乗車券との併用入場券を導入します。 ● |
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特急用の赤縦3条券を、 裏面に流用した、A型入場券。 |
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昭和49年7月23日、金額式乗車券との併用入場券、札幌駅、30円、札幌印刷場30円乗入併用券、国鉄、JNR青地紋。 昭和60年7月2日、普通入場券、札幌駅、130円、札幌印刷場130円券、札幌駅発行、国鉄。 札幌駅の通常の金額式乗車券(国鉄JNR地紋)との併用入場券と、後に発行された通常の入場券(白券)。 千歳線に位置する新札幌駅は、昭和48年9月9日の開業で日も浅く、金額式乗車券との併用では、乗客に混乱を来す為、 馴染みの無い乗車区間でも、分かり易くする目的で、日本で唯一の、地図式乗車券との併用入場券が生まれました。 |
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昭和49年12月6日、地図式乗車券との併用入場券、新札幌駅、30円、札幌印刷場30円乗入併用券、国鉄、JNR青地紋。 昭和56年11月1日、普通入場券、新札幌駅、110円、札幌印刷場110円券、新札幌駅発行、国鉄。 日本で唯一の、新札幌駅の地図式乗車券との併用入場券(国鉄JNR地紋)と、後に発行された通常の入場券(白券)。 昭和48年8月の規則改正に伴い、生まれた地図式乗車券との併用券ですが、 この様式は規則違反との声も有りましたが、30円券、60円券、80円券と3期に渡り発行されました。 ● 初期の目的が達成されたのか、昭和54年5月19日を最後に廃止され、以降は通常の入場券に変更されています。 ● ■入場券緑駅と緣駅の乱 緑駅の入場券は、中期の30円入場券までは、新字体(現代漢字)の駅名「緑」でしたが、 後期の30円入場券からは、何故か時代が逆行したかの様な、旧字体(旧漢字)「緣 」の駅名に変わりました。 ● 購入当時、誤植では無いのかと駅員さんに伺った所、こう言う字も有りますとの事でしたが、 当然、納得出来る範疇では無かった事を、思い出します。 ● 現代人には旧字体(旧漢字)「緣 」の駅名を、読める方は余り居られないのではと、思われるのだが。 但し、後に発行された記念硬券類では、活版印刷で有るにも関わらず、外注なので旧券同様の新字体になっています。 また、駅看板や駅名標等は、現在も変わる事無く新字体の緑駅なのです。経緯不明の全く不思議な切符です。 |
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規定違反との声も出た、 地図式乗車券との、併用入場券。 |
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駅名表示が、 現代漢字で印刷されています。 |
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昭和44年3月25日、普通入場券、緑駅、20円、札幌印刷場20円2期券、緑駅発行、国鉄。 昭和47年8月10日、普通入場券、緑駅、30円、札幌印刷場30円4期券、緑駅発行、国鉄。 昭和49年4月30日、普通入場券、緑駅、30円、札幌印刷場30円5期券、緑駅発行、国鉄。 左から、札幌印刷場20円3期券、札幌印刷場30円4期券、札幌印刷場30円5期券の駅名新字体。 新字体駅名入場券、どちらも発行駅名部も、新字体表記となっています。 ● |
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平成9年9月20日、普通入場券、緑駅、160円、札幌乗車券管理センター外注券、緑駅発行、JR北海道。 平成1年4月29日、普通入場券、緑駅、140円、札幌乗車券管理センター外注券、緑駅発行、JR北海道。 上から、外注印刷160円B型券、外注印刷160円D型券の駅名新字体、発行駅名も新字体。 常備の入場券では、札幌印刷場30円5期券の後半には、以下の様に、既に旧字体「緣」に変わっていますが、 外注印刷券については、問題無く駅名は新字体を使用しています。 |
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駅名表示が、 旧漢字で印刷されています。 |
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昭和51年11月27日、普通入場券、緣駅、30円、札幌印刷場30円5期券、緑駅発行、国鉄。 平成2年2月2日、普通入場券、緣駅、140円、札幌乗車券管理センター140円券、緑駅発行、JR北海道。 平成8年6月1日、普通入場券、緣駅、160円、札幌乗車券管理センター160円券、緑駅発行、JR北海道。 国鉄からJR北海道に変わってからも、駅名は旧字体で表現されています。 活字の都合上の物なのか、或は、何らかのこだわりが有るのかは、良くは分かりませんが、 発行駅名部分は、上段の入場券と同様で、新字体表記のままとなっています。 ● 上段右の券は、札幌印刷場30円5期券ですが、旧字体「緣」に変わったのが、下段左の30円5期券の途中からですので、 分類的には、新字体「緑」から、旧字体「緣」に変わっていますので、5期券の亜種扱いでは、当然収まりません。 やはり、札幌印刷場には存在しないとされる、30円の6期券と言う事になるのでしょうか。 ● ご覧のとおり、国鉄からJRになり、そして160円券になっても、緑の字は復活しなくて、旧字体のままとなっています。 さて、その意図はどこに有るのか、単なる欠品活字の代用なのか、残念ながら良く分かりません。 只、駅名表示のみが旧字体で、発行駅名は新字体を使用しているので、駅名ポイントの欠品対応の様な気がします。 多種多様カラフルな入場券=茜堂 |
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恐らく、日本で一番大きいと思われる、鉄道駅での常備入場券です。
本来の目的は、駅への入場の為の切符ですが、異彩を放つ大きさから、観光客を対象とした軟券での入場券で、 一種の記念入場券の類いの物で、以前は軟券が主流でした記念入場券ですが、近年では、硬券でも発行されています。 ● それでは、昭和47年から販売された、長野電鉄長野駅のビッグサイズの、赤線入場券からご覧下さい。 ■大判赤線入場券 長野電鉄、長野線長野駅、軟券の大判赤線入場券30円券、初日券。 ● |
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昭和47年1月1日、長野電鉄、赤線入場券、長野駅、30円(初日券)、表、裏、長野電鉄長野駅発行、券番8887。 裏面には、長野電鉄鉄道車両の顔として、正面顔写真入でラインナップされ、その他の事業内容等も、紹介しています。 切符画像は、他の切符と比べて、90%に縮小して居ります。実寸=10.5×15cmとなっています。 現在でも発売されて居り、平成26年現在で、入場料金170円で発売されています。 ● 発行当時の長野電鉄、長野駅は地上駅の島式ホーム1面2線で、国鉄長野駅との間に、直通貨物列車用の連絡線も有りました。 現在の長野電鉄、長野駅は、昭和56年3月1日に地下駅化され、地下2階の櫛形ホーム2面3線となっています。 ■駅スタンプ印とのコラボ入場券 旅の収集アイテムの駅スタンプと、入場券がコラボ。 ● |
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平成1年11月1日、普通入場券、札幌駅、140円、札幌駅発行、券番2527、JR北海道。 私の旅スタンプ、シリーズNo.6、札幌駅。旅の収集アイテムの両雄、駅スタンプと入場券が、D型券に集約されています。 裏面には、札幌駅の名称の語源や、札幌市の主な概要が記されています。 ● 中々のアイディア切符です。JR北海道お得意のコートボール紙に、カラーのオンデマンド印刷券。 駅スタンプは、本来ならば1色なのですが、コラボ切符では、多色化されています。 ● 券面のダッチングが、右側に施されていますが、これは間違いでは無く、この場合は右側が正解なのです。 何故ならば、左側は切符では無く絵柄ですので、入場券の左側(入場券と絵柄の間)には、ダッチングが打てません。 それと同じ理由で、裏面の左側となる入場券側にしか、券番が打たれて居ないのです。 ■年間5ヶ月休業の入場券 年間7ヶ月しか営業をしていない、宇奈月駅の半硬券入場券。 ● |
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昭和61年6月10日、普通入場券、宇奈月駅、120円、宇奈月駅発行、券番04353、黒部渓谷鉄道。 黒部渓谷鉄道は、富山県黒部市の黒部川沿いを走る、軌間762mmの特殊狭軌(ナローゲージ)で、 元々は、黒部川電源開発(黒部ダム)の為の、資材運搬専用の鉄道でしたが、且つては、便宜的に旅客を扱っていました。 現在は、旅客事業として、トロッコ列車(トロッコ電車)を運行しています。 ● 但、豪雪地帯の為、12月1日~4月30日の間は、黒部渓谷鉄道は駅共々、冬期閉鎖をしています。 当然ですが、その期間は入場券の販売は、一切行って居りません。 ■赤線横二条の入場券 B型に赤線二条が、横に大きく構えています。 ● |
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昭和39年8月18日、入場券、新名古屋駅、10円、裏面発行駅名、新名古屋駅発行、名古屋鉄道。 新名古屋駅は、昭和16年8月12日に、名岐線の終点駅として、2面3線にて開業します。 中部国際空港開港前に、国内外の乗客に分かり易くする為、平成17年1月29日に、現在の名鉄名古屋駅に改称しています。 ● 名古屋駅は、JR東海道本線、関西本線、中央本線、新幹線、近鉄名古屋線、名古屋臨海高速鉄道、地下鉄東山線、 地下鉄桜通線、名鉄名古屋本線等が集合する、一大ターミナルエリアとなっています。 ■開業記念入場券 開業記念の、A型券での絵柄入硬券入場券。 |
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昭和59年年10月6日、回業記念入場券(初日券)、本巣駅、140円、本巣駅発行、樽見鉄道。 昭和59年10月6日、回業記念入場券(初日券)、北方真桑駅、140円、北方真桑駅発行、樽見鉄道。 樽見鉄道開業記念入場券、正面には、ハイモ180と、車両側面の社紋飾りの絵柄が、それぞれ付けられています。 裏面には、注意事項と社名、発行駅名が付けられています。 ● 樽見鉄道ハイモ180は、開業時に登場した、富士重工製のLEカーで、バスの部品を多用した2軸のレールバスとなっています。 形状は2軸車ですが、各軸は1軸台車型式で、空気バネが使用され、エンジンは180PSのバス用直6エンジンを搭載。 因に、気動車型式のハイモとは、ハイスピードモーターカーを意味しています。 ● ■逆行様式の入場券 第三セクター方式の鉄道として開業後の、時代を逆行するかの様な入場券の移り変り。 ● |
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国鉄樽見線から、 樽見鉄道へ、開業記念入場券。 |
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昭和60年年8月31日、普通入場券、本巣駅、140円、本巣駅発行、樽見鉄道。 平成11年8月16日、赤線普通入場券、本巣駅、140円、本巣駅発行、樽見鉄道。 左側の入場券は、様式的には、60円仙台小児1期券の小影無しに、酷似している、昭和62年の樽見鉄道の普通入場券。 右側の入場券は、樽見鉄道オリジナルの普通入場券で、昔懐かしい拘りの赤線入場券となっています。 ● 樽見鉄道は、昭和59年10月6日に、国鉄樽見線から分離され、第三セクター方式の鉄道として、開業しています。 開業と同時に、国鉄(現JR東海)との連絡運輸が開始されています。 ■オレンジ線入場券 一般的には、赤線入場券が主流ですが、オレンジも存在します。 ● |
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昭和55年年3月13日、普通入場券、南島原駅、70円、南島原駅発行、島原鉄道。 島原鉄道、島原鉄道線の駅で、単式1面、島式1面の計3線のホームを有する地上駅で、車両基地が併設されています。 大正2年9月24日に、湊新地駅として開業し、大正7年7月16日に、島原駅に改称されています。 更に、昭和35年11月5日に、現在の南島原駅に改称されています。その他の切符は「脱線話-2013/2/14」を参照願います。 ● また、駅名の南島原ですが、南島原市とは関係無く、単に、島原の南部を意味しています。 入場券のオレンジ線は、珠に頂く、島原の名産ザボンのカラーイメージだと、勝手に思いを馳せています。 ■アンダー赤線入場券 クリーム地に、駅名下のアンダーラインが、赤線の可愛い入場券。 ● |
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平成26年8月16日、赤線普通入場券、七里ケ浜駅、190円、七里ケ浜駅発行、江ノ島電鉄。 江ノ島電鉄の駅で有る、七里ケ浜駅は、明治36年6月20日に、田辺駅として開業し、大正4年10月18日に、行合駅に改称。 その後、昭和26年に、現在の七里ケ浜駅に改称されています。単式ホーム1面1線の地上駅です。 改札口には、ICカード用の簡易改札機が設置されている為、切符裏面に「自動改札機は通れません」の注意書が記されています。 ■社紋影の入場券 歳時の度に発行された、記念的な入場券の数々。 |
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平成11年6月17日、愛称「流馬」引退記念入場券、青社紋影、流山駅、120円、流山駅発行、総武流山電鉄。 平成11年6月17日、普通入場券、橙社紋影、流山駅、120円、流山駅発行、総武流山電鉄。 平成13年5月17日、普通入場券、緑社紋影、流山駅、120円、流山駅発行、総武流山電鉄 裏面「第6回鉄道の日」愛称新「若葉」入線、総武流山電鉄流山駅発行。 各色で社紋が、あしらわれていますが、社のホームページによれば、社紋カラーは、右側のモスグリーンの様です。 左右の券の裏面には、記念入場券である旨が表記されていますが、真中の券には何も無い事から、通常の入場券の様です。 ● 券発行当時の社名は、総武流山電鉄株式会社は、平成20年8月1日に、流鉄株式会社に社名変更をしています。 ● 引退記念の入場券に記されている「流馬」は、西武鉄道で使用されていた車両で、3両1編成の1200形として使われ、 昭和54年9月21日から「流馬」で竣功し、平成9年9月9日に廃車していますので、廃車時の記念入場券ですが、 当券の発行日付印は、平成11年6月17日なので、実に2年近く売れ残っていた事になります。 ■名鉄3300系編入記念の入場券 一時的に名鉄瀬戸線尾張旭検車区に、3300系が搬入された記念の入場券。 ● |
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記念入場券のみならず、 社紋が、中央に記されています。 |
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平成27年1月7日、入場券、電車図影、尾張旭駅、170円、尾張旭駅発行、限定500枚、名古屋鉄道。 券面には、瀬戸市川西町在住の版画家、水野アー(みずの あいち)氏による、3300系が描かれています。 ● 尾張旭駅は、名鉄瀬戸線の駅で、島式2面3線の、6両分のホーム有効長を持つ橋上駅で、 明治38年4月2日に、新居駅として開業し、大正11年2月24日には、旭新居駅に改称しています。 更に、昭和46年11月1日に、現在の尾張旭駅に改称されています。 ● 平成27年1月7日、名古屋鉄道瀬戸線尾張旭検車区へ、3300系の増備車(4両1編成)が搬入されました。 編成は3306Fで、喜多山駅付近の高架工事に伴う、瀬戸線内の運用変更に対応する為で、完了後は戻される予定です。 ● 名鉄3300系電車は、300系をベースとして、平成16年10月に登場した、正面以外ステンレス車体の通勤形電車で、 正面デザインは、地下鉄乗り入れ車の300系とは異なり、非常用貫通扉が、やや中央寄りに移動しています。 これは非常時対応の、他編成増結時に、乗務員の乗移りの利便性を、考量した結果に因るものです。 ● 赤線20円入場券=茜堂 |
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次の六箇所の、印刷場管内の各駅において、希少な赤線20円入場券が、限定発行されています。
東京印刷場では、事前に平版での、赤線刷り帳付け台紙の印刷調整を行い、 使い切ると同時に、廃止までは、定形での赤と墨の二色刷り活版に、切り換えた為、赤線台紙の余剰は無かったようです。 その為、東京印刷場の末期の、活版赤線刷りの入場券では、赤線が左右の断裁面の少し手前で、途切れているのが特徴です。 ● 検証頁の「茜堂-謎の赤線20円券」に、久大線田主丸駅、赤線20円入場券の顛末記を、掲載しています。 ● 駅=自は自動券売機券を、表しています。 駅=両は自動券売機券と窓口券を、表しています。それ以外は窓口発行券となります。 ■札幌印刷場 留萌本線(留萌駅)、宗谷本線(風連駅・和寒駅)、渚滑線(濁川駅)、石北本線(丸瀬布駅・遠軽駅・相ノ内駅・ 北見駅=両・美幌駅)、釧網本線(網走駅=両・斜里駅・弟子屈駅)、根室本線(根室駅・茶内駅・釧路駅=自・白糠駅・豊頃駅・ 池田駅・帯広駅・芽室駅・新得駅・島ノ下駅・上芦別駅・芦別駅・赤平駅)、広尾線(更別駅・広尾駅)、 富良野線(上富良野駅)、日高本線(様似駅・西様似駅・浦河駅・新冠駅・厚賀駅)、富内線(振内駅・富内駅・穂別駅・ 豊田駅)、室蘭本線(栗山駅・追分駅・苫小牧駅=両・竹浦駅・登別駅・東室蘭駅・室蘭駅・伊達紋別駅)、夕張線(沼ノ沢駅・ 清水沢駅)、岩内線(岩内駅)、胆振線(新大滝駅)、函館本線(旭川駅=自・納内駅・滝川駅・砂川駅・茶志内駅・岩見沢駅=両・ 豊幌駅・苗穂駅・琴似駅・小樽築港駅・南小樽駅・塩谷駅・小沢駅・狩太駅・蘭越駅・黒岩駅・八雲駅・掛澗駅・ 大沼公園駅・大沼駅)、 江差線(木古内駅・湯ノ岱駅)、松前線(松前駅)等。 ● |
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昭和41年9月12日、赤線入場券、窓口販売券、大沼公園駅、20円、札幌印刷場券、国鉄。 昭和42年7月2日、赤線入場券、窓口販売券、塩谷駅、20円、札幌印刷場券、国鉄。 昭和41年5月28日、赤線入場券、自動券販売機券、旭川駅、20円、札幌印刷場券、国鉄。 昭和41年5月31日、赤線入場券、自動券販売機券、釧路駅、20円、札幌印刷場券、国鉄。 札幌印刷場の自動券売機券は、通常券ですが、窓口取扱いでは、北海道特有の雪の様な白い地肌の、硬券が使われていました。 一般的な入場券の、ボール紙(未晒紙)に対し、北海道では一時期、窓口販売のみ化粧ボール紙(晒紙)を、使用していました。 網走駅、苫小牧駅での、自動券売機券を確認、上記リストに追記しています。 ■仙台印刷場 大畑線(川代駅・田名部駅)、大湊線(大湊駅・近川駅)、八戸線(八戸駅・陸奥湊駅・種市駅・陸中夏井駅)、 花輪線(大滝温泉駅・八幡平駅)、山田線(大志田駅・浅岸駅・区界駅・箱石駅・蟇目駅・宮古駅=自・豊間根駅・ 鵜住居駅)、釜石線(矢沢駅)、大船渡線(陸中松川駅・摺沢駅)、北上線(黒沢駅・陸中大石駅・江釣子駅)、 陸羽東線(堺田駅・川渡駅・池月駅・陸前古川駅)、仙山線(熊ケ根駅・奥新川駅・高瀬駅)、奥羽本線(赤岩駅・笹木野駅)、 東北本線(小川原駅・三沢駅・北高岩駅・小鳥谷駅・小繋駅・好摩駅・盛岡駅=両・花巻駅・北上駅・一ノ関駅=両・ 塩釜駅・岩切駅・仙台駅=自・松川駅)、石巻線(石巻駅・陸前稲井駅)、仙石線(陸前高砂駅・松島海岸駅・下馬駅・ 宮城野原駅)、磐越東線(舞木駅・磐城常葉駅)、磐越西線(喜久田駅・安子ヶ島駅)、会津線=只見線(会津若松駅・ 会津本郷駅・塔寺駅・会津川口駅)、会津線(上三寄駅・弥五島駅)等。 |
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昭和41年5月1日、赤線入場券、自動券販売機券、宮古駅、20円、裏面循環符号付、仙台印刷場券、国鉄。 仙台印刷場の自動券売機券では、裏面4桁の券番以外に、大きな数字(1~9)が付記されています。 これは券番の循環符号で、1万単位の組番号を表しています。窓口販売券では、裏面の券番5桁で表示されています。 また古くには、同様に、1万単位を(いろは)等の組符号で、表示されていた事も有りました。 ● 循環符号につきましては、「茜堂-私鉄国鉄連絡乗車券」を、ご覧下さいませ。 ● |
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券売機券では、循環符号が、 大きく、裏面表示されています。 |
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昭和41年10月26日、赤線入場券、窓口販売券、松島海岸駅、20円、仙台印刷場券、国鉄。 窓口販売券では、上段の自動券売機券とは異なり、裏面の券番は、5桁のみで表示されています。 ■新潟印刷場 羽越本線(秋田駅=自・新津駅=自)、信越本線(東三条駅=自・柏崎駅=自・直江津駅・高田駅=自・新井駅=自)、 八高線(明覚駅)等。 ■名古屋印刷場 中央西線(千種駅)、高山線(飛騨一ノ宮駅)、東海道本線(蒲郡駅)、小浜線(東小浜駅)等。 ■高松印刷場 高徳本線(高松駅=自・栗林駅・三本松駅・板東駅)、徳島本線(徳島駅=自・府中駅・阿波山川駅・江口駅・辻駅)、 牟岐線(牟岐駅)、土讃本線(琴平駅・祖谷口駅・小歩危駅・大田口駅・大杉駅・安和駅)等。 ● |
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昭和41年4月10日、赤線入場券、窓口販売券、安和駅、20円、高松印刷場券、国鉄。 札幌印刷券は「通用発売当日」で、仙台印刷券は「通用当日」となり、高松印刷券は「通用発売日当日」となっています。 ■門司印刷場 鹿児島本線(小倉駅)、筑豊本線(桂川駅)、勝田線(上亀山駅)、筑肥線(鹿家駅)、長崎本線(肥前白石駅)、 佐世保線(永尾駅)、久大本線(南由布駅・庄内駅)、日豊本線(日向長井駅・南宮崎駅・田野駅)、日南線(青島駅・串間駅)、 吉都線(日向前田駅)、志布志線(岩川駅)、古江線=大隈線(鹿屋駅)、肥薩線(大隈横川駅・霧島西口駅)等。 ● 20円赤線入場券の有名コレクターでいらっしゃる、永田博昭 氏、中島英明 氏の両氏よりの、詳細な情報を元に、 追加編集、修正削除をさせて頂きました。この場を借りまして、お礼申し上げます。 ● 20円赤線入場券情報更新(永田博昭 氏、監修)=2007年6月23日。 20円赤線入場券情報更新(中島英明 氏、監修)=2006年6月30日。 ● また、実券未確認ながら、運輸情報センター発行の「鉄道入場券図鑑」昭和56年10月25日初版発行本には、 上記記載に加え、以下の発行駅の記載が有りますので、追記させて頂きます。 ■札幌印刷場 宗谷本線(永山駅)・天北線(浅茅野駅)・羽幌線(羽幌駅)・留萌線(増毛駅)・富良野線(富良野駅)・池北線(陸別駅)等。 別途情報=羽幌線(苫前駅)、札沼線(篠路駅)等。 上記に於いて、実券未確認とされていた、羽幌線羽幌駅の赤線20円入場券を、発見致しました。 ● |
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昭和41年7月4日、赤線入場券、窓口販売券、羽幌駅、20円、札幌印刷場券、国鉄。 ■仙台印刷場 陸羽東線(鳴子駅)・東北本線(品井沼駅)等。 別途情報=岩泉線(岩手大川駅)・大船渡線(気仙沼駅)等。 ■高松印刷場 徳島線(小島駅)・土讃線(善通寺駅)等。 別途情報=土讃線(窪川駅)、牟岐線(二軒屋駅)等。 ● 上記以外の駅で、該当入場券を発売された駅をご存知の方、或は現物入場券を、お持ちの方が居られましたら、 その旨、最下段に記した茜堂宛メールにて、ご一報頂けましたら幸いです。 新規発見の赤線20円入場券=茜堂 |
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まだ、有るのですね赤線流用入場券は、ここに、東北本線水沢駅、江差線桂岡駅、江差駅の、赤線20円入場券を追加します。
真贋の程の検証は、それぞれの券面にて、検証を施して居りますので、ご覧下さいませ。 ■仙台印刷場 東北本線(水沢駅=自) ● |
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赤線部分の、拡大画像です。 横に並んだ細い線で、赤ベタを表現しているのが、良く分かります。 これは、平版(オフセット)や、一般的な凸版では無く、線画凸版で印刷した物です。 |
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昭和41年5月28日、赤線入場券、自動券販売機券、水沢駅、20円、裏面循環符号付、国鉄。 赤線部分で、淵が濃く中程が薄い赤線入場券を、良く見掛けますが、これは赤線部分が平版(オフセット)印刷での券では無く、 四六判4切の原紙に、線画凸版で印刷を施し、インクの節約と乾きの養生で、印圧を抑え気味にしている為の作用です。 ● それを踏まえて、当流用赤線入場券を、印刷的見地から、検証してみますと、 券の赤線部分では、細い線が複数本、横に並んで見えますが、これは赤線用に線画製版した、線画凸版での印刷となります。 コストが掛かる、太い赤線版での平版や凸版をやめ、罫線間でのグラビア効果を、微妙に狙った物だと解釈できます。 ● 以上の手法は、赤線刷りに於いて、一般的に見られる手法の一つでも有ります。 断裁面での、インクの吸い込みも見られない事から、四六判4切の原紙に、線画凸版で、赤線印刷を施した事が分かります。 ● その赤線10円券時代の台紙を、小断ち後に、20円券の活版でスミ印刷を施した事が、 当券の活版スミ部分と、他駅の券売機券の活版スミ部分とが、合致する事で、スミ版部分は真券で有る事が、立証できます。 因って、当券は赤線入場券の台紙を、流用をした赤線20円入場券の真券だと、位置付けを致します。 ■札幌印刷場 江差線(桂岡駅) ● |
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昭和41年6月24日、赤線入場券、窓口販売券、桂岡駅、20円、国鉄。 裏面が薄黒く馬糞紙ぽいのは、北海道の赤線20円券の特徴で、10円券時代、券売機券では他局同様に、 未晒しのボール紙を、使用していましたが、窓口販売券では、裏面が馬糞紙ぽい、片面化粧ボール紙(晒紙)を使用。 後者の、片面化粧ボール紙(晒紙)の、窓口販売券用台紙が、20円券に流用されています。 ● 本券の赤線刷りは、断裁面の25倍拡大検査の結果、印刷後に小断ちした事が分かり、赤線B型券台紙で有る事が判明致します。 文字は活版にて、赤線B型券台紙に刷られた事が、文字印刷エッジ部の、25倍拡大検査にて良く分かります。 また、周辺駅の同期20円白券との照合に於いて、駅名以外は同組版と判定し、活版部分は真券で有る事が判明致します。 ● 小断ちの前に赤線が刷られ、その後に、文字が活版で印刷されていますので、赤20円の真券で有る事が確定致します。 総括しますと、四六判4切の原紙に、赤線をオフセット印刷し、小断ちの後に定石通り、活版印刷を施した真券となります。 ■札幌印刷場 江差線(江差駅) ● |
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昭和41年6月27日、赤線入場券、窓口販売券、江差駅、20円、国鉄。 裏面が薄黒く馬糞紙ぽいのは、北海道の赤線20円券の特徴で、10円券時代、券売機券では他局同様に、 未晒しのボール紙を、使用していましたが、窓口販売券では、裏面が馬糞紙ぽい、片面化粧ボール紙(晒紙)を使用。 後者の、片面化粧ボール紙(晒紙)の、窓口販売券用台紙が、20円券に流用されています。検証内要は上記と同様。 ● 本券の赤線刷りは、断裁面の25倍拡大検査の結果、印刷後に小断ちした事が分かり、赤線B型券台紙で有る事が判明致します。 文字は活版にて、赤線B型券台紙に刷られた事が、文字印刷エッジ部の、25倍拡大検査にて良く分かります。 また、周辺駅の同期20円白券との照合に於いて、駅名以外は同組版と判定し、活版部分は真券で有る事が判明致します。 ● 小断ちの前に赤線が刷られ、その後に、文字が活版で印刷されていますので、赤20円の真券で有る事が確定致します。 総括しますと、四六判4切の原紙に、赤線をオフセット印刷し、小断ちの後に定石通り、活版印刷を施した真券となります。 新規発見の赤線流用20円入場券、3点を掲載しておりますが、埋もれている券が、多々有るのではと、思われます。 |
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