先輩救急専門医に聞く
木下喬弘先生のプロフィール
学生時代、最初は救急に行きたいと思っていましたが、実習で理想ばかりではない現実に気付いて、少し考え直しました。大阪以外では、外傷は脳外科が対応しているところが多いので、脳外科に行こうかなと思うようになりました。 研修で大阪府立急性期・総合医療センターを選んだのは、救急件数が多いからです。初期研修の間はいろいろな科を回るので、まずは初期対応できるような医者になろうと思っていました。実際研修で回ってみたら、圧倒的に救急が面白く感じ、結局、救急に行くことを決めました。
部長も副部長も、一生懸命調べてこうしたほうがいいんじゃないだろうか、ということを理論立てて説明するときちんと耳を傾けてくれますし、いいアイデアであれば採用してくれました。初期研修医の考えたことで治療が変わるということは珍しいと思います。厳しくもあるんですが、頑張ったら認めてもらえるという実感がありました。
救急の実働部隊として一生懸命臨床に携わっていた3年目に、耐性菌のアシネトバクターで救急病棟が閉鎖されるということがありました。病棟を閉鎖して環境整備するまでの二週間ほど、患者さんを受け入れられなくなったことは大変つらかったです。救命センターが受け入れられない分、他の病院で対応せざるをえませんが、もしかすると搬送が遅れてしまったケースもあるかもしれません。申し訳ない気持ちでいっぱいで隔離解除になった後は、絶対全部受け入れるという覚悟で一週間泊まり込みで当直しました。1日14件の患者を受け入れてベッドが一晩で満床になったりもしました。
4年目からの2年間はサブスペシャリティを身につけるため、大阪脳神経外科病院で勤務しました。脳外科を選んだのは、「頭」というものが面白いからです。頭部外傷の集中治療管理を経験したことのある人なら分かると思いますが、頭部は圧倒的に面倒で難しい部位です。完璧な対応ができたと思っても植物状態になることはありますし、薬をどうするか、手術をするかしないか、手術をするならどんなことをするか、考えることはたくさんあります。奥が深くて興味深いんです。ここでは僕が一番下だったので、助手として、十数時間におよぶ手術にずっと入ってました。忙しかったですが、色々やらせてもらえましたし、教えてもらえました。論文も発表することができました。
現在は、再び大阪府立急性期・総合医療センターで勤務しています。
災害医療への取り組み
救急にこようと決めたもうひとつの理由は、1年目の3月におきた東日本大震災をきっかけに、災害医療に関わりたいと思ったからです。心の底から被災地に向かいたいと思いましたが、当時はまだ資格を持っていなかったので、現地に向かう他の先生方を見送りながら、悔しい思いをしました。
その後、3年目にDMATの隊員になりました。災害が実際に起こったらどうするか、たくさん訓練をして準備しています。大阪脳神経外科病院に行っていた時も、災害訓練の時はセンターに来て訓練していました。今も月に一度の災害カンファレンスや、年2回の災害訓練をやっています。災害訓練は病院内のことだけ考えればいいのではありません。患者さんのバイタルの変化の確認などは当然のことで、その他にも大阪全体が災害になったときのことも考え、多数の傷病者の搬出方法や、どこの道路が通行可能か、なども考えておかないといけません。DMATの災害訓練として、そういったことまで組み込んで訓練しているケースはあまりないと思います。
スペシャリティを持つジェネラリストに
救急医は全部診ることができるジェネラリストでなければならないと思っています。ジェネラリストでありながらも、外傷や敗血症といった分野では最先端の研究を行ったり、その治療成績も良いというスペシャリストの側面もあります。一言でいうと、何でも屋だけど、僕らじゃなければできないことがあるんです。
例えば、脳外科の先生のほうが頭部外傷の手術は上手いかもしれませんし、腹部外科の先生のほうが肝損傷などの手術は上手いかもしれない。けれど、多発外傷の時、各科の先生が手術をするとしたら、イニシアチブをとる人がいません。僕らはそれぞれの分野のスペシャリティを持っている人たちで一つのチームを組んでいます。どの順番で治療していくのがいいか、あるいは同時にやらなければならないのか、ということを決められます。外傷をスペシャリティとして持っている救急医だからこそできることですよね。
将来やりたいこと
中期的には、現在、ハイブリッドER(Hybrid Emergency Room)の臨床研究をしているので、その成果をまとめて論文発表したいと思っています。世間に広めていずれこれが日本の外傷初期診療のスタンダードになれば良いと思っています。
長期的には、JICAとか国境なき医師団などの国際協力に携わりたいです。例えば、チェルノブイリ原発事故の後、日本の甲状腺スペシャリストが甲状腺癌の手術を教えに行ったんですが、そういったことをまだぼんやりですが考えています。そのためにもまずは研究成果を出して、留学してから、と考えています。
後輩へのメッセージ
救急医を続けるために大事なことは、常に新しいことを発見しようと努力することです。
珍しい症例の患者さんが来てどうすれば良いか解らないとき、真剣に調べ真摯に向き合って解決しようと努力していると、少しずつスキルアップしていきます。そうやって自分が向上しているという感覚があれば、それが続けていくモチベーションになりますし、新たなものを発見して論文にまとめたり学会発表をしたりすることも、モチベーションにつながります。
また、このセンターを、救急を志す人が是非ここに行きたいと思える病院にしたいと思っています。伝えたい魅力はたくさんあるので、Facebook(https://www.facebook.com/ogmc.qq/)等で発信しています。
初期研修医にも一生懸命教えますし、勉強会なども開いています。全てに手応えがある訳ではないですが、救急を選ぶ人が増えると嬉しいですね。