1月22日、武漢赤十字病院の発熱外来は満員状態 (写真:財新)

※前回『第6回 対策遅らせた診察基準』から読む

新型肺炎の重症患者を救うために「死に神」と戦っているのは、現地武漢の医療関係者だけではない。武漢市が封鎖された後、中国政府は全国各地から救援の医療チームを続々と派遣している。そこで彼らが目にしたのは、新型コロナウイルスの猛威に極限まで追い詰められた過酷な医療現場だった。

旧暦元日(1月25日)の夜、四川省の救援医療チームの第1陣138人が武漢に向けて出発した。その中に、四川省人民病院のICU(集中治療室)の責任者を務める黄暁波の姿があった。翌26日の明け方近くに到着すると、午前中に任務に関する研修を受け、午後には早速、支援先として割り当てられた武漢赤十字病院に向かった。

黄は2008年の四川大地震のとき、想定を超える大規模災害の最中での救命医療を経験している。救急車が次々に運び込む重傷者の中には、搬送中に息絶えた者も少なくなかった。積み上がる遺体の中から生存者を探すという修羅場で、病院のオペレーションは混乱を余儀なくされた。

四川大地震を超える修羅場

だが、赤十字病院の混乱ぶりはその比ではなかった。黄の目にはもはや崩壊の瀬戸際に見えたのだ。