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落第剣士の剣術無双~無限地獄を突破した俺は、気付いたら最強になっていた~ 作者:月島 秀一
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卒業式と大混乱【四】

「お兄ちゃん、ありがとう! とっっっても強いんだね!」


 ハルは無邪気な笑みを浮かべながら、お礼の言葉を口にし、


「時近さん、このたびは本当に……本当にありがとうございました……っ」


 清美さんはそう言って、何度も何度も頭を下げてきた。


「いえ、俺は人として当たり前のことをしただけですから、お気になさらないでください。――ところでハル、足の具合はどうだ?」


「うん、もう全然痛くない。そのお薬、凄くよく効くね!」


「あはは。そう言ってくれると嬉しいよ」


 ハルの頭をワシワシと撫ぜると、彼女は「えへへー」と嬉しそうに微笑んだ。


 俺が使ったのは、母さんが作ってくれた塗り薬。これは家の裏手にある霞山(かすみやま)で取れた薬草を(せん)じたもので、擦り傷・切り傷・火傷などに対して抜群の効果を発揮するのだ。


 そうして俺とハルがちょっとした雑談を交わしていると、


「――時近さん。今はこんなものしかありませんが、どうか受け取ってください」


 清美さんは九条家の荷馬車から漆塗りの大きな箱を持ち出し、それをこちらへ手渡した。


「えっと、これは……?」


「どうぞ、お開けください」


「は、はぁ……」


 言われるがままに蒔絵(まきえ)の施された蓋を開けるとそこには――大きな肉の塊があった。


「なっ!?」


 周囲に氷袋(こおりぶくろ)を敷き詰められたそれは、薄く切られた『生の牛肉』。

 色鮮やかな赤身と雪のように細かな霜降り、俺のような貧乏農家には一生縁がないであろう最高級の牛肉だ。


(こんなおいしそうなお肉、生まれて初めて見たぞ……っ)


 溢れ出る高級感と並々ならぬ存在感に圧倒された俺は、思わずゴクリと生唾を呑む。


 すると――それをいったいどういう風に受け取ったのか、清美さんは申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「ご気分を害してしまい、大変申し訳ございません……。ですが、ご安心ください。命を救っていただいた御恩に対し、この程度の謝礼で済ます気は決してございません」


「……え?」


「ただ現状、先の牛鬼の襲撃によって他の荷は全て潰されておりまして……。今すぐお渡しできるものは、これしかないのです。後日また改めて、きちんとお礼に(うかが)いますので、どうか今日のところはこれで――」


「い、いえいえいえ! さっきも言いましたが、俺は人として当然のことをしただけですから! お礼なんていただけませんよ!?」


 何やら大きな勘違いをさせてしまったようなので、俺は早口でそう(まく)し立てながら手元のお肉を突き返した。


 自分よりも小さく弱い人を助けるのは、剣士として――人として当然のことだ。

 当たり前のことをしただけで、こんなにおいしそうなお肉をもらうわけにはいかない。


「そ、そんな……っ」


 清美さんは一瞬「信じられない」という表情を浮かべた後、すぐさま首を横へ振った。


「いえ、やはり命の恩人を手ぶらでお返しするわけにはいきません。どうか私たちのためにも、この品を受け取ってはもらえないでしょうか?」


 彼女の目には強い意思が宿っており、とてもじゃないが引き下がるようには見えない。

 それに何より……ここまで言われて断るのは、(かえ)って無粋なことのように思えた。


「ほ、本当にもらってしまってもいいんですか……? これ、絶対に高いやつですよね?」


「そんなことは、お気になさらないでください。あまり日持ちはしませんので、お早めにお召し上がりいただければ幸いです」


 清美さんはそう言って、柔らかく微笑んだ。


「あ、ありがとうございます! きっとうちのみんなも喜びます!」


「ふふっ、それはよかったです」


 こうして予想外のごちそうを手に入れた俺は、清美さんとハルを安全なところまで――第一層の入り口まで送り届けた。


「時近さん、この御恩は一生忘れません。いつか必ず、ちゃんとした恩返しさせてくださいね」


「お兄ちゃん、またねー!」


 二人と別れた後は血石商(けっせきしょう)のもとへ向かい、そこで今日の収穫物である小鬼(ゴブリン)牛鬼(ぎゅうき)の血石を換金する。


 そうして昼の仕事を終えた俺は、晩ごはんに間に合わせるため、大急ぎで帰路を駆け抜けた。

 三十分ほどひた走った俺は、勢いよく自宅の扉を開け放つ。


「――ただいま!」


 すると――ちょうど土間(どま)で水回りの掃除をしていた母さんとばったり出くわした。


「あら。おかえりなさい、時近。どうしたの、そんなに慌てて?」


「見てくれよ、母さん! 凄いものが手に入ったんだ!」


「んー……? まぁ! これはまた綺麗なお肉ねぇ。こんな高そうなもの、いったいどこで手に入れたのかしら?」


「それが実は――」


 俺が簡単に事情を説明すれば、彼女は「なるほど、それはいいことをしたわね」と優しく微笑み、早速今晩すき焼きを作ってくれることになったのだった。



 時刻は夜の七時頃。


「――はーい、できましたよー!」


 母さんの声に呼び寄せられて、俺たちはみんな居間に集合する。


「うわぁ、うまそー!」


「ごちそうだぁ!」


 時男と時子は囲炉裏に掛けられた鍋に目を奪われ、


「これは……随分といい肉だな。いったいどうしたんだ?」


 父さんは目を丸くして、不思議そうに小首を傾げた。


「ふふっ、実は時近がですね」


 母さんはどこか自慢気に、そして嬉しそうに、先ほど俺が話した牛鬼(ぎゅうき)の一件をかいつまんで語った。


「ほぉ、そうだったのか! 時近、素晴らしいことをしたな。お前の親として誇らしいぞ」


「あはは、当たり前のことをしただけだよ。それよりもほら、早く食べよう。時男と時子が、そろそろ限界みたいだしさ」


 ほどよく煮立った鍋には、長ねぎ・お豆腐・こんにゃく・白菜が踊り、その中心には『最高級の牛肉』がとてつもない存在感を主張する。

 そんな肉の魅力にあてられた時男と時子は、先ほどから目をキラキラと輝かせ、ふとすれば(よだれ)を垂らしかねない勢いだ。


 それから俺たちは囲炉裏の周りに腰を降ろし、両手をパンと合わせる。


「「「「「――いただきます」」」」」


 食前の挨拶をした後、時近と時子はすぐに主役のお肉に箸を伸ばした。


 そして小さな口でしっかりとお肉を噛み締めた二人は、


「「~~ッ!」


 ほとんど同時に身を震わせた。


「――時男、時子。どうだ、うまいか?」


「うん、すっげーうまい!」


「こんなにおいしいお肉、はじめて食べた!」


「そうかそうか、それはよかった! まだまだたくさんあるから、たんとお食べ!」


「「うん!」」


 二人は満面の笑みを浮かべ、おいしそうにお肉を頬張った。


(さて、それじゃ俺もいただこうかな……)


 さっとお肉を一つまみし、それをゆっくり口の中へ運んだその瞬間、


(こ、これは……!?)


 かつて経験したことのない『濃厚な旨み』と『深い甘み』が、俺の口内を駆け巡った。


(う、うまい……ッ! 牛肉とは、ここまでおいしいものだったのか!?)


 柔らかい以上、とろける未満という絶妙な歯ごたえ。

 噛めば噛むほど込み上げてくる、雄大な牛肉の味。

 しつこさ・くどさのない脂は、いっそ清々しいとさえ思えてしまうほどだった。


(これが最高級の牛肉……ッ)


 干し肉とは一線を(かく)す圧倒的な戦力に衝撃を受けていると、


「こんなごちそうを食べるのは、もう何年ぶりになるだろうなぁ……」


 父さんは鍋を(さかな)熱燗(あつかん)を揺らしながら、しみじみとそう呟いた。


「そうですねぇ……。あなたが前線を退くときに開かれた『退役会』、あのとき以来でしょうか?」


 下戸(げこ)の母さんはお肉と野菜を交互に食べつつ、昔話を膨らませる。


「あの騒がしかった宴会も、もう十年以上も前になるのか。本当に、時の流れというやつは早いな……。初めて千代と出会ったのが、まるで昨日のことのように思えるよ」


「ふふっ、あれはもう『最悪の出会い』でしたからね。そういえば覚えてますか? あなたったら、あのとき――」


 父さんと母さんは本当に仲がいい。

 時たま喧嘩をすることもあるが、気付けばいつの間にか仲直りしている。


 俺もいつかは生涯の伴侶(はんりょ)を見つけて、二人みたいに円満な夫婦関係を築きたいものだ。


(それにしても、幸せだなぁ……)


 父さんと母さんがいて、時男と時子がいて――その輪の中に俺がいる。


(この幸せな時間を絶やさないためにも、大急ぎで引っ越し資金を貯めないとな……)


 俺は(ひそ)かにそんな決意を固めながら、豪勢な晩ごはんをみんなで堪能したのだった。

※とても大事なおはなし!


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