卒業式と大混乱【二】
その翌日。
早朝の畑仕事を終えた俺は、御堂剣術寺へ向かっていた。
(引っ越し資金を貯めるって、けっこう難しいよなぁ……)
なんと言ってもうちは、どこに出しても恥ずかしくない貧乏農家なのだ。
我が家の収入源は、大きく分けて二つ。
農作物の売却益と
(農家としての収入を増やすには、新しく畑を
ただ……これには膨大な時間が掛かるうえ、引っ越し後は全て無駄になってしまう。今後のことを考えてもあまり現実的な方策じゃない。
(内職は時と場所を選ばずにできる仕事だけど……)
はっきり言って、
とてもじゃないが、引っ越し資金を捻出することはできないだろう。
(そうなると……やっぱり俺が、都へ『出稼ぎ』に行くしかないか)
都の神園には様々な仕事があり、その中には割のいいものがたくさんあると聞く。
(日中は丸々家を空けることになるけど……。この先しばらくの間、妖魔の襲撃はないそうだから大丈夫だろう)
今朝方うちに、無限隊の一団が顔を覗かせた。
大国村で発生した妖魔の集団を無事に討伐し、川下に生えた無限樹の小苗を伐採したとのことだ。
なんでも「ここら一帯は入念に見回りをしたので、少なくとも今後半年は安全でしょう」と言っていた。
この判断については、父さんも無言で頷いていたし、間違いじゃないだろう。
(二か月後。俺は御堂剣術寺を卒業し、日中は完全に手が空くことになる)
つまり――勝負はそこから先の四か月。妖魔に襲われる危険がないこの期間、俺は毎日のように都へ行き、お金稼ぎに没頭しなければならない。
(……頑張ろう)
一日でも早くここを引っ越し、安全な都へ移らなければならない。
俺は強い決意を抱き、御堂剣術寺の教室へ足を踏み入れた。
するとその瞬間、
「――おっ、『落第剣士』様のお出ましだぜ!」
「ほんと、毎日よく来るよなぁ……」
「まさか無限隊に入れるわけでもないのに、なんで剣術寺に通っているんだろうね?」
同級生たちから、ひどい
しかし――どういうわけか、今日は全然気にならなかった。
(都への出稼ぎ……定番の店番でもやるか? いや、でもそれじゃ四か月で引っ越し資金を貯めるのは難しそうだな……。
お金のことで頭がいっぱいになっているからか、はたまた引っ越しという確かな目的ができたからか――とにかく、周りの雑音が全く気にならなかったのだ。
それは授業中も同じだった。
今日の一限目は『試合稽古』。なんの因子も持たず、御堂剣術寺で最弱の俺は、完全に一人浮いてしまっている。
「あー……。時近、悪いがお前は――」
先生が面倒くさそうに口を開いたので、
「――あっ、はい。みんなの邪魔にならないよう、端の方で素振りをしていますね」
俺は自分から日陰の方へ移動し、黙々と剣を振り続けた。
(いつもは、悔しくて仕方なかったんだけどな……)
何故かわからないけど、今はみんなと剣を交える気にならなかったのだ。
「なんだ、あいつ……つまんねぇの……」
「なんか妙だな……。もしかして、変なもんでも食ったか?」
「ははっ、あり得る話だな! なにせあいつの家は、超が付くほどのド貧乏。空腹に耐えかねて、拾い食いでもしたんだろ」
これまでずっと嫌だったみんなの笑い声や冷めた視線も、不思議とつまらないことのように思えた。
その後、あっという間に時は流れ――
卒業式と言っても、別に親族が参加するような大きなものじゃない。いつもの教室で、卒業証書を受け取るだけのとても簡素な式だ。
卒業生へ証書が授与された後、
「――君たちの行く道に神の御加護があらんことを」
先生が閉式の辞を読み上げ、卒業式はつつがなく終了した。
「ふぅー、なんかあっさりと終わったな……」
ここに通った三年間、正直つらいことの方が多かったけど……。
いざ卒業となれば、ほんの少しだけ悲しい気持ちが湧いてきた。
「――さて、そろそろ帰るか」
今日は『ハレの日』ということもあって、母さんが「お赤飯を炊いておくわね」と言ってくれた。
彼女の手料理は、本当にどれもおいしい。それに赤飯を食べるのは久しぶりなので楽しみだ。
(明日からは、いよいよ都へ出稼ぎか……)
今日は一日しっかりと休んで、気力と体力をしっかり蓄えておこう。
そんなことを考えながら、帰りの一歩を踏み出したそのとき、
「――よぉ、時近。なんか最近、随分と調子に乗ってるじゃねぇか。えぇ?」
背後から、敵意に満ちた声が掛かった。
「……
そんな奴の両隣には、凶悪な笑みを浮かべた同級生が立っていた。
「お前の澄ました態度が、このところずっと鼻に付くんだよ」
「そーそー、なんか反抗的なんだよなぁ。もしかして……一年前ボコボコにしてやったこと、もう忘れちまったのかなぁ?」
久彦を中心としたこの三人組は、いわゆる『才能』というやつに恵まれており、
(もう一年も前になるのか……)
ある日、俺はこの三人に呼び出され、剣を交えたことがある。
悔しいけど、久彦たちは俺よりも遥かに強い。
まともにやっても勝ち目なんてないのに、その日の勝負は卑怯にも一対三で行われた。
当然ながら、結果は惨敗。俺は為す術もなく、ボロ雑巾のようにされてしまった。
「……いったいなんの用だ」
警戒しながらそう問い掛ければ、久彦はクスリと笑う。
「あぁ、今日はせっかくの卒業式だろ? それなのに『証書を受け取って、はいさよなら』ってのは、ちょっとばかし寂しいなぁと思ってよ。――ほれ、最後に一勝負いかねぇか?」
「まぁ、お前に拒否権はないけどな」
「やっぱ卒業式をちゃんと締めるには、時近をボコっておかねぇとな!」
久彦たちはそう言って、授業用の木刀を抜き放った。
すると――。
「おっ! なんだなんだ、喧嘩か!?」
「はっはっはっ、こいつはおもしれぇぞ! 久彦たちがまた時近をいじめてるぜ!」
「これを見るのも最後かぁ……。なんとなく感慨深いもんがあるなぁ……」
こちらに気付いた同級生たちが、ぞろぞろと集まって来た。
(はぁ……)
なんというか、台無しだった。
御堂剣術寺を卒業することに対し、ちょっとでも寂しく思った自分が馬鹿らしい。
(やっぱり、もっと早くに辞めるべきだったな)
『石の上にも三年』と思って、ずっと我慢していたけれど……。
こんな腐り切った環境にいたら、『剣士として』成長する前に『人として』駄目になってしまう。
(まぁ、そんなことはもうどうだっていいか……)
過去の判断を悔やんでいても仕方がない。
そんなことよりも、今は目の前の問題に集中すべきだ。
(相手は格上の剣士――それも三人)
こんなもの、
きっと一年前と同じく、ボロ雑巾のようにされるだろう。
(どうせ勝てないのなら、せめて一太刀ぐらいはいれてやる……ッ)
俺はゆっくりと木刀を引き抜き、それをへその前に置く。
すると次の瞬間、
「「「……っ」」」
久彦たちはゴクリと唾を呑み込み、一歩後ろへ下がった。
「と、時近……!?」
「な、なんだよこれ……っ」
「こんなの聞いてねぇぞ!?」
奴等は顔を真っ青に染めながら、ブツブツと何事かを呟いた。
「……おい、始めないのか?」
まるで石像のように固まった三人へ、俺がそう問い掛ければ、
「ひ、ひぃ……!?」
「に、逃げろ!」
両隣の二人は回れ右をして、一目散に逃げ出した。
「あっ。お、おい……待てよ!」
一人取り残された久彦は、強く奥歯を噛み締め――ギロリとこちらを睨み付ける。
「時近……お前、いったい何をした!?」
奴は眉間に
「『何をした』って……別に、ただ木刀を構えただけだぞ?」
「くっ、とぼけるつもりか……落第剣士の分際で……ッ!」
久彦は意味のわからないことを叫び、正眼の構えを取る。
すると次の瞬間――奴の持つ木刀は、薄い水の膜に覆われた。
「……水の因子、か」
「へ、へへへっ、どうだ? これが因子の力、すなわち『才能』だ! 落ちこぼれのお前にゃ、一生縁のないものさ!」
精神的優位性を確保した久彦は、いつにも増して凶悪な笑みを浮かべる。
「それじゃ行くぜ。――はぁああああああああッ!」
奴は
しかし、
(……こいつ、いったい何を考えているんだ?)
その動きはまるでチャンバラでもしているかの如く、随分とゆっくりなものだった。
「これでも食らいな!」
久彦はそう言って、大上段からの斬り下ろしを放つ。
(握りも甘いし、踏み込みも浅い。それに何より、とにかく遅い……。やっぱりこいつ、俺を馬鹿にしているのか?)
こんな斬撃、わざわざ剣で捌くまでもないな。
そう判断した俺は、必要最小限の動きで迫りくる刃を回避していく。
「んなっ!?」
いったい何に驚いているのか、
「へ、へぇ……。今の連撃を
「……え?」
「だが、次の攻撃は本気だ! さっきの三倍以上の速度で放つ、最強最速の一撃だ!」
「…………いや、お前はいったい何を言っているんだ?」
今の攻撃は、小さな子どもでも軽く避けられる程度のものだ。
それが三倍の速さになったところで、
(どこまでも馬鹿にしやがって……。俺だって……この剣術寺で三年間、必死に努力を続けてきたんだぞ……っ)
そうして俺が悔しい思いを噛み締めていると、
「水の太刀・
久彦は奴の得意とする流派の技を繰り出してきた。
しかし、やはりというかなんというか……。
それはあまりにも
(これはもう間違いないな……)
やっぱりこいつは、心の底から俺のことを馬鹿にしているようだ。
「この……いい加減、真面目にやれ!」
俺がちょっとした威嚇のつもりで放った袈裟斬りは――三つの巨大な斬撃と化し、凄まじい勢いで牙を剥いた。
「なっ!? が、は……ッ」
全ての斬撃をその身に受けた久彦は、地面の上を派手に転がっていく。
「「「……は?」」」
周囲の同級生たちは、シンと鎮まり返った。
「ひ、久彦……? お前、大丈夫か……?」
恐る恐る声を掛けてみたが……返事はない。
完全に白目を向きながら、ブクブクと泡を吹いていた。
「……うそ、だろ?」
どうやら俺は、自分が思っているよりもずっと強くなっていたようだ。
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