落第剣士と無限地獄【二】
目を開けるとそこは、何もない真っ白な世界だった。
眼前に立つのは巨大な
正直、何がなんだかさっぱりわからなかった。
「こ、ここはどこだ? あなたはいったい誰なんですか? いや、そんなことよりもみんなは……あの化物は!?」
慌ただしく周囲に目を向けながら、矢継ぎ早に質問を繰り出す俺に対し――謎の老剣士は、ただ一度コクリと頷いた。
「気持ちはわかるが、まずは一度落ち着くがいい。そんな状態では、まともに話しもできんからな」
彼はそう言って、俺の周囲をゆっくりと歩き始めた。
「はじめに、これだけは伝えておこう。――
「……っ」
さっきまでの壮絶な出来事は、全て悪夢だったんじゃないか? そんな甘い考えは、真っ先に斬り捨てられた。
「……それじゃ、俺も殺されたんですか?」
「いや、お前は幸運にも命を拾った。――ふむ、この場合は
「……?」
俺が小首を傾げていると――彼は「こっちの話だ」と苦笑し、話を進めた。
「この白い空間は、『時の世界』という特別な場所だ。現実世界からは完全に切り離され、いかなる手段を持ってしても干渉できんようになっておる。――ただし、何事にも『例外』は付きものじゃ」
謎の老剣士はそう言って、ジッとこちらを見つめた。
「『
「鍵って……これのことですか?」
俺は腰に差した一振りの刀を掲げる。
「左様。『時渡の刀』、かつての儂の愛刀じゃ。
懐かしむように、慈しむように、それでいてどこか悲しそうに――彼は時渡の刀を見つめた。
「さて、順番が前後してしまったが、一応自己紹介をしておこうか。儂は時の神――『時の盟約』により、これまでずっと黒影家を支えてきた守り神じゃ」
本当かどうかはわからないけど、謎の老剣士は自らを時の神と名乗った。
外見年齢は七十歳ほど。背中まで届く白髪は、全て後ろに撫で付けられている。身長はおよそ百八十センチ。
その顔には、深い
左腰に古びた木刀を差し、真っ白い着物に身を包んだ彼は、どこか浮世離れした雰囲気を
「俺は黒影時近と――」
とりあえず、こちらも自己紹介を始めると、
「――あぁ、よいよい。先も言ったが、儂は黒影家の守り神じゃ。お前のことは……いや、
時の神様はそう言って、小さく首を横に振った。
「そんなことよりも――喜べ、時近。お前は今『絶大な力を得る可能性』を、『全てを取り戻す千載一遇の好機』を手にしたのだ!」
彼は大きく両手を広げ、よくわからないことを口にした。
「……全てを取り戻す?」
「左様。
その瞬間、俺は思わず目を見開く。
「ど、どういうことですか!?」
「ふっ、ようやく目に光が戻ったのぅ」
時の神様は満足気に頷き、詳しく語り始めた。
「儂はその名の通り、『時を司る神』。かなり大きな力を使うことにはなるが……本気を出せば、世界の時間を巻き戻すことも可能じゃ」
「世界の時間を……巻き戻す……!?」
「うむ。そうすれば、
「今日一日の出来事が、全てなかったことになる……?」
俺が恐る恐るそう答えを返すと、彼は今日一番の笑みを浮かべた。
「正解じゃ。とてつもない規模の『過去改変』が起こり、あの悲劇は全て時の彼方へ消え――新たな歴史が紡がれていく。そして世界でただ一人、時近だけが知っておるのだ。この先二十四時間以内に発生する事象――
「そ、それじゃもし……。もし俺があの化物が襲撃してくる時間を見計らって、みんなをどこか安全な場所へ連れ出したとしたら……。そうしたら、歴史は変わるんですか!? 父さんも母さんも時男も時子も、みんな死なずに済むんでしょうか!?」
「
時の神様は多くを語らず、ただ一度力強く頷いた。
「でも、本当にそんなことが……?」
世界の時を巻き戻し、過去を改変する。
それはまさしく『神の
「まぁ、いきなりこんな話をされても「はい、そうですか」とはいかんじゃろうな。――『百聞は一見に如かず』、見るがいい」
彼はそう言って、真っ直ぐ右腕を伸ばした。
すると次の瞬間――俺の体にあった裂傷と打撲がたちまちのうちに消え去り、さらには衣服にこびりついた血の跡と汚れもなくなった。
「これは……!?」
「ふっ、驚いたか? 『時の秩序』を使って、
「時の秩序……っ」
『秩序』とは、神様にのみ許された超常の力だ。
一般によく知られているのは、無から有を産み出す『創造の秩序』や異なる二点を結ぶ『空間の秩序』あたりだろうか。
(とにかく、これはもう間違いない……っ)
目の前の老剣士は、正真正銘『本物の神様』のようだ。
(一日……。一日もあれば、あの地獄を回避できる……ッ!)
絶望に侵された心へ、じんわりと温かい熱が戻ってきた。
「時の神様、どうかお願いします。その力を使って、時間を巻き戻してください……っ」
俺が頭を下げて必死に頼み込むと、
「よかろう。――ただし、一つだけ条件がある」
彼はそう言って、人差し指をスッと立てた。
「条件、ですか……?」
「そうだ。もしも時近が『無限地獄』を突破することができたならば――世界の時間を巻き戻し、あの悲劇をなかったことにしてやろう!」
「無限地獄……?」
そういえば……この不思議な世界に足を踏み入れた直後、時の神様がそんなことを言っていた気がする。
「無限地獄とは、時の秩序によって生み出された『時の止まった世界』。これよりお前はそこへ入り、『無限』にも等しい時間を使って、『地獄』のような修業をするのじゃ!」
彼はさらに話を続ける。
「この無限地獄を突破する方法はただ一つ、術者である儂に一太刀を入れること。これを達成した暁には、時近は『絶大な力』と『過去を改変する権利』を手にするのだ!」
「『落第剣士』の俺が……『神様』に一太刀を入れる……」
正直言って、それは全く現実味のない話だ。
(だけど、それでも……ッ)
俺は強く拳を握り締め、勢いよく顔を上げた。
すると――。
「水を差すわけではないが、これだけは先に言っておこう。儂の修業は、厳しいなんてものではないぞ? 毎日毎日、血反吐をはくような それでもやるのか? それだけの覚悟が、断固たる決意が――お前にはあるのか?」
時の神様は真剣な表情で、ジッとこちらを見つめ、俺の覚悟を問いただした。
しかし、答えはとっくの昔に決まっていた。
「――はい、もちろんです!」
もう一度みんなに会うためなら、どんなことだってやるつもりだ。
「ふっ、いい返事じゃ。それではこれより始めようか。時の秩序・無限地獄を!」
彼がそう叫んだ次の瞬間、『時の世界』は崩壊し――俺たちは『無限地獄』へ入っていった。
■
無限地獄の舞台は――なんと
なんでも俺と時の神様が記憶を共有している
(あまり難しいことは、よくわからないけれど……)
全く知らない場所よりは、慣れ親しんだ
ただ……休息の場として
いつもと違って、誰もいない家。
ただいまと言っても、返事のない我が家は……まるで別もののように冷たく感じた。
(父さん・母さん・時男・時子……。俺がなんとかするから、もうちょっとだけ待っていてくれ……っ)
決意を新たにした俺は、それから来る日も来る日も地獄のような修業に励んだ。
最初の一年は、身体能力の向上を目的とした基礎練習だ。
午前六時、小鳥のさえずりが鳴り響く中――。
「か、かかか、神様……!? もう、一時間は経ちましたよね!?」
上半身裸になった俺は、滝に打たれていた。
「うぅむ、まだ随分と余裕がありそうじゃな……。やむを
「そんな
無限地獄には四季があり、それは『約一か月ごと』というとんでもない速度で移ろっていく。
そして今日は――冬。
(気温零度を下回る極寒の中、ひたすら滝に打たれ続けるこの修業は……冗談抜きで本当にキツイ……ッ)
三十メートルもの高さから落下する水は、まるで鉛のように重い。
(それが途切れることなくひたすら全身を打ちつけるのだから、ほんともうたまったものじゃない……)
しっかりと両足に力を入れ、重心を真下に置かなければ――あっという間に体をもっていかれ、そのまま下流へ運ばれる。
しっかりと顔を上げ、体全体で落水を受け止めなければ――首への過負荷で意識を刈り取られ、問答無用で下流へ流される。
しっかりと気を張り、一糸乱れぬ
(これが地獄のような修業であることに疑いの余地はないけど……)
そこには確かに『
重心を真下へ置き・顔を上げて視界を広げ・強靭な精神力を持つ――どれも剣士にとって、必要不可欠な要素だ。
それがこの滝行一つで全て鍛えられるのだから、優れた修業法であることは間違いない。
(だけ、ど……ッ。もうそろそろ、限界、だ……)
視界が白く染まり、気を失いかけたそのとき、
「――そこまでじゃ」
時の神様が、
時の秩序を発動させ、『滝の時間』を停止させたのだ。
「は、はぁはぁ、ぜひゅぜひゅ……っ」
俺はその場で四つん這いになり、ガチガチガチと全身を震わせながら必死に呼吸を整えていく。
「――時近、よく頑張ったな」
彼は柔らかく微笑み、ポンポンと背中を叩いてくれた。
この労いの言葉が、とても温かくて……本当に嬉しい。
「よし、それでは次の修業へ移ろうか」
この切り替えの早さが、とても冷たくて……本当に憎らしい。
それから俺は冷や水でびしょ濡れになった体を拭き、いつもの着物を羽織った。
「あぁ……温かい……」
衣類の防寒性にうっとりとしながら、重たい体を引きずって山の
次の修業は……これまた本当にキツイやつだ。
「ふんぎぎぎぎ……ッ!」
「ほれほれ、もっとシャキシャキと足を動かさんか。こんな調子では日が暮れてしまうぞ」
「は、はぃ……ッ」
身の丈ほどもある大岩を背負った俺は、亀のような歩みで
これは、
(最初の方は、両手で抱えられるぐらいの石だったんだけれど……)
一日また一日と経過するごとに、神様は創造の秩序を使って一回り大きな石を用意した。
その結果、今や背中に担がなくてはならないほどの大岩と化しているのだ。
……ホントウニ、アリガタイ。
「ふんぐ、ごごごご……ッ!」
荒い鼻息を立てながら、力強く大地を踏みしめ――傾斜の急な険しい山道を登って行く。
これはもう単純に腕と脚がキツイ。
それに重たい岩を支えるため、首周りの筋肉や背筋と腹筋もキツイ。
つまるところ、もう全部キツイ。
さらに景色が変わらないところもまた、この修業の苦しさに拍車を掛けていた。
(右を見ても左を見ても、木・木・木ィ……!)
どこもかしこも木ばかりなのだ。
(いや、そりゃ山の中だから当然のことかもしれないけどさ……ッ)
代わり映えのない景色の中、ひたすら体に鞭を打ち続けるのは、精神衛生上とてもよろしくなかった。
それから数時間後、
「お、終わり、ました……っ」
なんとか
「まさかもうこの大きさの岩に対応するとはのぅ……いい調子じゃ。さぁ、軽い昼食にしよう」
「は、はい……!」
朝のうちに用意した塩むすびをしこたま食べ、キンッキンに冷えた小川の水をこれでもかというほど飲み――再び修業を始めた。
本日最後の修業は、神様との
山の麓――黒影家の前へ場所を移した俺と神様は、
「……」
「……」
十秒・二十秒・三十秒と経過したあるとき――遥か遠方で大きな鳥が飛び立ち、神様の視線がほんのわずかにそちらへ動いた。
(今だ……!)
俺はありったけの力で地面を蹴り、彼の懐深くへ潜り込む。
「――ぃよし、取ったぁああああ!」
神様の
しかし、
「――甘い」
「え?」
俺の投げはいとも簡単に返されてしまい、
「う、うぉおおおお……がっ!?」
気付いたときには、真っ逆さまになって頭から地面に激突していた。
「い、
「ふっ、儂を投げ飛ばそうなど百年早いわ」
彼はパンパンと手を払い、不敵な笑みを浮かべた。
その後も散々好き放題に投げられ、頭にいくつものたんこぶをこさえたところで――。
「うぅむ、もうすっかり真っ暗じゃのぅ……。よし、今日のところはここまでにしようか」
「……あ、ありがとうございまし、た…………」
やっと・ついに・ようやく、本日の修業が全て終了した。
黒影家に戻った俺は、明日に疲れを残さないよう全身の筋肉をゆーっくりと伸ばしていく。
神様はその間、
ぐつぐつと煮立った鍋からは、だし汁のいいにおいが漂ってくる。
(あぁ、これはもうたまらないな……っ)
彼には意外にも家庭的なところがあり、毎日こうして晩ごはんを作ってくれていた。
それがまぁ黒影家の味というか、なんというか……凄く
「――さぁ、出来たぞ。遠慮せず、好きなだけ食べるといい」
神様はそう言って、湯気の立ち昇る小皿をこちらへ突き出した。
「ありがとうございます!」
そこには熱々のだしにひたった豚肉と野菜が、これでもかというほどよそわれていた。
「いただきます!」
元気よく食前の挨拶をした俺は、
「はむ、はぐはぐ……はむはぐぐぐぐ……ッ!」
凄まじい勢いで、目の前の『栄養』を吸収していく。
「……相変わらず、とんでもない食いっぷりじゃのぅ」
「食べなければ、体がもたないんで」
俺は真顔で即答した。
神様の課す地獄の修業を耐え抜くには、尋常ならざる栄養が必要なのだ。
「くくっ、そうか。ならば、死ぬほど食べるがいい」
「はい!」
そうして晩ごはんをお腹いっぱい食べた俺は、洗い場で後片付けを済ませ、寝支度を整えていく。
神様はその間、ただただジッと囲炉裏の火を見つめていた。
何故だかわからないけど、その背中はとても寂しそうだった。
(……これはいい機会かもな)
俺は彼の右隣に腰を降ろし、これまでずっと気になっていたことを質問してみることにした。
「あの……。実は以前からお聞きしたいことがあったんですが、いいでしょうか?」
「ん……? あぁ、構わんぞ」
「ありがとうございます。それでは早速――神様はあの何もない真っ白な世界で、いったい何をしていたんですか?」
彼はほんのわずかに目を見開き、それからゆっくりと髭を揉んだ。
「儂はのぅ……『時の盟約』を果たすため、『約束の時』を待ち続けておるんじゃ。千年もの間、あの場所でずーっとな……」
神様はどこか遠いところ見つめながら、静かにそう語ってくれた。
「その……時の盟約と約束の時って、どういうものなんですか?」
「それは……
神様はそう言って、ポンポンと俺の頭を叩いた。
「さぁ明日も早い。今日はもうそろそろ寝る時間だぞ?」
「そう、ですね……」
どうやらこれ以上、今は話してくれなさそうだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、寝室へ足を向ける。
「――おやすみなさい、神様」
「あぁ、おやすみ」
こうして無限地獄でのとある一日が幕を下ろしたのだった。
■
そうして一年間、俺は徹底的に……いや本当やり過ぎなんじゃないかというぐらい、徹底的にしごき抜かれた。
そのおかげで、身体能力は見違えるほどに向上した。
今では早朝の滝行は六時間。巨岩を背負っての山登りは、下りも合わせて三往復もこせるようになった。
(残念ながら、神様との組手で一本は取れなかったけど……)
それでも
当初の目標である『身体能力の向上』は、十分達成できたと言えるだろう。
それから先の一年は、ひたすら剣術の基礎を磨いた。
最初は素振りから始まり、各種斬撃への防御術、立ち回りなど、ありとあらゆることを叩き込まれた。
そうして剣術の基礎を身に付けた後は、剣術の応用――流派の技を学んでいく。
神様は本当に凄い人で『火の太刀』・『水の太刀』・『雲の太刀』など、この世に存在するありとあらゆる流派に精通しており、俺はそのうちの一つ『黒の太刀』を教えてもらった。
なんでもこれは、彼が最も得意とするものらしい。
(ここまでの修業に費やした期間は――五年)
思い返してみれば、本当に地獄のような五年間だった。
全身に及ぶ筋肉痛と打撲、幾度となく破れた手のマメ。
ただ歩くだけでも鈍い痛みが走り、お茶碗を握ることさえ苦痛に感じた。
そのおかげもあってか、最近は痛みに対して強く……いや、鈍くなってきた。
(きっと心が疲れ過ぎて、感覚が麻痺してしまっているのだろうな……)
こうして身体能力を磨き、剣術の基礎を学び、流派の技を習得した俺は――いよいよ『最後の修業』、神様との真剣勝負を行う。
時は早朝、場は黒影家の正面。
俺は抜き身の時渡の刀を握りながら、彼は古びた木刀を持ちながら、互いに視線をぶつけ合った。
「……行きますよ?」
「うむ、遠慮はいらん。殺す気で来るがいい」
短くそう言葉を交わした後、俺は力強く地面を蹴り付ける。
「はぁああああ――セェイ!」
袈裟切り・斬り上げ・斬り下ろし・突き・薙ぎ払い、これまでの過酷な修業で身に付けた斬撃を全力で放っていく。
「ほぉ……悪くない」
神様はそれをときに躱し、ときにいなし、ときに斬り払い――こともなげに
「くっ……。こ、の……!」
俺がさらに一歩踏み込んだそのとき、
「――悪くはないが、少々攻め急ぎ過ぎじゃのぅ」
横薙ぎの一閃が、俺の脇腹を打ち抜く。
「が、はぁ……っ!?」
凄まじい衝撃が腹部を走り、肺から空気が絞り出された。
転げ回るほどに痛かったけれど……なんとかそれを噛み殺し、すぐに神様の方へ向き直る。
「はぁはぁ……。もう、一本……お願いします!」
「ふっ、よかろう。何度でも向かって来るがいい」
「はい……!」
それから俺は、何度も何度も彼に剣を向けた。
しかし、
「うぉおおおお!」
「――もっと脇を締めろ」
「がっ!?」
「はぁああああ!」
「――ほれ、足元が留守になっておるぞ?」
「はぐっ!?」
「こ、このぉおおおお!」
「――踏み込みが甘い」
「へぶっ!?」
俺の斬撃はいとも容易く捌かれ、その度に痛烈な一打が体を襲った。
「真剣で斬られたときの痛みは、こんなに甘いものじゃない。『痛み』とはこれから長い付き合いになるんじゃ、今のうちから慣れておくといい」
「は、はぃ……」
それから三年間、俺は来る日も来る日も神様に挑み続けた。
しかし、どれだけやっても彼に一太刀を加えることはできず……。
ここまで順調に進んできた修業が、一気に
「……行くぞ、時近」
「はい」
神様はここ最近、めっきり
きっといつまでも成長の兆しがない俺に対し、呆れているのだろう。
その後さらに二年が経過したある日、俺たちはいつものように黒影家の前で向き合っていた。
「――残念じゃが、どうやらお前には『剣術の才能』がないらしい。修業はもうこれっきりで終わりにしよう」
神様はそう言って、右手を前にかざす。
すると――創造の秩序が発動し、時渡の刀とそっくりの
「せめてもの情けじゃ。儂がこの手で、幕引きにしてやろう」
彼はゆっくりと抜刀し、正眼の構えを取る。
「か、神様……? いったい何を言っているん――」
俺がそう呟いた次の瞬間、
「――ぬぅん!」
「……っ!?」
とてつもない斬撃が、目と鼻の先を通過した。
振り抜かれた刃は頭髪を断ち、そのままの勢いで豆腐のように地面を斬った。
俺は大きく後ろへ跳び下がり、ひとまず距離を取る。
(ほ、本気だ……っ)
木刀ではなく真剣、稽古ではなく本番。
殺意の
「――構えろ、時近。次は外さんぞ?」
彼は鷹のように鋭い目で、ジッとこちらを見つめる。
「なん、で……どうしてですか? どうして急に終わりだなんて言うんですか!?」
「同じことを二度言わせるな。――お前には呆れるほど『剣術の才能』がない。この十年で、それが嫌というほどわかった。これ以上はもう時間の無駄じゃ」
「確かに俺には、才能がありません……。だけど、剣とは決して『才能』で振るうものじゃない! 自分自身の根源――『心』で振るうものなんだ!」
父さんの最期の言葉、それを否定させるわけにはいかない。
「……ふん、口だけは
「……っ」
その問い掛けに対し、俺は咄嗟に答えることができなかった。
「この無限地獄におる限り、時間は無限のように存在する。しかし、時近はそれに甘えて、『今』をおろそかにしていなかったか? 『次』を見て、どこか気を緩めていなかったか?」
……確かに、その通りだ。
俺の心には、甘えのようなものがあった。
今日が駄目でも明日が、明日が駄目でも明後日が――。そんな先延ばしの、どこか弱気で臆病な気持ちがあった。
「あるかどうかもわからぬ明日へ望みを託し、今を死ぬ気で生きようとせん。そんな腑抜けた心持ちでは、この無限地獄を突破することなど未来
神様は語気を荒げ、勢いよく斬り掛かってきた。
「ぐ……っ」
俺は全神経を集中させ、迫りくる斬撃を紙一重で
(お、重い……っ)
彼の斬撃は、信じられないほどに重かった。
そこには単純な『技量』以上の差が、『覚悟』の差があった。
どうやら神様は、とてつもなく大きなナニカを背負っているらしい。
「お前は
彼は鋭い斬撃を繰り出しながら、声を大にして叫んだ。
俺は歯を食いしばりながら、あの地獄の一日を思い出しながら、必死にその攻撃を防ぎ続ける。
「死が目前に迫った
神様は語気を荒げ、さらに攻勢を強めていく。
完全に防戦一方、反撃を挟む余地もない。
「父と母は殺され、弟と妹は食われた! あの悲劇を覆したくはないのか!? 大切な家族を守りたくはないのか!? お前の『覚悟』とは、その程度のものだったのかッ!」
言い切ると同時、大上段からの斬り下ろしが放たれた。
俺は剣を水平に構えて、なんとかその一撃を受け止めたが……。
(なんて力だ……!?)
その威力に耐え切ることができず、遥か後方へ吹き飛ばされ、
「か、は……っ」
大木に全身を打ち付け、そのまま重力に引かれて地面にずり落ちていく。
(く、そ……っ)
明滅する視界、失われた平衡感覚。
薄れゆく意識の中、俺の脳裏をよぎったのは――命の灯が消える
彼はまともに呼吸できない状態でありながら、俺のことを信じて残された家族のことを託した。
(……そうだ)
禁じ手を使ってまで、
彼女はその身を焦がす激痛に
(俺にはまだ……)
二人は最後の最後までこんな弱い俺を信じ、必死に助けを求めていた。
(やるべきことが……。やらなければいけないことがあるんだ……ッ)
(……全部、神様の言う通りだ。俺には――俺の剣には、『気持ち』が足りなかった)
神を斬るという強固な『覚悟』が。
世界を改変するという強靭な『意思』が。
(そして何より、みんなを守るという強い『決意』が……!)
覚悟を決め、意思を固め、決意を
それと同時に時渡の刀の鮮やかな刀身が、
「ふっ、長かったのぅ。ようやく目覚めたか……」
漆黒の刀を見た神様は、まるでこの瞬間を待ち望んでいたかのように微笑んだ。
(これはまさか……『因子の力』……!?)
いやでも、それは
都で適性検査を受けたあのとき、はっきり『無因子』だと宣告されたはずだ。
そうして俺が困惑していると、
「――時近よ。今のその状態を、感覚を、心の在り方を、決して忘れるな。記憶ではなく、体の芯へ刻み込め」
神様はそう言って、静かに剣を構えた。
「……はいっ!」
この力がなんなのか、そんな細かいことは後でいい。
今この瞬間にすべきことはたった一つ、目の前の『神』を斬ることだけだ。
俺と神様は何も語らず、ただ視線をぶつけ合った。
そして――まるで示し合わせたかのようにして、同時に動き出す。
「――はぁああああああああ!」
「ぬぅおおおおおおおお!」
互いの雄叫びが響き、二本の刀が交錯した。
その一瞬で、決着はついた。
「――見事、じゃ」
神様の持つ刀が真っ二つに折れ、その胸元に大きな太刀傷が走る。
「はぁはぁ……っ。や、やった、ついにやったんだ……ッ。あの神様に……一太刀を入れたぞ……!」
十年以上もの歳月を掛けた過酷な修業、それが今ようやく実を結んだ。
(父さん、母さん、時男、時子……。俺は、兄ちゃんはやったぞ……! これでまたみんなで一緒に……ッ)
胸の奥底から込み上げる熱い思いを噛み締めながら、ゆっくりと顔を上げた。
するとそこには、負傷した胸部を治療する神様の姿があった。
彼が指先で胸元を撫でれば――そこにあった太刀傷は、まるで時を巻き戻すみたいに塞がっていく……はずだった。
(……あれ?)
しかし、『時の秩序』はいつまで経っても発動せず、傷口からはただただ鮮血が滲み出すばかりだ。
「神、様……?」
不審に思ってそう声を掛けると、
「ふっ……。やはり、限界じゃ、の……」
彼はポツリと呟き、その場で膝を突いた。
「か、神様、大丈夫ですか!?」
「……あぁ、心配は無用じゃ。ただの斬撃では、『神』を滅ぼすことはできんからのぅ……。少し安静にしておれば、やがて傷は塞がっていくだろう……」
神様はそう言って、ゆっくり呼吸を整えていく。
「よ、よかった……」
俺がホッと安堵の息をつけば、彼はよろめきながらも二本の足でなんとか立ち上がった。
「儂のことはさておき……よくやったな、時近。ここまで本当によくがんばった」
「あ、ありがとうございます……っ」
彼に褒められるのなんて、いったい何年ぶりのことだろうか。
その言葉はじんわりと胸に浸透していき、温かい感情が込み上げて来た。
「それと……その、なんだ……先はひどいことを言って、すまんかったのぅ。もう時間がなかったゆえ、少々
「いえ、気にしないでください。それよりも『時間がない』って、どういうことですか?」
この無限地獄にいる限り、時間は無限のように存在する。神様は以前、そう言っていたはずだ。
「……『時の秩序』の連続行使により、儂はひどく消耗してしまった。もはやこの世界を維持することはおろか、
「なっ!? そ、それじゃ――」
「――案ずるな。あの悲劇を回避するのに必要な時間は、儂が責任をもって作り出す」
彼ははっきりそう断言した後、ゴホンと咳払いをした。
「それではこれより無限地獄を解き、世界の時を巻き戻そうと思うのじゃが……。その際、お前の『記憶の時』も同時に巻き戻させてもらうぞ」
「記憶の時を巻き戻す……?」
「うむ。まぁ早い話が、儂に関する全ての記憶を消し去るのじゃ」
「ど、どうしてそんなことをするんですか!?」
神様との修業の日々は、確かに地獄のように苦しかった。
しかし、今となってはそれも大切な財産だ。
それに何より、恩人である彼のことを忘れたくはない。
「今はまだ詳しく話せんが……。現実世界には、儂を狙う『悪しき敵』がおるのじゃ。そやつは恐ろしく強いうえ、多種多様な力を操る。人間の記憶を読み取るなど、造作もないことだろう」
神様の言葉からは、隠しきれない強烈な敵意が読み取れた。
「儂と時近の繋がりを知れば、そやつは間違いなくお前の命を狙う。まぁ遅かれ早かれ、いずれは嗅ぎ付けて来るじゃろうが……。可能な限り、それは先延ばしにしたい。そのための時間稼ぎとして、ここでの記憶は消しておかねばならぬのだ」
「……わかりました」
俺は仕方なく、コクリと頷いた。
神様が何か大きなものを背負っていることは、さっきの
(記憶が消えるのは、確かに悲しいけど……)
ここで変に駄々をこねて、彼を困らせるようなことはしたくない。
「ふっ、そう寂しそうな顔をしてくれるな。何もこれが、
「また、会えるんでしょうか?」
「もちろんじゃ。お前がこのまま真っ直ぐに育てば、いつか
彼はそう言って、優しく頭を撫ぜてくれた。
「時の神様、今まで本当に……本当にありがとうございました……っ」
俺は十年分の感謝を込めて、しっかりと深く頭を下げた。
「……この先、つらいことも苦しいこともあるじゃろう。しかし、お前ならばどんな困難にも打ち勝てる。儂はそう信じておるぞ」
「はい……!」
神様は優しく微笑むと同時に右手を薙いだ。
すると次の瞬間――無限地獄の舞台であった
「――達者でな」
「神様もお元気で……!」
こうして無限地獄を突破した俺は、元の世界へ帰還したのだった。
「――時近、
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