こんばんは。
音MAD作者としては五年生になった私はそこそこ「自分の音MAD論」が固まってきたので雑な形ではあるが書き留めておこうと思う。仕事で頭がかなり疲れているので本当に駄文だと思う。
さて
私にとって音MADとは「夢」である。
言い換えれば「目標達成」のために音MADを作っている。私の投稿履歴を観るに音MDMを終えるまでは1つ1つの動画に目的や意味を持っていたと思う。音MDM後は主観的に観ても迷走状態であると自覚している。
私の目標とは。「顔も名前も知らない人に「自分」の記憶を刻むこと」だった。それは、自画自賛かもしれないが「音MDM」により満たせれてしまい、次の目標が明確に定まらずふわふわしている状態だ。
ここまではただの自分語りだが、ここで読者に問いたい。「音MADを作る目的はなにか」と。
「楽しく作る」それも良い。「適当に、気軽に作る」それも良い。「芸術的な路線を突き詰める」それも良い。「人を笑わせたい」エクセレント。「人をいじめたい。恐怖に陥れたい」それはやめとけ。
これらは全て僕の中では「正解」だと思っている。ただ、自分の目的のために理に適った動画が投稿できていればの話。
例えば、人を楽しませたいと思い、かつ好きなように動画を作っているのに、自由な振る舞いで誰かの表情を雲らせてしまったのならばそれは「不正解」だし、いろんな人に動画を観て貰いたいのに再生数が伸びなければ「不正解」だ。もし「不正解」が出てしまったならそれは反省し、次の動画で「正解」、「理想」を実現させる糧にすれば良い。
自分の理想、つまり「夢」を実現させるために試行錯誤してほしいと思う。夢は1つではなく多種多様である。これが「音MADは自由」と言うことではなかろうか。人の夢が私にとって不快なものだったとしても、口出しをしたくはないと思っている。自分の私生活に被害があるとかだったら流石に口出しするけど。
いつかもっと時間と体力があるときにしっかり書きたいなこう言う文章は。観なかったことにしてくれ。