美しさは罪
美しいと言うことは、きっと罪なのだろう。
私は美しく生まれた。なんの装飾をせずとも美しく、誰からも愛された。世界一美しいと言われ、全てのものは私のもので、全てのものは私より美しさで劣るのだと言われた。
けれど私は、その美と言うものを理解できない質であった。私が鏡を覗いても、不健康そうな死んだ目をした、妙にほそっこい女がいるだけで、ちっとも美しいとは思わなかった。
なのに人はいつだって、熱に浮かされたように顔を赤らめて、私に言うのだ。
「なんて美しい」と。
人間と言うのは愚かなものだ。何故私を美しいと言うのか。何より、何故、美しいと言うだけで、私を神のように崇めるのか。
理解できない。例え今の私が、本当に神のように美しいとしよう。だけどそんなもの、年を取れば失われるものだ。
そんなことのために、当たり前に人生を放棄するなんて、狂っているとしかいいようがない。私の為に仕事をやめてきた? 私の為に人を殺した? 私の為だと? いつ私がそんなことをしろと言ったか。
「主よ、お言葉をいただくまでない。私は主の為であれと、何時いかなるときも愚考しております」
「愚考だと理解しているなら、しないでよ。この、屑が」
「ええ、ええ、まさしく。主からすれば、私など、
いつもこれだ。こいつは結局、私の顔が好きなだけで、私の内面など飾りにすら思っていないのだろう。表情を動かすための装置とでも思っているのかも知れない。腹立たしい。
この私の回りに出現する頭のおかしい人間の筆頭である、人殺しの屑女は、私の叔母だ。
血が繋がっているのもおぞましいことだが、こいつは私と血が繋がっているのが何よりの誇りらしい。私と血が繋がる為に生まれてきたとか、頭がおかしすぎて気持ち悪い。
お前何年フライングしてるんだよ。フライングゲットしてんじゃねーよ。
叔母曰く、私の父もまた大層美しかったそうだが(しかし私ほどではないとのこと)、残念なことに父は私が生まれて間もなく亡くなってしまったそうだ。
その美しい父と、それなりに可愛かった母の間に生まれた私は、神が手ずから作り上げたかのように、より完璧に微調整された二人のパーツが、完璧なバランスで配置された美貌を、赤子の頃から保持しているとのこと。
母は昨日まで生きていたのでよく知っているし、特に昔の写真を見ると母と叔母はそっくりなのがよくわかる。なんだよ、ちょっと自画自賛したいのかよと思ったけどそれは黙っておいた。
「ところで主よ。ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……許す」
「はい。この女の死体は、燃やす、切断、ミンチその他もろもろやりようはございますが、どのようにするのが最もお心にかないますでしょうか」
昨日まで叔母だと思っていた女は、昨日まで姉だった私の母だったものを指しながら、そう朗らかに問うた。
首がまがり、顔はそっぽを向いている。ちらりと一度見た顔はひどくむくみ、目が飛び出そうだった。思い出したくない。
さて、どうしたものか。
私は案外冷静な自分に、驚きながらその冷酷さにある意味納得した。道理で母は、私に冷たかったはずだ。母親が死んでも涙を流さず、死体の醜さから目をそらすような醜悪な私の性根を、母は見抜いていたのだろう。
私の母で狂人の姉だが、なかなかどうして、人を見る目が優れていたようだ。
最も、その冷たさに業を煮やした妹に殺されるとは思わなかったらしい。さしもの母も、幼児期より共に育った妹には目が曇っていたらしい。
この女、久恵に復讐をするのは簡単だ。私がこの女を無視すれば、どんな罰より苦しむだろう。
前々から叔母としてでも妙に私に近寄ってきて、赤子にするようにキスを繰り返してきて、母に私の扱いの文句を言っていてと非常にうっとうしかった。
たまのことだと黙ってきた結果がこれだ。久恵は私にその行動が認められていると思ったそうで、正式に私に仕えたいが、姉の存在があると叔母にならざるをえないし、何より私への態度が許せないので、私へ尽くすための第一歩として母の首を献上し、ついでにそれで私と叔母姪の関係から変われる、とのこと。
変わるかばーか。変わるとしたら普通の叔母と姪の関係が、殺人者の叔母と被害者の姪の関係になってるだけだ。
とは言え、そうして復讐してどうなると言うのだ。久恵が何をしでかすかわからないと言うのもあるし、面倒だ。単に遠ざけるだけなら、それらしいことを言って警察に自首させることはできるだろうが、それも面倒だ。
私には久恵以外に、前から私のために尽くしてくれる存在はいる。むしろ久恵はうっとうしい叔母に過ぎず、狂信者とは思っていなかった。さすがに人を殺すかはわからないが、かくまって生活の面倒を見てくれる人はいくつか宛がある。
なので久恵を排除しても金銭的には問題はない。しかし、このセンセーショナルな事件、必ずニュースになるだろう。私が美しいのならなおさら、被害者の娘として顔つき実名付きで報道されるだろう。
世の中糞だが、それが現実だ。
道で見かけただけで私が好きになったと言って声をかけてくるものは少なくない。それだけ私の顔に影響力があるなら、報道なんてされては、ますますおかしな人が集まってしまう。これは自惚れではないだろう。
ならばいっそのこと、なかったことにしようか。まだ小学生である私が、保護者の意向を無視することは難しい。名目上叔母である久恵は、保護者としてはふさわしい。
「そうだね。じゃあ、とりあえず身元がわからないようにミンチにして、山奥に大きな穴を掘って捨ててきて。誰にも見つかってはいけないよ? そんなに醜いものが、私の母だと思われたら大変だ。骨までぐちゃぐちゃにして、埋める作業は誰にも見られないようにして。もちろん、埋めた後も、絶対に見つからないように。証拠も徹底的に隠すんだよ」
「はい。承りました」
久恵への大義名分の為とは言え、娘から醜いと言われるなんて、可哀想なお母さんだ。ごめんね。
でも仕方ない。こうして理由をつけて命令しないと、頭のおかしい久恵は目撃者も気にせずに埋めるかも知れない。
久恵はまず母を袋にいれてから、家を綺麗にして、朝食をつくった。夜になったら命令通りに捨てにいくとのこと。
母の袋は透明の市の指定ごみ袋に入っているので、逆さまに入っているのが地味に気になる。間違って分別するんじゃないぞ、と心のなかでだけ突っ込んでおく。
母の死体を横目に朝食をとり、学校に向かった。
途中、あからさまに私に待ち伏せてストーカーしている怪しい人は無視して、近くの公園まで歩く。
「! 綾ちゃん! おはよう」
「おはようございます!」
「おはよう! 今日も可愛いね!」
公園には私のクラスメートで幼馴染みが27人と、クラスメートじゃない幼馴染みが29人がいた。私の学年2クラス分、要は同学年の全員だ。
それ以外でなんかいっぱいいる他学年は知らない。そこまで面倒見きれないと言うか、別に面倒は見てないし、名前もうろ覚えだけど、とにかく待ち合わせしてないのは無視する。
「おはよう」
挨拶を返すと、とろけるような笑顔でうっとりと私を見つめてくる顔たち。毎度のことなので慣れてるけど、朝のことがあるのでちょっとげんなりする。
この内何人かは、私の為に人を殺すのだろうか。
「じゃあ、学校に行こうか」
「はい!」
みんなよいこの返事をして、私を先頭に学校に向かう。最初の一年生初日に私の近くに寄ろうとして団子状になって動けなかったので、今みたいに二列になるように指示した。
本日私の隣をキープしたラッキー君は、えっと、誰だっけ。まぁいいや。適当にあだ名で呼んでおけば。
「まーくん。一時間目ってなんだっけ?」
「一時間は国語だよ! 新しいあだ名をありがとう! ぼく、綾ちゃんにこれで10個もあだ名もらっちゃった! えへへ」
今まで少なくとも9回は話してたのか。私は現在小学五年生であるので、年に2回ペースなら忘れても仕方ない。
学校につくと、他の学年の生徒もさらに私を待ち構えていて、声をかけようと機会を伺ってるのか私をじっと見てるけど、同学年が回りを固めているので不可能だ。
「お、おはよう、綾さん!」
「おはようございます、先生」
先生の出現である。若干偶然を装ってはいるけど、全部の先生が順にいつも同じタイミングで挨拶してくるので、普通にわざとだ。新任の先生はいまだにどもりながら挨拶してくる。
「おはようございます、綾さん」
「おはようございます、校長先生」
五年連続、何故か私個人の担任、と言う名目で私の隣に机を置いている校長先生は慣れたもので、私が教室に入っても立ち上がったりすることはしない。
私が椅子に座ると、何度も消しゴムやペンを私の机に放り投げては私に近寄り、私の足に触れながら拾っていくが、同性であくまで足首に手の甲で触れる程度なのでぎりぎり我慢してる。
授業が始まると、クラス担任の先生(私個人にとっては副担任)はいつも私の前で私だけに話しかけて授業をする。クラスメートもどうせ私を見て、私が回答する声を恍惚と聞いているので文句はでてこない。
クラスメートたちは私へのお友だち当番を決めていて、休み時間ごとに私に話しかけてくるのは別の人だ。一日に気が向いた一回くらいは返事してあげてたけど、今日は気がのらないのでお昼時間も含めて全て無視した。
そう言えば漫画では、学校のグラウンドでは遊ぶ生徒がいるのが当たり前だけど、実際にはみんな私の姿を少しでも見ようと教室前で陣取り合戦をしているので、昼休みに私がグラウンドに出るときをのぞいていつもグラウンドは静かだ。
よその学校でもそうなのだろうか、と静かなグラウンドを見つめていると、わらわらと生徒が出てきて、グラウンドから私を見上げてきた。そこから私の顔がほんとに見えてるのか?
学校が終わると、私はいつもならみんなに奢らせてあげて商店街をぶらぶらするところを、寄り道せずに帰った。
さすがにその時はサービスで微笑んであげてるけど、今日はそんな気分じゃない。
ちなみに小学生に奢らせるなんてひどいことはしない。私自身小学生でお金がないのはわかってる。商店街の人はみんな、私が欲しいなって言う前に自分から奢る奢るとくれるからだ。全部食べたら太るので、日帰りで奢らさせてあげてる。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
帰ったら全裸で土下座してる久恵が出迎えた。外で全裸の人というのは、遠目にはしょっちゅう見るけど、さすがに家の中でこの距離でこの体勢はびっくりした。
また何かしでかしたのだろうか。ため息をつきながら問いかけると、しかし久恵はいえまさかと否定する。
「私が主の意に沿わぬことをするはずがありません。主に誓って、あり得ないことでございます」
私に誓ってとか、もはや意味わからん。つか、そんな話してないだろ。
話の筋を無視して、自分心酔してますアピールをしてくるのはやめて欲しい。私に応えるよりも、自分が如何に尽くしているかを言葉にするのは、要はそんな自分に酔っているに過ぎない。
自分の行いや心情をわざわざ事あるごとに言葉にするのは、美しい私とそれに支える自分にしか興味のないことの表れだ。
くそきめぇ。エチルアルコールでも飲んで酔ってろ。
改めて、立ち上がってキッチンに行っておやつの用意をする久恵に付いていき、格好の意味を問いただすと、今日から私に仕える身となったと言うことで、服などという自分を隠すような無粋なものは必要ないとのこと。
本来であれば美しい私の前には、己も魂のみで向き合いたいが、そうもできないのでせめて服は脱いでいくスタイルとのこと。
魂の付属品として肉体を晒すことを許して欲しいとか言っているが、私からすればまずその醜い肉を服で隠せよとしか言いようがない。
だいたい魂とか、段々宗教めいてきた。朝から主、とか呼ばれ出してなんか嫌な感じだったけど、前から女神より美しいとは言われてたからそんなもんかと思ってた。
でもさすがにちょっとひくわ。
今までにも、私と言う美の化身にあえたことを神に感謝しますとか言い出す、どこぞの宗教服を着た人はいた。だけど無視していればすんだ。
こうしてこれから顔を付き合わせる相手が宗教に染まってるとか、気が重くなる。
あと、腋毛とか下の毛が丸見えなのも嫌だ。食欲が失せるし、共同で椅子を使いたくない。
四六時中こんな状態はさすがに耐えられない。
私は久恵に文句を言おうとして、できなかった。
「ぎゃああああ!!」
おやつをお皿にのせてこちらへ差し出した久恵に、ランドセルを置いて文句を言おうとした瞬間に、庭に出れるガラス戸から何かが突っ込んできて弾けとび、その何かが久恵を突き飛ばして馬乗りになってめったざしにした。
久恵が突然飛び込んできた男に殺された。さすがに理解が追い付かない。
ふむ、つまり。
「あなた、名前は? 久恵を殺した理由を答えなさい」
男は動かなくなった久恵にさらに凶器である包丁を突き刺してから、血塗られた笑顔で振り向き、私の前に膝をついて頭をたれた。
「突然の訪問、大変失礼いたしました。私は平田大五郎と申します。この女が、綾様へお出しするシュークリームに陰毛を混入していた為、そのような暴挙を見逃すわけにもいかず、醜い姿をさらしてしまいました。綾様が望まれるのであれば、この場で腹を切る所存です」
「許す」
なんてことをするのだ。
「顔をあげていいよ。あなた、ストーカーじゃない?」
「はい。卑しくも、綾様の丸一日を、一時も休むことなく見守らせていただいてます」
そう言うことではなく、毎朝玄関から右手奥の電柱の裏に隠れようとして隠れてないストーカーだよね。その特徴的なバンダナは覚えてる。幼稚園の時好きだったたこ焼きまんのバンダナだし。
「うん。それで、さすがに騒ぎになるだろうけど、どうしてくれるの? 私、テレビに出たくないんだけど」
「おまかせください。私がこれから、この辺り一帯で人を殺して回ります。その隙に綾様は逃げてください。そうすれば、綾様一人が被害者ではないので、ピンポイントで報道されることはないでしょう」
そんなにうまくいくかなぁと思ったけど、いい案も思い付かないから任せることにした。
それからストーカーのすー君は、ほんとに人を殺してまわった。私に関係ない人をたくさん殺した。私には関係ないんだけど、私の事を知ってる人達だったみたいで、私の為に死ねって言うと大人しく殺されてくれたらしい。
私の為に人を殺すかはともかく、死んでくれる人は思いの外多かったようだ。とても気持ち悪い。
そんな報告をして、もう家の近くに人はいないから逃げてねと言ってからすー君はまた家を出て殺しに行った。
私はいい子なので言われた通りに、小学校近くの公園に逃げた。知らない子供たちもいたけど、どうやら同じ小学校らしく名前を呼ばれた。
鬼ごっこがしたい気分だったので、私は鬼になって、私から二歩分だけ離れたくらいで回りをぐるぐるまわってるみんなに、ジャンプしてタッチして回った。
触った瞬間にますますでれでれするみんなの顔はおいといて、タッチして戻って、またジャンプしてタッチしてと言うのはやっぱり面白い。鬼ごっこが一番面白いと思う。
最終的にふらふらと大人たちも参戦し出したけど、そうして時間を潰せば警察がやってきて、事態は終息した。
大事件としてとりあげられて、私以外にも親族をなくした子供はたくさんでて、みんなまとめて施設送りになったけど、やっぱり私は目立つらしくて、執拗に毎日インタビューされてテレビにのった。
施設に入った翌日から、私を引き取りたいと言う希望が殺到しているらしいけど、施設の院長先生が申請書類を握りつぶしているのを見かけた。
「院長先生、私、引き取りの希望とかないんですか?」
「綾ちゃんか。いいかい、綾ちゃん。綾ちゃんは可愛いからね。変な人のところには行かせられないよ。ずっとここにいなさい。ずっと、ずっとだよ」
ごめん被る。ズボンを脱ぎ出した院長先生から逃げ出す。
部屋を出たところで悲鳴が聞こえたのでちらっと振り向くと、窓からたくさんの他の施設職員の先生が入ってきていて、院長先生はバットとかで殴られてた。
立ち止まると、先生たちがにこにこしながら、私の前に並んだ。
「綾ちゃん、危なかったね。さぁ、ここは危険だ。うちへ来なさい」
「おいっ、抜け駆けするな!」
「そうよ! 男のところなんか危ないわ! お姉さんと一緒に行きましょ!」
「黙れ!」
先生たちが笑顔をけして殺しあいを始めたので、今度こそ私は逃げ出した。施設にいた他の子に頼んで、私のことは昨日からいないって言うようにさせて、私は施設を飛び出した。
飛び出したのはいいけど、施設の殆どの子供がついてきてしまった。
と言うか、警察への説明をお願いした子以外全員だ。
なに、これ、どうしろと?
私は彼らを振りきろうと走って逃げた。幸い、元々少し離れてついてきていた彼らは、大きな交差点の信号機で、私が渡ってすぐに信号が変わって足止めされた。
振りきれそうだ。と思って振り向くと、信号を無視して走ってくる子供たちが次々跳ねられて、ちょっとものすごい光景になってた。
「……もう、知ーらない、と」
見なかったことにして、また走り出した。
美しさはきっと、罪なのだろう。だけど私は悪くないのだ。だって、私の為に苦しんだ人はいないのだから。私の為にはみな、自分から死んでいるのだ。
だから美しいと言うことが罪でも、私の罪ではない。私は悪くない。
もし私自身にすら罪があったとしても、私が美しく生まれた時点で、罰を背負っているようなものだ。だから私だって、幸せになってもいいはずだ。
だから、だから神様。もしいると言うなら、私を美しくないと言う人と、出会えますように。
そんな、ちょっと無謀なことを思いながら、私は走り続けた。道行く人々はみな振り返り私に見つめて足をとめる。あちこちから事故のようなブレーキ音やおかしな衝撃音が聞こえてくるけど、私と関係ないに決まってる。
だから私は振り向かずに、走り続けた。
おしまい。