今日もはれたり♪くもったりⅡ 

熟年再婚14年目にして、人生変えました。
娘家族との同居生活です。

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尾崎紀世彦

2012-06-03 09:33:16 | 悲しい事

     
     ずい分昔の話ですが、

     横浜、山下公園近くにあった

     バンドホテルの最上階に

     「シェルルーム」というナイトクラブがありました

     1950年代から1970年代にかけての

     大人の社交場、

     生のバンドが入り、

     中央のダンスフロア―は

     綺麗に磨かれ、

     ガラス張りの窓からは、

     横浜の港の灯りが遠くに映り

     各テーブルの赤いロウソクが揺れて

     あの頃の日活の映画に出て来そうな、

     大人のムード一杯のクラブでした。

     その頃、

     少しテレビから遠ざかっていた、

     「和田宏とマヒナスタ―ズ」や

     ヒットし始めの、

     「敏いとうとハッピー&ブルー」が毎夜出演、

     その後大ヒットとなる「星降る街角」で

     ダンスフロア―はジルバや、

     甘く流れるムード歌謡で

     チ―クを踊る男女で溢れ、

     いっぱいになるのでした。

            

     

     そんなクラブの

     「尾崎紀世彦」のステージに誘われ、

     チョット背伸びして、出かけて行きました。

     彼の声量のある、日本人離れした、

     歌声に引き込まれ

     テレビで見るよりも小柄かなと感じながらも

     彼の歌を楽しみました、

     歌の途中、

     ト―クでこんな事を言っていました。

     少し髪の毛が後退している彼は

     髪を長くして後ろに束ねていました。

     「実は今髪の毛を伸ばしています、

     おじいさんも、父親もはげているのです、

     遺伝と言われていますから、

     私もこの通り、後退して来ました、

     出来れば

     自分の髪の毛でかつらを作るのがいい、

     そう聞きましたので、

     伸ばしたこの髪の毛でかつらを作ります」

     少し経って
     
     そんな彼がテレビにかつらを着用して出演、

     あっ!あれが自らの髪の毛で作った・・・・・

     彼の訃報を聞いてそんな事を思い出しました。

     「また逢う日まで」のヒット曲を残し、

      逝ってしまいました。《合掌》

      



     

     

     
bonji
     

     

     

  

コメント (17)   この記事についてブログを書く
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17 コメント

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あの一曲♪ (だんだん)
2012-06-03 11:04:36
まだ若いのに、寂しいですね。
「また逢う日まで」これでずっと一流を維持した、声の持ち主でした。
横浜で聴かれたのですね。
髪の毛のお話し、成程と納得しますね。
ジャズ楽団を率いた、猪俣猛氏。
彼の記念コンサートをサントリーホールで聴きました。
その時のゲストが尾崎紀世彦さんでした。
聴かせる歌声は、誰にも心地良いのですね♪
胸キュんの (yukiko)
2012-06-03 12:02:11
思い出の曲です。

釧路にいたとき失恋して生活が荒れていました。

スナックで飲めないお酒を一人で飲んでいたら
有線で当然この曲が流れました。

思わず涙が溢れ出し、マスターが
『早く帰ったほうがいいよ』とささやいてくれたのを
思い出しましたねぇ~~

皆さん、
この曲にはいろんな思い出がありますよね?
だんだんさんへ (bonji)
2012-06-03 12:13:40
生で聞かれたのですね、
迫力ある、くせのない歌声、
実力派の一人でしたね、

東京からもくり出してくる程の
ナイトクラブが横浜には沢山ありました。
最後の時期に残ったクラブでした。

新藤兼人監督、
昭和は遠くなりにけりという言葉を
感じる歳になりました。

           bonji 
yukikoさんへ (bonji)
2012-06-03 12:41:17
とても切ない思い出の歌なのですね、
また釧路のスナックなんて、
本当に絵になりますね、
ドラマしたね、

彼が亡くなって、
テレビでこの歌が
あちらこちらで流れていて、、
思い出しますね、

良い事も、辛い時でも、
思い出の歌、皆さんにありまね、
私にも思い出の歌ありますよ、

        bonji

残念です (シャム)
2012-06-03 15:31:03
本当に残念ですよね~
彼の歌は迫力があり高い声まで奇麗に出て 
こんな人が本当の歌手だな~と 思わせる人でしたね~
大好きな歌手の一人でした

bonjiさんは生で聞かれた事があるんですね
良かったでしようね~

また逢う日まで 本当に良い曲です
Unknown (夢路)
2012-06-03 22:00:19
「また逢う日まで」が大ヒットし、その年のレコード大賞をもらったのは1971年。
私達が結婚した翌年、長女の生まれた年です。
あの抜群の日本人離れした顔立ちと歌唱力に魅了され、レコードを買い、
主人と二人でよく聞いたものです。
まだお若いですのに、とても残念です。
晩年は渋みがでてきて、素敵に歳を重ねていらっしゃると思っていたのですが。
そういえば最近お見かけしませんでしたね。
お具合が悪かったのでしょう。
今でも目をつぶると、あの魅力的な歌声が聞こえてくるようです。
ご冥福をお祈りいたします。

bonjiさんは生で聴かれたのですね。さすが横浜!

晩年はしb
シャムさんへ (bonji)
2012-06-03 22:03:20
まだ若く、まさかと思いました、
日本人離れした声で、
まだまだ、
良い歌を聞かせてほしかったですね、
最後に「また逢う日まで」を
歌いながら、
それぞれのテーブルを回りました、
そばに来た時には、
身体に響くような声量でした、

病気には負けたくないですね、
元気でいましょうね


        bonji
夢路さんへ (bonji)
2012-06-03 22:20:45
病気でかなり痩せてしまった写真が
テレビ出ていました。

レコード大賞受賞あとですから、
1972~3年の頃だと思います。
そのあとディスコがはやり、
大人の社交場の、
ナイトクラブがすたれて行きました、
港横浜のナイトクラブ全盛時代は、
裕次郎始め
日活の俳優達が出入りしていました。
もう戻らないであろう、
懐かし思い出です。

           bonji

昔を思い出す (マレーマン(マレーシア在住))
2012-06-04 13:24:02
「マレーシア発見・再発見・・」でコメントをいただき、ありがとうございます。

尾崎紀世彦・・残念です。彼がモミ上げで、ガンガン歌っていた頃を思い出しました。その当時、私は、池袋の安アパートの3畳半の部屋に住んでいました。後で6畳の部屋に移りましたが、若かりしころ、六本木のナイトレストランに仕事に行ってた時です。その頃、半同棲していた恋人の彼女との思い出も一緒に思い返されました。彼女は今頃、どうしてるやら、「また逢う日まで」・・もう会えないが、白髪もかなり生えてるだろうし、あの頃、もっと優しくしてあげればよかったなと思う今日です。
昔を思い出す2 (マレーマン)
2012-06-04 13:55:15
あなたへのハングル名を間違ってました。ごめんなさい。
年取ると、目が見えにくい。ボニーとクライドの
「ボニーbonii」かと思いました。
正しくは、「bonji」なのですよね。

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