ネットにいると嫌でも目に入ってくる『けものフレンズ2』の炎上騒ぎ。ここまでの規模のものはなかなか類を見ない、平成最後の大火災となったのではないでしょうか。
僕は『けもフレ』は1も2も未見であり、作品の良し悪しのことを語る立場にありません。ですが一応クリエイティブな立場にあるものとして、この一件について何も思わないわけではありません。
ですので、作品のことを一切知らないフラットな目線から、この騒動を斬ってみても良いのではないかと思い今回こうして筆を執りました。
「お?野次馬乞食か?」と思われても仕方がない所業ではあると思いますが、読んで頂ければ納得できる内容になるよう努めて書いて参ります。よろしければお付き合い下さいませ。
ネットの声を無視できない作品
記録的高評価を記録した『けもフレ』に対し、逆に記録的低評価を記録した『けもフレ2』。たった2クールでここまで見事に評価が覆った作品を他に知りません。
そもそも『けもフレ2』は2017年に監督降板騒動で大炎上した過去がありました。死に体であったシリーズが奇跡的大復活を遂げ、そのクールの覇権アニメにまで成長したのは、ひとえにたつき監督の手腕によるところが大きいという評価が一般的だったように感じます。その監督を降板させるという判断は、作品創りという観点では100%悪手という他ありません。
そんな中で始まった『けもフレ2』は、始まる前から何かと曰くつきの作品であったと言えます。全くの未見である僕のような人間にとっても、その評価の行く末が興味の対象になっていたのは間違いないのです。
しかしながら、前作以降『けもフレ』というIP全体に魅力を感じていた人達も一定数いたはずです。騒動があったからと言って作品を頭ごなしに否定すべきではないと考えている人達の評価を得られれば、少なくとも賛否両論という着地点を目指すことはできました。
それでも『けもフレ2』は未曽有の大不評と反感を買ってしまうという結果に終わります。肯定派もいるのでしょうが、全体として否定意見の方が多いこの状況を「両論」という言葉で表現することはできません。
もちろんネットの声が全てというわけではないですし、サイレントマジョリティもいるはずです。その存在を無視して「『けもフレ2』は誰からも評価されなかった」と言い切ってしまうこともまた横暴であるとは感じます。
ですが『けもフレ』という作品はネットの声の高まりから存在が認知され、その後もネットを中心とした盛り上がりを見せた作品であると僕は思っています。その起こりを考えれば、ネットの声を通常よりも重要視しなければならない作品だと言わざるを得ず、否定意見を「ネットのオタクの妄言」で切り捨てるべきではないでしょう。言ってしまえば、その妄言から復活したコンテンツなわけですから。
少なくともネットの声の9割以上が『けもフレ2』に否定的な感情を持っているという現状。数の暴力故に行きすぎた発言や行いも散見されますし、それを許すべきではありません。しかしそこまで行ってしまうほどの感情を否定するのも、また難しいと思っています。
続編として不可解な展開
『けもフレ2』がここまでの低評価を受けるに至った理由の最も大きなものが「前作を全否定しているから」であることは僕も認識しています。それがどういった内容であるかも、数々の例え話を見させて頂いたことで理解しています。
アニメの内容の全てを知っているわけではありませんので、それについて酷いという気はありません。しかしファンの方々が何に怒っているかという部分に関しては、想像を及ばせることができています。
そのファンの怒りが向けられている問題について、様々な不可解な点が見受けられます。その辺りを未見なりに分析して行きたいと思います。
想定外のヒットによる再ビジネスモデル化
ナンバリングを冠するタイトルであり、前作の主人公の存在の立ち位置を変更するという、完全な設定の追加処理を行った『けもフレ2』。前作と地続きであることを明示していることから、公式側から1の存在を上書きしようという何らかの意志がはたらいたのは否定できないと思われます。
『けものフレンズ』シリーズはメディアミックス展開で地位を確立しようと立ち上がったIPだったようですが、結果的に上手く立ち行かず、前作アニメは終止符としてある種投げやりに創られたものであったという見方が強いようです。たつき監督が自身の作風で自由に作品創りができたのにも、恐らくそういった背景が影響していたのでしょう。
それが予定外の大ヒットを飛ばしてしまったため再ビジネスモデル化を実施。独自性を強めた前作の不要な部分を削除し、IP全体が当初目指していた流れに引き戻すアニメを製作するに至った…というのが推察し得る裏事情と言ったところでしょうか。
IPビジネスは沢山の人が絡む都合上、1つの方針に一丸となって挑むべきであり、そこから外れているものを削除して行くというのには一定の理があります。そのビジネスの動きそのものを完全悪とするのは難しいと考えますが、そうであっても今作の動きには不可解な点が多すぎるのは否めません。
正当な続編にする必要性はあったのか
前作TVシリーズ『けものフレンズ』は、どう見積もってもIPを復活させた絶対的功績を持つ作品であり、あのヒットがなければIPその物が凍結され、今頃存在していなかった可能性も高い。存在していたとしても今ほどの知名度を持っていたとは考えにくいです。
死に体だった『けもフレ』を元々支持していた人よりも、前作から存在を知ったファンの方が圧倒的に多くなっていたのは言い逃れのできない事実であり、この層の反感を買う展開を取るメリットがあるとは思えません。
具体的に言えばナンバリングを冠していない「完全別物」のアニメを創ることができたはずで、少なくともその方向性であればここまでの炎上に繋がることはなかったはず。
前作がIPを立て直してくれたことは紛れもない事実でありその存在をリスペクトしてはいるが、あれは監督の独自性が強い作品だった。その監督は降板という結果になったし、その流れを汲むのは難しい。これからは全く新しい『けものフレンズ』を創っていきます。
とすれば良かったのでは、と。
言葉で言わずともそういう作品創りをすることはできたはずだし、視聴者にそのようなアニメを望んでいた人は少なからずいたはずです。
ファンの反感を買うリスクを冒してでも前作を踏襲するシナリオでアニメを展開することを選ぶのには、相応の理由が必要であるはず。例えばそちらの方が面白くなる自信がある、前監督からしっかり引継ぎを受けている、何らかの理由で前作を意図的に破壊したい、などでしょう。
現在『けもフレ2』はこの3つ目の理由によって創られた作品であるとネット上では嘯かれていると思います。だからこそ多くの人が怒りを露わにしているのでしょう。
正直、受け手が勝手に製作の裏事情を推察してそれを真実のように語ることは褒められたことではないと思っていますが、シナリオのあらましを辿るに、最も辻褄が合ってしまうのがそれであるというのが厄介です。
仮にそこまでの思惑が本当になかったとしても、そう取られかねない作品創りをしてしまったという事実は消えませんからね。
「どの立場の人も幸せにならない作品」が生まれてしまっていないか
ここからは「前作を破壊する意図がある」ことの辻褄が合ってしまう理由を書いて行きます。
前述している通りIPビジネスである以上、アニメ製作スタッフが納得してこの作品を創っているとは限りません。上からそういうお達しがあれば従わざるを得ないという事情はありますし、現に普段はもの凄く優秀な作品を打ち出しているアニメ監督が、露骨なビジネス要素の介入のせいで引くほど面白くないアニメを創ってしまった例を僕も知っています。
なので本当に面白くない作品を創ってしまうことは誰にだってありますし、元々考えていた構成の上から急に全く違う話を創れと言われてしまったら、どう足掻いても整合性が取れなくなってしまうことは起こり得ます。面白くないと思いながら、叩かれるのが分かっていて創っているという悪夢。
ですが、それを受け手として楽しんでいる方々は汲む必要はありません。詰まらないものは詰まらないと言って良い。そしてビジネスマンが作品の面白さより仕事を優先してしまうことも仕方がない。その狭間を突き詰めるのがプロのクリエイターというものです。
全ての人達が違う立場の人のことを慮れれば良いのでしょうが、現実はそう行かない以上、それぞれの立場で(可能な限り)自衛をしなければならないと思います。
それを考えると、今回の件はより不可解ではないでしょうか。
前作の人気ぶりを考えれば、ビジネス的な観点からも監督を手放すメリットはあまりなかったはずです。仮に公にできない不祥事(人災)があってそれが必要なことであったとしても、続編を創るに当たって前作を破壊する作品創りをするというのは悪手中の悪手でしょう。現存する顧客の半分以上を敵に回す判断だからです。
当然作品創りとしてもそうです。
製作側は完全オリジナル作品として成立させた方が余計な反感を買うこともなく、妙な設定の不整合に悩まされることもなく、より新しいテーマに沿ってクオリティを追求することができたはず。
つまりこの『けもフレ2』が体現したものは、誰にとってもメリットがない形に収まってしまっていると捉える他ありません。作品としても面白くないという評判が付き、製作は不要な怨念を買い、ビジネスとしても大量の顧客を手放すことになる。しかも作品を楽しもうと思っていた受け手は詰まらない作品を見せられたばかりか、自分の好きだった作品の思い出を否定される始末。
客観的に見て、関わった全ての人達が世間的な汚点を背負わされたと言っても過言ではないようなものになってしまったという現実があります。業界的にどうかは、内部を知らない以上は図りかねるところではありますが…。
特定の個人の感情絡みという帰結
では何故この作品はこうならざるを得なかったのか。
少し考えれば、この疑問に多くの人が辿り着いてしまうわけです。
そこから考え得る可能性もほぼ1つだけ。
全ての「立場」の人が傷ついてまで何か事を起こす必要があるとすれば、それは特定の「個人」に対する何かしらの感情であるという結論に至るのは致し方ありません。
今回の場合では、IPその物を「絶対にこうしなければならない」という信念を持った決定権者がいた(あるいは忖度される立場にいた)か、降板させられた監督(前作その物)に対して何かしらの恩讐や怨念を持っている者(もしくは集団)がいたということになるでしょう。
これは邪推も邪推です。
絶対にそうであると言うべきではありません。
しかし一般論に則って言えば、このような結論に収める以外に作品の存在を成立させることができないのです。だから多くの人が悪意的な結論から離れることができないというのが現状でしょう。真実を語れる立場の人間以外は、これを否定する対案を出すことが不可能だからです。
おわりに
『けもフレ2』が炎上したのは、ひとえに当時の視聴者が積み上げた思い出を破壊してしまっているからではないでしょうか。公式側が過去を否定するような作品を創ることは、仮に受け手側が一丸となって「なかったことにする」ことを選んだとしても、なかったことにはなりません。その後の作品はそれを踏まえたものになってしまいます。
それを皆が知っているから怒るし悲しみます。
好きだった作品を否定され続けることを誰も望みません。
詰まらない作品が生まれてしまうのは仕方がないと思います。単なる力量不足、時間不足、人員不足、予算不足、理解不足、物理的トラブル、人災、ビジネスの都合など、そういった作品が生まれてしまう可能性はそこら中にあります。悲しいことですが、沢山の人や立場が絡むものが必ずしも良い方向にまとまるわけではありません。
でもその作品が悪いものかどうか、多くの人を不幸にしてしまう作品かどうかを事前に判断することくらいはできるのではないでしょうか。
『けもフレ2』は、監督降板の件の影響で風当たりが強くなっていたことは誰もが想像できたことであり、その分慎重な作風が求められる状況にあったと思います。アニメの尺も1クールとコントロールが可能な分量。百何十話も積み重ねた結果取り返しのつかないことになってしまった…という作品でもありません。
にも関わらずこういった不幸な末路を辿る作品が打ち出されてしまったことは、何らかの配慮不足にあるものであるとファンが思ってしまうのは必定です。それを事情の説明もなく「不当な批判である」と切り捨てるのは、あまりにも難しい。
僕は作品を見ていない以上、内容について根本的な良し悪し、面白い面白くない酷い酷くないを語ることはできません。製作の都合を推し量らずこの作品を断じることもできません。そうであってもやはりこの「状況」についてはかなり懐疑的な感情を抱かざるを得ません。
いつかこの件の真実が紐解かれる日が来るのだとしたら、是非その深淵に触れてみたいと思うばかりです。
最後に、期待を裏切られ思い出を破壊されたファンの方々を含め、この作品に関わることで不当な扱いを受けてしまった方々に、どうか納得行く結末が待っていることを少し外側から祈らせて頂きます。人を楽しませるはずのエンターテインメント作品で、不幸を背負う人が数多生まれてしまうこと自体は、経緯はどうあれ決してあってはならないことと思っています。
これを機に『けもフレ』に触れることも考えてみますね。こういう記事を執筆した以上、いつまでも何も知らないというわけにも行かないと思いますので。それでは。