検察刷新会議 政治の排除こそ議題に

2020年6月3日 08時19分

 「法務・検察行政刷新会議(仮称)」の設置方針を法相が明言した。前東京高検検事長が賭けマージャンで辞職した問題による。だが定年延長を含めた事実関係も不透明なままでは前に進めない。
 「甘い」が78・5%−黒川弘務・前東京高検検事長の処分を「訓告」で済ましたことに、国民は納得していない。共同通信の世論調査がよく示している。
 賭けマージャンがいけないことは誰もが知っている。だが、人事院指針にも反する「訓告」はなぜなのか。かつ職責や地位が高い者ほど重い処分になるはずなのに目をつぶっている。
 首相や法相らの説明が要を得ないのは明らかだ。国民の怒りはそこにある。
 綱紀粛正だけで足りず、新たに会議を設置するなら、その目的とともに前提となるべき事実関係が明確でなければならない。賭け事を反省するのは当然として、甘い処分になった経緯も十分に説明されるべきである。
 賭けマージャンの相手が新聞記者らだったことから、会議の方向が取材や報道の規制につながる恐れをはらんでいる。メディア側が自らを律するのは必然であるが、黒川氏の問題の根本は、政治権力が人事によって検察組織に介入したことにあるはずである。
 その論点をずらしてはならない。黒川氏は前例のない定年延長を受けた。一月末に閣議決定されたが、実はこの決定経緯もいまだ不透明なのである。さらに検察庁法の改正案を出し、検察幹部の人事に政権が介入できる仕組みをつくろうとした。
 これは検察の独立性を崩すと国民の反発を受け政府は断念した。だが、仮に刷新会議のテーマに「検察の統制」を入れ込むと、再び政治介入の論議が復活しうる。暴走する検察を止めるために政治権力が必要だとの論法で…。
 検察力に対しては、法相が検事総長を指揮する「指揮権」や、市民が主体となる「検察審査会」などの法制度が既にある。しかし、少なくとも検察の見張り役として、およそ政治権力はなじまない。政治権力の腐敗に対抗する存在こそ検察だからである。
 むしろ政府の暴走をどう止めるか、その統制と監督の装置の一つとして検察はある。統治システムに仕組まれた歯止めだ。法相は法案への答弁で「検察の民主的統制」の言葉を何度も出した。歯止めを崩すもくろみがあるなら、刷新会議などは不要である。

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