縄文時代の加工食品炭化物 | 縄文学研究室トップ>研究ノートトップ |
考古学会展示班「縄文時代の食-加工食品炭化物から-」『國學院大學考古學會誌 2000年度若木祭特集号』国学院大学考古学会 2000 ※最新見解は以下の論考をご覧ください
より中村執筆部分中心に抄録
中村耕作2007「クッキー状・パン状食品」『縄文時代の考古学5 なりわい-食料生産の技術-』同成社 pp.253-259
中村耕作2004「縄文時代の加工食品炭化物-研究史および事例の紹介-」『若木考古』第97号 pp.1-5 [PDF]
INTRODUCTION 本稿は、2000年度若木祭の展示解説として5人で分担して書かれたものの一部である。準備の都合でせっかく調べて書き、展示したものがサークル員に伝わらないという結果になってしまい、しかもその時は会誌も中途半端な状態で仮発行という状態であり、ようやく2月になって原稿を提出した。ちょうどある掲示板で「縄文クッキー」の復元実験が話題となっていたので早めに掲載したかったのだが、会誌の発行までは待つことにした。
さて、このテーマ、会員の誰も専門分野でないのに、気軽な気持ちで学園祭展示のテーマが「縄文クッキー」に決定されてしまった。そのため基本的な部分しか調べることができず、縄文時代の食生活全般の中での位置づけなどには到底及ばなかった。
それでも、当初、10箇所にも満たなかった事例も調べてみると東日本一帯に分布していることがわかり、それと同時に「パン」「クッキー」といった安易な名前で呼ぶことが妥当なのかという疑問がわいた。
なぜ炭化しているのか? ただの焼かれ過ぎなのか? ゆでたものはなかったのか? 早期~後期まで時期による違いはあったのか? 材料は何なのか? 住居内の出土が多いが、家の中で作られていたのか? 一般的な食品で日常的に食べられたものなのか? それとも特別の時の食なのか? あるいは携帯食なのか?謎は多い。
「縄文の食」と聞いて多くの人が思い浮かべるであろう「縄文クッキー」についてほとんど何も研究されていないということは大きな驚きである。このような状況なので多少なりとも参考になればと思い、事例紹介だけであるが公表することにした。
なお、この種の遺物の組成を分析してきた脂肪酸分析法については信憑性に疑問の声がある。今後適正な複数の分析方法の開発が望まれる。(2001.2.18)
Eternal Orbiters +α の「ドングリクッキーを作るときに・・・」にはネット上の関連情報が紹介されています。また掲示板での議論の過去ログが整理され縄文クッキーをめぐってとして公開されている。
付記:前期旧石器問題に関連して自然科学分野からの脂肪酸分析に関する疑義が提起されている。文末付記1参照
事例追加:高風呂遺跡例、水尻遺跡例、上小用遺跡例を追加(03.1.29 文末付記4参照)
縄文時代の食-加工食品炭化物から-
はじめに
1、加工食品炭化物研究史略
2、加工食品炭化物の事例紹介
<加工食品炭化物の紹介>
加工食品炭化物とは、《縄文クッキー》《クッキー状炭化物》《パン状炭化物》などと呼ばれる縄文時代の食べ物が炭化したものである。これまで、縄文の食生活を考える上での一級資料といわれていたが、詳しい研究はなく、植物食を論じた研究の中で多少扱われる程度であった。
今回の展示にあたり、全国の出土例の把握を試みた。未報告の資料や、漏れも多いと思われるが、これまでに二十数遺跡からの出土情報を確認することができたので、以下簡単に紹介したい。(各遺跡毎の出土状況については資料4・5参照)。
<形状と名称>
各遺跡から出土した炭化物は様々な形をしている。報告書の記載をみると、《クッキー状》《パン状》《カリントウ状》《捻り餅状》《だんご状》《そろばん状》等多様な名称を付けられている。おおむね5㎝未満の円形のものがクッキー状、それ以上で楕円形のものがパン状と呼ばれているようであるが、基準があるわけではない。成分に基づくものではなく、形状の類似に基づく便宜的なものであり、食品としての作り方や味、用途等は異なったものであったことが予想される。この類の遺物を扱った研究者の中には呼称について多少の問題意識をもった人もいるが、近年では一般的には「クッキー状炭化物」が多く使われている。
<時期と分布>
今のところ最古の例は山梨県原平遺跡例の早期末で、放射性炭素年代測定法で7150±130BPという結果が出ている。その後、前期から後期までの東日本各地に出土例がある(資料6参照)。西日本からの出土例はなく、また東日本でも長野・山梨に集中しているが、これが本来の分布を示すものかどうかは不明である。この地域の研究者の植物利用についての関心の高さも関係するかもしれない(長沢1989)。
<出土状況>
これら加工食品炭化物の出土状況を見てみたい。
まず、最も多いのが住居からの出土である(熊ヶ平・坊主峠・馬場平2・押出・行田大道北・駒木野・沖ノ原・大崎・曽利・上前尾根・伴野原・藤内・寺所第2・原平・宮之上・高風呂・水尻・上小用各遺跡)。
大型住居からの出土も目に付く(上ノ山2・押出・沖ノ原)。
特に、住居の中でも石囲炉の中から発見された伴野原例や、覆土に焼土を含有する土坑上から発見された熊ヶ平例は調理法を考える上では重要である。
また、土坑からの出土も注目される(下広岡・行田大道北・岩野原)。特に、岩野原例は石皿に乗ったままの出土であり、土坑を用いて調理した可能性を伺わせる。
この他、作業場(忍路土場)、泥炭層(渡戸)等からの出土も確認されている。なお、押出遺跡では脂肪酸分析の結果、石皿から加工食品炭化物と類似した脂肪酸が検出され(中野1994)、調理に使用された可能性が指摘されている。
<炭化種実塊について>
中央自動車道建設に先立つ荒神山遺跡、大石遺跡の調査で種子状の物質が固まった状態の炭化物が出土した。これを炭化種実塊、または炭化種子塊と呼ぶ。
当初アワとされたが、その後の電子顕微鏡での観察によりエゴマ種子とされている。(松谷1976)
最近、長沢宏昌はエゴマを含んだ食品の復元およびその炭化実験を行い、《クッキー状炭化物》や《炭化種実塊》と比較し、両者を同種類の遺物と考えた。(長沢1999)
長沢宏昌と松谷暁子(1989)はエゴマを含む炭化種実塊として、長野県荒神山遺跡、大石遺跡、月見松遺跡、上前尾根遺跡、山梨県花鳥山遺跡、東京都なすな原遺跡、岐阜県ツルネ遺跡の7遺跡12例を挙げている(資料5参照)。
<非加工食品の可能性のある例>
今回の集成表に加えた加工食品炭化物の中には、近年の観察で加工食品以外の植物が炭化したものと考えられる例があるので紹介しておく。
峰一合例は、長沢宏昌(1989)、大江上(2000)によってユリ科植物の球根の炭化物であることが指摘されている。
駒木野例は、《クッキー状炭化物》として報道されたが、最近発刊された報告書では、単に《炭化物》と記しており、食品とは書かれていない(青梅市遺跡調査会1998)
机原例は何らかの植物の根が炭化したものの可能性が高いということである(小松隆史氏のご教示による)。
また、上原遺跡例は、報告書で後世の混入の可能性も指摘しているが、分析結果は不明である。
加工食品炭化物として検出されていない遺物も多いと思われるが、一方でこのような例も存在する。適切な科学分析の実施が望まれる。
資料4:加工食品炭化物の出土事例分析:○脂肪酸分析 △脂肪酸分析(未発表) ☆電顕観察
遺跡名 所在地 時期 遺物名 点数 出土状況・形状・その他 分析 文献 1 忍路土場遺跡 北海道
小樽市後期 パン状炭化物 1 6号作業場跡より出土二枚貝(ウバトリガイ)の痕 ○ 北海道埋セ1989 2 熊ヶ平遺跡 青森県
川内町前期 食品炭化物(クッキー状炭化物) 2 1号住居床面(火焚跡?)近くより出土 (4.7×3.1×2.3)遺構外出土 (5.0×3.9×2.8) ○ 青森県教委1995 3 坊主峠遺跡 岩手県
北上市中期
(大木b式)ダンゴ状炭化物 3 2号-C住居(火災にあった住居)出土6.0×4.0×3.5、5.3×3.5×3.0、4.0×3.5×3.5 北上市教委1977 4 馬場平2遺跡 岩手県
一戸町中期 パン状炭化物 1 C9住居のD層出土 5.0×5.0 全面に縞状の線が付き、その線に沿って一部割れている △ 一戸町教委1983 5 上ノ山2遺跡 秋田県
協和町前期 炭化遺物 2 SI190号大形住居跡より出土表面には小さな凹凸が認められ、材料を細かく切ったことが伺える。表裏に指の痕あり ○ 秋田県教委1989 6 川口遺跡 山形県
村山市後期 パン状炭化物 1 包含層内出土 (10cmほど) 山形県教委1990 7 渡戸遺跡 山形県
天童市後期中葉 クッキー状炭化物 1 泥炭層より出土 3cmほど 山形県埋文セ1996 8 押出遺跡 山形県
高畠町前期 クッキー状炭化物 約20 13号住居、11号住居(大形長方形)の床面・転ばし根太直上で出土 径3cm~5cm 渦巻沈線文様/掌跡 オーブン用の石も出土 ○ 佐々木1993 9 上原遺跡 福島県
二本松市中期 炭化物 1 開発工事中に出土 「おにぎりを半分にしたような形状」 径8.0cm、厚3.8cm 裏面に薄板が密着 後世の混入物の可能性も 二本松市教委1969 10 行田大道北遺跡 群馬県
松井田町前期
(諸磯c式期)クッキー状炭化物 約70 《住居》:6号(覆土中3点)・7号(西壁際13点・付近に焼土あり)・8号(覆土中)・10号(覆土中3点) 《土坑》:12号(覆土中1点・下層より炭化種子)・243号(覆土中12点)・342号(覆土中32点) 点数は形状の把握できるもののみ 最大長4.5cm、最小長3.0cm この報告では重量も報告されている ○ 松井田町遺跡調査会1997 11 下広岡遺跡 茨城県
つくば市中期 パン状炭化物 2 土坑内より出土 径7cmほどの円形状 茨城県立歴史館87 12 駒木野遺跡 東京都
青梅市中期 炭化物 約20 11号住居・31号住居の覆土中 青梅市…1998 13 岩野原遺跡 新潟県
長岡市後期 パン状炭化物 1 石皿と共に土坑(9N-L20)内より出土長さ11.5cm △ 長岡市教委1981 14 沖ノ原遺跡 新潟県
津南町中期後半 クッキー状炭化物 約50 第1号長方形建物跡出入口付近出土 第3号長方形大形家屋址、第118号住居址からも各1点出土報告書では直径2~4cm・厚さ1cmの扁平なクッキー状、直径2cm前後のダンゴ状、ソロバン状の3種に分類している 津南町教委1977 15 大崎遺跡 長野県
大町市前期 (縄文クッキー) 1 住居床面出土 (3×3×1.3) 中日新聞99.8.11 33 高風呂遺跡 長野県
茅野市中期
(曽利1式)炭化物 1 21号住居内出土。成形面一面遺存。この面に整形痕あるいは圧痕と思われる痕跡がみられる。2.8×2.5×1.5(03.1.16功刀氏計測) 茅野市教委1986 付記4 34 水尻遺跡 長野県
茅野市中期
(狢沢式)クッキー状炭化物 1 1号住居炉周辺土層より出土。泡状の粒子とこねた状況が観察できる。報告時は一つの炭化物塊であったが、現在は五つに破損。3.4×3.0×2.3(現在残っている塊のうち最大のもの 03.1.16功刀氏計測) 茅野市教委1992 付記4 16 曽利遺跡 長野県
富士見町中期 パン状炭化物 3 5号住居出土 推定5個コッペパン状2点(16.5×10×4.0、15.6×10×3.7)、捻り餅状1点(13×5×3) ☆ 藤森1965 17 机原遺跡 長野県
富士見町前期 カリントウ状炭化物 土坑内より出土 植物の根か? 武藤1980 18 藤内遺跡 長野県
富士見町中期 炭化食品 1 9号住居F2炉の隅 宮坂ほか1965 19 上前尾根遺跡 長野県
原村中期
(曽利2式)パン状炭化物 1 48号住居址より出土 平出1978 20 伴野原遺跡 長野県
豊岡町中期
(曽利2~3式)パン状炭化物 1 33号住居石囲炉の中より出土17×17×3の円盤状 ☆ 酒井1977 35 鳥原平遺跡群上小用遺跡TH84区 山梨県
白州町中期 パン状炭化物 1 1号住居より出土 杉本2003 21 寺所第2遺跡 山梨県
大泉村中期 パン状炭化物
クッキー状炭化物2 T6号住居より5cmほどのパン状炭化物、T56号住居跡より3×4×0.5のクッキー状炭化物 北巨摩…1996 22 原平遺跡 山梨県
大月市早期末 パン状炭化物 1 48号住居内より出土直径5cmほど
C14測定で7150±130BP☆ 杉本1998 23 釈迦堂遺跡群 山梨県
勝沼町中期 パン状炭化物 1 (報告書刊行後の整理作業で発見、詳細は未発表) ☆ 長沢1998 24 宮之上遺跡 山梨県
勝沼町中期
(藤内式期)パン状炭化物 1 27号住居の覆土炭化物層よりドングリと共に2点出土 室伏1990 25 峰一合遺跡 岐阜県
下呂町前~中期 パン状炭化物 2 廃棄遺構内出土 ユリ科植物の球根か? 大江2000
※33~35は追加分
資料5:炭化種実塊の出土事例
遺跡名 所在地 時期 出土状況その他 分析 文献 26 荒神山遺跡 長野県諏訪市 中期 70号住居、111号住居、123号住居より出土 ☆ 長野県教委1975 27 大石遺跡 長野県原村 中期 18号住居、19号住居、24号住居、25号住居より出土 ☆ 長野県教委1976 28 上前尾根遺跡 長野県原村 中期 47号住居出土 ☆ 平出1978 29 月見松遺跡 長野県伊那市 中期 54号住居内ピットより出土 ☆ 松本1988 30 なすな原遺跡 東京都町田市 後期 113号住居床上より出土 ☆ なすな原遺跡…96 31 花鳥山遺跡 山梨県御坂町・八代町 前期 4号住居床面より出土 焼けてタール状に固まった種実塊 ☆ 山梨県立埋文セ89 32 ツルネ遺跡 岐阜県高山市 中期 ピットより 丈夫な種皮(?)のものの集合 ☆ 粉川1982
3、加工食品炭化物の成分
<脂肪酸分析以前>
加工食品炭化物は発見以来その成分への関心が高く、理化学的分析の必要性は十分認識されていた。この種の遺物として初の発見となった曽利遺跡の報告で藤森栄一は「必要とあらば…完形品3個も、化学的に何の澱粉であるか分析し得る時期が来るとすれば、われわれは喜んで、とりこわしてしまうつもりである。」と記している。そして曽利遺跡の《パン状炭化物》のうち、完形に復原されなかった破片の一部が直良信夫、渡辺直経に送られ分析が依頼された。直良氏の分析結果は途中結果であるがカタバミとササの核らしきものの検出されたという(藤森・武藤1964)。渡辺氏の分析結果は不明である。
その後、前述したように荒神山遺跡・大石遺跡などで炭化種実槐が出土し、走査型電子顕微鏡での観察が行われた。これをきっかけに、松谷暁子によって曽利遺跡、伴野原遺跡の《パン状炭化物》の観察も実施され、シソ・エゴマが確認された(松谷1983、1988ほか)。最近でも山梨県の事例について観察が行われ、原平遺跡例からエゴマが確認されたが、釈迦堂例では確認されていない(長沢1995)。
<残存脂肪酸分析法>
<残存脂肪酸分析法による加工食品炭化物の成分>
※脂肪酸分析の原理については(中野1995)等を、問題点については(杉山1993、酒井・小林1995、菊池1995)等を、分析結果の詳細は(中野ほか1989a・b・1995、中野1995)等を参照
4.炭化物の観察および出土状況から見た加工工程
※この項はI君執筆の「加工食品炭化物における加工工程」から事例部分を抜き出し、再構成した。
<成形>
・上ノ山2遺跡…表裏に指跡。
・押出遺跡…表面に曲線文様。
・伴野原遺跡…表面は滑らかな仕上げ。縁は手回し、又はきれいに角をつけている。
・押出遺跡…土器製作のように、紐状にしてから成形。
<加熱>
《板状石を熱し、その上で焼かれたと考えられる事例》
・押出遺跡…住居跡横に、被熱痕を有する扁平な板石が遺存している。脂肪酸の付着も確認出来る。これらから、この板石は食品の焼成に使用されたものと考えられる。
・岩野原遺跡…大型の土坑から、小型石皿が加工食品炭化物を付着した状態で出土した。石皿には被熱痕が確認される。加工食品炭化物は石皿に固く付着していた。
《灰の中で焼かれたと考えられる事例》
・伴野原遺跡…加工食品炭化物は石囲炉の底から出土した。16×17cmの鏡餅のような立派な形である。
・熊ヶ平遺跡…住居内土坑・覆土上面より出土。土坑覆土には多量の焼土・炭化粒が含有する。土坑内あるいは土坑上の灰中で焼成されたのだろう。
《二枚貝を利用して焼かれたと考えられる事例》
・忍路土場遺跡…残存形状から、二枚貝(ウバトリガイ)を利用して焼いたと考えられる6cm程のものが出土している。
5、まとめ
おわりに
参考・引用文献
《報告書など》
*青森県教育委員会 1995 『熊ヶ平遺跡』青森県埋蔵文化財調査報告書180
*秋田県埋蔵文化財センター 1989 『東北横断自動車道秋田線発掘調査報告書2(補遺)―上ノ山2遺跡―』 秋田県文化財調査報告書186
*一戸町教育委員会 1983 『一戸バイパス関係埋蔵文化財調査報告書3』一戸町文化財調査報告書4
*茨城県立歴史館 1987 『企画展 霞ヶ浦の縄文文化』
*青梅市遺跡調査会 1998 『東京都青梅市駒木野遺跡発掘調査報告書』
*大江上 2000 「資料紹介 下呂町峰一合遺跡出土の加工食品炭化物について(1)~(3)」『月刊考古学ジャーナル』456~458
*北上市教育委員会 1977 「だんご状炭化物」『季刊どるめん』 13
*北巨摩市町村文化財担当者会編 1996 「寺所第2遺跡」『八ヶ岳考古』 1
*松井田町遺跡調査会 1997 『八城二本杉東遺跡(八城遺跡) 行田大道北遺跡(行田Ⅰ遺跡)』関越自動車道(上越線)地域埋蔵文化財発掘調査報告書
*松井田町遺跡調査会 1997 『松井田町内関越自動車道(上越線)関連遺跡自然科学分析編』関越自動車道(上越線)地域埋蔵文化財発掘調査報告書
*酒井幸則 1977 「パン状炭化物」『季刊どるめん』13
*佐々木洋冶 1993 「押出クッキー」『新版 日本の古代』 1 角川書店
*杉本正文 1998 「原平遺跡」『山梨県史』 資料編1 原始・古代1考古(遺跡)
*杉本 充 2003 TH84区1号住居址出土「パン状」炭化物(http://www.asahi-net.or.jp/~rj5m-sgmt/san/tan01.htm)
*茅野市教育委員会 1986 『高風呂遺跡』
*茅野市教育委員会 1992 『水尻遺跡』
*中日新聞 1999 「6000年前にもクッキー 国内最古級 長野・大町」『中日新聞』1999年8月11日付
*津南町教育委員会 1977 『沖ノ原遺跡発掘調査報告書』
*長岡市教育委員会 1981 『埋蔵文化財発掘調査報告書 岩野原遺跡』
*長野県教育委員会 1975 『長野県中央道埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書-諏訪市その3-』
*長野県教育委員会 1976 『長野県中央道埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書-茅野市・原村その1 富士見町その2-』
*なすな原遺跡調査会 1996 『なすな原遺跡 №2地区調査』
*二本松市教育委員会 1969 『上原遺跡調査概報』
*北海道埋蔵文化財センター 1989 『小樽市忍路土場遺跡・忍路5遺跡』北海道埋蔵文化財センター調査報告書53
*平出一冶 1978 「長野県上前尾根遺跡の調査-アワの炭化種子を中心に-」『考古学ジャーナル』147
*藤森栄一・武藤雄六 1964 「信濃境曾利遺跡調査報告 昭和35・36年発掘地区」『長野県考古学会誌』創刊号
*藤森栄一 1965 「池袋・曽利遺跡」『井戸尻』 中央公論美術出版
*毎日新聞 1993 「"縄文クッキー"見つかる」 4月27日付 (駒木野遺跡)
*宮坂英弌・武藤雄六・小平辰夫 1965 「烏帽子・藤内遺跡」『井戸尻』 中央公論美術出版
*室伏徹 1990 「宮之上遺跡(第3次)」『山梨考古』 31 山梨県考古学協会
*武藤雄六 1980 「カリントウ状炭化食品発見の意義」『季刊どるめん』 27
*山形県教育委員会 1990 『川口遺跡発掘調査報告書』山形県埋蔵文化財調査報告書51
*山形県埋蔵文化財センター 1996 『渡戸遺跡発掘調査報告書』山形県埋蔵文化財センター調査報告書35
*山梨県埋蔵文化財センター 1989 『花鳥山遺跡・水呑場北遺跡』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書45
《論考・図録など》
*阿部芳郎 1996 「食物加工技術と縄文土器」『季刊考古学』 55 雄山閣出版
*泉拓良 1987 「植物性食料」『季刊考古学』 21 雄山閣出版
*泉 拓良 1996 『歴史発掘2 縄文土器出現』 講談社
*泉拓良・西田泰民 1999 『縄文世界の一万年』 集英社
*岩手日報社編 2000 『いわて未来への遺産 遺跡は語る―旧石器~古墳時代』
*岡村道雄 2000 『縄文の生活誌』 日本の歴史01 講談社
*菊地 実 1995 「脂肪酸分析と考古学の成果」『月刊考古学ジャーナル』 386
*桐原 健 1965 「パン状炭化物についての二、三の実験」『井戸尻』 中央公論美術出版
*桐原 健 1996 「八ヶ岳山麓遺跡群と縄文農耕論」『アサヒグラフ』1996年4月1日発行[別冊]
*小池裕子 1992 「縄文の生業動態と食性分析」『季刊考古学』 41 雄山閣出版
*粉川昭平 1982 「縄文時代の植物―主として果実・種子を中心に―」『日本の美術』 191 縄文時代3
*粉川昭平 1983 「縄文人の主な植物食料」『縄文文化の研究』 2 雄山閣出版
*坂井良輔・小林正史 1995 「脂肪酸分析の方法と問題点」『月刊考古学ジャーナル』 386
*釈迦堂遺跡博物館 1988 『展示案内』
*杉山 洋 1993 「考古学からみた土器埋納遺構の性格」『西隆寺発掘調査報告書』奈良国立文化財研究所学報52
*鈴木公雄 1988 「縄文人の食生活」『古代史復元2 縄文人の生活と文化』 講談社
*辻 秀子 1983 「可食植物の概観」『縄文文化の研究』2 雄山閣出版
*長沢宏昌 1989 「縄文時代におけるエゴマの利用について」『山梨考古学論集』2 山梨県考古学協会
*長沢宏昌 1998 「縄文時代遺跡出土の球根類とそのオコゲ」『列島の考古学』渡辺誠先生還暦記念論集
*長沢宏昌 1995 「山梨県における栽培植物の出土事例」『月刊考古学ジャーナル』389
*長沢宏昌 1999 「エゴマのクッキー」『山梨考古学論集』4 山梨県考古学協会
*長沢宏昌 1999 「パン状炭化物」『山梨県史』 資料編2 原始古代(2)考古(遺構・遺物)
*中野益男ほか 1989a 「炭化物に残存する脂肪の分析」『東北横断自動車道秋田線発掘調査報告書2(補遺)―上ノ山2遺跡―』
*中野益男ほか 1989b 「忍路土場遺跡から出土した遺物に残存する脂肪の分析」『小樽市忍路土場遺跡・忍路5遺跡』
*中野益男 1994 「脂肪酸が示す世界」『発掘を科学する』 岩波新書
*中野益男 1995 「残存脂肪酸による古代復元」『全面改訂・新しい研究法は考古学に何をもたらしたか』クバプロ
*中野益男ほか 1995 「熊ヶ平遺跡から出土した炭化物に残存する脂肪の分析」『熊ヶ平遺跡』
*中野益男ほか 1997 「行田大道北遺跡から出土した遺構および遺物に残存する脂肪の分析」『松井田町内関越自動車道(上越線)関連遺跡自然科学分析編』
*中村哲也 1996 「生業活動と遺跡群」『季刊考古学』 55 雄山閣出版
*橋口尚武 1983 「調理」『縄文文化の研究』 2 雄山閣出版
*福島県立博物館 1997 『企画展 縄文たんけん』
*富士見町教育委員会 1997 『井戸尻』 第7集
*松谷暁子 1976 「長野県諏訪郡原村大石遺跡出土のタール状炭化種子の同定について」『長野県中央道埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書-茅野市・原村その1、富士見町その2-』
*松谷暁子 1981 「灰像と灰化像による縄文時代の作物栽培の探求」『月刊考古学ジャーナル』 192
*松谷暁子 1983 「エゴマ・シソ」『縄文文化の研究』 2 雄山閣出版
*松谷暁子 1988 「長野県の縄文中期諸遺跡から出土したエゴマ・シソ」『長野県史』考古資料編4
*松谷暁子 1996 「なすな原遺跡第113号住居址出土炭化物について」『なすな原遺跡 №2地区調査』
*宮下健司 1996 「縄文食に関する理化学的研究の動向-縄文クッキーの復元実験の成果―」『長野県立歴史館研究紀要』 2 長野県立歴史館
*渡辺 誠 1973 「食生活の変遷」『古代史発掘2 縄文土器と貝塚』 講談社
*渡辺 誠 1982 「縄文時代各期主要堅果類とパン状炭化食品出土遺跡の分布」『日本歴史地図 原始古代編(上)』 柏書房
*渡辺 誠 1983 「炭化食品」『縄文時代の知識』 考古学シリーズ4 東京美術
*渡辺 誠 1999 「縄文人のくらし-植物食を中心に-」『企画展 よみがえる縄文人』 ミュージアム氏家
(2001.2.18稿了)
付記1:前期旧石器問題に関連して自然科学分野からの脂肪酸分析の分析手法に関する疑義が提起されている。
*難波紘二・岡安光彦・角張淳一 2001 「考古学的脂肪酸分析の問題点」『日本考古学協会第67回総会研究発表要旨』 (同記録)
*元企業技術者y 2001 「残存脂肪酸分析 -その科学性と成果の検証-」 http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/yamaguti/sibousan.htm
その他関連文献・webページは元技術者y氏文献の註に詳しい。
付記2:上記 元企業技術者y2001の内容をもとにした下記の文献が公表された(02/9/23)
*山口昌美 2002 「考古学の残存脂肪酸分析と食の問題(前編) 旧石器にナウマン象の脂肪はあったのか?」『食の科学』2002年9月号(295) 光琳
*山口昌美 2002 「考古学の残存脂肪酸分析と食の問題(後編) 縄文クッキーの謎に迫る」『食の科学』2002年10月号(296) 光琳
上記文献はこまきのいせきものがたりにおいてWeb上で公開された(02/11/7掲載 11/10確認) http://www.komakino.jp/yamaguti-ronbun/yamaguti-ronbun.html
参考:食品情報館(光琳のWEBサイト)
付記3:参考文献に、松井田町行田大道北遺跡の脂肪酸分析に関する報告書を追加(02/12/29)
付記4:高風呂遺跡例、水尻遺跡例のサイズ・現状については、功刀司氏(茅野市尖石縄文考古館)よりご教示いただいた。
高風呂遺跡例については住居址番号以外の出土状況は不明とのこと。
鳥原平遺跡群上小用遺跡TH84区例については杉本充氏(白州町教育委員会)よりご教示いただいた。
山梨県花鳥山遺跡の所在地を大月市と誤っていたのを杉本氏の教示により御坂町・八代町に改めた。(03.1.29)
付記5:学校教育での「縄文クッキー」の利用と脂肪酸分析に関する問題を扱った岡安氏の寄稿が朝日新聞に掲載された。(03.4.2)
*岡安光彦 2003 「小・中学校で人気の縄文クッキー作り 科学的根拠に強い疑問 「誤り」の流布 今後に活かせ」『朝日新聞』2003年3月7日夕刊文化欄
上記記事はhttp://www.arcvision.jp/articles/fattyacid.htmlで公開されている。
付記6:「フレッシュ・クリーム」にて帝京大学で行われた発表『縄文クッキー作製と試食』のレジュメが公開されている(03.10.17)。
http://members.at.infoseek.co.jp/Fcake/new_page_12.htm
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