ほぼ日刊イトイ新聞

2020-06-02

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・人のこころを読みたいと、人は願います。
 たしかに、人がなにを、どう思っているのか、
 聞かなくてもわかったら都合のいいことはありそうです。
 いいことでも、わるいことでも、それを知ったら、
 対処して危険な目にあわないようにもできそうだし、
 逆に親切や手助けをするにも役に立つかもしれません。

 空が飛べたらいいな、と同じように、
 人のこころが読めたらいいなという願いは、
 人間の歴史のなかでも、ひとつのジャンルになってます。

 そういうことだから、物語のなかには、
 「人のこころが読める人」というのも登場します。
 たいてい、そういう能力が最も有効に利用できるのは
 交渉などで相手(敵)の本心を知りたいときです。
 人のこころを読めることは、映画や小説のなかでは、
 国家的な機密(武器)として扱われたりします。
 じぶんがそういう「読める人」だったら困りますよね。
 あとは、人のこころというものは、
 外から想像しているほどきれいなものではなく、
 信じていた人が嫌なことをたくさん思っていたりする。
 そんなことを知らざるを得ない「読める人」が、
 暗い現実を前に、大いに苦しむという物語もあります。
 どっちも、つくり話の世界です。

 人は、どれくらい人のこころを読んでいたらいいのか。
 なかなかわかるものじゃありません。
 できるだけ人のこころを読めたほうが、
 その人の望んでいることの手伝いもできるかもしれない。
 人のこころがわからない、というのもつらいものです。
 また、お人好しと言われるような人は、
 おそらく、人のこころを読みすぎない人です。
 競争の社会のなかにいたら、
 人のこころを読むことはビジネスの一部分でしょうか。

 それにしても、「情報社会」と言われるようになってから 
 人のこころを読む機会が、むやみに増えていませんか。
 読むし、読ませられるし、伝えてくれるし、知らされる。
 はたして、こんなに読んだり知ったりするのがいいのか? 
 ぼくは個人的には、もう、あんまり読みたくないです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いい「少年小説」が読みたいというのは、この気分なのかな。


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