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 アベノマスクが届いた。
 ビニール製の透明な封筒に収納された2枚の布マスクは、それが話題にのぼってから実際に手元に届くまでのひと月あまりの間、私が頭の中で思い描いていた通りの姿で横たわっていた。すなわち、説教くさい上に恩着せがましい下賜品の外形を整えている一方で、その内実は見るからに貧相なブツだったということだ。

 まだ封を切ってはいない。
 当面、使用するつもりもない。

 どこかに寄付する方途を検討してもいるのだが、なかなか決心がつかない。というのも、送り先次第では、かえって失礼に当たるのではなかろうかと、そこのところを心配しているからだ。つまり、ヒトサマに厄介払いを押し付けておいて、それを恩に着せようとする魂胆は、アベノマスクを私のところに送りつけてきた政府の態度と同断だからだ。でなくても、私が誠意のつもりで送付したマスクを、受け手がそのまま誠意として受け止めてくれるとは限らない。してみると、迷惑なブツを一方的に押し付けつつ、感謝を期待している送り主たる私は、あの人と同じ轍を踏むことになる。

 本題に入る前に、「アベノマスク」という呼称について整理しておく。

 この呼び名は、安倍首相がかねて打ち出している看板政策である「アベノミクス」をモジっている点からも推察できる通り、もともと、政府支給の布マスクを揶揄嘲笑するニュアンスの造語だった。それゆえ、この言葉が誕生した当初、「アベノマスク」を連呼しているのは、もっぱら政権不支持派の面々に限られていた。

 ところが、気がついてみると、いつの間にやら、アベノマスクは、多くの国民がふつうに使用する、ごく一般的な名詞に成長している。

 理由は、おそらく「アベノマクス」というこの卓抜な名称が、平明端的でわかりやすかったからだと思う。となると、これほど広く定着してしまった呼称は、他に替えがきかないこともあって、マスクを嘲笑する意図を持たない人たちも邪気なく発音するようになる。かくして、現在では、政府の意図を忖度して、このマスクの使用を生徒たちに強制する意図を持った中学校の校長先生までもが、「アベノマスク」という用語を使用するに至っている

 このテキスト内でも、政府配給のガーゼマスクを「アベノマスク」と表記することにする。あわせて、筆者たるオダジマが、この「アベノマスク」という単語に特段の揶揄や嘲笑をこめていないことを、あらためてお断りしておく。マスク無罪。私はそう思っている。

 さて、施策としてのマスクに罪はないが、ブツとしてのマスクは雄弁だ。
 それゆえ、そもそもが人々の口元を保護するツールだったはずのアベノマスクは、案に相違して、実際には人民の内なる声をアンプリファイする機能を発揮しはじめている。どういうことなのかというと、アベノマスクが各家庭に届けられるにつれて、内閣支持率を示すグラフの曲線が右肩下がりのカーブを描いて転落しているということで、どうやら、このマスクは、政権の無能を象徴する不幸の手紙じみたブツに化けてしまったのである。

 いま私は「政権の無能」という穏やかならぬフレーズをタイプしたところなのだが、ちょうど、頃合いでもあるので、この場を借りて、今回の新型コロナウイルスに関する現政権の取り組みについて、私個人の現時点での暫定的な評価を書き残しておくことにする。