週のはじめに考える 今も未来も過去の続き
2020年5月31日 07時59分
『上を向いて歩こう』は言わずもがな、苦境にある時は、なぜか坂本九さんの歌が心に響きます。『見上げてごらん夜の星を』もしかり、うつむき加減の時に「さあ顔を上げて」と、小さく励ましてくれるようなところがあるからでしょうか。
別に、歌に促されたわけではないのですが、まだ緊急事態宣言解除前のある日、夜の空をしばし見上げてみました。コロナ禍による休業や外出制限などで人間の活動が急減したことで、大気がいつになく澄んでいる。そんな海外の報道に接したからです。日本も同様だろうと考えたわけです。
◆見上げてみる、夜の星を
そう思って眺めるからか、心なしか星の瞬きは鮮やかに思えました。星座関係のサイトを参照すると、例えば、かなり明るくオレンジ色に光っているのはどうも、うしかい座のアークトゥルスのようです。刈り入れ時期にちなんで、本邦での別名は「麦星」、地球との距離は「37光年」とあります。
つまり、現在の私たちが見ているのは、過去の麦星、三十七年も前のアークトゥルスの姿ということになります。私たちはこのところ、毎日発表される「今日のコロナ感染者数」に一喜一憂していましたが、テレビで専門家が「(潜伏期間があるので)これは、二週間前の状況ですから」と繰り返していたのを思い出しました。
「過去は、現在ではありませんか。未来でもあるのです」。米国の劇作家ユージン・オニールの作中にあるセリフですが、そのことを改めて思い知らされる経験でもあったような気がします。
今回、多数の死者を出したイタリアでは、ユーロ危機以降の医療費削減が医療体制を貧弱にしたことが背景にあると指摘されましたが、わが国でも似たことは言えるのかもしれません。例えば、感染者対応の拠点となった各地の保健所では対応力が限界に達し、悲鳴が上がりました。一九九〇年代の行政改革で、全国八百五十二カ所から約四百七十カ所へと激減していたのです。まさに、「過去」は「現在」ではありませんか。
無論、懐具合に合わせて支出を削るのは当然。備えるべき課題も多く、想定外の大事で不都合が生じた後にあれこれ言うのは結果論といえば結果論です。ですが、何を「無駄」とみなし、何を守るべき「ゆとり」と判断するか。それをより慎重に、丁寧に見極めるべきだということは、現在の、そして未来にとっては過去となるはずのコロナ禍から学ぶべきことの一つではありましょう。
◆ぞんざいな「記録」の扱い
「困難にぶつかったら過去を勉強しなさい」
これは作家の井上ひさしさんが『ボローニャ紀行』で紹介しているイタリア・ボローニャの産業博物館長の言葉です。歴史ある都市と文化の何とも魅力的な豊かさを伝える中で、その精髄は「過去に学ぶ」姿勢にあると、井上さんはたびたび強調しています。
では、「過去に学ぶ」ために欠かせぬものとは何か。未来からは過去となる現在の記録でしょう。ところが、今、このコロナ禍の対応で、中核的役割を果たしている政府の専門家会議の議事録が残されていないようなのです。後の政策検証にも有用であり、不可解なのですが、思えば、記録をぞんざいに扱うのは安倍政権の“特色”でもあります。
「桜を見る会」の招待者名簿、森友学園への国有地格安売却の経緯を記録した文書、海外派遣された自衛隊の日報…。保管・公開されるべき文書がそそくさと廃棄されたり、消えたり、と思えば出てきたり、果ては改ざんされたり。そんなことが繰り返されています。この政権内では、面談や打ち合わせのメモ禁止が慣習のようになっている、と伝える報道もありました。
「過去に学ぶ」のに必要な現在の記録を、なぜこうもないがしろにするのか。簡単に導ける解の一つは、こうでしょう。もとより、「過去に学ぶ」姿勢が希薄、ないしは欠如しているから…。
◆脅かされる最大の教訓
例えば、原発への執着ぶりにもそれはうかがえます。一基また一基と再稼働を策し、主要電源として位置付けています。原発輸出を成長戦略の一つに掲げたことさえありました。まるで、あの恐ろしい福島の事故などなかったかのように。もし「過去に学ぶ」姿勢があれば、決して、そうはならなかったはずです。
一時、首相が盛んに「戦後レジームからの脱却」を言っていたことにも思い当たります。悲惨な戦争という「過去」に学んだ最大の教訓、わが国の平和主義を揺るがすような政策も次々…。
過去に学ばないのでは、未来も危うくなる。失敗を、過ちを、繰り返しかねません。
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